№1340 思い出の海外旅行クロニクル 16.2000年イタリア 7

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 今回のイタリア旅行は南部の周遊が中心になったが、最終日はアルプスに近い北部のコモを訪ね、ミラノの「大手私鉄」に乗った後、ETRのECでチューリヒに向かい、イタリアとはお別れ。
 最後はスイス航空便で帰国の途に就き、旅も終わりです。

2000年11月5日(日)

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 改めて、FSのコモ駅。

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 コモ湖。釣りを楽しむ人々が多かった。

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 コモ大聖堂。

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 高台にケーブルカーが通じています。往復7,200ITL(≒350円)だが、事前にYHで購入した乗車券は5,000ITL(≒240)。日中は15分毎。
 コモ駅は地下。湖を見下ろしながら登っていくと、コモの町は見事に茶色の屋根で埋まっている。
 展望台は駅のすぐそばではなく、結構歩かされる(日曜日はバスがある)。
 しかし、その甲斐はありました。

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 アルプスが凄い!青空にそびえたつ、要塞のよう!
 日本アルプスも凄いが、こんなの日本では見られないですよ!
(望遠を使って撮っています)

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 ミラノ~コモ間はFSの他、私鉄の北ミラノ鉄道(Ferrovie Nord Milano)も別ルートで路線があります。ミラノまで乗りました。北ミラノ鉄道のコモ・ラゴ駅。

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 コモ・ラゴ駅に並ぶ、新型ダブルデッカー近郊電車。

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 サロンノ駅。ここは大ターミナルで、コモの他、マジョーレ湖畔のラヴェーロ、そしてノヴァーラ&マルペンサ空港への路線が分岐し、3複線+ミラノ行折返し列車用ホームも加えて、8番線まであります。

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 改めて、新型ダブルデッカー近郊電車。といっても、FSのそれと全く同タイプで色違い程度だと思います。当時はこういう配色でした。

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「マルペンサエクスプレス」。この10年後、現在からだと5年前の2010(H22)年11月、フランスからの帰りの途上で乗車、№390で書きました。

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 ダブルデッカー車。これもFS車に近い形態だと思います。

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 オーソドックスな近郊電車。この落書き、もう言葉がありません。

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 せっかくの旧型電車も、この有様…。

 ターミナルのミラノ北駅は、駅舎が改装され、表示類も新しいものになっていました。「マルペンサエクスプレス」開通に合わせたのでしょう。

 午後はランブレーテ駅へ移動し、FSの列車を撮りました。次回ご覧頂きます。

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 チューリヒ行CIS152列車。ETR470。いよいよイタリアとお別れです。
 当時のETR470はイタリアとスイスの合弁会社が運行、そのため、FSのマークがありません。

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 ETR470の車内。イタリアでは高速列車も向かい合わせのボックスシート。この辺が日本と大きく異なる所だと思います。

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 ミラノ発17時55分。7番線から出発の直前。

 もうこの時間では、せっかくの絶景を楽しむ事はできません。暗闇の中を疾走して行きます。キアッソからスイスになり、振子機能が本領を発揮してきたよう。腰の下がフワッとした感じがしました。

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 となれば楽しみは食堂車。予約制。
 ホリイさんという日本人と相席になりました。大学の助手で、前の月からチューリヒに住み、この日はミラノまで1泊2日でパーティに行った、その帰りだそう。イタリア語が堪能だった。

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 食堂車のメニュー。

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 前菜のパスタ。その前にシャンパンが振舞われるが、これはサービスなのだそう。初めて飲んだけれど、ノドが熱い!

