№1388 駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷 11.京成本線 公津の杜駅

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 京成電鉄・本線に位置する公津の杜駅は、成田市西部に開発されたニュータウン「公津の杜」の玄関口として開業した、本線では最も新しい駅です。
 この付近は開発前は山の中、京成線は急カーブの連続で走っていたが、開発に合わせて山間部をトンネルで抜ける新ルートを建設、その中間に駅を新設したものです。
 1日の平均乗降客10,134人(2014年度)は京成全体で38位。都心だけでなく、成田空港への通勤客もそれなりに多いようです。
 開業から早くも21年経ちました。駅の時刻表は、どのような変遷をたどってきたのでしょうか。

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1994(H6)年4月1日 (開業)
 開業時の時刻表です。
 この改正から、土曜日は休日と統一した時刻で運行される事になりました。
 当時の京成は<スカイライナー><モーニング・イブニングライナー>特急通勤特急急行普通が運行されていたが、公津の杜停車は急行普通のみ。日中は都営浅草線直通の急行が停車し、成田側は東成田行と成田折返しが交互に走っていました。
(この時点の通勤特急は現在とは異なり、ラッシュ時の浅草線直通を通勤特急として特急と区別する程度だった)
 ラッシュ時の急行は佐倉で通勤特急と連絡していたが、日中は八千代台で特急に連絡か、船橋競馬場で特急の通過待ちか、でした。

 1995(H7)年4月1日は北総・公団線印西牧の原、千葉急行線ちはら台延伸があり、早朝に特急の増発(急行の格上げ)、<スカイライナー>成田停車増などが行われています。

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1996年7月20日改正
 公津の杜だけで見ると変化は少なく見えるが、全線でダイヤのパターンが大きく変わりました。
 ユーカリが丘駅上り待避線新設と、佐倉始発東中山折返し急行の廃止で通勤特急の所要時分を短縮、日中は特急の2本に1本が高砂で<スカイライナー>退避、等の変化があります。
 日中の急行特急退避が佐倉に統一。

 翌1997(H9)年3月31日限りで博物館動物園駅が休止になりました。
(正式廃止は2004(H16)年4月1日付け)
 上り公津の杜発の普通電車で、博物館動物園に停車する列車が設定された事はありませんでした。
(下りは平日ダイヤの朝方、東成田行1本が停車していた)

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1998(H10)年11月18日改正
 京急線羽田空港乗り入れに伴う改正で、京成側も大きな変化がありました。
 羽田空港~成田空港間の特急を設定。急行も2本に1本(成田折返し)が羽田空港発着になっています。
 通勤特急特急に統合になり、一旦消滅します。
 都営浅草線内では「エアポート快特」「エアポート特急」が設定されました。
 特急の一部は京急編成(主に600形)で運用されるようになり、土休日は公津の杜停車の急行にも運用されています。下り14時53分発(羽田空港発1215H)と15時33分発(羽田空港発1317H)、上り15時21分発(成田発1514H)と16時21分発(成田発1516H)です。

 1999(H11)年7月31日は、京成線内は一部修正と直通先の行先の一部変更程度。京急の方に、快特10分間隔運転開始など大きな動きがありました。
 2000(H12)年7月22日改正では羽田空港行設定を増。公津の杜では、5時台の急行が上野行から羽田空港行に変更になりました。
(青砥で上野行に連絡)
 平日朝方の上り特急の所要時間が短縮になっています。
 2002(H13)年9月15日改正は、下り朝方の<スカイライナー>や、特急を増発。
 羽田空港直通のパターン変更により、日中の急行は全て西馬込行になりました。

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2002(H14)年10月12日改正
 新種別の設定やダイヤパターンの変更など、大きな改正になりました。
 本線は急行が無くなりました(押上線に設定)。
 平日朝方上りと夕方夜間に通勤特急を新設。この通勤特急は過去の列車とは異なり、勝田台から東は各駅に停車。上りは以前の「10分サイクルで特急急行普通=1:1:1」→「20分サイクルで特急通勤特急普通=2:1:3」となりました。
 公津の杜では、朝ラッシュ時は通勤特急と普通が交互に発車、通勤特急は佐倉で特急待合せ、普通はユーカリが丘で特急通過待ちになります。通勤特急は青砥で、北総線からの浅草線直通特急に連絡します。
 日中は急行に変わって、快速が設定になりました。停車駅が大幅に少なくなったため新種別を用意したものと思われます。日中は再びほぼ全列車羽田空港行となった上、2本に1本は浅草線内をエアポート快特として運行しました(京成では「エアポート快速」と呼称していた)。原則佐倉で特急と相互に接続。
 羽田空港~成田空港間特急は取り止めになるが、その代わりなのか、快速が片道のみ4本が成田空港まで乗り入れになっています。一方、2週間後の10月27日に芝山鉄道(東成田~芝山千代田)が開業するが、成田~芝山千代田間は原則普通電車の折り返し運転になり、快速の大半は成田が終点となりました。
 なお、平日15時08分発快速が三崎口行なのが注目。
(都編成の1400T)

