№1382 思い出の海外旅行クロニクル 19.2002年ノルウェー 1

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「思い出の海外旅行クロニクル」、今回は2年ぶり、欧州に戻って北欧ノルウェーです。
 北欧は1993(H5)年に4か国まとめて行って、それから1996(H8)年に他の欧州諸国との周遊コースに組み込んで訪れているが、ノルウェーメインは初めてです。
 ソグネフィヨルドを中心とした、風光明媚な絶景が存分に楽しめる国です。どんな旅になったのか。

 とか書いておいて、いきなりお詫びです。
 恥をさらしてしまうけれど、私自信の注意力散漫な所が如実に表れているのだが、開始早々、3日目のオスロで、また置き引きにあってしまいました…。
 1995(H7)年のミラノで痛い目にあっていた、はずなのに…。
 色々無くしてしまって、カメラの望遠レンズも凄く痛かったのだが、2日目~3日目のソグネフィヨルド~ベルゲンにかけての、本来ならノルウェー一の人気路線を訪ねた際の撮影時のフィルムを皆失ってしまいました。
 この部分はかなり端折って記して行きます。ご了承ください。うう…。

2002年 5月16日(木)
 今回は行きはルフトハンザ(LH)でフランクフルト経由、帰りはウィーン経由でオーストリア航空(OS)を利用します。どちらもANAコードシェアで、ANA便名で搭乗します。

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 この旅では、成田空港までは、横浜(YCAT)からのリムジンバスを利用しました。当時はANAと、旧JASのカウンターも入っていました。ANAは国際線チェックインも行っていたのだが、前年の「9.11」で米国線は中止になっていました。欧州線はやっていたと思うが、LHコードシェアは対象外だったのではなかったかな…。

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 ベイブリッジ。
 早い便だったのでほとんど寝ていて、次に目が覚めたらもう千葉の森の中。

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 成田空港の検問。車は少なかったが、バス専用ゲート位は欲しいなと思ったものでした。係官の対応はソフトだったが、床下のトランクルームまでしっかりチェック。

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 当時のLHは第2ターミナル発着でした。

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 せっかく早めに来たのに、LHカウンターのオープンは7時30分。フランクフルトから先の搭乗券の受け取りはフランクフルトになりました。

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 サテライトのD91番ゲートから出発。
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 中日本エアラインサービス(NAL)のF50。後方にはMHのB777-200が駐機していました。

 搭乗開始はやや遅くなり、定刻は10時ちょうど出発の所、9時45分になって上級クラスから搭乗が始まりました。出発は20分遅れ。

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 R/W34Lよりテイクオフ(B滑走路が運用を開始していた)。天気が悪くて、すぐに窓の外は真っ白。

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 北上するにつれて天気は良くなっていって、越後の山々を見ます。5月なのに雪を被っている。

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 やや見づらいですか?離陸から30分弱で、左手は佐渡。

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 キャビンの様子。黄色がアクセントのインテリアはLHならでは。まだパーソナルTV装着、とはなっていませんでした。

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 離陸後、1回目の食事。メインは焼き鳥丼。これに赤ワインなんて気取ってみる。

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 シベリア上空。ガッチガチに凍りついている。他のお客さんも、凄い凄い行っていた。

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 リフレッシュメントのオニギリ。

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 ロシアの山々。
 しかし、ウラル山脈付近は、下界の雲がべったり張り付いて見えませんでした。

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 到着前の食事。「ドイツ風野菜のラヴィオリパスタ」、だって。

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 フランクフルトが近づき、降下開始。カッセル上空。大きな鉄道の操車場が見える。

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 農村地帯は、フランスとは少し違うと見えるが、それでも穏やかで美しい。

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 着陸直前、アウトバーンを横切る。片方は渋滞気味?

