№1337 思い出の海外旅行クロニクル 16.2000年イタリア 4

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 ナポリ2日目、もう一つのローカル私鉄に乗り、鉄道博物館を訪ねた後、夜行で再び南下。
 翌日はシチリア島のローカル列車を乗り継ぎます。
 やや写真が少なめなのはゴメンナサイ。

2000年10月30日(月)

 ナポリの南、ティレニア海に面したトッレガヴェタまで、SEPSA(Societa Esercizio pubblici Servizi Spa)という私鉄が走っているので、訪ねてみました。

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 始発のモンテサント駅。付近はゴチャついた住宅地。

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 モンテサント駅のホーム。すぐトンネルがあり、セルリアンタワーが建つ前の京王井の頭線・渋谷駅に雰囲気が似ている。
 2つ路線があって、どちらもトッレガヴェタへ行く。ただし、北側のリコラ経由は非常に少なく、当時は1日6本しかなかった。
(リコラまでは20分間隔だが)
 その数少ない、8時43分発リコラ経由に乗る。カーブが多いが、場所によっては連続立体交差工事を行っていました。

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 電車そのものは釣掛駆動の近郊タイプ。例によって落書きが凄まじく酷い。
 日本人(私の事)が乗っている事に興味を持ったのか、乗務員室の職員が、運転中だというのに私を招き入れる。イタリア語で色々まくしたてられても困るのだが、なにより運転士が何となく真面目にやっていないなあという印象。台に足を上げたり、同僚と大声でおしゃべりしながら運転している。「ナカタ」(中田英寿。当時セリエAのペルージャに所属していた)とかいう単語も聞こえた。

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 ピアヌラ駅。

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 車窓。リコラまではフリークエントサービスが行われていて、通勤・通学などに便利に利用されているよう。

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 乗務員室から見た線路。線路はかなりキチンとしていました。

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 終点のトッレガヴェタ駅。行き止まりの先はティレニア海。付近は小さなレストランやカフェが点在していて、シーズン中はリゾートとして大賑わいなのでしょう。

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 ティレニア海。海に突き出た小さな撮ってでは、釣りを楽しむおじさん・おばさんが目立ちました。

 帰りは南側バニョーリの路線に乗る。こちらは終始複線でした。海岸沿いの集落を結んで走っています。

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 国立鉄道博物館は、ナポリ中央駅からFSのローカルに乗って、ピエトラルサで降ります。ホームだけの無人駅で、本当にここでいいのか?と思ったのだが、踏切を渡った先にちゃんとありました。

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 博物館の広場。子供たちの団体が来ていました。

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 困った事に、庫内の車両が並んでいるエリアには、説明書きの類が一切見当たりません。これは創業当初の歴史的なタイプのSL、とは思うのだが、詳細は不明。

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 SLは代表的な形式は一通り揃っているようだが、スペースの都合なのか、テンダー機では炭水車がないものもありました。炭水車もセットで初めて1両のSL、のはずなのだが。

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 保存EL機。

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 昔のDCはなんとなくバスみたい。センタアンダフロアだったのか?と思えるタイプも見られました。この色、当時も現役で走っていたが、何度も書いているけれど、どうしても好きになれません。

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 売店で販売されていた絵葉書。
 博物館そのものは、全体的には鉄道公園という雰囲気が近いように思えました。説明書きもそうだし、資料も少ない。無料だとこんなものかもしれないが、一部に状態が良くないものもあり、適切な入場料を徴収した上で、もう少し車両も施設も整備した方が良いのではと感じました。

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 市内にはいくつか大きな駅があるが、メインはやはりFSのテルミニ。駅前は本当に騒々しい。車も人も明一杯あふれ、クラクションも騒々しい。それがナポリ、なのだろうが。

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 中央駅の窓口。

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 発車案内表示。古めかしいソラリータイプ。

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 ホームに面した売店。

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 ホーム。頭端タイプ。

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 今回ナポリで宿泊したYHの最寄、メルジェリーナ駅。

 この後はシチリア島を目指すのだが、ナポリからだと深夜になってしまうし、治安と睡眠時間確保を兼ねて、今一度ローマに戻る事とします。

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 ローマ行IR2498列車。カッシーノ経由便。全車2等座席車。
 ナポリ中央駅14時00分定刻に出発。イタリアでも、少なくとも始発駅は定刻に出発するようになりました。