 2003(H15)年7月19日は、<スカイライナー>の成田停車増(1・3号を除く全列車が停車)など小規模な修正のみ。
 公津の杜では、先の三崎口行快速が西馬込行に変更になりました。

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2004(H18)年10月30日改正
 特急の一部が通勤特急に変更になり、平日8時台は、今の種別体系になって初めて、上りで浅草線直通の通勤特急が設定になりました。
 注目されるのは、平日・土休日とも、22時台の上りに通勤特急が設定されている事。夜間に都心に向かう(しかも土休日も走る)異色の通勤特急だが、勝手な推測だが、成田空港勤務の通勤客の帰宅の足となっているのかと思われます。平日の朝方下りで快速1本が東成田まで延長になっているのも、同様の理由ではないでしょうか。成田空港程の大空港なら、航空旅客は当然、勤務する人々の数もバカにならないのだから。
 この他、平日夜間に浅草線内をエアポート快特で運転する特急通勤特急を設定。全て羽田空港発だが、空港アクセスよりは、帰宅の足のスピードアップがメインの目的だったのではないでしょうか。
 他に<モーニング・イブニングライナー>を増発。

 2005(H17)年10月2日は、<イブニングライナー>増発、朝方の<スカイライナー>の時刻変更など小規模。

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2006(H18)年12月10日改正
 特急は佐倉~成田間が各駅停車に変更、日中は快速が佐倉折返しに短縮。
 このため、日中は快速に変わって特急が公津の杜に停車する事になりました。
 朝方の上り・夕方の下りの上りの特急は、停車駅は変更しないでそのまま快速特急と呼称し、この時間帯は快速が成田まで運行されます。
 この改正では新京成電車の千葉線直通開始、<スカイライナー>の船橋停車もありました。

 2007年12月2日と2009(H21)年2月14日は、公津の杜に関しては一部列車の時刻修正・行先変更のみ。

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2010年7月17日改正
 成田スカイアクセスが開業。成田空港アクセスの主力がスカイアクセスに移行しました。
 <スカイライナー>に新車両(新)AE形が導入されてスカイアクセス経由に変更、新たにアクセス特急が新設されました。
 本線はAE100形使用の<シティライナー>を設定。
 他の列車は時刻は変更になったものの、形態は特に大きな変更はなく、快速の停車駅に千住大橋が追加になった程度。

 2012(H24)年10月21日改正では、京急線京急蒲田駅上下線高架化にともなる羽田空港アクセス改善が中心になり、京成では<スカイライナー>の早朝成田空港着の増発と日中のダイヤの見直しと、関連してアクセス特急の所要時間短縮を実施。
 本線では<シティライナー>は上野~成田間1往復のみに削減。特急<シティライナー>退避がほとんどなくなりました。
 土休日8時台の快速特急に変更。

 2013(H25)年10月26日改正では、京急線羽田空港アクセスの改善が中心になり、品川~羽田空港間快特10分間隔(一部エアポート快特)運転を実施。
 京成線内では成田空港発<スカイライナー>最終の繰り下げと、本線の快速特急の増発を実施。<シティライナー>は土休日のみ運転に変更。公津の杜では平日の夜間に一部列車の時刻を変更。

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2014(H26)年11月8日改正
 現在のダイヤです。
 注目されるのは、下りの初発の繰り上げ。LCCの成田空港発早朝便の増加に対応したもので、5時台にはもう1本、成田空港行が増発されています。
(どちらも宗吾参道始発)
 また、23時台の通勤特急(平日)・快速(土休日)が成田空港まで延長し、最終電車繰り下げになっています。これも翌日のLCC便対応です。
 浅草線内のエアポート快特が20分間隔運転となり、青砥で本線の特急と接続。日中は公津の杜から日本橋まで1時間07分、羽田空港まで1時間35分となりました。
 この他は<スカイライナー>の増発(運転時間帯拡大)と、<イブニングライナー>は成田空港着24時台の列車を設定の一方で1往復削減。
(成田→成田空港の最終電車は<イブニングライナー>になった)

