オスロで痛い目に合う事になるので、本当はあまり書きたくはないのだが、触れない訳には行きません。ノルウェーの旅は続きます。
2002年 5月18日(土)
ヴォスのYHを発ち、近郊電車でベルゲンに向かう。午後まで滞在の予定だったが、予定していた14時58分発オスロ行は金曜・日曜のみの運転である事を、うっかり見落としていました。その後のオスロ行は前日と同じシグナチュール。この後クリスチャンスン行でも乗る予定にしていたので、変化をつけたい希望もあり、午前中出発の列車で早々とオスロに戻る事としました。観光の余裕は全くなし。
オスロに着き、大聖堂の前でしばらく市電やバスを撮っていた。しかし、ほんの1~2分目を離した隙に…。
やられました。地面に置きっぱなしにしていたバッグが、すっかり消えてなくなっていたのでした。
まったく見っともない話を暴露しなければならなくなったが、このために生活用品や、カメラの望遠レンズ、そしてこの2日間の記録のフィルムなどを、ことごとく失ってしまったのでした。
7年前、ミラノで痛い目にあっていた、はずなのに…。
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2002年 5月19日(日)
もともとヴォスのYHでプランを組み直した段階で、この日はオスロに一日滞在と決めていました。しかし、日常の生活用品もほとんどなくなっていたので、高い出費を覚悟で(ノルウェーは物価が日本より遥かに高い)買い物しなければならないのに、今日は日曜日で、市中の焦点はことごとく閉じていたのでした。この連休中は、どうにもならないか。
止む無く、国際空港なら何かあるだろうと、ガーデモエン空港までわざわざ足を運び(パス利用で一般列車)、とりあえずシャンプー・歯ブラシ・歯磨き粉・髭剃りなどを購入。しかし、ターミナルも意外に店は少ない。かなり閑散とした感じがしました。北欧の日曜の午前はこんなものか。
オスロ市中に戻り、この日はイェーヴィク往復のみにします。途中のロアまでは近郊電車。旅行客が多く、自転車を積み込み若者の姿も目立ちました。
名前は知らないけれど、美しい湖。
そして田園地帯。ノルウェーにしては穏やかに映るが、とにかく無垢な自然がどこまでも広がります。
近郊電車の終点、ロア駅。いい駅舎です。電車が折り返していくと聞こえてくるのは鳥のさえずりだけ。
それでも列車発着時にはきちんと放送がありました。
客車列車に乗り換えて着いた、終点のイェーヴィク駅。
祝日ウィークとあってか、国旗を掲げる民家が多く見られます。こういう車掌も北欧らしい。2日前の、ミュルダールへの道すがらも、こんな感じでした。
急にポンと大都会に戻る感じでオスロ市中へ。グレフセン駅は、窓口は閉まっていたのだけれど、女性の駅員が常駐していて、アナウンスもありました。
と、こんな感じで、自らの度重なる不注意が招いた事態であっという間に奈落の底。ミラノでもそうだったけれど、喪失感はハンパないです。
とはいえ何もかも全てを失くしてスッテンテン、という訳でもなく、旅の続行は可能なので、翌日からまた気を取り直して … と簡単にも言えないのだが … ノルウェーの旅は続きます。
この時点でカメラに収まっていたフィルムに写っていた、改めてフライトーク。
そして、シグナチュール。翌日再び乗ります。
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明日の晩、本体の更新を行います。九十九里鐵道の画像を新規に公開します。また、江ノ電バスで画像を追加するほか、アーカイヴで市川ラインバスを再公開します。
東名阪のウィラー・エクスプレスの事故だが、一部の報道では、ドライバーは11日連続勤務だったともされています。この岡山の事業者は、ウィラーの運行にかかわる事業者ではなかったのではないのか?最近加わったのか?もう少し見ないといけないが、「ウィラー」で起きたという事実は、また高速バス業界に波紋を投げかける事になるでしょう。
《今日のニュースから》
13日 中日ドラゴンズ ペレス・ネイラー両外国人投手獲得を発表
14日 防災学科新設の多賀城高校 JAXAが特別授業