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 フランクフルト空港R/W25Rに着陸、第2ターミナルに到着。遅れはやや詰めました。が、次のオスロ行の乗り継ぎ時間があまりない。

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 トランスファーセンターで、次のオスロ行LH3018便の搭乗券を受け取るが、既に窓側も通路側も埋まってしまって、20B席になりました。


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 オスロ行LH3018便、A321-200。ゲートからは離れて駐機しています。

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 やはり搭乗はバスで、やや走って、機体の前後から乗り込む。単通路だし、欧州らしく?ストウェッジに入れる荷物がやたら多くてゴタゴタする。指定された20Bは翼の真横。ただでさえミドル席なのに、これでは窓の外の景色はほとんど期待できない。

 という事でやや遅れて出発、先に成田から来て着陸した時と同じR/W25Rより離陸。

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 A321のキャビン。

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 ベルトサインが消灯すると、すぐに機内食のサービスが廻る。ハム・サーモンと和え物サラダのコールドミール。チョコレートが添えられているのが、欧州らしいのではないでしょうか。

 窓の外は、やはりほとんど見られませんでした。最後部のドアの窓から見られるかなと思ったが、ギャレイになっていてかなり慌ただしい。森と田園地帯が見られるようで、もったいないなあと思ってしまったのだが。

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 オスロの空港は、6年前にトランスファーで利用したフォルネブから、北東のガーデモエンに移転していました。さすがに新しいし、ノルウェーらしく木材がふんだんに利用され、温かみを感じさせました。
 ここは展望デッキはないようだが、出発階(2F)に通じる道路の歩道から、スポットイン/アウトする機体がほんの少し撮影できます。

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フィンエアー MD-82 OH-LMW

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サン・エア ATP Jetstream61 OY-SVT
 BAのフランチャイズ運航で、「ワールドイメージ・Ireland」。

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ウィーデロー航空 DHC-8-300 LN-VFR

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エア・ボトゥニア BAe146 OH-SAI
 スカンジナビア航空(SK)のフィンランドの子会社だったらしいが、ブルーワン改称の後、SKに吸収。

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スカンジナビア航空 DHC-8-Q400 LN-RDW
 この2か月後にSKからリタイアしたそうです。

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 空港とオスロ中央駅の間は、空港特急「フライトーク」が運行されています。乗車券。約50㎞で140NOK(≒2150円)だから、やや高い(レールパス類は利用できない)。

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 フライトークの時刻表。5時34分~0時34分の間、途中リレストレムに停車し、オスロ中央からさらにアスケーまで運行される列車が20分間隔、平日日中と日曜午後は+ノンストップのオスロ中央行が20分間隔。

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 ガーデモエン空港駅。ここもいいデザインです。

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 空港駅の、フライトーク専用ホーム。一般列車用のホームも別にあります。
 それにしても20時を回っているのに、何と明るい事か。

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 フライトークの車内。このインテリアもいい。デッキ部のTVモニターで案内が表示されます。

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 フライトークは貼り付け線増の複々線を走行、途中貨物列車とも出会います。乗り心地は素晴らしい。高速走行を感じさせません。さすがです。
 ノンストップ便で21分、オスロ中央駅に到着。

 ひどく眠くなって、タクシーでホテルへ着いたらもうバタンキュー。片づけもシャワーも何もなく、そのまま寝てしまいました。

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2002年 5月17日(金)
 この日のノルウェーは憲法記念日の祝日。ホテルは朝食が8時とかなり遅くなり、食べないで中央駅まで歩いて行く。王宮は式典のためか慌ただしかったが、通りは人が少なくてすがすがしい。

 ベルゲンへの路線は高速特急「シグナチュール」が入っていました。カフェテリアで朝食。車窓を愛でながらミュルダールへ。祝日なので、沿線の民家はほとんどが国旗を掲げていました。
 標高990mのウスタオーセ付近は荒涼とした雪原。5月というのにスキーヤーが多い。

 ミュルダールでペンデルツークの緑色の列車でフロムへ降ります。この路線は経営主体が変わっていて、スカンレイルパスでは無料とはならなくなり、30%オフの85NOK(≒1,350円)。フロムからは船でソグネフィヨルドのクルーズを愉しむ。グドヴァンゲンからバスでヴォスに向かい、この日はヴォスのYHに宿泊。

 と書くと、ほんとうにあっさりしてしまって、本当に写真を失ってしまったのが悔やまれます。

 ところで、YHで時刻表をチェックしていたら大変な事が判明。今日だけでなく、月曜日の20日も昇天祭の祝日になり、今日は走った列車も20日は運休になる列車が発生する。従ってプランの組み替えが必要になりました。一度オスロに戻った後、ハーマルの鉄道博物館に行くつもりだったが、今回は取り止めとせざるを得ないか。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

《今日のニュースから》
11日 広島空港 アシアナ機撤去作業開始
12日 古本ドミノ倒しで世界記録 岐阜市

№1381 バス グラフィックvol.24(ネコ・パブリッシング)

