「私鉄名車列伝」、今回は一畑電車3000系です。1996(H8)年12月、南海電気鉄道21000系2連×4本、8両を譲受して一畑デビューしました。
南海21000系は1958(S33)~1964(S39)年の間、旧型車両置き換えのため高野線に導入された新性能車両である。高野線は最高時速100㎞/hを行う平坦区間と、最高50‰の急勾配を控えた山岳区間があり、両区間を直通できる性能の車両が求められた。このため、補償巻線付電動機が開発され、弱め界磁率を引き下げる事により、両区間の性能の両立を図る事が可能になった。この事から、広角から望遠まで対応できるカメラのズームレンズになぞらえ、「ズームカー」の愛称が付けられた。湘南スタイルの正面を持つ2ドア17m車で、当初製造の4連4本はクロスシート、1963(S38)年以降製造の4連3本はロングシートとなった。1973(S48)年の昇圧改造に合わせて冷房化、後にクロスシート4編成の内2編成は混雑緩和のためロングシート改造された。1990(H2)年に2000系がデビュー、増備が重ねられると廃車・支線区転用が進み、1997(H9)年にはすべて廃車となった。一畑電車以外では、大井川鐵道にクロスシート車2連×2本が譲渡されている。
当時の一畑電気鉄道は欠損補助打ち切りの問題を契機に沿線自治体の支援が強化されたが、近代化の一環として車両のワンマン化、冷房化、高性能化が求められていた。1994(H6)年の2100系(元京王5000系)に続き、南海21000形にも白羽の矢が立ち、導入が決まったものである。
一畑譲渡車両は全車両ロングシート(3008Fは南海時代にロングシート化改造)、車内は窓上の補助灯も含め、南海時代の面影をよく残している。導入に際してはワンマン化改造が行われ、塗装は2100系同様の、黄色+白のツートンカラーに青のワンポイントとなった。奇数車は連結面よりのパンタグラフが撤去されている。
以来18年以上に渡り、2100系(及び5000系)と共に一畑電車(2006(H18)年4月に一畑電気鉄道の持ち株会社化により分社)の主力として活躍してきた。3008Fはラッピング電車「しんじ湖ラムサール号」を経て、2011(H23)年には南海時代の旧塗装(薄緑色+濃緑の帯)を復刻して運行していた。しかし、新製から50年以上経って老朽化が進み、1000系(元東急1000系)の導入により、2015(H27)年2月までに3008Fを含め2編成が引退、2016(H28)年までに全車両の引退が予定されている。
【編成】
←一畑口方 電鉄出雲市・松江しんじ湖温泉方→
*Mc1 3001* - Mc2 3010
* パンタグラフ
昨年3月一畑電車を訪れたのは、南海色の3008Fの撮影を狙ったのも目的の一つだったが、果たせないまま終わってしまったのは残念でした。後は大井川鐵道にあるが、経営環境の厳しさから普通列車大幅減便の上単行車両の導入を行っていて、今後どうなるか気がかりな所です。
今回の記事は
「私鉄の車両23 南海電気鉄道」(保育社) ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻)
「鉄道ピクトリアル1995年12月臨時増刊号 【特集】南海電気鉄道」(鉄道図書刊行会)
「ローカル私鉄車輌20年 西日本編」(寺田裕一/JTBキャンブックス)
「週刊 歴史でめぐる 鉄道全路線 公営鉄道・私鉄 №18」(朝日新聞出版)
一畑電車公式Webサイト 等
を参考にさせて頂きました。
次回は福岡の第3セクター鉄道・平成筑豊鉄道のLe-DC、100形・200形・300形です。
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福知山線の事故から今日で10年。大阪では、セウォル号沈没事故の遺族の方々の交えた意見の交換が行われたそうです。私の立場では、亡くなられた方々の冥福をお祈りする他ありません。大勢の人命を失うばかりでなく、遺された人々の怒り・憎しみを生み出し、被害者・加害者双方の心に深い傷を残す大惨事は、二度と起こって欲しくありません。JRだけ、鉄道だけの事ではないです。
《今日のニュースから》
24日 アップルウォッチ 発売開始
25日 ネパールでM7.8大地震 死者400人超