№1401 思い出の海外旅行クロニクル 20.2003年ポルトガル 5
ポルトガル最終日はリスボンとその近郊を巡り、ロカ岬で夕陽を眺めます。
タルゴの夜行「ルシタニア急行」でマドリードに抜け、帰国の途に。
2003年 1月16日(木)
昨日APから見たSLが気になったので、朝方はサンタレンまで往復してきました。
サンタレン駅。ICや、一部のAPも停車するが、駅付近は田舎という感じ。
この駅の構内には小規模な鉄道博物館があるが、閉まっていました。冬季休業?
その代わり、構内に留め置かれていたSL、553号を間近で見せてもらえました。動態保存機らしい。日本のC51に似ています。
基本的には、ポルトガルは踏切が多いです。ここは警報自体は自動、それを聞いたおばさん係員が遮断かんを降ろします。警報が鳴り続けていても、遮断かんが上がる事もあります。
「SUD EXPRESS」(南急行)。この時点では仏西国境のイルンが始発になっていました。
帰りはAPの「トゥリステカ」に乗車。座席は2-2配置だが、掛け心地は「コンフォート」と大差ないように感じました。ビデオ・オーディオサービスも同じ、決定的な違いはシートサービス位では?
リスボン名物ケーブルカー。
トラムは基本的にはクラシックなスタイルの単車、街のムード作りにも一役買うが、実際眺めてみると、それはかなり必然的。一車線の狭い道路にも線路が延び、急カーブに急こう配の連続、一方通行の分岐ではガントレットまである位の難路で、とてもLRTタイプの大型車が導入できる環境にはない。そのためなのか、街の上の方では、廃止になったらしいレールの跡があちらこちら残っているのが残念でした。
一方、ほぼ全区間テージョ川沿いの平坦な区間を走る15系統には、3連接のLRTタイプが導入されています。広告ラッピング車が多かった。
ジェロニモス修道院の前をゆく新型トラム。
カイス・ド・ソドレ~カスケイス間の近郊電車。7連の電車が頻繁に行き交い、活気を感じます。
7年ぶりのカスケイス駅。
急にロカ岬から夕陽を見たくなりました。でもバスは行ったばかり、私としては異例だがタクシーを捕まえました。事前にドライバーに料金を聞いたら12€(≒1,530円)、日本の感覚からすれば高くはない。
ロカ岬。7年ぶりに、欧州大陸の西の果てに立ちました。
岬に立つ、十字搭。
大西洋の水平線に、夕陽が沈んでいきます。
…来てよかった。
カスケイス行のバス。シントラからの路線が立ち寄る形。カスケイスまで1.9€(≒240円)。
ロカ岬に行ったため、地下鉄や、4月25日橋を渡るCP近郊電車に乗る時間はなくなりました。7年前も全く乗っていないし、次に来る機会にがあれば、今度こそ。
ライトアップされた、夜のサンタ・アポローニャ駅。
ルシタニア急行。スペインのタルゴ編成。
最後は個室寝台をおごりました。発車前にシャワーを浴びておきます。
サンタ・アポローニャ出発前。
定刻に動き出した。ポルトガルとはお別れです。Tchau!
すぐに食堂車へ。夕食の前菜。
夕食のメイン。メニューを良く読まないまま(スペイン語とポルトガル語のみ、英語はなかった)注文したら、両方とも鮭でした。ヘルシー?