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 メイン。肉か魚の選択で、魚にしました。
 食べている最中にゴタルド越えにかかっているようだが、何も見えず。しかし、ホリイさんが「外は雪だ」と言っていた。どこかの駅を通過すると、本当に雪が積もっていました。

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 〆のケーキ。
 定食49,500ITLにコーラとカプチーノ、合計57,500ITL(≒2,800円)。前にも書いたが、食堂車だけはケチりたくない。旅の最後の特急だったらなおさらです。

 この列車の途中の停車駅はキアッソ・ルガノ・ベリンツォーナと、スイスのイタリア語圏内だけ。
 やがてビルの明かりがまばゆく感じられる頃、車内が慌ただしくなります。

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 定刻にチューリヒ到着。やはりどこかホッとする感覚がありました。さすがに雪はない。

 駅近くのホテルに投宿。この旅の最後の夜です。

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2000年11月 6日(月)

 残念ながらチューリヒは曇り空。晴れだったら、例によってクローテン空港で旅客機を撮りたかったのだけれど。TVニュースを見たら、イギリスはそれどころではなくて、洪水の被害が起きているよう。欧州は全体的に天気が悪いようでした。

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 チューリヒの市電。

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 それでもクローテン空港では、チェックインを済ませた後、時間まで展望デッキで旅客機を眺めていました。入場料2SFR(≒125円)。手荷物検査も相変わらず。外は寒かった…。

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 成田行スイス航空SR168便。MD-11。

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 当時のスイス航空はJALとコードシェアを行っていて(JAL機材のチューリヒ乗り入れはなくなっていた)、JL454のナンバーもついていました(私はJAL便名での搭乗)。搭乗口にはJALのスタッフの姿もありました。
 ゲートを入るとすぐに新聞が入った柵があるが、全部現地のもの。日本語の新聞は機内にあったが、見出しには、ギリシャで日本人観光客の団体が乗ったバスがジャックされたとかデカデカ記されていてビックリ。現地4日の話らしいが、ホテルのTVニュースでは見なかったけれどなあ。

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 ほぼ定刻に出発し、離陸。
 すぐに左旋回し、空港を見下ろす。森と畑と田舎町がどこまでも続くが、どこかの湖を見た所で雲海に入り、結局この後欧州では下界を見る事はありませんでした。

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 キャビンの様子。全体的に、空いていました。

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 オツマミ。

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 離陸後の食事。洋食は七面鳥。サラダが結構ボリュームありました。

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 NHKニュースの放送がありました(日本時間5日朝7時のもの)。ギリシャのバスジャック事件が発生から8時間ぶりに解決、全員解放されたとの事。やはり注目する客は多く、プログラムが始まると皆いそいそとヘッドホンを耳にしていました。
 下界はひたすら雲が広がるが、上空はだんだん陽が暮れてきました。

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2000年11月 7日(火)

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 翌朝。東の空の彼方から、朝日が昇る。

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 到着前の食事。特にクロワッサンがおいしかった。以前のKLM便でも感じたが、欧州のキャリアでは、2回目の食事は軽目のメニューになりつつあるようでした。

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 日本に帰ってきました。新潟東港。

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 遠くに猪苗代湖。紅葉に染まる山々が連なる。
 しかし、白河と思われるあたりで雲が広がり、こちらもこの先成田着陸直前まで、下界は見えないままでした。

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 成田着陸。成田も雨だ…。

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 定刻より10分遅れて、成田到着。当時は第2ターミナル発着で、同じく第2だったANAのB747-400と並びました。

 スイス航空は翌2001(H13)年に経営が破綻、子会社のルクスエアが後を継ぐ形をとり、スイス・インターナショナル・エアラインズとなりました。さらにルフトハンザの傘下に入り、スター・アライアンスに加盟して、現在ではANAとジョイントベンチャーを行っています。機材はMD-11からA340-300に交代しています。

 今回はヘマもなく、無事に帰って来れました。
 次回最終回ではいつもの通り、イタリア鉄道の列車やローマ・テルミニ駅、ミラノ中央駅、それに一般の路線バスの画像などをご覧頂いた上で、イタリアの鉄道の印象や、イタリア自体のパーソナルデータを記して、完結です。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

