№1335 思い出の海外旅行クロニクル 16.2000年イタリア 2

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 3日目。午前中はトリエステで過ごし、午後はヴェネチアからローカル列車を乗り継いでミラノへ。夜行で一気にバーリへ。
 翌日はバーリからローカル私鉄に乗り、前回は行きそびれたマテラと、以前も行ったアルベロベッロ、2つの世界遺産を訪ねます。

2000年10月26日(木)

 トリエステは、大陸側では一番東に位置していて、アドリア海とスロベニアに南北を挟まれた港町です。
 トリエステについては、以前№640に単発で書いたが、改めて、もう少しだけ詳しく記したいと思います。

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 トリエステにはトラムがあります。といっても1路線しかなく、便数も20分間隔とそんなに多くはありません。トラムというよりはローカル私鉄と呼んでもいいかも知れません。
 トリエステは高低差が大きい町で、トラムは海に近い市中心部のオベルダンと、山の上のオピチナを結んで走ります。乗車券は1400ITL(≒70円)で、バスと共通らしい。
 電車は旧型1形式だけ。ドアは片側にしかありません。

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 トラムの始発、オベルダン駅。中央駅からは徒歩10分弱。

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 この路線の最大の見どころは、途中の急坂にあります。オベルダンを出発し、町中をゴロゴロ抜けていくと、側線に黄色い補機が待機しているのが見える。電車は一旦バックし、補機の前に停車。連結器はなく、補機にバッファがあるだけ。

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 実はこの補機、ケーブルカーになっているのです。ケーブルの力を利用し、単純に電車を押し上げていくだけ。
 それだけの事をするだけあって、坂はものすごくきつい。線路脇には歩道もあるが、ものすごくしんどいのでは?
 途中で本物のケーブルカーのように複線になり、下りの電車と行き違う。この複線区間が終わると、ケーブル区間も終わって、ケーブルは地中に消えて行きます。補機はこの場で待機。
 後は普通の電車のように道路際を走って、オポチアに着きます。約30分強。

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 オポチアの車庫。右端が電車の乗場。

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 FSのヴィラ・オポチア駅は、商店街から住宅地を抜けた所に位置します。トラムの駅から10分程か。スロベニアとの国境の駅だが、貨物輸送が中心のよう、旅客列車はスロベニアからの国際列車数本しかありません。切符売場も開いていないし、殺風景。
 線路はトリエステまでつながっているが、何しろ高低差が大きいから、北西約10㎞のアウリシーナまで、延々迂回を強いられる事になります。

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 構内には、スロベニアのELがいました。362-034と書かれています。FSのE656形のような連接タイプ。

 再びトラムに乗って、オベルダンまで戻ります。

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 オポチア駅で買った絵葉書。急坂の途中に見られる城とのツーショット。トラムそのものも町の名物、という訳です。

 最近になって、ケーブルの補機は新型になったそうだが、電車は変わっていないようです。

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 FSのトリエステ中央駅。ここからヴェネチア行IRに乗ります。トリエステとはお別れです。

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 しばらくは高台を走り、前日は暗くて見えなかったアドリア海を見下ろします。爽快。
 この列車、ローカルなのに、警官が男女ペアで乗っていました。駅でもあちこちで警官を見かける。「交番」が併設されているようでした。

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 4年ぶりのヴェネチア・サンタルチア駅。4年前(1996(H18)年10月20日)はローマから夜行で着いて、すぐウィーン行に乗り換えただけでした。
 その前の年には町を周遊してヴァポレット(路線バス的な乗合ボート)にも乗ったりしているが、今回はまた乗り継ぎのみになってしまいました。

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 せめて、駅の近くのスカルツィ橋を眺める事にします。
 さすがに国際的な大観光地。右も左も観光客でごった返して、ヴァポレット乗場も長蛇の列でした。

 ここからローカル列車を乗り継ぎ、やや南に迂回してミラノに戻ります。

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 フェラーラ駅。

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 フェラーラ駅前の市内バス。イタリアでは、既にLEDの行先表示が普及しているようでした。

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 ラヴェンナ行EC3連は新色。落書きもなくてスッキリ。

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 沿線は霧が濃かった。畑が続く。
 隣のボックスの女の子がケータイを使っておしゃべり。イタリアに来てから、ケータイの着信音を聞かない列車はない気がする。