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「バス グラフィックVol.24」が今月頭発売になりました。
 表紙は「730」が停車する沖縄バスの新原ビーチ終点で、私も2年前に訪れて№1060で書いたのだが、これ以前にもバス趣味誌や書籍でも取り上げられた事があり、今や沖縄のバスを代表するシーンになっています。
 前回書いたバスラマ誌に続く沖縄特集だが、こちらはジャーナリズム色はなく、純粋に沖縄のバスを愉しもうという構成。

バス王国 沖縄

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 全体の半分以上を占める大特集。
 まず沖縄の訪問滞在について簡単にガイドを記し、関連して「那覇まーい ゆいゆい号」を紹介。
 この路線も2年前に(一部区間だけだが)乗った事があったが、あの時とはかなりルートが変わり、那覇空港発着になって、識名園は通らなくなりました。沖縄都ホテルまでは往復同一ルート。
 観光スポットもあるが、DFSギャラリーがなかったのはやや意外?

 続いて主要4事業者(沖縄・東陽・那覇・琉球)毎にオススメの路線と、代表的な乗合車両がズラリ並びました。

 沖縄バス120系統は那覇空港~名護間約70㎞(京急線・品川~三崎口間を上回る)を一般道経由で2時間半かけて走るそうだが、今の本土の感覚だったら、出張所がある読谷あたりで系統が分断されそう。他にも似たような長距離系統があるが、なんのかんの言って、長距離でもバスの需要が決して少なくない事の表れではないだろうか。ただ、そうなるともう少しグレードの高い車両が欲しいかなと思う。最近はエアロスター・ノンステップの導入に積極的になっています。

 逆に東陽バスは、新陳代謝が今一息だろうか。そろそろ中古としてもブルーリボンシティが入っても良さそうでもあるが。一時はいすゞがいたらしいが、今は全車両日野。横浜市営から来たという元前中ドア車の窓配置が変則的。どうしてこうなったのだろう?団地交通は今のあすか交通だろうか。
 38系統志喜屋線の新里入口乗り換えは、こちらでは記されていませんでした。

 かつては那覇バスはいすゞ、琉球バス交通日デと日野が大半だったはずだが、、第一交通産業系列になった影響もあるのか、今は両社とも4メーカー全部入っています(貸切は対象外だが、貸切には現代ユニバースもある)。バラエティの面ではこの両社が一番か。両社ともカラーが変わりつつあるので、大分印象が変わった感があります。
 5系統識名牧志線が走る軒先の住居は、スクエアな形に格子状の柵のベランダ、灰色がかった白色と、これぞ沖縄、という感じがしました。

 4社全体として、中古車両が多いのは当然の傾向だけれど、譲渡元は関東地方が圧倒的に多いよう。輸送費が大変なのではないかと思うが、関東は排ガス規制もあって取り換えが早めだった時期もあったから、それほど経年化せず代替に適当だったのでしょう。ただ、関東も使用年数が長くなる傾向にあるので、今後はもう少し多様化するかもしれない。
 一部の車両は正面が本土でもまだほとんど見ないフルカラーLEDになっているが、側面のサボとのミスマッチが楽しい。
 巻末にリストがあって、これを見ると、「730」を除いて最高齢は、東陽バスのP-HT233BA(沖縄22き685)が1986(S60)年のよう(「730」と8年しか違わない)。東陽の経年化はリストからも見えていて、コミュニティのポンチョを除くと、主要4社では唯一、21世紀の車両が1台もない。

 圧巻なのは付録の路線図(特に巻末の折り畳み)。私は過去4回沖縄を訪れているものの、本当のバスの撮影は那覇市内だけになってしまっているのは恥ずかしい。地方に行かないとみられないタイプがどの事業者でも少なくなく、次回は是非地方都市(少なくとも名護)には行かないといけないと感じました。他にも魅力的な路線が少なくなさそうだし。
 ただ、那覇~名護・運天港間高速バスの時刻表もあるのだが、最終が早いと思う。航空からの連絡も考えれば、20時台位までは欲しいけれど…。

