№1338 思い出の海外旅行クロニクル 16.2000年イタリア 5

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 イタリアで鉄道が走る島はシチリア島の他、ティレニア海に浮かぶサルディーニャ島があります。シチリア島よりは小さいが、それでも四国よりは大きな島です。本土から遠いのでさすがに列車の航送は行われないが、それでも本土と同じFSの路線があります。シチリアからローマ経由で初めて訪れました。

2000年11月 1日(水)

 この日は「諸聖人の祝日」。ホテルの宿泊代80,000ITL(≒3900円)を100,000ITLで払おうとしたら祝日で銀行が閉まっているからお釣りがなく、クレジットカードもダメ、だって。娘らしい女性が電話で呼び出され、ねぼけまなこで自分の財布から20,000ITLを取り出しました。

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 パレルモ駅。祝日の早朝ではあるが車の往来は少なくないし、市内バスも走っている。

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 IC726列車。6時58分発と早い。何とローマ経由のフィレンツェ行。当時のイタリアには、このような長距離列車が少なくありませんでした。パレルモ出発時点では1等1両+2等4両で、食堂車は連結されていない。

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 発車前のホーム。別れの光景が繰り広げられています。
 帝国に出発しました。取りあえずは、若い兄さんと同じ2等コンパートに収まります。

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 海岸線を快走。海の向こうに見えるのはリパリ諸島でしょうか。
 車内販売が廻ってくるので、朝食としてハムのサンドイッチとカプチーノを買って食べる。

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 メッシーナに着きました。フェリーに乗り込みます。ノッソリノッソリ。

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 甲板に上がって振り返れば、メッシーナの街が明るく見えます。風がとても気持ちいい。

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 メッシーナに向かう連絡船とすれ違う。

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 と、早くもヴィラ・サンジョバンニ。街中を貨物列車が走るのも見えました。出航から30分もかからずに到着。
 上陸後、シラクーサ始発編成に加えてレッジョ・デ・カラブリア始発の車両も加え、13両の長大編成になりました。
 コンパートは禁煙のはずなのに、同室のお兄さん達が皆、お構いなしにタバコプカプカ。耐えられず、オープンタイプの車両に引っ越しました。

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 グングンスピードを上げる。海は信じられない位美しいエメラルドグリーン。

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 食堂車はシラクーサ始発編成に連結されていました。昼飯時に訪問。きちんとセッティングされたテーブルは気持ちいいが、出入り口の自動ドアが自動モードにセットされておらず、連結面からの騒音が直接入ってきてやかましいのが残念。

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 定食を注文します。前菜はパスタ。

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 メインはステーキと、ナス、だったっけ?

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 食後のケーキとコーヒー。いろいろ飲み食いして、パレルモで作ったITLが底をついてしまったが(クレジットカードは使えなかった)、やはり食堂車はケチりたくない!

 シチリア島は快晴だったのに、本土に渡ってパレルモを過ぎたら、突然ザンザ降り。通り雨。

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 所々新線に切り替わった所があって、チェトラーロ付近では、旧線のアーチ橋も見かけました。

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 ベスビオ山。何度も見てきたが、今回はこれで見納め。
 ローマ・テルミニは4分の遅れで到着。でも、FSも前回に比べたら、定刻に近い時間で走れるようになったようです。

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 サルディーニャへ行く連絡船は、ローマの北、チビタベッキアから出航します。チビタベッキア行近郊電車は新型ダブルデッカー。

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 その車内。デッキは低床になっていて、車端の平屋部分も階段で上がります。

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 船のターミナルは駅から離れていて、繁華街の中を20分ほど歩いた所。切符売場はすぐに見つかった。

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 ゴルフォアランチ行の連絡船の乗車券。37,400ITL(≒1,800円)。港の税金1,200ITLが含まれているようだ。
 さすがにFSの連絡船で、中にはトラックに混じって、貨車の姿も見られました。

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 港には、同じゴルフォアランチへ行くサルディーニャフェリーや、オルビアへ行くティレニアのフェリーも見られます。

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 出航。街の明かりはどんどん遠ざかり、一方行く手には何も、本当に何も見えない!ひたすら暗黒の世界が広がるのみです。

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 何の事は無い、キャビンはガラガラ。少々寒いか?
 夕食を食べたいと思ったけれど、セルフレストランは閉店、バールもコーヒーは作れず、ナシのジュースとクロワッサンを買う。これが夕食かよ?