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 その車内。ボックスシート。
 客席そのものはいいのだが、自動ドアが一部で故障したままだったり、トイレは一見水洗に見えて垂れ流しのままだったりと、全体的なレベルはまだもう一歩。

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 ベスビオ山。
 この路線はカーブが多く、スピードが出ません。所々、高速新線の工事現場を見かけました。

 ローマ・テルミニは23分の遅れでした。

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 シラクーサ行夜行出発までの間、トレビの泉まで歩いてみました。当たり前の如く、どこをどう歩いても日本人とぶつかる。歩道の日本語の広告も健在でした。

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 シラクーサ行E1939列車。全車寝台。クシェットは満席となり、ややお高いが、この旅唯一の列車寝台コンパートとなりました。97,000ITL(≒4,700円)。
 相部屋の対応で、冗談もセットされるが、ローマ出発時点では誰も来ない。

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 個室のテーブル。アメニティキットと車内誌、それにメニューカードとミネラルウォーター。

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 メニューカードは、表面は“COLAZIONE”(朝食)他スナック類、裏面はドリンクや菓子。アルコールもあります。専任の車掌に注文します。通貨の流通はまだだが、ユーロでの決済も可能だったよう。

 ナポリまで、他には誰も来ませんでした。この先は4時前のヴィラ・サンジョバンニまで乗降の停車はないから、個室独り占めほぼ確定。ラッキー。ゆっくり眠れそうです。
 通過する町は、どこもひっそり寝静まっていました…。

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2000年10月31日(火)

 フェリーへの出入りらしい物音、振動はしたけれど、良く眠れました。メッシーナを出発する所で目覚め。レッジョ・デ・カラブリアの街が対岸に見える。

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 東の海の彼方に…、朝日!
 なんと素晴らしい光景だろう!!

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 右手(通路側)はエトナ山。煙を吹いていました。

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 7時過ぎ、カターニャ到着。ここで一部の車両は切り離し。

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 車掌に寝台を座席にしてもらって、朝食を持ってきてもらう。朝食と言ってもパン・ラスク・ビスケット・パックジュースと言った程度。7,500ITL(≒360円)。カプチーノも持ってきてもらいました(3000ITL≒150円)。
 驚いた事にこの後、寝台の片づけをするおじさんが、客が出したごみを、平気で窓の外に放り出していました。唖然…。

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 ローマから約12時間、シラクーサに着きました。5分遅れは、FSとしては上々じゃない?出会いの光景が、ホームのそこかしこで見られました。

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 今回乗ってきた寝台車。

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 シラクーサ駅。駅前広場は狭い。バスは入ってこないようだ。
 ここではカルタニセッタ行出発まで、おとなしく待ち合わせ。
 10時出発、カルタニセッタ行8712列車は、DCの単行。5時間半の長丁場。

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 イスピカは、丘の上に大きな街が見られます。駅付近は建物は少ない。

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 高速道路と交差した先、山間部のモディカ駅。ここは大きな駅で、貨物列車も停車している。車掌はここで交代。
 モディカの先では、乗客わずか9名。沿線の天候は不安定。

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 右手に一瞬、虹!しかしすぐに消えてしまった。解りますかね…?
 いくつか、明らかに元駅を通過して行く。完全に廃止された所が多い。

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 ジェラ駅の構内は広く、5番線まである。ホームは地下道で結ばれている。しかし広さの割には人影はまばら。
 7分停車の間に、ピザとコーラを買い込む。

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 さて、崩れそうな駅舎のみのファルコナーラでは、信号が赤のまま変わらなくなってしまった。どうしよう、どうするの?と思っていたら、車掌が駅舎の中に入り、運転指令らしき所から何やら聞いて、それを所定のドキュメントに記して、運転手に渡していた。閉塞の承認をもらっていたよう。7分の停車の後、赤信号のまま出発させました。

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 左手は海。
 幸い(当たり前か)、何事もなく次のリカータに着きました。

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 再び海と別れ、じりじり高度を上げて行きます。廃墟と、丘の上の集落は、いかにもイタリアの南部そのもの。
 カニカッティでは架線が現れる。アグリージェントからの線路は電化されていました。

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 カルタニセッタ中央駅。
 パレルモに行くには、一駅間別の列車に乗り、カルタニセッタ・クシルビの駅で乗り換える必要があります。クシルビ駅は広いが付近には何もない。乗り換えのためだけにある駅のようだ。
 カターニャから来た列車は電車の2連。