 以上、開業以降の特に注目されるダイヤ改正をピックアップして記してみました。
 公津の杜に限ってみると、日中は種別の違いはあれど、約20分間隔、1時間3本停車のパターンは変わりがありません。現状の利用者数だとこんなものだろうとは思います。
 朝ラッシュ時は2002(H14)年の改正でパターンが大きく変わり、通勤特急が停車するようになったが、通勤特急は上野行で、現在の通勤の主力の浅草線直通ではない。「特急」と称してはいるが、上りに関しては勝田台までは普通電車の代替のような形で、通常は佐倉で快速特急への乗り換えを必要とするため、どうだろう、現地の方々にとっては、やや利便性を欠く所があるように感じられるのではないでしょうか。
 と言って、成田空港アクセスも考えると、快速特急の停車は現実的ではない(私自身、これ以上停車駅は増やすべきではないと考える)。現状の京成は成田空港、加えて昨今は羽田空港アクセスをある程度優先せざるを得ない状況にあり、地域輸送とのバランスをどう取るかは難しい所であります。京成は全体の輸送量自体が関東他社やJRと比べると多いとは言えないから、大盤振る舞いで列車の増発もやりづらいのも事実か。バランスを考慮しつつも、より利便性の高いダイヤの追求が望まれます。公津の杜に限った事ではないが。

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《今日のニュースから》
23日 西武鉄道株主訴訟 46億円の賠償確定
24日 東京五輪 エンブレムを発表 「T」をイメージ

 国立競技場のトラブルなど難問も少なくはないが、ともあれあと5年、盛り上がりが期待されます。このエンブレムをつけたJAL機やANA機の就航も期待。

№1387 思い出の海外旅行クロニクル 19.2002年ノルウェー 6&lt;終&gt;

 2年振りの欧州となった2002(H14)年5月のノルウェーの鉄道の旅、ヘマもあってヘロヘロクタクタな旅になってしまいました。全く残念な事になってしまったが、とにもかくにも何とか帰ってきました。
 最終回は、ノルウェーの鉄道の車両と、オスロ中央駅の画像、そしてオスロ市内のトラムの画像もご覧頂きます。また、いつものように総まとめとして、当時感じたノルウェーの鉄道の印象、ノルウェーそのもののパーソナルデータを記して、完結です。

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 ノルウェーは1996(H8)年に上下分離され、インフラ部はノルウェー鉄道庁(JBV=Jernbaneverket)、旅客列車はノルウェー鉄道(NSB=Norwegian State Railways AS)の運営になっています。
 そのNSBの、当時の最新シンボルマーク。柔らかみがあるものになっています。

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 古いシンボルマークも、まだいくらか残っていました。
 なお、現在はまたマークが変わっているのだが、2本の翼?のような直線が広がる形態はそのまま引き継がれています。実際、どのような意味が込められているのだろうか?

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 といって、ここでお見せできるノルウェー鉄道の車両の画像は3枚のみです。イェーヴィクで撮影したEI18型。スイス国鉄のRe460をベースにしているはずです。

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 こちらもイェーヴィクで撮影したEI17型。

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 スタヴァンゲルからオスロまでの夜行を牽引してきた、EI16型。
 EI16型もEI17型も、ノルウェーオリジナルは無骨な感じがします。

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 トロンヘイム駅構内の入換用DL。型式は不明。

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 ノルウェー中央駅です。右側が昔の駅舎。左側に新しく造られたガラス張りの駅舎が並んでいます。

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新駅舎側のコンコース。

 
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 切符売場。番号札を撮って待つ、日本の銀行のようなスタイル。

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 旧駅舎側はショッピングゾーンに改装されていて、様々な店が並んでいます。

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 両替もあります。

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 ホームへの入り口にある、発車案内表示装置。

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 ホーム。一般的な頭端スタイルではなく、反対側はトンネルで抜けて行きます。

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 駅前を走るトラムには、新型の姿も見られました。3車体。詳細は不明。

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 以前から走る連接タイプ。小ぶりに見えます。

 なお今回は、オスロを中心に各地でバスの写真をかなり撮っているが、これらについては別に本体で公開する予定です。

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 最後に、今回利用した「スカンレイルパス」。日本で購入する必要があります。288USDは、当時のレートでは37,500円位だったか。北欧4か国に乗れるので、ノルウェー・スウェーデンだけだった今回はややもったいないのだが(しかも2日使い残している)、ノルウェーだけ有効、というパスはないので、致し方ありません。

