№1386 思い出の海外旅行クロニクル 19.2002年ノルウェー 5

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 2泊連続で夜行(しかも共に座席車)で過ごし、ややヨレヨレ気味だけれど、ストックホルムより帰国の途に就きます。ウィーン経由OS便乗継です。

2002年 5月24日(金)

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 ストリエンからの夜行はアーランダ空港駅も経由するが、ストックホルム中央まで乗り通します。空港駅は地下ホームでした。ストックホルム中央に近づくと複々線。アーランダエクスプレス(AE)とも出会います。

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 定刻を少し回って6時前、中央駅に着きました。
 ホームの表示は、何故かトロンヘイム始発、という事になっていました。

 2晩連続して座席の行だったので疲れました。せめてシャワーでも浴びたいと思ったのだが、駅構内にはあるものの、SEK(スウェーデン・クローナ)が手元になく、両替オープンは7時になってから。なので先に空港まで戻ります。
 アーランダ空港はこの3年前の1999(H11)年、フィンランドからの帰りでも利用しているが、あの時はAE開通の直前で、乗車は適いませんでした。今回はもちろんAEです。

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 AE乗場の券売機。空港まで160SEK(≒2050円)。空港まで約40㎞なので、やや高い。クレジットカードが使えます。

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 待合室。

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 AE専用ホーム。
 こちらは完全ノンストップ運行で、15分間隔。AEはフライトークと比べるとやや小ぶりな気がする。ユーモラスな顔つきです。

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 車内。構造はフライトークと同じ。液晶モニターによるインフォメーションやニュースも同じで、昨今の空港アクセス特急のトレンドなのかと感じました。
(この後の成田エクスプレスやスカイライナーもそうなる)
 最高速度200㎞/hだそうで早い事は早いが、フライトークに比べると乗り心地は今一つ、走行音もやや大きいと感じました。空港まで17分。

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 空港駅の地下ホーム。

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 アーランダ空港ターミナルの出発ロビー。OSのチェックインカウンターは他社と共用で、カウンターそのものはいくらでもあるようなのに、実際に使われているのは3ヶ所だけ。30分も行列に加わらなければならない。カウンターのスタッフは親切で、フライトは窓際を確保できたから、まだ良いか。しかし出発ゲートは、この時点では不明。
 この空港にはシャワー設備がなかった。とはちょっとビックリ。ラディソンホテルのフィットネスクラブの物を使わせてもらうのだそうで、面倒だからパス。余計疲れが増す感じ。やや考えが甘かった。

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 ややあって、出発ゲートは6番と出ました。搭乗開始。

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 OS312便。フォッカー70。地上に出て、そのまま歩いて搭乗。入口が低くて、頭部には防護カバーがありました。APUがないのか、エアコンが入っていないので暑い。クラシックが流れているのが、オーストリアらしい所でしょうか。

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 離陸。すぐに大きく右旋回。アーランダ空港の全景を見下ろします。空港の周辺は森と湖が続く。

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 フォッカー70のキャビンはやはり狭いが、それでも2クラス。ほぼ満席。CAは2人乗務で、CクラスとYクラスが1人ずつ。

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 機内食はサンドイッチとケーキ。ドリンクは後。サンドイッチはパンがいい香り。

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 ストックホルムは快晴だったのに、その先はずっと雲が広がり、窓の外は青い空と白い雲で景色が二分されていました。

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 ウィーン・シェベヒャート空港へアプローチ。オーストリアの田舎を見下ろす。北欧とはまた違ってこんもりした感じ。

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 ウィーンの降機も、ターミナルまでバスで移動。外は風が強かったです。

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 成田行のOS51便。これはフォッカー50の機内から撮りました。NH286便として搭乗。今はOSからいなくなったA340-300。

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 成田行が出発するA02番ゲートがあるサテライト。当時のOSは関西空港行の路線もあり、加えてエバー航空の台北行もあったので、日本人を中心としたアジア系の人々で大混雑になっていました。

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 乗り継ぎ時間が短く、手荷物検査場を過ぎると、既に搭乗が始まっていました。

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 出発ラッシュにかかったのか、定刻より10分近く遅れて出発。タキシングの最中、SNブリュッセル航空機と出会いました。前年(2001(H13)年)に倒産したサベナ・ベルギー航空を引き継いだキャリアで、当時のカラーはサベナ時代とほぼ同じでした。

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 離陸すると、しばらくは低空のまま大きく左旋回。ウィーンの田舎が広がる。欧州はどの国でも、田舎が美しい。

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 オツマミ、というかクラッカーのサービス。

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 最初の食事は「肉かベジタリアン」のチョイスで、肉にしました。これに赤ワイン。
 ミンスクからモスクワを経由して行くようだが、空は明るいものの、下界は分厚い雲が広がって、何も見えませんでした。

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2002年 5月25日(土)

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 キャビン。OSのA340は5年前のギリシャからの帰りにも乗っていて、№1162で書きました。
 あの時と比べると、エコノミークラスでもパーソナルモニターが設けられているのが大きな違い。ただ、何かシステムが不調らしく、調整が必要とかで、アナウンスの後一旦画面が全部消される、という一幕もありました。LHでさえYクラスはまだ未搭載だったし、機内エンタメシステムはまだ黎明期にありました。
 日本人CAが数人いたが、5年前は乗務していたANAのCAは、もういなかった。

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 ウィーン離陸から約4時間、夕陽が沈んでいきました。

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 ここで初めて観ましたよ、「ハリー・ポッター」。第一作「賢者の石」。2時間31分と長かったけれど、とにかく観よう、と思ったらまたシステム不具合が発生、時々止まってしまう。まあなんとか全部見ましたけれど。
(当時はまだ、AVODとまではいかなかった)

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 夕陽が沈んでから3時間ちょっとで、再び太陽が顔を出しました。

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 まだシベリア上空だが、朝食がサービスされる。サンドイッチがメインの簡素なものだが、この後チョコレート入りクロワッサンが別にサービスされました。

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 シベリアから日本海を越えて、新潟上空。関東地方は晴れているようだ。

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 ランディングアプローチ。あれ、成田空港の見え方が違う。左手に第1ターミナルを見る。ひょっとして…。

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 着陸はB滑走路だ。前年運用を開始したばかりだが、さっそく降りる事になろうとは。ターミナルを大きくやり過ごし、タッチダウンはホテル日航成田のあたり。
 当時はまだ全長が短く、B747などは利用できなかったのだが、A340は着陸はOKでした。誘導路は未買収地を避けて不自然なカーブを描いていたりしていて、あくまで「暫定」。

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 成田空港第2ターミナル到着。おお、LHのジャンボの隣だった。

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 第2ターミナルの到着ロビー。

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 最後に。行きはバスだったから最後は電車。当時は京成編成による、船橋経由羽田空港行特急が設定されていました。

 オスロの大失態もあり、最後は2夜行が連続で座席車、シャワーさえ浴びられず、相当ヨレヨレヘロヘロの状態で、それでも何とか日本に帰って来れました。反省点が山ほどある旅になってしまいました。
 最終回では例によって、ノルウェーの列車やオスロ中央駅の画像などをご覧頂き、ノルウェーの鉄道の印象や、ノルウェー自体のパーソナルデータを記して、完結とします。

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《今日のニュースから》
19日 日本航空社員 御巣鷹の尾根慰霊施設を清掃
20日 セスナ機離陸直後に墜落 4人重軽傷 北海道別海町