 他に「C2で羽田へ!」(首都高速中央環状線経由のリムジンバス)「キャブオーバーの世界」「おもしろバス路線漫遊記」「北海道で生きていた!モノコック」。
「漫遊記」の身延~奈良田路線は、ここでは記されていなかったが、南アルプス・北岳(富士山に次いで日本2位)へのアクセスでもあります。高校生の頃、学校の先生と共に登って、下山時に奈良田から乗った事がありました(当時は山梨交通)。奈良田に古い車庫があった記憶があります
 農業高校のいすゞモノコックは、沖縄の「730」と1年しか違わない。

 今号では、リムジンバスのDVDのCMも(プレゼントあり)。裏広告もリムジンバスだし、過去には空港バス特集もあったから、「バス グラフィック」はリムジンバスと何かつながりがあるのでしょうか。
 次号も期待します。

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 台風9号は沖縄を過ぎて、中国に向かっているようです。確かにこの1冊持って沖縄に行くのも良いが、台風だけは何としても避けたい。でないとバス趣味どころか、沖縄への行き来すらままならなくなるので…。

《今日のニュースから》
 9日 被曝70年平和祈念切手シート 長崎県南部郵便局で発売開始
10日 ことでん瓦町ビル 10月リニューアルオープン 琴電が発表

 ことでん瓦町ビルは元はそごうとしてオープン、撤退後天満屋が入っていたが、これも去年の3月を持って撤退していました。「瓦町FLAG」として、ジュンク堂書店やBEAMS(日本最大級になるとか)、La Lanterna等の出店や図書館などの市民サービス拡充の他、屋上は空中庭園になるとの事。

№1380 バスラマインターナショナル150(ぽると出版)

「バスラマインターナショナル」は、1990(H2)年の創刊からちょうど四半世紀、150号になりました。
 隔月刊ではあるが、当時は唯一の定期刊行のバス専門誌でした。
 今号はこれを記念して特集号になっています。2~3号は企画が続く模様。

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沖縄のバス 2015
 バスラマ誌では過去に何度か、レギュラーの連載を休みにして、沖縄のバスについて総合的に取り上げてきました。
 一番古いのは1992(H4)年の11号で、この年は沖縄が本土に復帰して20年の節目にあった事もあるでしょう。表紙は旧那覇交通のスーパークルーザー(後ろ姿で、カラーは現行貸切と同じ)と、沖縄バスのエアロスターでした。以降数度にわたって沖縄特集が組まれる事になります。
 改めてこの号を読み直すと、当時の本島のバス事業者は沖縄バス・那覇交通・琉球バス・東陽バス、それに貸切専門の中部観光バスの5社だけ。無論当時も大変ではあったが、モノレールはまだ計画段階(路線計画図があり、現行の「ゆいレール」と同じ)、乗合4社も貸切バスは隆盛で、定期観光バスも相当数走っていた、車両面では「730」がどこも相当数残る一方、貸切車は本土の旅行代理店や航空会社のマークを施したツアー用の車両が少なくなかった。そういう状況に見えました。
 当時の車両数の一覧もあり、沖縄282台、那覇365台、琉球422台、東陽148台、中部観光39台で、合計1256台でした。

 では現状は?2015(H27)年3月現在は沖縄243台、那覇263台、琉球365台、東陽144台、中部観光42台、その他297台で合計2354台です。台数は倍に近いが乗合車は700台ちょうど、全体の7割は貸切車です。事業者数は31にまで増えました。新規参入が相当増えた事がはっきり解ります。沖縄中央観光と平安座総合開発は乗合にも参入しています。

 今号では、政策を担当する役所の部局と乗合バス事業者4社のコメントを掲載し、車両のグラフ(本題からそれるが、23年前と比べてカラー写真が圧倒的に多くなった)を挟んで後半ではオピニオンとアーカイヴの過去写真を並べるスタイルになっています。

 私は都合3回沖縄本島を訪れてバスにも乗りました。最近では2013(H25)年11月に訪れ、それについては当ブログにも記しています。
 そのわずかな経験から改めて今号の記事を眺めた感触として、「本土からの個人観光客」をいかに乗合バスに取り込むか、その辺がやや希薄になっている印象がありました。無論後半のオピニオンで沖縄本島全てで有効なフリー乗車券の発売、とかあるのだが、役所の部局や事業者サイドからはそのあたりはどうするのかの話はあまり出てこなかった、特に事業者サイドの観光需要は貸切バスの団体輸送に期待する部分がいまだ大きく、個人への対応はどうするの、というレベルの話はほぼ皆無でした。無論、まずは地元のお客さんをどう取り戻すのか、というのが優先ではあるのだろうが、本土からのLCC便や、国際線(特に台湾から)の相次ぐ就航で、外部からの入り込みが急増し、個人旅客が増加している現状では、この点はかなり重要な課題なのではないかと思われます。インフォメーションの整備も課題でしょう。