 以上、ノルウェーの鉄道の旅について書いてきました。
 それ以前に周った分もひっくるめて、ノルウェーの鉄道について気付いた事、感じた事を簡単に記してみます。

1.列車の種別は、シグナチュール(振子電車の特急格)が一部の幹線で走るが、その他の急行・普通の区別は、時刻表上ではできない。「アジェンダ」は車両のランクの呼称と思われた。中長距離で2クラスだったり、食堂車や寝台車などを連結する列車は急行と呼んでも良いだろうが。

2.オスロにはUバーンネットワークがある他、スタヴァンゲル・ベルゲン・トロンヘイムでは近郊列車による近距離のフリークエントサービスも行われるが、全体的には本数は極めて少ない。北部では1日2~3本程度の路線もある。土曜午後~日曜日午前中は、全体的に運転本数が大幅に削減される。

3.日本のような全線時刻表の刊行はなく、駅で配布される小型の折り畳み式の区間・系統別時刻表が頼り。長距離列車は全て予約制であり、他国と比べて鉄道の旅のプランニングは少し難しい。

4.ハーマル~レーロース~ストローエン間や、トロンヘイム以東を除いてほぼ電化されている。ECの活躍が目立つ。

5.森の国らしく、車内のインテリアは木目をふんだんに用い、温かみのあるデザインがほとんど。北欧らしく、福祉施設も整っている。セルフサービスでコーヒー・紅茶の販売を行う列車(特にアジェンダの新車)が多い。

6.駅の数は、地方では非常に少ない。駅も土曜・休日は窓口の営業時間がかなり短くなる。ただし、主な駅では運転関係なのか駅員は常駐している。

7.フライトーク等の例外もあるが、全体的に山とフィヨルドの国土のため勾配とカーブが極めて多く、表定速度は高くない。ただ、ベルゲン行の路線など、線形の改良を大々的に進めている路線もある。

8.国際列車は縮小傾向にあり、当時は既に全てがスウェーデン行で、スウェーデン側の車両を使用している。

9.私鉄は走っていない。地下鉄はオスロで走っているが、トラムと線路を共用している区間が多い。ローカル私鉄の寄せ集めと思われ、規格が様々異なっている。トロンヘイムにも軽鉄道がある。
(なお、現在はベルゲンでLRTが開通している模様)

10.首都オスロから主要都市までの運賃(2等車)
 ガーデモエン空港 52㎞ 72NOK(≒1,150円)※一般列車
 イェーヴィク 122㎞ 183NOK(≒2,930円)
 リレハンメル 185㎞ 257NOK(≒4,110円)
 ベルゲン 489㎞ 623NOK(≒9,970円)
 トロンヘイム 553㎞ 693NOK(≒11,080円)
 ボーデー 1282㎞ 1069NOK(約17,100円)
 ※1NOK≒16円で計算

 最後に、ノルウェーそのもののパーソナルデータを記しておきます。前年からユーロが流通しているので、今回から通貨はユーロ導入か否かを記し、否の場合にその通貨と、当時のレートを記します。
(帰国日の2002(H14)年5月25日現在)

正式国名 ノルウェー王国 Kingdom of Italia
面積 約323,895平方㎞ (本土のみ 日本の約0.85倍)
人口 約455万人
政治体制 立憲君主制 議員内閣制
国家元首 ハラルド5世国王
政治指導者 キヘル・マグネ・ボンデヴィック首相(キリスト教民主党)
※現在はアーナ・ソールベルグ首相(保守党)
首都 オスロ(人口約77万3千人 2000年)
国連 加盟(1945(S20)年) 創設メンバー
EU(EC) 非加盟
NATO 加盟(1949(S24)年)
ユーロ 未導入 (通貨=ノルウェー・クローネ(NOK) 1NOK≒16円)
言語 ノルウェー語・英語
主な観光地 オスロ市内、ソグネ・フィヨルド、ノールカップなど
日本からのアクセス 日本からの直行便は運航されていない