食後のケーキ。
寝台車だと料金には夕食代が含まれているらしく、請求がありませんでした。普通に払ったらコーヒーも含めて19.46€(≒2,500円)になる所。
エントロンカメントを過ぎた所で、もう寝ます。CPの車掌に、モーニングコールは7時とお願いしておきました。
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2003年 1月17日(金)
モーニングコールで目覚め、シャワーを浴びて朝食へ。外はまだ真っ暗で、朝という感じは全然ないが。フエンラブラダ駅の赤系のサインで、スペインの都市の近郊に来た事を感じます。
食堂車の車内。
朝食はパン・トーストにジャム・マーガリン・クッキー、それとオレンジジュースにコーヒーと簡単なもの。朝食も代金は請求されませんでした。
部屋に戻り、8時になって車掌が前夜預かっていた切符を返しに来る頃、ようやく空が明るくなってきました。
マドリード到着。
チャマルティン駅は、さすがにポルトガルのどの駅よりもはるかに大きい。
「ルシタニア急行」は、一昨年あたりから「南急行」と一本化してサラマンカ経由に変更、食事のサービスは取り止めとなっているそうです。
バラハス空港までは地下鉄を乗り継いで行く。8号線は最新の路線。駅が少ない。
バラハス空港の出発ロビー。
本来は午後のAF1501便を予約していたのだが、チェックインは何時から?とAFのスタッフに聞いたら、いきなりAF1001便に変更された。10時15分出発、あと1時間ないじゃん!? 何でだろう?ディレイとかキャンセルとかのセリフがどこかから聞こえてきて、これ以降のダイヤに何かが起こるのか?
という事で慌ただしく搭乗。A321-200。後方の窓際で、しかも隣2席に誰も来ないのは幸い。
ターミナルから一番遠い36Lから離陸。
グアダラマ山脈。
キャビン。アジア系の乗客が多く、中国語の新聞を読んでいる人も見かけた。
機内食。
ピレネー山脈を越えて行きます。
どこかのフランスの都市からパリの市街地を右遠くに見て、CDGにランディング。
改めてAF1001便。ターミナルに背を向けて、オープンスポットに到着。
寒いけれど、一週間前の雪は、どこに行ったのだろう?
当初の予定より3時間も早く着いた。どうやって時間をつぶそうか。取りあえずターミナル1に行ってみた。14時を過ぎると、パァッと晴れになって、ある程度は旅客機を撮れました。その中から。
エア・ヨーロッパ B737-400 EC-HXT
「アンダルシア」ラッピング機。
ヴァリグ・ブラジル航空 B777-200ER
75周年記念ラッピング機。
14時40分、JALのJA8921がランディング。行きと同じだ。これがこれから乗るJL416便。
これを見てターミナル2Fに戻る。
なお、先のAF搭乗便繰上りは、特に運航上の異常はなく、サービスだったのでは?との事。
ターミナルFの56番ゲート付近は、案の定日本人ばかり。日本語のアナウンスを聞くと、もう日本に帰ってきてしまったかのような錯覚を覚えます。
ほぼ定刻の出発。タキシングの最中、雲の隙間から夕陽が覗く。今回は朝日・夕陽を見る機会が非常に多かった。
離陸。農村地帯を見るが、すぐ雲の中。
機内からも、夕陽を見る事が出来ました。この後はどんどん暗くなる一方。町明かりがきれい。
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2003年 1月18日(土)
キャビンの様子。
パーソナルモニターとは別に、メインスクリーンではNHKニュースを放映。前日17日のもので、阪神大震災から8年、各地での追悼行事がメインになっていました。1$≒118円、1€≒125円。
オツマミ。
離陸後、最初の食事。洋食のメインは舌平目のムニエル。フヮッとした食感。スィーツのティラミスは、洋酒が隠し味?
翌朝、離陸から9時間弱でアムール河上空を通過。真っ白。
到着前の食事。オムレツは定番ですか?
日本海を越えて、新潟上空を経て朝日連峰の白い山々を見る。ディセンドスタート。
九十九里で大きくUターン。
12時ちょうど、成田空港R/W34Lに着陸。
到着は定刻より37分も早かった。追い風が強かったらしい。
帰りも京成と京急の通勤車の乗り継ぎでした。
最終回では例によって、ポルトガルの列車やリスボン・サンタアポローニャ駅の画像などをご覧頂き、ポルトガルの鉄道の印象や、ポルトガル自体のパーソナルデータを記して、完結です。
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《今日のニュースから》
18日 常磐線再開に向けた協議 国土交通省で関係者の会合開催
19日 自民党 武藤貴也衆議院議員 離党届を提出
イラストレーター柳原良平さんがお亡くなりになりました。船のイラストで馴染みだったが、交通関係で一番有名だったのは、相鉄の「緑園都市号」でしょう。ご冥福をお祈りします。