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2000年11月 2日(木)


 夜中に一度目が覚めて、甲板に出たら、星空が素晴らしく美しい。他には何一つ見えない!

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 5時前になって、行く手にゴルフォアランチの街の明かりが見えてきた。
 5時27分入港。23時に出港し、6時間30分の船旅でした。

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 夜が明けて、明るくなってきたゴルフォアランチ港。トレーラーが出て行きます。

 ここからサルディーニャ島の鉄道の旅が始まるが、街自体は田舎だ。

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 港から徒歩3分程の駅の付近は7時過ぎというのに人影がなく、車もほとんど走らない。風の音がするだけ。
 オルビア行はDC2連。本土と同じタイプ。

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 海岸線沿いの路線を行く。停車駅はどこも廃屋化した駅舎があるだけで、駅名票すらない。空模様もさえず、わびしい。

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 白い岩山の間を走って行くと、やがて船が見えてきて、街らしくなってきました。

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 オルビアは、サルディーニャ島北部では最大の街。右手にいる客車列車のカリアリ行に乗り換え。駅付近の様子を伺う時間は、ありませんでした。
 ローカル列車だというのに、警察官が同乗していました。前の方にはそれなりに乗客がいたようだが、最後部は私一人。

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 曇り空だったのが、南部はだんだん晴れてきました。最後部から見ると、線路が平原を一直線に突っ切っていきます。

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 沿線には所々廃墟が見られます。

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 トッラルバで行き違いがあったが、本来は両方とも通過だったと思う。本来通過のはずのこちらが運転停車で、ポルトトーレス行DC3連が猛スピードで通過して行きました。

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 ボノルヴァの街の建物の屋根は、見事に皆オレンジ色。二重スパイラルでどんどん高度を上げていきます。

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 マコメール近郊。平地まで下ってくると、石積みの柵で土地を仕切っているのを見かけます。サルディーニャでは普通に見かける光景のようです。

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 カリアリが近づくと平野を快走。トンガリ頭の山を見ます。

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 山間部を走ってきたけれど、平野部は直線が長い。10㎞以上は続いていた。
 途中チョコチョコ遅れが増幅して、カリアリは48分の遅れで到着。さすがに島だと本土のようなわけにはいかないか?

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 カリアリ駅。

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 駅構内には、SLが静態保存されていました。

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 帰りはここからフェリーでチビタベッキアに戻ります。FSの連絡船ではなく、ティレニア社の運航です。アルボレア号。

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 ターミナルは駅前。今回の旅で唯一の乗り物の連泊になるこのフェリーでは、寝台をおごってみました。114,000ITL(≒5,500円 税5,600ITLを含む)。

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 カリアリにはトロリーバスが走っていました。
 北部は天気が良くなかったが、南部は快晴になって、そのおかげか町はとても明るく感じられました。中心部を歩いている訳ではないから軽々しくは言えないが、ナポリやパレルモと比べたら落ち着いた雰囲気だと感じました。

 フェリーの出航は18時ちょうど。イグレシアスまでローカル線で往復する時間はあります。

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 田園地帯を長い直線で突っ切っていきます。

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 イグレシアス駅。行き止まりの駅。駅は小ぶりだが、街自体は都会的。

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 帰りの列車はヴィラマッサルジャで、カルボニアからの列車に乗り換え。
 サルディーニャ島のFSは、本土と同じ車両が使われているが、落書きは少ないと思いました。なお、カリアリ近郊では電化工事が行われていました。他者様のWebサイトによれば、一部はLRTに転換された模様。また、サルディーニャ島にもローカル私鉄がいくつかあるらしいので、機会があれば数日使って訪れても面白いかも知れません。

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 今回はそれだけの日数は作れず、わずか1日で慌ただしくお別れ、になってしまいました。18時出発のフェリーから、出発前にカリアリの街を見下ろします。

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 キャビン。

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 セルフレストラン。

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 すっかり暗くなった18時過ぎ、乗り遅れそうになった夫婦らしき男女を待って、やや遅れて出航。
 30分程過ぎると、街の明かりはすっかり遠ざかり、西の空も色を失って、真っ暗になりました。海上に出ても、意外に風が弱い。
 セルフレストランで夕食を済ませ、共同のシャワーも浴びて、今日はベッドでお休みです。

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 仙石線で不通区間の試運転が始まりました。このまま何事もなく5月30日が迎えられるように。

《今日のニュースから》
12日 ヒラリー・クリントン前国務長官 米大統領選挙出馬を表明
13日 福島第一原発格納容器内部 ロボット撮影映像初公開