 何度も書くが、オスロでの置き引きが特に痛く、喪失感を引きずりながらの旅は、最後はヨレヨレヘトヘトになってしまって、非常に反省点が多い旅になってしまいました。ソグネ・フィヨルドやベルゲン等の画像を失ってしまったのは、本当にもったいない話で申し訳なく思います。
 ただ、残された写真を改めて眺めてみると、車窓の無垢な美しさは、筆舌に尽くしがたいものがあります。欧州で美しい車窓というとスイスが真っ先に頭に浮かぶだろうが、ややメジャーになり過ぎている感もあるし、ノルウェーは人里はまれ、フィヨルドなどさらに厳しい地形や自然環境が、より雄大さを強調していると思っています。鉄道ではなかったが、フィンランドの時に行ったノールカップなんか、典型的だと思います。
 ノルウェーの鉄道はオスロ近郊の一部を除いて本数が極めて少なく、予約が必要な列車が大半なので綿密なプランニングが必要です。鉄道運賃もそうだが、全体的に物価が高い国なので長期になると旅行は大変ではあるのだが、それだけの価値はある国だと、この旅を含めた数度の訪問を経て、改めて感じました。
 次回のクロニクルは、翌2003(H15)年1月のポルトガルです。

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 明日の晩、本体の更新を行います。臨港バスと富士急バスで画像を追加します。また、富士急では、港区コミュニティ「ちぃばす」のデザインを公開します。

《今日のニュースから》
21日 鹿島アントラーズ トニーニョ・セレーゾ監督解任
22日 海上保安庁 ロシア警備当局とサハリン沖で合同訓練

№1386 思い出の海外旅行クロニクル 19.2002年ノルウェー 5

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 2泊連続で夜行(しかも共に座席車)で過ごし、ややヨレヨレ気味だけれど、ストックホルムより帰国の途に就きます。ウィーン経由OS便乗継です。

2002年 5月24日(金)

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 ストリエンからの夜行はアーランダ空港駅も経由するが、ストックホルム中央まで乗り通します。空港駅は地下ホームでした。ストックホルム中央に近づくと複々線。アーランダエクスプレス(AE)とも出会います。

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 定刻を少し回って6時前、中央駅に着きました。
 ホームの表示は、何故かトロンヘイム始発、という事になっていました。

 2晩連続して座席の行だったので疲れました。せめてシャワーでも浴びたいと思ったのだが、駅構内にはあるものの、SEK(スウェーデン・クローナ)が手元になく、両替オープンは7時になってから。なので先に空港まで戻ります。
 アーランダ空港はこの3年前の1999(H11)年、フィンランドからの帰りでも利用しているが、あの時はAE開通の直前で、乗車は適いませんでした。今回はもちろんAEです。

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 AE乗場の券売機。空港まで160SEK(≒2050円)。空港まで約40㎞なので、やや高い。クレジットカードが使えます。

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 待合室。

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 AE専用ホーム。
 こちらは完全ノンストップ運行で、15分間隔。AEはフライトークと比べるとやや小ぶりな気がする。ユーモラスな顔つきです。

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 車内。構造はフライトークと同じ。液晶モニターによるインフォメーションやニュースも同じで、昨今の空港アクセス特急のトレンドなのかと感じました。
(この後の成田エクスプレスやスカイライナーもそうなる)
 最高速度200㎞/hだそうで早い事は早いが、フライトークに比べると乗り心地は今一つ、走行音もやや大きいと感じました。空港まで17分。

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 空港駅の地下ホーム。

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 アーランダ空港ターミナルの出発ロビー。OSのチェックインカウンターは他社と共用で、カウンターそのものはいくらでもあるようなのに、実際に使われているのは3ヶ所だけ。30分も行列に加わらなければならない。カウンターのスタッフは親切で、フライトは窓際を確保できたから、まだ良いか。しかし出発ゲートは、この時点では不明。
 この空港にはシャワー設備がなかった。とはちょっとビックリ。ラディソンホテルのフィットネスクラブの物を使わせてもらうのだそうで、面倒だからパス。余計疲れが増す感じ。やや考えが甘かった。

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 ややあって、出発ゲートは6番と出ました。搭乗開始。

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 OS312便。フォッカー70。地上に出て、そのまま歩いて搭乗。入口が低くて、頭部には防護カバーがありました。APUがないのか、エアコンが入っていないので暑い。クラシックが流れているのが、オーストリアらしい所でしょうか。

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 離陸。すぐに大きく右旋回。アーランダ空港の全景を見下ろします。空港の周辺は森と湖が続く。

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 フォッカー70のキャビンはやはり狭いが、それでも2クラス。ほぼ満席。CAは2人乗務で、CクラスとYクラスが1人ずつ。