 明日は本体の更新を行います。熊本市営バスの画像を再公開します。先月を持って事業を終了しているため、「アーカイヴ」に移動し、同時にレトロバスや旧塗装復刻車などの追加も行います。合わせて荒尾市営バスと、札幌市営バス・函館市営バスの画像も再公開します。

 ANAが「スター・ウォーズ」デザイン機の就航を発表しました。5年間に渡って展開される「STAR WARS プロジェクト」の一環で、B787-9にR2-D2のデザインを施し、秋から国際線に就航するとの事。B787-9は今の所国際線では、ミュンヘン線・ジャカルタ線の就航は発表になっているが、アメリカ路線は今の所発表がありません。どこかの路線(シアトル?サンノゼ?他?)を飛ぶ事になるのでしょうか。

《今日のニュースから》
16日 SNS犯罪被害の子供 1421人 過去最多
17日 安倍首相・翁長沖縄県知事 普天間基地巡り初会談

 愛川欣也さんがお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。

№1339 思い出の海外旅行クロニクル 16.2000年イタリア 6

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 イタリア南部、コートダジュールに面したフランスとの国境の街・ヴェンチミリアからは、山岳部を走るローカル路線があります。
 途中一部区間は国境をまたいで、フランス領にも入ります。
 この路線、過去には宮脇俊三さんや長真弓さんが著書で取り上げていて、私も乗ってみたいと、前回のイタリア行の時もプランには組み込んでいたのだが、あの時はジェノヴァでの寝坊もたたって、結局乗れずじまいで終わってしまっていました。
 今回はチビタベッキア着後、ジェノヴァ経由でヴェンチミリアに入り、翌日早朝の列車に備えました。

2000年11月 3日(金)

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 翌朝、デッキに上がると大海原。東の方が明るくなってはきたが、行く手には雲が広がってきたよう。
 セルフレストランで朝食、ではあるが、他には誰も客がいない。係もヒマそうでオシャベリばかり、あまり仕事をする気がなさそうに見えて仕方がなかった。実際仕事がないのだが。

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 14時間30分の公開で、チビタベッキアに戻ってきました。2日前にゴルフォアランチへ発った時は真っ暗だったから解らなかったが、工場や石油タンクが目立ち、工業の街でもあるようです。

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 改めて、チビタベッキア駅。
 ここからジェノヴァ行ICに乗車。北を目指します。

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 この列車にはカフェテリアが連結されています。ユニークなレイアウト。
 カプチーノとケーキで4,500ITL、なのだが、小銭がないとかで、10,000ITL札を渡したのに、5,200ITLしか返してくれない。確かに15円程度しか違わないけれど、ヒドイ話…。

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 車窓で展開される海は荒々しい。完全な曇り空だし、風が強そうだ。
 途中工事のため反対側の線路に転線して走り、リヴォルノでは7分の遅れになった。これは欧州全体でよくある話。
 途中のピサは、車内から駅の外を見た限りでは、どうってことない普通の地方都市と映りました。

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 ジェノヴァ・プリンシペ駅。

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 駅前には、トロリーバスが入ります。
 ローカル列車でヴェンチミリアを目指します。この列車はブリニョーレ駅が始発。

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 また海岸スレスレを走る。波の飛沫列車にかかりそうだ。

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 そんな中、アルベンカの先、海に小島がポッカリ浮かんでいるのが見えました。ガッリナーラ島。てっぺんには白も見えました。
 アルベンカから先は単線。やがてまた大粒の雨が降り出し、屋根を叩きつける音が結構大きい。すぐ止んだが、この日の北部の天候は、相当不安定でした。

 リゾートのサンレモを過ぎて、ジェノヴァから約3時間30分でヴェンチミリア着。フランスの新型ダブルデッカー電車がいました。

 駅から5分後に、ホテルを見つけて投宿。宿泊料80,000ITL(≒3,900円)、小ぢんまりしているが、割と新しくて上々。イタリアのホテルでは、パスポートを提示すれば、宿泊カードは署名だけすれば良い所が大半のようでした。