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 メッツァーノ駅。

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 ラヴェンナ駅。

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 この駅には、FSFという私鉄が入っています。

 この後はアンコナ行に乗り、リミニで降りる。夜行でバーリへ南下する事になるのだが、一旦ミラノへ戻る。これがETR500のESでした。
 リミニの駅で予約の窓口に並んでも、イタリア的というのかまるで行列が進まない内に発車時刻が来てしまって、そのまま乗り込んでしまう。「NON-RESERVE」の車両に向かう。

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 夕食はもちろん食堂車。定食メニューを注文。前菜としてパスタ。

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 メインの牛肉のステーキ。この後チーズかケーキ、くだもの、という流れになりました。
 窓の外から眺める車窓は、駅付近以外はまるで光がなくて真っ暗闇。

 ミラノ中央駅の到着は10分程の遅れ。イタリアとしては上々?

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 ミラノ発バーリ行、ICN765列車。客車を16両もつないでいるが、ほとんどは座席車で、寝台車は1両、クシェット車も2両のみ。そのクシェット車を利用しました。クシェットは、毛布の備え付けがなかった…。

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2000年10月27日(金)

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 翌朝、フォッジアを過ぎると、ちょうど朝日が昇る…。
 沿線の佇まいは、やはり北とははっきり異なる。これは前回も感じた事。

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 バーリ到着。3分延だったら、FSとしては上々?
 改めてICN765列車の全体はこんな感じ。こんな長いんです。落書きが何とも残念…。この後の夜行もだけれど、この頃のFSの夜行は、一昔前の日本の夜行急行をほうふつさせる気がするのだが、オールドファンの方々、いかがでしょう。

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 FSのバーリ駅。オレンジの壁が印象的です。

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 こちらが、マテラに行く私鉄、FAL(Ferrovie Appulo Lucane)のバーリ駅。
 マテラまで、片道9300ITL(≒465円)。往復買って乗ります。バーリ近郊区間は本数が多いようだが、マテラまでの本数は少なく、1~2時間に1本程度。次は9時42分発。
 どの車も落書きが汚く、番号がとても読みづらい。

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 沿線はこんな感じ。農村地帯だが、南部らしく?どこか乾いて見えます。列車は各駅停車のはずだが、駅は少ない。時々現れる集落は全体的に白っぽい。

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 マテラ中央駅。実は「マテラ」の文字につられ、手前のVilla longo駅で降りてしまいました。「サッシ」と呼ばれる洞窟住居群はもっと先だったらしい。それでも20分歩いてたどり着く事は出来ましたが。
「サッシ」の最寄は中央駅、 実は地下ホームです。

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 これが向かいの丘から見た、「サッシ」の全景です。異様と言えば異様。
 しかし「洞窟」という位なのでもう少し暗いイメージも抱いてはいたのだが、快晴だった事もあって、思いの外明るく感じられました。白い!
 日本人の団体がいた。

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「サッシ」の内部は、こんな感じ。

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 マテラの大聖堂。

 マテラと言っても街全体が「サッシ」なのではなく、中心部は普通の近代的な街に見えました。車が多くて渋滞気味。
 午後の列車でバーリへ戻ります。新型(一番上の画像)DCでした。

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 バーリから、前回も行ったアルベロベッロを、再び訪れてみました。

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 アルベロベッロの住居、円錐形のとんがり屋根が印象的な「トゥルッリ」。
 もちろんここにも日本人の団体が。となれば土産物店もかなり日本人をアテにしているようで、「お気軽にお立ち寄りください」と日本語で書いてあったり、子供に日本語を仕込んで?いたりする程。
 マテラに比べると遥かに田舎だが、それでも夕方になれば、そぞろ歩きを楽しむ人々が多かった。

 暗くなって、私はバーリに戻ります。単行のDCの車内は、乗客は割と多い。ほとんどがおじいちゃんおばあちゃんではあったが。窓の外は光が少なく、ほとんど真っ暗でした。

 駅前のホテルに泊まる。前回も泊まった所なのだが、5年の間に改装されてきれいになっていました。
 明日は南部の海岸線沿いを走って、それから一気にローマを目指します。

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