№1340 思い出の海外旅行クロニクル 16.2000年イタリア 7

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 今回のイタリア旅行は南部の周遊が中心になったが、最終日はアルプスに近い北部のコモを訪ね、ミラノの「大手私鉄」に乗った後、ETRのECでチューリヒに向かい、イタリアとはお別れ。
 最後はスイス航空便で帰国の途に就き、旅も終わりです。

2000年11月5日(日)

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 改めて、FSのコモ駅。

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 コモ湖。釣りを楽しむ人々が多かった。

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 コモ大聖堂。

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 高台にケーブルカーが通じています。往復7,200ITL(≒350円)だが、事前にYHで購入した乗車券は5,000ITL(≒240)。日中は15分毎。
 コモ駅は地下。湖を見下ろしながら登っていくと、コモの町は見事に茶色の屋根で埋まっている。
 展望台は駅のすぐそばではなく、結構歩かされる(日曜日はバスがある)。
 しかし、その甲斐はありました。

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 アルプスが凄い!青空にそびえたつ、要塞のよう!
 日本アルプスも凄いが、こんなの日本では見られないですよ!
(望遠を使って撮っています)

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 ミラノ~コモ間はFSの他、私鉄の北ミラノ鉄道(Ferrovie Nord Milano)も別ルートで路線があります。ミラノまで乗りました。北ミラノ鉄道のコモ・ラゴ駅。

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 コモ・ラゴ駅に並ぶ、新型ダブルデッカー近郊電車。

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 サロンノ駅。ここは大ターミナルで、コモの他、マジョーレ湖畔のラヴェーロ、そしてノヴァーラ&マルペンサ空港への路線が分岐し、3複線+ミラノ行折返し列車用ホームも加えて、8番線まであります。

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 改めて、新型ダブルデッカー近郊電車。といっても、FSのそれと全く同タイプで色違い程度だと思います。当時はこういう配色でした。

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「マルペンサエクスプレス」。この10年後、現在からだと5年前の2010(H22)年11月、フランスからの帰りの途上で乗車、№390で書きました。

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 ダブルデッカー車。これもFS車に近い形態だと思います。

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 オーソドックスな近郊電車。この落書き、もう言葉がありません。

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 せっかくの旧型電車も、この有様…。

 ターミナルのミラノ北駅は、駅舎が改装され、表示類も新しいものになっていました。「マルペンサエクスプレス」開通に合わせたのでしょう。

 午後はランブレーテ駅へ移動し、FSの列車を撮りました。次回ご覧頂きます。

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 チューリヒ行CIS152列車。ETR470。いよいよイタリアとお別れです。
 当時のETR470はイタリアとスイスの合弁会社が運行、そのため、FSのマークがありません。

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 ETR470の車内。イタリアでは高速列車も向かい合わせのボックスシート。この辺が日本と大きく異なる所だと思います。

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 ミラノ発17時55分。7番線から出発の直前。

 もうこの時間では、せっかくの絶景を楽しむ事はできません。暗闇の中を疾走して行きます。キアッソからスイスになり、振子機能が本領を発揮してきたよう。腰の下がフワッとした感じがしました。

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 となれば楽しみは食堂車。予約制。
 ホリイさんという日本人と相席になりました。大学の助手で、前の月からチューリヒに住み、この日はミラノまで1泊2日でパーティに行った、その帰りだそう。イタリア語が堪能だった。

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 食堂車のメニュー。

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 前菜のパスタ。その前にシャンパンが振舞われるが、これはサービスなのだそう。初めて飲んだけれど、ノドが熱い!

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 メイン。肉か魚の選択で、魚にしました。
 食べている最中にゴタルド越えにかかっているようだが、何も見えず。しかし、ホリイさんが「外は雪だ」と言っていた。どこかの駅を通過すると、本当に雪が積もっていました。

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 〆のケーキ。
 定食49,500ITLにコーラとカプチーノ、合計57,500ITL(≒2,800円)。前にも書いたが、食堂車だけはケチりたくない。旅の最後の特急だったらなおさらです。

 この列車の途中の停車駅はキアッソ・ルガノ・ベリンツォーナと、スイスのイタリア語圏内だけ。
 やがてビルの明かりがまばゆく感じられる頃、車内が慌ただしくなります。

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 定刻にチューリヒ到着。やはりどこかホッとする感覚がありました。さすがに雪はない。

