№1355 思い出の海外旅行クロニクル 17.2001年ロサンゼルス 4<終>
早くもLAとはお別れになりました。ANA便で帰宅の途に就きます。
2001年10月29日(金)
7時前までは寝ているつもりだったが、1時間は早く目覚めた。東の空が赤くなる中、着陸機を見る事が出来ます。
いくつもターミナルがあるLAXだが、海外キャリアの国際線は大方、トム・ブラッドレー国際線ターミナルに発着します。
成田からのB747-400が、到着していました。行きと同じ、JA404A。
出発ロビー。結構混んでいます。
ANAのカウンターも行列ができていました。本当は混雑はキライなはずなのに、行きの超ガラガラ振りを見てきただけに、ホッとさせられたりもしました。我ながら勝手なものだなあとか思った。
「PERU」と書かれた赤いジャケットが目立つ。沖縄で外国に住む方々の大会が11月にあり、それに出るためだそう。反対側のJALのカウンターも同じだ。日本のパスポートを持っている人同士の会話でスペイン語が使われているのが不思議に思ったのだが、ペルーとの二重国籍で、比較的若い人は、日本語はもう話せないそうだ。
チェックインの列がなかなか前に進まない…。1時間もかかった。
やや古めかしい、出発案内表示。NH005便は上から6番目、そのすぐ下に、35分後を追ってくるJL051便の表示があります。
NH005便が出発する105番ゲート。
搭乗開始。再度パスポートの提示を求められる事もあって、ずい分と時間がかかってしまいました。
今は「非常口座席」と指定されている座席は、足元は広々としているのは良いが、すぐ横に窓がない…。
なので、タキシング中もかなり苦しい態勢の撮影になってしまいました。アメリカウエスト機が着陸。
離陸し、すぐ右手にサンタモニカを見ます。
さらにサンタバーバラを見て、米大陸がどんどん遠ざかって行きます。
次にアメリカに足を踏み入れる事になるのは…。
キャビン。行きと違って賑やか。
離陸後サービスされたオツマミ。
モニターは、最前列は肘掛内蔵式。
離陸後、最初の食事。ナイフ・フォーク・スプーンは、もちろんプラスチック。
食事と免税品販売が終われば、キャビンは消灯。映画タイム。「ドクター・ドリトル」のエディ・マーフィー。
昼間は続くが、日付変更線を越えるので、一気に次の日になります。
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2001年10月30日(土)
下界はひたすら太平洋。西へ西へ一直線。
到着前の食事。
あと1時間、という所でアナウンス。成田は曇りだそうで、16℃とはやや寒いか。
ランディング・アプローチ。天井のTVが滑走路を捕らえました。
(シートテレビは肘掛にしまわなければならない)
着陸し、ターミナルへ向けてタキシング中、TGのB747-400を見ました。「ロイヤル・バージ」だ。あれ、この前LAにもいなかった?LA路線で集中的に運用されているのか。
成田に着きました。
当時の第2ターミナル到着ロビー。入国審査は案外あっさりだったものの、受託手荷物引き渡しのターンテーブルは、例によってスーツケースの品評会状態で、結構時間がかかりました。先にさっさと荷物を引き取って帰っていく、クルーの皆さんがうらやましい。
最後に、京成線の日暮里駅。AE100形が並ぶ(右は成田行〔イブニングライナー〕)。今では見られなくなった光景なので、ここに掲げさせていただきました。
今回は、ほとんどの時間をLAXでの旅客機撮影に費やしたため、地元の電車やバスに乗る機会はあまりありませんでしたが、LAはアメリカと言えどもさすがに大都市、公共交通がかなり発達しており、今回は乗らなかったが郊外に行く列車もあるので、いつか再び訪れて、これらの乗り物を楽しむ機会を作れればと思いました。
旅客機撮影については、「9.11」直後とあって、やや特殊な状況にあった事は考慮すべきかと思います。カーパークでの撮影はほぼOKだろうとは思うが。ただ、もう15年近く前の話だし、空港そのものも、国際情勢も変わっているので、撮影目的で行くなら、やはりある程度は現地の情報を収集してから行かれる方が良いかと思います。現地で急に状況が変わる可能性もあるので、その辺はある程度覚悟をしておいた方が良いかも。警官の指示には絶対従う事。
ここで予告してしまうと、実は今年の9月、再度アメリカに行きます!
今度は東海岸、ニューヨークとボストンです。グレイハウンドバスと高速列車「アセラ・エクスプレス」の乗り比べ(今回のフィラデルフィアの事故は、不安と言えば不安かも。それでもやすやす乗ってしまうノーテンキ)に国内線搭乗(トラブルがなければいいけれどなあ)がメイン。
さらにボストンでは何と!レッドソックスの試合の観戦も予定しています。短いけれど、盛りだくさんでやります。
今の所は、旅客機の撮影は予定していません。するとしても、ボストンで。適当な場所があるかどうかは解らんが。
次回のクロニクルは同じ2001(H13)年12月の中国広東省・広州です。なにしろ政治体制が異なるので、戸惑う面が多々ありました。
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実はこれからすぐ、青森へ行きます。夜行バス〔シリウス〕で八戸へ、月・火の2日かけて青い森鉄道を訪ねます。バスも撮れるといいけれど。
19日は一応更新の予定だが、帰りが遅くなったら休みとさせて頂きます。
《今日のニュースから》
16日 エアレース世界選手権 千葉市で国内初開催
17日 簡易宿泊所で火災 4人死亡 川崎市川崎区