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 列車の真上は快晴なのに、遠くには不気味な位の入道雲。
 ヴァッレドルモ駅は、給水塔や機関庫の跡が残っているのに、棒線の無人駅になってしまっていました。この他、廃止になった駅がこの路線でも少なくありませんでした。
 やがて日が暮れて、真っ暗になりました。メッシーナからの本線と合流してパレルモに到着。シラクーサからのローカル列車の旅が終わりました。

 パレルモでは、電話で予約した駅近くのホテルに投宿。部屋にテレビはなく、朝食もついていないが、トイレ・シャワー付きで80,000ITL(≒3,900円)だから上々か。それにしてもローマ通りは凄まじい車の数、渋滞が激しい上にクラクションがやかましく、排ガスも凄い。歩道で幼い子供を片手に募金を斯う母親の姿を何人も見かけたが、排ガスでやられてしまうのではないかと、他人事ながら心配になってしまいました。

 明日は昼行のICでローマに戻り、イタリアもう一つの島、サルディーニャ島に渡ります。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 夜行高速バス「Lions Express」が、5月16日出発を持って休止となる事になりました。
 昨日西武・西鉄双方から発表になったものです。西鉄によれば、2011(H23)年12月の運行開始以来実績は思わしくなく、色々取り組みはやってきたが、これ以上の運行継続は無理となった、という事です。
 実際問題として、いくら夜行で格安でも、大宮~福岡間で15時間以上とは、少々時間がかかり過ぎではないかと感じていました。昨今のLCCの就航も影響があったと思います。
 また、理由には挙げられていないが、ドライバーの確保という面もあったのではないでしょうか。超長距離だから負担も大きいし、3日間拘束する事になるので、昨今ドライバー不足が叫ばれる中では、コストの面とか色々考えると、もう運行は続けられない、という事だと思います。
 何回か書いているが、今後は夜行バスでも所要時間が10時間を越えたら、需要の動向もあるが、運行の継続は難しくなってくるのではないでしょうか。全国ネットワークの事業者で、途中で乗務員が何度も乗り継いで走れるというならまだいいが、地域のバス事業者が長距離路線まで担う日本独特の運行形態では、色々考えなけらばならない部分は多そうです。
 この他にもいくつかバスのニュースがあり、南海バスは堺~東京線のエアロキングがセレガ置き換えで退役(5月11日東京発が最終)とか、関東鉄道が10月から一般路線バスにもPASMO導入(取手・水戸から)とかありました。

《今日のニュースから》
10日 JR貨物幹部社員 収賄容疑で逮捕
11日 ペンシルロケット発射実験成功から60年 国分寺市で記念イベント開催

№1336 思い出の海外旅行クロニクル 16.2000年イタリア 3

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 5日目。バーリを後にして海岸線を南下。夜行で一気にローマを目指します。
 翌日はナポリまで戻り、前回は行かなかったソレントへ。明るい観光地でした。

2000年10月28日(土)

 バーリ中央駅に着くと、困った事にFSのダイヤは大混乱。何しろ今8時というのに、5時38分発のレッチェ行がまだ出発していなかったりする。
 ターラントへ行くのだけれど、次に乗れそうな7時38分発は、1時間30分の遅れと表示が出ている。今回イタリアへ来て、以前よりは慢性的な遅れ、というものは少なくなってきたと思っていたのだが。いくらなんでもひどすぎ。何かアクシデントがあったのだろうか?
 結局ターラント行がバーリ中央を出発したのは、9時42分になってだった。ターラントまでは山越え。複線化工事が行われていました。

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 ターラント駅。

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 シバーリ行のローカル12602列車。客車3連。

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 途中のジノーザ駅。

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 この駅でバーリ方面行ICを退避。向こうもICと言ったって客車3連とローカル色が濃いが、猛スピードで通過して行った。

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 海岸線。ブルーが美しい。沿線はリゾート?