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 私も乗った「那覇まーい ゆいゆい号」からして、運行担当の那覇バスから何のコメントもなかったし、グラフに写真もありませんでした。どうしてだろう?
(最近運行内容が若干変わったそう)

 昨年ICカードがスタートしたが、運用に不安に感じる事業者が多いよう。以前の紙の回数券より割引率が低くなった、システム使用料の負担も心配、というのが理由だそうです。どこもICカード導入に期待大、だった本土の目線から見ると意外にも感じました。沖縄は磁気カードがなく、紙からいきなりICになった事もあるでしょう。本当は本土と同じ規格にして、全国相互利用は無いにしても、本土のカードが利用できるようになれば良い、と思っていたのだが、規格そのものが全く違うので無理っぽく、仕方ないにしてもやや残念な所ではあります。

 那覇バス・琉球バス交通に関しては、共に第一交通産業グループになったが、ここでは記されていないが第一交通産業(北九州中心のタクシー事業者)についてはもっと生臭い話があり、労働条件などで労働組合との対立が先鋭化したりしているそうです。旧那覇交通を買収した時の運休・減便の混乱も、第一買収に反発した組合の実力行使の結果でした。
 ただ、琉球もそうだが最終的にはどこかが救済しないと会社が救えないのは事実、地元も特に問題視しなかったようで、この点は本土でも見られるが、組合の主張と、利用者のニーズの乖離を示す一例だったかも知れません。とはいえこの辺は経営の方も考えて運営して頂きたい。人がいないとバスが走らないのは沖縄も同じなのは、身に染みて解ったはずだから。
(こういう事を書いたのは、沖縄に限らず、経営再建の過程で労使関係が先鋭的な対立関係になっても、双方ともにロクな結果にならないから)

 全体的には、那覇・琉球、沖縄と東陽の格差がやや気になる所ではあります。東洋の38系統も2年前乗ったが、あの時は新里入口での乗り換えはなかったけれどなあ。あの後分断になったのか。
(公式Webにも、その辺の所は記されていなかった)
 車両面も、沖縄と那覇・琉球はノンステップの新車が直接導入されるようになりました。東陽も何とか続いて欲しいと願います。

 何度も書いているように、沖縄のバスは一部を除いて運行便数自体は決して少なくないし、バス停のインフォメーションなど、ちょっとした所を改善すれば、大きく変わる可能性を秘めています。昔のような対立関係はなくなったようだが、さらに一歩前進して、モノレールまで加えて総合的な公共交通システムが整備される事が、大いに期待されます。新バスターミナルが起爆剤になればと思います。
 後は、基地問題は避けて通れないはず。基地の是非はもちろん、仮に返還されたとして、その跡地の利用の在り方は、おもろまちの新都心に見られるように、公共交通の運営に大きく影響してくるはずです。

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 モノレールを出したところで。
 和田由貴夫氏はモノレールの延伸に加えて一般鉄道敷設の計画がある事を持ち出し、採算性に疑問を呈しています。
 軌道系交通に疑問を投げかけるのは昨今の「バスラマ誌」の流れだが、私自身には、さすがに少々ネガティブ過ぎた見方ではないかと感じるようになりした。
 2年前には「ゆいレール」も全線乗って、感想を№1059で記したが、特に国道58号線沿いの久米や泉崎あたりは宿泊特化型ホテルが増えた事で個人旅行者が増加、結果モノレールも混雑が激しくなってきている。「2両編成10分間隔」は、私の感覚では逆に輸送力不足気味で、浦添市延伸を待たずに今からでも輸送力増強計画を策定すべきだ、そう感じました。
 地下鉄やモノレールは規模が大きいし、トップダウンで事が進みがちだから反発する声も多いが、一方で市民運動などが「ボトムアップ」で進めているとされるLRTなどとはどう折り合いをつけるのか。昨年訪れた金沢では「バスシステムが不十分なのは明らか。なぜLRT建設に早くGOサインを出さないのか?」みたいな感じだったし、各地にある軌道系交通推進派とどう意見をすり合わせるのか。この点は沖縄に限らず、5年・10年先の公共交通を考える時の「バスラマ誌」の今後の課題ではないかと感じます。すれ違いのまま一方通行で主張を投げ合うだけでは、何も良くならないので。
 一方で、「欧州でもトラムの設備投資はバスより2桁違う」のが事実なら、これは逆にLRT推進派の方が、明快な回答を出すべきでしょう。
 ともかく公共交通機関そのものの地位の向上がまず第一です。でないと「L」も「B」もないです。