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 夕食は、駅のカフェテリア。バーやタバッキ、売店と一体になって、きれいに改装されています。
 しばらく列車を見ていた。20時過ぎ、パリ行の夜行が出発して行きました。変わって入ってきたカンヌからの電車は、TGVの流れを汲むデザインでした。

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2000年11月 4日(土)

 翌朝、日の出を見たくて、早起きして海岸へ。上空は前日の荒天がウソのように快晴、星が美しい。東の方がオレンジ色になってきました。

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 その東の空がジリジリとオレンジ色に染まっていきます。
 7時過ぎ、朝日が昇る。感動的光景でした。素晴らしいヴェンチミリアの一夜となったと思います。

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 ヴェンチミリア駅。
 8時07分発のクーネオ行に乗車。DC2連。カラーが新旧混在。
 グングン高度を上げて行きます。トンネルが連続するが、私が乗車した2両目は明かりがつかない。真っ暗で何も見えなくなります(先頭車はついているようだが)。

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 どこの集落だったっけ?ドゥーモが印象的。

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 そして、国境を越えてフランスのブレイユ・シュル・ロワイヤ駅に到着。ニースからのSNCF路線と合流します。
 当然と言えば当然、ではあるが、各種表記は皆フランス語。フランスの鉄道警察もいる。
 駅付近の雰囲気は、イタリアと変わらないと思いました。

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 しかしさらに高度を上げると、山の中腹にゴルジュ・ド・サルジュの集落を見る。すごい所だ。

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 フォンタン・サルジュ駅で反対列車を待つ。晴れているけれど陽が差さない山の中の無人駅で、車外へ出ると寒くて、吐く息が白い。
 やはりフランス区間は、イタリアとは信号システムが異なっていました。

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 さらにこの先、再びイタリア領に戻るまでに、ループ線を3回もクリアしなければなりません。頭上には、これから走るアーチ橋。

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 そして、今走ってきたアーチ橋。
 ループ1周は約3分。高低差は50m、という所だろうか。

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 山の中腹にへばりつくように、テンダの町があります。白っぽい感じがしました。

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 フランス領内では最後の駅、ヴィエボラ。あたりには人家が全くないし、駅も無人、なのだが、窓には洗濯物が干されていて、誰かが住んでいるのは間違いない。 駅にはSNCFのマークが見られます。この区間はFSの飛び地に思えるが、あくまでフランス領内はSFCF所有の路線という事か。

 この後長大トンネルを越えてイタリア領に戻り、リモーヌからは電化区間。スキーリゾート?国境を越えてきたからか、停車中に鉄道警察官が乗り込み、パスポートを提出させられました。
 この先もループ線が現れ、今度はどんどん下って行きました。

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 ヴェンチミリアから2時間、ループ線をいくつもクリアして、着きました、クーネオ。厳かな駅です。
 遠くに白い山々、アルプスの香りがプンプン。

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 トリノ行ローカルの左手にはアルプスの山々。ひときわ高い鋭鋒は、標高3,844mのモンテ・ヴィーゾ山。

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 サヴィリアーノにはアルストムの工場があるらしく、構内にはスロベニアのマークを描いた、白と水色の車両が見られた。他にも車体の鋼体がいくつか見られたし、ETRはここで生産されるのか。

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 トリノ・ポルタ・ヌォーヴァ駅に到着。隣はダブルデッカーの近郊電車。

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 カステッロ広場。背後は王宮。

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 翌年の通貨流通を間近に控え、広場ではユーロのイベントが行われていました。10,000ITLまたは20,000ITLを、ユーロのコインがデザインされた紙製のトークンと引き換え、それをさらに物品に引き換えるシステム。10,000ITLは5.17€に相当し、帰国が近いので、これで日本に帰ってからのみやげに引き換えました。

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 ユーロの交換レート表。表はITLがユーロではいくらに交換されるのかを記しています。裏面は、新しく流通する高架・紙幣はITLではいくらに相当するのかを記しています。
 この日の時点では、1ITL≒0.048円なので、1€≒93円程度、となります(もちろん実際はこんなに単純ではない)。「夢と希望の統一通貨」、とこの時点ではもてはやされていたのですが…。
(今日21時の時点では、1€≒126円)

