№1385 思い出の海外旅行クロニクル 19.2002年ノルウェー 4

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 トロンヘイムからボーデーにかけての鉄道は、9年前の1993(H5)年10月31日、北欧4ヶ国周遊の過程で乗った事があり、№836で書きました。ただ、あの時は秋分の日を大きく過ぎ、曇天だった事もあって早々と暗くなって、北極圏突入の瞬間も見られませんでした。
 今回は快晴。なにより真夏に向かう1日とあってどこまでも日が高く、存分に車窓が楽しめそうです。今回は、帰りを夜行にした日帰りとしました。
 トロンヘイムには軽鉄道があります。ボーデーから戻った後はこの電車に乗り、その後国境を越えてノルウェーとはお別れです。

2002年 5月22日(水)

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 駅構内で見かけた、貨物列車用のEL。ノルウェーは1996(H8)年に「上下分離」が行われ、旅客列車はNSBが引き続き運営するものの、貨物列車はCargonetが運営する事となりました。そのCargonetのカラー。

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 うそ、これがボーデー行?一般的な近郊タイプのDCだ。
 ガッカリ…?(とこの時点では思った)。
 予約制の列車なのだが、当然席番が全く異なるので適当に窓際に腰かけていた。しかし、検札の車掌は座っている位置のチェックだけで、どこへ行けとは言わなかった。それと、食堂車の代わり、という訳なのか、前方には車内販売のワゴンがあり、乗客が入れ代わり立ち代わり現れて、サンドイッチやコーヒーを求めていました。

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 左手にトロンヘイム湾。フィヨルドです。この辺は牧歌的、とも言える。

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 どこの駅で撮ったかは失念してしまったが、途中アメリカンスタイルのクラシックDLが留置されているのを見ました。9年前はこのタイプが客車を牽引してボーデーに向かったのだが、あの時とは色が全く変わっている。動態保存?

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 レヴァンゲル駅。トロンヘイム行を待つ間、外に出て煙草を吸う客が目立ちました。
(列車は2両とも禁煙)

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 これ、何という山だったっけ?標高は1160mだから丹沢より低い位だが、さすが北欧、雪が多い。

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 そして湖。とにかく右も左も、とてつもなく美しい。
 だけど車窓に興味を示すのは私だけみたい。他のお客さんはほとんどおしゃべりや居眠り。

 さて、大分走ってきてビエルカが近づくと、車内アナウンスが妙な事を口走っている。車掌に確認してみたら、この列車はビエルカで乗り換えになるのだという。

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 ビエルカには、客車列車が待っていました。ホームはボーデー方面から来たと思われるお客さんと荷物が凄い。全部乗れるのか?とか思ってしまった。
 駅付近は建物がほとんど見られなくて、よくこんな所で乗り換えさせるものだと思う。トロンヘイム側は車両の手配ができなかったのだろうか?

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 食堂車も連結。ここではドーナツとコーヒーを飲み食い。品ぞろえは、先のベルゲン発オスロ行と同じでした。DCでワゴン販売していたおばさんもそのまま乗り換えて仕事。重労働だと思いました。

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 どんどん高度が上がっていく。雪山がすぐそばに迫ってきて、スピードがガクンと落ちる。

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 登り詰めて、ボルハ駅。付近には民家3軒以外見当たらないのに、若い男の人が乗り込んできました。

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 ついに北極圏に到達しました。やや遠いが、モニュメントが両側にあります。木々がまるで生えていなくて荒涼としている。雪は少ない。

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 レンスダル駅。
 今度はどんどん下って行く。一転して穏やかな農村地帯が広がるようになります。

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 18時37分、ボーデーに着きました。9年前と違って、真昼間のような明るさ。しかもあの時は悪天だったが、今回は快晴です。

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 ボーデー駅。
 この駅はYHを併設しています(右端にマークがあります)。

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 ボーデーの町の教会。

 前回はホテルに一泊してナルヴィクに向かったが、今回はすぐに、夜行列車でトロンヘイムに戻らなければなりません。

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 夜行の476列車、ボーデー出発直前。
 寝台車3両と座席車3両、食堂車1両。寝台車以外はビエルカから乗ってきた客車がそのまま折返し。DLも同じ。寝台車の内2両は、こちらも元スウェーデンと思われる。カラーは変わっていたが。

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 ボーデーの郊外。しばらくは町中を走って行きます。

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 ファウスケ駅で、かなり多くの乗車がありました。ナルヴィクなどからのバスからの乗り継ぎが多いのだろう。皆大荷物だ。ノルウェーの鉄道の旅は、なかなか大仕事だと改めて思いました。

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 食堂車でビーフストロガノフとリンゴ、コーラの夕食。118NOK(≒1890円)払いました。今回はオスロのチョンボのため、不必要なはずの出費が大変なのだが、やはり食堂車はケチりたくはありません。

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 さすがに薄暗くなってくる中、雪原が広がります。
 どんどん高度を上げていく。一旦山の中に消えたはずの夕陽が、再び顔を出したりします。不思議…。

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 早々に北極圏とはお別れです。時刻23時18分、ボーデーから2時間18分。

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2002年 5月23日(木)

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 日付が変わって、モーイラナ駅。寝台車を1両増結。ボーデーからのDLがそのまま入れ換えて連結します。