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 シバーリ駅。構内は広いが、田舎のムード。
 カタランザーロ行を待つ間、バールでパンとカプチーノと、簡単に昼を済ます。この間に、ミラノからのE929列車が来ました。3時間39分の大幅遅延。これはさすがに編成が長かった。

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 DC単行のカタランザーロ行ローカル。E929を待って、こちらも16分の遅れで出発。

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 海岸線に、廃墟がポツン…。

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 大分日が傾いてきました。列車の影が長い…。

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 西の空遠く、夕陽が沈んでいきました…。

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 しかし乗継はまだ続く。カタランザーロからのレッジョ・デ・カラブリア行ローカルR34843列車。意外にも、客車は近郊タイプだ。
 残念ながら陽がとっぷり暮れて、陸も海も真っ暗。本来のプランではもっと早い時間に通過するはずだったのに…。やがて海の向こうに光の帯が。シチリア島か?ETR450を見たりする内にレッジョ・デ・カラブリアに到着。
 この区間は明るければ海岸線からの眺めを存分に楽しめるはず。全くもって残念。機会があれば、もう一度、明るい時間に乗りたいです。

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 レッジョ・デ・カラブリア始発のローマ行夜行。本来はナポリが目的地だが、ナポリは早朝になってしまうので、ローマまで乗り通します。
 最後部車両の座席コンパートに乗車。この後、ラメツィア・テルメで、同じレッジョ・デ・カラブリア始発でカタランザーロ経由でやってきた客車を連結します。始発駅が同じながら別ルートの車両がある訳です。

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2000年10月29日(日)

 どこかの駅で乗客がやってきて、どこかの区間で検札があったような…と思いつつウトウトする内、駅のアナウンスで目覚めると、ラッテに停車中。
 欧州はこの日から冬時間。どこかで時間調整をしたはずだが、ナポリでの方向転換も含めて全く気付かず。
 ローマに近づくとアーチの門の下をトラムが走るのを見たりする。定刻にテルミニ到着。

 ローマからすぐに、7時10分発のレッジョ・デ・カラブリア行ETR(ES9365)でナポリまでとんぼ返り。しかし早朝なのに窓口は行列が長いし、翌日まで預かってもらう荷物の受け付けも時間がかかるし、何とか列車は間に合ったが、車内を移動しようとすると通路が狭い上に、乗客の皆さんの荷物が通路まではみ出るくらいの大荷物で、なかなか前に進めない。大荷物なのは欧州全体の傾向だと思うが、イタリアはさらに輪をかけていると思う。

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 左手には白っぽい山々が連なるのが見える。

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 今回乗車した、ETR480。
 イタリアの列車の落書きが酷いのは見てきたけれど、高速特急列車にまでこんな事でいいの?それに先頭部が一部へこんでいる…。
 ナポリはYHに泊まるので、メルジェリーナ駅で下車。

 ナポリ初日は、ソレントへ足を延ばします。チルクムヴェスビアーナ鉄道(SFSM)の路線があります。5年前はベスビオ山の麓を巡る路線に乗ったが、ソレントには行っていませんでした。

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 SFSMの路線図。ソレントへ行く路線は一番下の青い路線。

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 ベスビオ山。てっぺんは雲に隠れていました。

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 旧型電車との交換。

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 ナポリから1時間強でソレント着。
 ナポリからは4,900ITL(≒240円)。

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 SFSMの時刻表。区間運転もあるが、ナポリ~ソレント間も30分間隔で列車があって便利。

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 なんという明るさ!
 町は高台にあり、ティレニア湾に面した港を見下ろす事が出来ます。海の向こうにベスビオ山。
 本当、素晴らしいです。来て良かった。

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 ナポリ~ソレント間は高速船もあります。帰りはこれにしました。12,000ITL(≒580円)。電車の倍以上だが、日本人の感覚では、これでもかなり安く感じられます。

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 出航すると、あっという間にソレントが遠ざかっていく。ベスビオ山が間近で見られます。
 ソレントは快晴だったのに、急速に天気が悪くなって、ナポリは一気に雨になりました。

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 ナポリそのものの見どころから、ヌォーボ城。

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 卵城。

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 大理石の門。

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 最後に、短区間で終わったけれど、ナポリの市電にも乗りました。かなり小ぶり。

 ごく短時間だけれどナポリの街を見て歩いた感触では、ナポリの交通は、全体的にどうもしまりがない。赤信号は平気で無視、横断歩道が少ないので、どこを横断していいものか解らない。交通以外でもタバコのポイ捨ては当たり前、ゴミは散らかり放題。これがナポリ、と言われればそういう事になるのだろうが。

 YHで食事したり、洗濯したりしている内、夜行明けの影響か猛烈に眠くなってきた。22時前にはさっさと寝てしまいました。
 明日は国立鉄道博物館に行きます。

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《今日のニュースから》
 8日 天皇陛下 パラオを訪問 大統領夫妻と会見
 9日 競泳日本選手権 女子50m自由形 内田美希が日本新記録