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 機内食はサンドイッチとケーキ。ドリンクは後。サンドイッチはパンがいい香り。

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 ストックホルムは快晴だったのに、その先はずっと雲が広がり、窓の外は青い空と白い雲で景色が二分されていました。

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 ウィーン・シェベヒャート空港へアプローチ。オーストリアの田舎を見下ろす。北欧とはまた違ってこんもりした感じ。

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 ウィーンの降機も、ターミナルまでバスで移動。外は風が強かったです。

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 成田行のOS51便。これはフォッカー50の機内から撮りました。NH286便として搭乗。今はOSからいなくなったA340-300。

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 成田行が出発するA02番ゲートがあるサテライト。当時のOSは関西空港行の路線もあり、加えてエバー航空の台北行もあったので、日本人を中心としたアジア系の人々で大混雑になっていました。

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 乗り継ぎ時間が短く、手荷物検査場を過ぎると、既に搭乗が始まっていました。

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 出発ラッシュにかかったのか、定刻より10分近く遅れて出発。タキシングの最中、SNブリュッセル航空機と出会いました。前年(2001(H13)年)に倒産したサベナ・ベルギー航空を引き継いだキャリアで、当時のカラーはサベナ時代とほぼ同じでした。

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 離陸すると、しばらくは低空のまま大きく左旋回。ウィーンの田舎が広がる。欧州はどの国でも、田舎が美しい。

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 オツマミ、というかクラッカーのサービス。

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 最初の食事は「肉かベジタリアン」のチョイスで、肉にしました。これに赤ワイン。
 ミンスクからモスクワを経由して行くようだが、空は明るいものの、下界は分厚い雲が広がって、何も見えませんでした。

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2002年 5月25日(土)

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 キャビン。OSのA340は5年前のギリシャからの帰りにも乗っていて、№1162で書きました。
 あの時と比べると、エコノミークラスでもパーソナルモニターが設けられているのが大きな違い。ただ、何かシステムが不調らしく、調整が必要とかで、アナウンスの後一旦画面が全部消される、という一幕もありました。LHでさえYクラスはまだ未搭載だったし、機内エンタメシステムはまだ黎明期にありました。
 日本人CAが数人いたが、5年前は乗務していたANAのCAは、もういなかった。

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 ウィーン離陸から約4時間、夕陽が沈んでいきました。

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 ここで初めて観ましたよ、「ハリー・ポッター」。第一作「賢者の石」。2時間31分と長かったけれど、とにかく観よう、と思ったらまたシステム不具合が発生、時々止まってしまう。まあなんとか全部見ましたけれど。
(当時はまだ、AVODとまではいかなかった)

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 夕陽が沈んでから3時間ちょっとで、再び太陽が顔を出しました。

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 まだシベリア上空だが、朝食がサービスされる。サンドイッチがメインの簡素なものだが、この後チョコレート入りクロワッサンが別にサービスされました。

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 シベリアから日本海を越えて、新潟上空。関東地方は晴れているようだ。

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 ランディングアプローチ。あれ、成田空港の見え方が違う。左手に第1ターミナルを見る。ひょっとして…。

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 着陸はB滑走路だ。前年運用を開始したばかりだが、さっそく降りる事になろうとは。ターミナルを大きくやり過ごし、タッチダウンはホテル日航成田のあたり。
 当時はまだ全長が短く、B747などは利用できなかったのだが、A340は着陸はOKでした。誘導路は未買収地を避けて不自然なカーブを描いていたりしていて、あくまで「暫定」。

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 成田空港第2ターミナル到着。おお、LHのジャンボの隣だった。

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 第2ターミナルの到着ロビー。

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 最後に。行きはバスだったから最後は電車。当時は京成編成による、船橋経由羽田空港行特急が設定されていました。

 オスロの大失態もあり、最後は2夜行が連続で座席車、シャワーさえ浴びられず、相当ヨレヨレヘロヘロの状態で、それでも何とか日本に帰って来れました。反省点が山ほどある旅になってしまいました。
 最終回では例によって、ノルウェーの列車やオスロ中央駅の画像などをご覧頂き、ノルウェーの鉄道の印象や、ノルウェー自体のパーソナルデータを記して、完結とします。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

《今日のニュースから》
19日 日本航空社員 御巣鷹の尾根慰霊施設を清掃
20日 セスナ機離陸直後に墜落 4人重軽傷 北海道別海町