№1332 バスジャパン・ハンドブックシリーズS87 都営バス

 新年度になりました。ウィラートレイン(京都丹後鉄道)に四日市あすなろう鉄道など今日から新たにスタートするもの、熊本市営バスや小松島市営バスなど昨日を持って終わってしまったものと、交通の世界も様々変わりました。2015年度はどう移り変わるでしょうか。私なりの目線で見て行きたいと思っています。

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「バスジャパン・ハンドブックシリーズS87 都営バス」が先日発売になりました。

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 都営バスは国鉄・JRバスと並ぶ人気事業者で、前身の「バス・ジャパン」(BJ)創刊号(1986(S61)年)では早速特集で取り上げられ(都市新バス「グリーンシャトル」スタートもある)、その後ハンドブックシリーズに移行した後も、シリーズが変わる度に必ず取り上げられてきました。1993(H5)年のシリーズ1、1997(H9)年のNEW21、、2005(H17)年のR56です。
 ハンドブックシリーズではこれまで「東京都交通局」のタイトルだったが、今回は通称の「都営バス」としています。西鉄と同じです。

◆ 都営バスの車両たち
 車両数に若干違いがあるように思います。深川〔営〕の日野が1両少なく、全体では1,461両が正しいのではないでしょうか。これをベースに分析します。

1. 気づくのは、型式数の少なさ。25型式しかありません。もちろん個別の型式の中にバラエティもあるが、NEW21が70型式、R56が47型式だから大幅な減少になりました。
(車体メーカーが異なる場合は、同じ型式に含めた)
 特定車が全滅、貸切車も5両(1型式)のみになり、特殊なシャーシーの観光車両もなくなった事、低床試作車・リフト車の全廃、メーカーの統合(J-BUSの発足、UDトラックスの撤退)、何よりも購入方式が入札になったため、一つの年度ではほぼ全車が同型になった事が理由として挙げられます。
 また、一時期は一定の割合があった中型車も、現在は〔市01〕系統専用のエルガミオ7両のみ。
 車体メーカー統合もあり、BJ創刊時のような、形態的な面での趣味的な面白さは失われてしまったと思います。利用する分にはどうでも良い事だが。
 日産ディーゼルPKG-RA274KANが171両で都営路線車全体の11.74%、三菱ふそうLKG-MP37FKが166両で11.40%、日野KK-HR1JNEEが160両で10.99%を占めています。

2. 乗合車の車両数は1,456両で、「R56」と比較して27台減になりました。
 BJ創刊号(1986(S61)年)では1,887両だったそうだから、30年近くで430両、20%以上も減りました。1997年では1,814両だったが、2005年では1,456両なので、21世紀に入ってから大きく落ち込んでいます。大江戸線全線開業に伴う再編成の時期と一致します。 
 23区に限定し、やや強引だがナンバープレートの地名で「品川」「練馬」「足立」のエリアに分けてみました。足立エリアが50.63%と半分以上になった一方、練馬エリアは29.94%と30%を割っています。都営バスは元々この傾向にあったが、シリーズ1時点では品川エリア20.56%、練馬エリア37.62%、足立エリア41.83%だったので、重心がだんだん東の下町方向に移動している事が、車両の配置からも伺えます。
 営業所別では江戸川176両、深川154両、品川125両と、大規模な団地を控えた臨海部の営業所が多くなっています。一方で早稲田は本所ながら43両、小滝橋50両、千住65両と少なく、営業所によって所属両数にはかなりのバラつきがあります。用地の問題もあるかも知れない。

3. 乗合車の平均車齢は7.84年。R56の5.18年からはかなり延びました。
 営業所別では品川が4.74年、深川が4.79年と若い一方、青砥〔支〕12.86年、臨海〔支〕11.44年、青梅〔支〕11.28年、港南〔支〕11.08年、杉並〔支〕10.78年と、支所の平均車齢が高くなる傾向があります。
 最経年車は2001(H3)年式で64両。大塚〔支〕に12両あり、支所廃止で運命を共にするかも知れません。
 年によって導入数にかなりバラつきがあり、2003(H5)年は300両、2005(H7)年は247両に対し、間の2004(H6)年は6両しかありません。2013(H25)年も20両に留まっています。

4. 乗合車のノンステップ率は99.93%、江東区コミュニティ用リエッセ1両を除いて全面ノンステップ化が達成されました。リエッセはCNG車なのであと5年は走れると思われるが、それまで走る事になるのでしょうか。
 ハイブリッド車は2005年110両(乗合車の7.43%)→2014年130両(8.93%)に増加。逆にCNG車は2005年149両(10.06%)→2014年33両(2.27%)と大きく落ち込みました。