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 トリノにも市電が走っています。今回はどの都市も、市電に乗る機会がほとんどありませんでした。

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 改めて、トリノ・ポルタ・ヌォーヴァ駅。ここからローカルでミラノへ。

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 農村地帯を130㎞/hで改装。当然ではあるが、南部とはまるっきり車窓が違う…。

 この日はミラノのさらに北、スイス国境に近いコモに泊まります。

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 コモへ行く列車は、ICなどは中央駅からだが、ローカル列車はガリバルディ駅から出発します。もう暗くなって車窓は楽しめないままコモに到着。
 駅から徒歩15分のYHに投宿。外は割と騒々しいが、中は静かで暖かでした。
 これが、イタリア国内では最後の宿泊になります。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

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《今日見た・聞いた・思った事》
「アシアナ機」+「異常な低空で進入」、と聞くと、多くの人は一昨年のサンフランシスコ事故を連想するかと思います。今回の広島はサンフランシスコと違って高台にあるし、夜だった上に気象条件も悪く、霧も出ていたとかで、少し違う要因もあるのかも知れません。
 ただ、詳しい事は専門家に任せるとして、あくまで私個人の感想からすると、いくら突然の悪天候とはいえ、滑走路手前のILSを破壊するようだと、明らかに高度が低すぎたのではないか、サンフランシスコと同様、着陸進入時のコックピット・クルー間のモニターができていなかったのではないかと感じます。アシアナ航空は1993(H5)年にも木浦で国内線のB737が着陸に失敗し、大事故になっているが、あの時も悪天候の中、クルー間の意思の疎通が十分にできていなかった事が原因の一つとされているようです(空港の管制にも問題があったようだが)。どうもアシアナ航空は、コックピット内部におけるクルーの意思疎通が十分にできない傾向があるのではないか、という気がしています。韓国特有の事情でしょうか?いずれにしろ、FDFR・CVRの解析など、早い原因の究明が待たれます。
 ちなみに広島では通常西側(R/W10)から着陸するとの事。私は過去5回広島空港に着陸した経験があるが、4回はR/W10でした。1回だけ、今回のアシアナ機と同様の東側(R/W28)に着陸した事があるが、あの時は昼間で快晴でした。
 韓国の朝6時のニュースをBSで見たけれど、トップニュースが資源開発事業の不正疑惑で、広島の事故は2番目でした。人的被害がなかったとはいえ、扱いが軽いとも思った。日本だったら、何を差し置いても事故がトップになる所だと思うが。

《今日のニュースから》
14日 産経新聞前ソウル支局長 出国禁止措置解除で帰国
15日 聖マリアンナ医大 医師・指導医20人の指定を取り消し 厚生労働省

№1338 思い出の海外旅行クロニクル 16.2000年イタリア 5

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 イタリアで鉄道が走る島はシチリア島の他、ティレニア海に浮かぶサルディーニャ島があります。シチリア島よりは小さいが、それでも四国よりは大きな島です。本土から遠いのでさすがに列車の航送は行われないが、それでも本土と同じFSの路線があります。シチリアからローマ経由で初めて訪れました。

2000年11月 1日(水)

 この日は「諸聖人の祝日」。ホテルの宿泊代80,000ITL(≒3900円)を100,000ITLで払おうとしたら祝日で銀行が閉まっているからお釣りがなく、クレジットカードもダメ、だって。娘らしい女性が電話で呼び出され、ねぼけまなこで自分の財布から20,000ITLを取り出しました。

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 パレルモ駅。祝日の早朝ではあるが車の往来は少なくないし、市内バスも走っている。

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 IC726列車。6時58分発と早い。何とローマ経由のフィレンツェ行。当時のイタリアには、このような長距離列車が少なくありませんでした。パレルモ出発時点では1等1両+2等4両で、食堂車は連結されていない。