 駅近くのホテルに投宿。この旅の最後の夜です。

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2000年11月 6日(月)

 残念ながらチューリヒは曇り空。晴れだったら、例によってクローテン空港で旅客機を撮りたかったのだけれど。TVニュースを見たら、イギリスはそれどころではなくて、洪水の被害が起きているよう。欧州は全体的に天気が悪いようでした。

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 チューリヒの市電。

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 それでもクローテン空港では、チェックインを済ませた後、時間まで展望デッキで旅客機を眺めていました。入場料2SFR(≒125円)。手荷物検査も相変わらず。外は寒かった…。

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 成田行スイス航空SR168便。MD-11。

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 当時のスイス航空はJALとコードシェアを行っていて(JAL機材のチューリヒ乗り入れはなくなっていた)、JL454のナンバーもついていました(私はJAL便名での搭乗)。搭乗口にはJALのスタッフの姿もありました。
 ゲートを入るとすぐに新聞が入った柵があるが、全部現地のもの。日本語の新聞は機内にあったが、見出しには、ギリシャで日本人観光客の団体が乗ったバスがジャックされたとかデカデカ記されていてビックリ。現地4日の話らしいが、ホテルのTVニュースでは見なかったけれどなあ。

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 ほぼ定刻に出発し、離陸。
 すぐに左旋回し、空港を見下ろす。森と畑と田舎町がどこまでも続くが、どこかの湖を見た所で雲海に入り、結局この後欧州では下界を見る事はありませんでした。

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 キャビンの様子。全体的に、空いていました。

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 オツマミ。

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 離陸後の食事。洋食は七面鳥。サラダが結構ボリュームありました。

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 NHKニュースの放送がありました(日本時間5日朝7時のもの)。ギリシャのバスジャック事件が発生から8時間ぶりに解決、全員解放されたとの事。やはり注目する客は多く、プログラムが始まると皆いそいそとヘッドホンを耳にしていました。
 下界はひたすら雲が広がるが、上空はだんだん陽が暮れてきました。

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2000年11月 7日(火)

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 翌朝。東の空の彼方から、朝日が昇る。

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 到着前の食事。特にクロワッサンがおいしかった。以前のKLM便でも感じたが、欧州のキャリアでは、2回目の食事は軽目のメニューになりつつあるようでした。

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 日本に帰ってきました。新潟東港。

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 遠くに猪苗代湖。紅葉に染まる山々が連なる。
 しかし、白河と思われるあたりで雲が広がり、こちらもこの先成田着陸直前まで、下界は見えないままでした。

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 成田着陸。成田も雨だ…。

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 定刻より10分遅れて、成田到着。当時は第2ターミナル発着で、同じく第2だったANAのB747-400と並びました。

 スイス航空は翌2001(H13)年に経営が破綻、子会社のルクスエアが後を継ぐ形をとり、スイス・インターナショナル・エアラインズとなりました。さらにルフトハンザの傘下に入り、スター・アライアンスに加盟して、現在ではANAとジョイントベンチャーを行っています。機材はMD-11からA340-300に交代しています。

 今回はヘマもなく、無事に帰って来れました。
 次回最終回ではいつもの通り、イタリア鉄道の列車やローマ・テルミニ駅、ミラノ中央駅、それに一般の路線バスの画像などをご覧頂いた上で、イタリアの鉄道の印象や、イタリア自体のパーソナルデータを記して、完結です。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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 明日は本体の更新を行います。熊本市営バスの画像を再公開します。先月を持って事業を終了しているため、「アーカイヴ」に移動し、同時にレトロバスや旧塗装復刻車などの追加も行います。合わせて荒尾市営バスと、札幌市営バス・函館市営バスの画像も再公開します。

 ANAが「スター・ウォーズ」デザイン機の就航を発表しました。5年間に渡って展開される「STAR WARS プロジェクト」の一環で、B787-9にR2-D2のデザインを施し、秋から国際線に就航するとの事。B787-9は今の所国際線では、ミュンヘン線・ジャカルタ線の就航は発表になっているが、アメリカ路線は今の所発表がありません。どこかの路線(シアトル?サンノゼ?他?)を飛ぶ事になるのでしょうか。

《今日のニュースから》
16日 SNS犯罪被害の子供 1421人 過去最多
17日 安倍首相・翁長沖縄県知事 普天間基地巡り初会談

 愛川欣也さんがお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。