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 モーシェーエンでも寝台車1両増結。もうすぐ2時。ここはさすがに太陽は隠れてしまうが、空は十分明るい。そのためなのかどうなのか、この時間でも割と乗降が頻繁に見られました。
 モーイラナもモーシェーエンも、こんな時間で寝台車増結?と思われるだろうが、前の晩の留置の時点から利用が可能なのです。
(逆方向も、切り離しの後も朝までは利用可能)

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 翌朝、食堂車で朝食。訪れるのは、ご高齢の方々が大半、という感じ。若い乗客も少なくなかったはずだが。

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 モーニング。簡素だが、焼き立てのパンが香ばしくて、3つも食べてしまいました。30NOK(≒470円)。

 トロンヘイムは定刻到着。午前中は軽鉄道を訪ねます。

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 日本ではあまり知られていない気もするが、トロンヘイムには軽鉄道「Gråkallbanen」(GB)が走っています。NSBの駅からはやや離れたセントオラヴスゲートと、郊外のライアンを結ぶ1路線があります。車内の路線図に寄れば、全長は8.8㎞。

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 その車内。ごくオーソドックスなループスタイルの連接車。シーメンス製。

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 セントオラヴスゲートの電停。この付近はスプーン状のループ線上に位置していて、電停は歩道上にあります。
 ライアンまで30分間隔。

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 しばらくは路面区間。やがて山の中腹の森の中を、グングン上っていく。途中のどこかの駅で行き違い。

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 ムンクヴォルがGBの要衝で運転士が交代し、車庫もある。また、博物館もあるようだったので、ライアンからの帰りに途中下車してみたのだが、この時期は開いていないようでした。記念品の類も見えたのに、残念な事でした。

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 ライアンの終点。ループスタイル。

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 湖がある公園。子供たちが遊びまわり、親は日光浴。どうも彼の地の皆さんの1日の過ごし方は、日本とは大分違うようです。
 夜行の疲れもあり、私もしばらく芝生で居眠りしていました。たまにはいいでしょ?

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 戻って、駅近くのヨットハーバー。どこもかしこも、日光浴を楽しむ人々がとても多い。今日は平日なのだが。昼休み?

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 港に面した公園。

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 教会。

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 改めて、トロンヘイム駅。船着き場の反対から撮ってみました。長距離バスターミナルを併設。バスの出入りは多いです。

 何やかやあったが、ノルウェーとはお別れになります。今回は山間部の国境を越え、ストリエンからスウェーデンに入って、夜行でストックホルムに抜けるルートを取りました。
 ところがこの時期は工事なのか、スヘルダルからストリエンのノルウェー国内区間はバス代行。スヘンダルまでは、近郊タイプのDC列車で移動(ステインヘルとの間は比較的本数が多い)。

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 スヘルダル駅。瀟洒です。ここでバスを待ちます。

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 やがてストリエンの行先を掲げたバスが来ました。NSBの新マークが描かれていて、NSBのバス部門なのだろうか。

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 国道をひたすら飛ばすが、途中の乗降も頻繁だ。時々レールを乗り越す。貨物列車は走っているようなのだが、旅客が代行バス輸送なのは理由不明。
 やがて気づかぬ間にスウェーデン領。国境越えのムードを感じられないまま、ノルウェーとはお別れになりました。
 何はともあれ、Ha det bra!

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 ストリエン駅。
 困った事に、この駅は窓口が閉まったまま。営業の駅員はいないの?寝台車までつないだ、ストックホルム行の夜行の始発駅なのに?代わって車掌が予約を受け付けるが、もう寝台もクシェットも満席なのだそう。最後もまた座席車になるのか…。国は違うが、トロンヘイムで聞くだけ聞いておいても良かったか。
(SJ側の座席車は、予約はいらないらしい)

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 この列車はストックホルム行と、エーテボリ行の両方を連結。14両編成と長い。この付近は冬場はスキーリゾートらしく、冬ダイヤだと分離運転になります。

 発車時刻になると、何の前触れもなく動き出しました。長いので、加速が重っ苦しい。

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 澄んだ川。

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 そして緑の森と、遠くに白い山々。この辺は、ノルウェーと変わりません。美しいです。

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 19時過ぎ、デュヴェッド駅到着。なんと、ここで30分以上も停車。付近はここもスキーリゾートらしく、駅付近には小ホテルも見られるようなのだが、駅舎はまるで廃屋、切符売場も閉鎖。待合室は開いていて、トイレも使える。本数が少ないくせにTVモニターで発着の案内があるのが、逆に不気味な気もする。放送はあるんだよね。どこかからの遠隔だと思うのだが。結局他には何の列車の発着もなく、定刻になってそのまま動き出しました。

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 夕食。

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 ユスターサンまで下ってきました。ここでどっと乗車がある。とはいえ空席も少なくはないが、発車間際になって、目の前にカップルが座ってきた。他に空いているボックスはいくらでもあったのにどうして?私の方が変わる。

 なぜかスース―うすら寒い。窓は全部閉まっているのに、と思っていたら、なんと暖房が入っていました…。

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 マレーシア機撃墜事件から1年経ちました。各地で追悼の催しも行われたそうだが、改めて悲惨、かつ敢えて言えば不愉快極まりない事件と言わざるを得ません。人の命を何だと思っているんだ、と言いたい。

《今日のニュースから》
17日 新国立競技場計画は「白紙」 安倍首相が表明
18日 広尾町のサケ・マス漁船 ロシア国境警備局に拿捕