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 発車前のホーム。別れの光景が繰り広げられています。
 帝国に出発しました。取りあえずは、若い兄さんと同じ2等コンパートに収まります。

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 海岸線を快走。海の向こうに見えるのはリパリ諸島でしょうか。
 車内販売が廻ってくるので、朝食としてハムのサンドイッチとカプチーノを買って食べる。

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 メッシーナに着きました。フェリーに乗り込みます。ノッソリノッソリ。

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 甲板に上がって振り返れば、メッシーナの街が明るく見えます。風がとても気持ちいい。

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 メッシーナに向かう連絡船とすれ違う。

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 と、早くもヴィラ・サンジョバンニ。街中を貨物列車が走るのも見えました。出航から30分もかからずに到着。
 上陸後、シラクーサ始発編成に加えてレッジョ・デ・カラブリア始発の車両も加え、13両の長大編成になりました。
 コンパートは禁煙のはずなのに、同室のお兄さん達が皆、お構いなしにタバコプカプカ。耐えられず、オープンタイプの車両に引っ越しました。

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 グングンスピードを上げる。海は信じられない位美しいエメラルドグリーン。

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 食堂車はシラクーサ始発編成に連結されていました。昼飯時に訪問。きちんとセッティングされたテーブルは気持ちいいが、出入り口の自動ドアが自動モードにセットされておらず、連結面からの騒音が直接入ってきてやかましいのが残念。

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 定食を注文します。前菜はパスタ。

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 メインはステーキと、ナス、だったっけ?

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 食後のケーキとコーヒー。いろいろ飲み食いして、パレルモで作ったITLが底をついてしまったが(クレジットカードは使えなかった)、やはり食堂車はケチりたくない!

 シチリア島は快晴だったのに、本土に渡ってパレルモを過ぎたら、突然ザンザ降り。通り雨。

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 所々新線に切り替わった所があって、チェトラーロ付近では、旧線のアーチ橋も見かけました。

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 ベスビオ山。何度も見てきたが、今回はこれで見納め。
 ローマ・テルミニは4分の遅れで到着。でも、FSも前回に比べたら、定刻に近い時間で走れるようになったようです。

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 サルディーニャへ行く連絡船は、ローマの北、チビタベッキアから出航します。チビタベッキア行近郊電車は新型ダブルデッカー。

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 その車内。デッキは低床になっていて、車端の平屋部分も階段で上がります。

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 船のターミナルは駅から離れていて、繁華街の中を20分ほど歩いた所。切符売場はすぐに見つかった。

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 ゴルフォアランチ行の連絡船の乗車券。37,400ITL(≒1,800円)。港の税金1,200ITLが含まれているようだ。
 さすがにFSの連絡船で、中にはトラックに混じって、貨車の姿も見られました。

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 港には、同じゴルフォアランチへ行くサルディーニャフェリーや、オルビアへ行くティレニアのフェリーも見られます。

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 出航。街の明かりはどんどん遠ざかり、一方行く手には何も、本当に何も見えない!ひたすら暗黒の世界が広がるのみです。

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 何の事は無い、キャビンはガラガラ。少々寒いか?
 夕食を食べたいと思ったけれど、セルフレストランは閉店、バールもコーヒーは作れず、ナシのジュースとクロワッサンを買う。これが夕食かよ?

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2000年11月 2日(木)


 夜中に一度目が覚めて、甲板に出たら、星空が素晴らしく美しい。他には何一つ見えない!