 パラオ訪問はANAのB767-300ERチャーター機でした。政府専用機じゃないの?と思ったのだが、滑走路が2100mちょっとしかなくて、B747は無理みたい。

№1335 思い出の海外旅行クロニクル 16.2000年イタリア 2

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 3日目。午前中はトリエステで過ごし、午後はヴェネチアからローカル列車を乗り継いでミラノへ。夜行で一気にバーリへ。
 翌日はバーリからローカル私鉄に乗り、前回は行きそびれたマテラと、以前も行ったアルベロベッロ、2つの世界遺産を訪ねます。

2000年10月26日(木)

 トリエステは、大陸側では一番東に位置していて、アドリア海とスロベニアに南北を挟まれた港町です。
 トリエステについては、以前№640に単発で書いたが、改めて、もう少しだけ詳しく記したいと思います。

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 トリエステにはトラムがあります。といっても1路線しかなく、便数も20分間隔とそんなに多くはありません。トラムというよりはローカル私鉄と呼んでもいいかも知れません。
 トリエステは高低差が大きい町で、トラムは海に近い市中心部のオベルダンと、山の上のオピチナを結んで走ります。乗車券は1400ITL(≒70円)で、バスと共通らしい。
 電車は旧型1形式だけ。ドアは片側にしかありません。

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 トラムの始発、オベルダン駅。中央駅からは徒歩10分弱。

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 この路線の最大の見どころは、途中の急坂にあります。オベルダンを出発し、町中をゴロゴロ抜けていくと、側線に黄色い補機が待機しているのが見える。電車は一旦バックし、補機の前に停車。連結器はなく、補機にバッファがあるだけ。

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 実はこの補機、ケーブルカーになっているのです。ケーブルの力を利用し、単純に電車を押し上げていくだけ。
 それだけの事をするだけあって、坂はものすごくきつい。線路脇には歩道もあるが、ものすごくしんどいのでは?
 途中で本物のケーブルカーのように複線になり、下りの電車と行き違う。この複線区間が終わると、ケーブル区間も終わって、ケーブルは地中に消えて行きます。補機はこの場で待機。
 後は普通の電車のように道路際を走って、オポチアに着きます。約30分強。

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 オポチアの車庫。右端が電車の乗場。

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 FSのヴィラ・オポチア駅は、商店街から住宅地を抜けた所に位置します。トラムの駅から10分程か。スロベニアとの国境の駅だが、貨物輸送が中心のよう、旅客列車はスロベニアからの国際列車数本しかありません。切符売場も開いていないし、殺風景。
 線路はトリエステまでつながっているが、何しろ高低差が大きいから、北西約10㎞のアウリシーナまで、延々迂回を強いられる事になります。

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 構内には、スロベニアのELがいました。362-034と書かれています。FSのE656形のような連接タイプ。

 再びトラムに乗って、オベルダンまで戻ります。

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 オポチア駅で買った絵葉書。急坂の途中に見られる城とのツーショット。トラムそのものも町の名物、という訳です。

 最近になって、ケーブルの補機は新型になったそうだが、電車は変わっていないようです。

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 FSのトリエステ中央駅。ここからヴェネチア行IRに乗ります。トリエステとはお別れです。

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 しばらくは高台を走り、前日は暗くて見えなかったアドリア海を見下ろします。爽快。
 この列車、ローカルなのに、警官が男女ペアで乗っていました。駅でもあちこちで警官を見かける。「交番」が併設されているようでした。

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 4年ぶりのヴェネチア・サンタルチア駅。4年前(1996(H18)年10月20日)はローマから夜行で着いて、すぐウィーン行に乗り換えただけでした。
 その前の年には町を周遊してヴァポレット(路線バス的な乗合ボート)にも乗ったりしているが、今回はまた乗り継ぎのみになってしまいました。

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 せめて、駅の近くのスカルツィ橋を眺める事にします。
 さすがに国際的な大観光地。右も左も観光客でごった返して、ヴァポレット乗場も長蛇の列でした。

 ここからローカル列車を乗り継ぎ、やや南に迂回してミラノに戻ります。

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 フェラーラ駅。

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 フェラーラ駅前の市内バス。イタリアでは、既にLEDの行先表示が普及しているようでした。

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 ラヴェンナ行EC3連は新色。落書きもなくてスッキリ。

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 沿線は霧が濃かった。畑が続く。
 隣のボックスの女の子がケータイを使っておしゃべり。イタリアに来てから、ケータイの着信音を聞かない列車はない気がする。