5. メーカー別では(貸切5台を含める)、いすゞ24.23%、日産ディーゼル18.82%、日野34.22%、三菱ふそう22.72%で、日野が全体の3分の1以上を占めています。
 日産ディーゼルは元々割合が低く、(貸切・特定も含めて)1993年でも20%に達していませんでした。三菱ふそうも20%の前後を行き来する感じ。1997年まではいすゞが3分の1強だったが、2005年で日野が逆転しています。

◆ 都営バスのあゆみ
 2005年までは繰り返し取り上げられているので、それ以降の目立った動きを整理すると、

1.はとバスへの委託の開始
2.PASMO導入
3.観光路線バス運行開始
4.東日本大震災による経営環境の悪化(特に東電株の下落)
5.終夜バスの試行

が挙げられるかと思われます。
〔梅70〕系統については「協議中」としていたが、昨日を持って柳沢駅~小平総合庁舎間は廃止、代わって今日から花小金井駅北口への乗り入れが始まりました。以前柳沢~青梅間を乗り通した事があって、特に廃止区間を含めた東側は、西武新宿線に並行するし、西武バス路線網もあって、人の流れに若干合っていないなあ、いずれ見直しがあるかも知れないと感じていました。
 なお、大塚〔支〕も29日を持って廃止になったが、S87全体でこれについて触れられた個所はありませんでした。

◆ 都営バスの路線エリア
 大泉学園駅・等々力への路線がなくなった事で、23区内では環7より西へ行く路線がほとんどなくなりました。元々山手線の西側は有力な民営事業者が早くから綿密な路線網を張り巡らせていたからあまり路線が多くなく、過去に存在した系統には、民営との共同運行がかなりありました。東側に重心が位置するのは、路線網からも見えています。

◆ 都心を貫く<銀71>系統
 昨年秋、レイルウェイライターの種村直樹氏が亡くなりました。紹介記事の通り、種村氏はBJ創刊時から、都営バス特集以外でもルポを書いていて、馴染みの存在でした。
 鉄道ほぼ専門だった種村氏がバスにも本格的に取り組むようになったのは、国鉄時代末期、鉄道・連絡船に国鉄バスまで組み込んで作成した、竹下町(佐賀県)→鵡川(北海道)の最長片道切符の旅を実践した事が大きいと思います。営業規則も変わり、特定地方交通線の廃止も行われ、何よりJRの一般路線バスネットワークが壊滅に近い今、同じような旅は二度とできません。
(鉄道ジャーナル誌連載→「さよなら国鉄 最長片道きっぷの旅」(実業之日本社)として単行本化)
 追悼企画として、BJ創刊号に掲載された〔銀71〕系統のルポが再度掲載されました。改めて読み直すと、写真の点数は絞られているものの、「美濃部カラー」のモノコックも現れて懐かしい。白黒写真だけれど。ルポで同乗したD-M284は1983(S58)年式日野P-RT223AAで、初のスケルトンボディとなった車両です。
「すぐに改善できるのは接客サービス」と結ばれているが、それは正解ではあるものの、通常の所要時間の5倍もかかる大渋滞が日常茶飯事、休憩時間を削って乗務しなければならないのでは、ドライバーにとっては肉体的にも精神的にもたまったものではなく、接客サービスどころではないだろうとも感じる。「ドライバーの平均年齢が47~48歳」の、当時の杉並自動車営業所長のコメントを読むと、30年経っても、バス業界の課題は変わっていないなあ、というのが正直な印象でした。
〔銀71〕系統はこの直後に都市新バス「グリーンアローズ」の〔都03〕系統になり、本文で出てきたイレギュラーの「東京返し」は〔都05〕として独立するが、大江戸線開通時の再編成で〔都03〕は運行区間を短縮(深川〔営〕に移管)、今は1時間に1本程度と、当時の面影はほとんどなくなりました。

◆ 終点の構図 平井操車場
 シリーズ1は東大構内、NEW21は若洲キャンプ場、R56は上成木でした。
 平井操車場を終点とする〔上23折返〕〔平28〕は面白いルートを走り、平井地域では循環系統に近く、操車場終点は先に通過する平井六丁目交番バス停とはそれほど離れていないようです。
 昔ながらの神社に町工場+スカイツリーと、新旧が交錯した新たなシーンが展開されているようです。