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 5時前になって、行く手にゴルフォアランチの街の明かりが見えてきた。
 5時27分入港。23時に出港し、6時間30分の船旅でした。

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 夜が明けて、明るくなってきたゴルフォアランチ港。トレーラーが出て行きます。

 ここからサルディーニャ島の鉄道の旅が始まるが、街自体は田舎だ。

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 港から徒歩3分程の駅の付近は7時過ぎというのに人影がなく、車もほとんど走らない。風の音がするだけ。
 オルビア行はDC2連。本土と同じタイプ。

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 海岸線沿いの路線を行く。停車駅はどこも廃屋化した駅舎があるだけで、駅名票すらない。空模様もさえず、わびしい。

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 白い岩山の間を走って行くと、やがて船が見えてきて、街らしくなってきました。

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 オルビアは、サルディーニャ島北部では最大の街。右手にいる客車列車のカリアリ行に乗り換え。駅付近の様子を伺う時間は、ありませんでした。
 ローカル列車だというのに、警察官が同乗していました。前の方にはそれなりに乗客がいたようだが、最後部は私一人。

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 曇り空だったのが、南部はだんだん晴れてきました。最後部から見ると、線路が平原を一直線に突っ切っていきます。

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 沿線には所々廃墟が見られます。

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 トッラルバで行き違いがあったが、本来は両方とも通過だったと思う。本来通過のはずのこちらが運転停車で、ポルトトーレス行DC3連が猛スピードで通過して行きました。

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 ボノルヴァの街の建物の屋根は、見事に皆オレンジ色。二重スパイラルでどんどん高度を上げていきます。

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 マコメール近郊。平地まで下ってくると、石積みの柵で土地を仕切っているのを見かけます。サルディーニャでは普通に見かける光景のようです。

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 カリアリが近づくと平野を快走。トンガリ頭の山を見ます。

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 山間部を走ってきたけれど、平野部は直線が長い。10㎞以上は続いていた。
 途中チョコチョコ遅れが増幅して、カリアリは48分の遅れで到着。さすがに島だと本土のようなわけにはいかないか?

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 カリアリ駅。

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 駅構内には、SLが静態保存されていました。

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 帰りはここからフェリーでチビタベッキアに戻ります。FSの連絡船ではなく、ティレニア社の運航です。アルボレア号。

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 ターミナルは駅前。今回の旅で唯一の乗り物の連泊になるこのフェリーでは、寝台をおごってみました。114,000ITL(≒5,500円 税5,600ITLを含む)。

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 カリアリにはトロリーバスが走っていました。
 北部は天気が良くなかったが、南部は快晴になって、そのおかげか町はとても明るく感じられました。中心部を歩いている訳ではないから軽々しくは言えないが、ナポリやパレルモと比べたら落ち着いた雰囲気だと感じました。

 フェリーの出航は18時ちょうど。イグレシアスまでローカル線で往復する時間はあります。

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 田園地帯を長い直線で突っ切っていきます。

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 イグレシアス駅。行き止まりの駅。駅は小ぶりだが、街自体は都会的。

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 帰りの列車はヴィラマッサルジャで、カルボニアからの列車に乗り換え。
 サルディーニャ島のFSは、本土と同じ車両が使われているが、落書きは少ないと思いました。なお、カリアリ近郊では電化工事が行われていました。他者様のWebサイトによれば、一部はLRTに転換された模様。また、サルディーニャ島にもローカル私鉄がいくつかあるらしいので、機会があれば数日使って訪れても面白いかも知れません。

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 今回はそれだけの日数は作れず、わずか1日で慌ただしくお別れ、になってしまいました。18時出発のフェリーから、出発前にカリアリの街を見下ろします。

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 キャビン。

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 セルフレストラン。

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 すっかり暗くなった18時過ぎ、乗り遅れそうになった夫婦らしき男女を待って、やや遅れて出航。
 30分程過ぎると、街の明かりはすっかり遠ざかり、西の空も色を失って、真っ暗になりました。海上に出ても、意外に風が弱い。
 セルフレストランで夕食を済ませ、共同のシャワーも浴びて、今日はベッドでお休みです。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

 仙石線で不通区間の試運転が始まりました。このまま何事もなく5月30日が迎えられるように。

《今日のニュースから》
12日 ヒラリー・クリントン前国務長官 米大統領選挙出馬を表明
13日 福島第一原発格納容器内部 ロボット撮影映像初公開