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 メッツァーノ駅。

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 ラヴェンナ駅。

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 この駅には、FSFという私鉄が入っています。

 この後はアンコナ行に乗り、リミニで降りる。夜行でバーリへ南下する事になるのだが、一旦ミラノへ戻る。これがETR500のESでした。
 リミニの駅で予約の窓口に並んでも、イタリア的というのかまるで行列が進まない内に発車時刻が来てしまって、そのまま乗り込んでしまう。「NON-RESERVE」の車両に向かう。

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 夕食はもちろん食堂車。定食メニューを注文。前菜としてパスタ。

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 メインの牛肉のステーキ。この後チーズかケーキ、くだもの、という流れになりました。
 窓の外から眺める車窓は、駅付近以外はまるで光がなくて真っ暗闇。

 ミラノ中央駅の到着は10分程の遅れ。イタリアとしては上々?

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 ミラノ発バーリ行、ICN765列車。客車を16両もつないでいるが、ほとんどは座席車で、寝台車は1両、クシェット車も2両のみ。そのクシェット車を利用しました。クシェットは、毛布の備え付けがなかった…。

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2000年10月27日(金)

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 翌朝、フォッジアを過ぎると、ちょうど朝日が昇る…。
 沿線の佇まいは、やはり北とははっきり異なる。これは前回も感じた事。

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 バーリ到着。3分延だったら、FSとしては上々?
 改めてICN765列車の全体はこんな感じ。こんな長いんです。落書きが何とも残念…。この後の夜行もだけれど、この頃のFSの夜行は、一昔前の日本の夜行急行をほうふつさせる気がするのだが、オールドファンの方々、いかがでしょう。

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 FSのバーリ駅。オレンジの壁が印象的です。

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 こちらが、マテラに行く私鉄、FAL(Ferrovie Appulo Lucane)のバーリ駅。
 マテラまで、片道9300ITL(≒465円)。往復買って乗ります。バーリ近郊区間は本数が多いようだが、マテラまでの本数は少なく、1~2時間に1本程度。次は9時42分発。
 どの車も落書きが汚く、番号がとても読みづらい。

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 沿線はこんな感じ。農村地帯だが、南部らしく?どこか乾いて見えます。列車は各駅停車のはずだが、駅は少ない。時々現れる集落は全体的に白っぽい。

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 マテラ中央駅。実は「マテラ」の文字につられ、手前のVilla longo駅で降りてしまいました。「サッシ」と呼ばれる洞窟住居群はもっと先だったらしい。それでも20分歩いてたどり着く事は出来ましたが。
「サッシ」の最寄は中央駅、 実は地下ホームです。

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 これが向かいの丘から見た、「サッシ」の全景です。異様と言えば異様。
 しかし「洞窟」という位なのでもう少し暗いイメージも抱いてはいたのだが、快晴だった事もあって、思いの外明るく感じられました。白い!
 日本人の団体がいた。

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「サッシ」の内部は、こんな感じ。

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 マテラの大聖堂。

 マテラと言っても街全体が「サッシ」なのではなく、中心部は普通の近代的な街に見えました。車が多くて渋滞気味。
 午後の列車でバーリへ戻ります。新型(一番上の画像)DCでした。

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 バーリから、前回も行ったアルベロベッロを、再び訪れてみました。

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 アルベロベッロの住居、円錐形のとんがり屋根が印象的な「トゥルッリ」。
 もちろんここにも日本人の団体が。となれば土産物店もかなり日本人をアテにしているようで、「お気軽にお立ち寄りください」と日本語で書いてあったり、子供に日本語を仕込んで?いたりする程。
 マテラに比べると遥かに田舎だが、それでも夕方になれば、そぞろ歩きを楽しむ人々が多かった。

 暗くなって、私はバーリに戻ります。単行のDCの車内は、乗客は割と多い。ほとんどがおじいちゃんおばあちゃんではあったが。窓の外は光が少なく、ほとんど真っ暗でした。

 駅前のホテルに泊まる。前回も泊まった所なのだが、5年の間に改装されてきれいになっていました。
 明日は南部の海岸線沿いを走って、それから一気にローマを目指します。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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 明日の晩、本体の更新を行います。九州産交バスの画像を再公開します。

《今日のニュースから》
 6日 カンボジア・メコン川に「ネアンルック橋」開通 ホーチミン~バンコク間陸上路が完成  
 7日 大阪府吹田市立千里丘北小学校開校 29年振りの新規市立小学校