新潟市の連接バス
 という所で「バスラマ誌」的には注目されるのだろう、既に他誌でもチラホラ取り上げられているが、9月5日のBRT運行開始を前に、連接バスの習熟運転が始まりました。
 既に新潟交通の公式Webサイトでもダイヤが発表になっています。区間は新潟駅前~古町~市役所前~青山とされているが、一部はさらに青山一丁目行・青山本村始発もあります。
 平日は朝3~6分、夕方は5分、日中と土休日は10分間隔。これは他の系統の再編成があり、一部は乗り換えを必要とする事を考えると、やや少ないのではないかと思います。
 連接車は平日31往復、土休日17往復で、平日は全体の20%未満、土休日は17.71%程度。平日は1時間30分以上運行がない時間があり、土休日も1時間に1本程度となる時間帯があります。こちらももう少し台数が欲しいと思う。「バスラマ誌」的な理想は、連接バスだけで7~8分間隔の運行を、という所でしょうか?
 連接バスのメーカーサイドから日本のバス、特に電装系統に関して手厳しい意見もありました。バスラマ誌が常に低減するバスの製作の在り方に通じるのだろうが、思えば日本は新幹線にMRJとか言った、最初から国際市場を意識したハイレベルの交通システムには力が入るのに、地べたの乗り物、特にバスはコンポーネントなどについて世論の関心が集まらないから、なかなか進化して行かないのではないだろうか。私自身はメーカーがサボッているとは思っていないのだが。取りあえずはユーザーであるバスの事業者がもっとコミットメントしても良いと思う。

韓国製12m超観光車と続ソウルのバスの話題
 前号の続き。
 とにかく高速バスは、4年前に見た通り、日本とは比べ物にならない位台数が多く、グレードも様々だから、色々な仕様が成り立つのだろうと思う。
(私個人としては、以前も書いたが長大車は一部路線を除いて、日本には合わないと考える)
 90㎞/hはともかく、長距離の中央走行レーンの存在はうらやましい。道路自体が日本より遥かに広い事もあるだろうが。繰り返しになるが、公共交通機関の地位の向上、という考え方が市民レベルで生まれないと、こういうのも生まれない。
 電気バスについては、確かに現在日本でEVが走っている路線は、どこも極端な上り勾配が連続する路線は存在しない。今後の普及は、これらの路線に楽に対応できるものが造れるか、になるのでしょうか。
 もう少し、実際の路線バスの運用・利用方について知りたかった。別の機会に期待します。MARSはバス業界にも影響を与えているのだろうか。

各地の新車から
 ジェイアール四国バスは松山にレインボーⅡが入りました。全部ではないようだが、「アンパンマンバス」の大栃線も含めて一般路線はレインボーⅡに統一になるのか。新車が入るのだから、路線は当面維持されると期待して良いのか。
 四国はやはり「JR」の2文字は使わなくなりました(高速バス車両のフロントのみ)。といって「JHB」のような新マークも、今の所はないのだが。
 新車ではないが、弘南バスの日野REは、昔の路線バスの色に塗り替えたら、よりムードが出るのではないかと思いました。いずれそうなると期待。
 
 次号も25周年企画の続きらしいが、「水陸両用バスのニューフェイス」とはどこだ?
 国土交通省から、「標準仕様ノンステップバス認定要領の一部改正」のリリースが出ました。どのような評価が下されるでしょうか。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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 台風9号が沖縄に接近しています。台風が来た時のバスの対策はどうなっているのだろうか。本土とはまた違ったものがあるのだろうか。

《今日のニュースから》
 7日 米空軍F16戦闘機と軽飛行機 空中衝突 サウスカロライナ州
 8日 「領域警備法案」 民主・維新が共同提出