◆ 都営バスで探す 明治・大正・昭和の余韻
 ハンドブックシリーズになってからの紀行3回も種村直樹氏によるもので、シリーズ1は都営バス最東端だった篠崎駅→最西端の上成木(日着)、NEW21は竹ノ塚→岩蔵の温泉めぐり(日着・種村氏は竹ノ塚在住だった)、R56は赤羽駅東口→テレコム(一泊二日)でした。
(R56が、ハンドブックシリーズにおける、種村氏最後の紀行となった)
 今回の谷口礼子さんの紀行は、初日は佃島→万世橋→東大キャンパス→都電おもいで広場→大和町は銭湯、2日目は小平ふるさと村→村山織物協同組合→青梅の「昭和幻燈館」などを巡る旅。23区内は東京駅から東へ、佃島から一転北へ、さらに西と反時計回りにグルリと回る感じ。
 大国の首都ともなれば日々の変化は著しく、特に山手線の西側では、時には変化について行くのがしんどいけれど、今回の紀行はそこを外しているので、探せば昔ながらの光景はあるものだとも感じました。全然知らなかったが、石川島はオリンピックの年まで渡し船しかなかったとは少々ビックリ。
 実はこれも知らなかったが、〔王78〕系統は23区内では最長の都営バスとか。公式な資料が見当たらなかったで何キロというのは解らなかった。〔王78〕と〔梅70〕、2つの都営バス「最長系統」が出てきた事になります。

 今後の都営バスの課題については№732を初めとして何回か書いているが、改めて記すと、都営バスのこの20~30年位は、地下鉄等の鉄道網の整備に伴って路線の縮小や減便が相次いだ歴史でもありました。ただ、2008(H20)年のメトロ副都心線と日暮里・舎人ライナーの開通を持って、都営バスに直接影響を与える鉄道の開通は一段落したはずなので、現状の路線網を維持しつつ、質的な向上が図られる事が求められます。と言っても経営環境の悪化で、郊外はまた一段の見直しが求められるかも知れないが。便数については需要や沿線のロケーションもあるが、23区内路線は最低10分に1本程度の確保が望ましい。現状は一部を除いて、やや少ないかも知れません。
「次の100年」はどうなるか解らないが、すぐ目の前にある課題は2020(H32)年の東京オリンピック・パラリンピック。BRTの計画もあったりするが(運行事業者がどうなるかはまだ解らないが)、観客輸送をどう行う事になるのか。また既に外国人観光客が急増していて、五輪が増加をさらに加速させる事も十分予想されます。バスに限らないが、特にインフォーメーションの充実は急務でしょう。英語以外に、少なくとも中国語・韓国語の整備は必要。
 多摩地域については〔梅70〕の短縮はあったが、歴史的な経緯もあるからエリアそのものは残るでしょう。ただし民営事業者への委託はあるかも知れません。
 車両面では乗降性の改善について、以前の低床車のようにもっとメーカーにコミットメントしてもいいかも知れません。東京が前面に出て変われば、日本全体も変わるように思います。
 それとしつこいのだけれど、「都営交通博物館」の整備。本当は100周年の時にやって欲しかったが、先の紀行でも出てきたあらかわ遊園やおもいで広場の都電の他、地下鉄やモノレールの保存・保管車両が各地にあるので、今の内に1ヶ所に集めて、本格的な博物館を作って欲しい。ただバスはどこまで見つかるか、心元なくなってしまいました。グリーンシャトル初代車両が、せめて車体だけでもどこかに残っていてくれると良いのだけれど…。
 ともあれ世界有数の先進国の首都のバスにふさわしい、量・質とも充実したサービスで世界に誇れる都営バスを目指して欲しいと願います。

 次回刊は京都バスと京福バスですか。どちらも京福電気鉄道のグループだが、京都と福井に大きく分かれているので、意外なラインナップ。シリーズ初登場になります。
 またその次の東武バスは、次回は東野交通と一体で取り上げられるよう。東野は東武グループではあるものの、東武バスとの結びつきはあまり強くはなく(宇都宮市で東武バスを引き継いだ路線はあるが)、これもやや意外な組み合わせではないでしょうか。
 さらにその次は越後交通。「NEW34」で取り上げられた事があります。

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《今日のニュースから》
31日 ミャンマー 少数民族各派・政府側 停戦に向けた合意文書に署名
 1日 中国国立「北京語言大学」東京に開校 開港式典・入学式開催