「バス・グラフィック」Vol.23が先日発売になりました。
表紙が都営「美濃部カラー」のBU06D、真上に「モノコックバス179台掲載!」と高らかに謳っていて、また元の傾向に戻ってきたようです。
全国モノコックバス名鑑
一挙41ページの大特集。
いすゞ・日野・三菱ふそう・日産ディーゼルとメーカーごとに分けて、「1980年代撮影」とあるが、末期の1960年代(一番古いのが1969(S44)年)~1980年代前半のモノコック終了までを、ほぼ時系列的に網羅。
純正ボディをメインに、異色の車体(いすゞだったら+富士・北村という感じ)を並べるスタイル。
今回は別連載で取り上げている北海道・九州は原則的に外してあるが(北海道は夕張鉄道がある)、ともかくこれだけのモノコック車を、しかも全てカラーで取り上げられている事に、まずは素直に感動。
実際に見た事、乗った事がある車両も少なくないが、この時点でも既に経年化された車両も多く、こんな車が走っていたんだ、という新鮮な発見もありました。
並びが時系列なので、車体ももちろんだが、正面の行先方向幕の大型化や冷房化など、後のスケルトンボディで花開く新サービスが始まりつつあった事も理解できます。ここにはなかったが神奈中バスの冷房車で、夏のシーズンになるとペンギンマークがついていた時期があったのだが、京都市営(白クマ)や旧国鉄の京都(ペンギン)でも見られたりして、考える事は同じだなあとか思った。
また、車両の行先表示や背景の地名にも今はないものがあって、成田駅前で千葉交通の「甚兵衛渡し」行とか、国鉄バス乗場に「松尾」の2文字があったり、東急バスの「高速道経由」の系統番号板とか、この点に注目しても楽しめるのではないかと思います。
数点あげるとしたら、「ジェイアールバス四国」(BA05)は、撮影当時はまだ旅客鉄道の運営なので、社名は「四国旅客鉄道」が正しいのではないかと思われた事。それと三菱ふそうではB800系があったらと思った。車体はMRと同じだが、ズーンと響く加速音とか、アイドリング音に特徴がありました。関東でも神奈中や京急(横浜~羽田空港間)でも走っていたものです。
それにしても、しつこく書くけれど、あと10年早く生まれていたら、と改めて思います。バスそのもののバラエティもあるし、この頃だと、路線網も便数も今とは比べ物にならなかったはずで、後半の九州青春バス紀行(第8回)もそうだが、撮影者の鎌田実さんがうらやましい。
バス停で防災 今回は、他バス趣味誌にはない切り口の記事2本が目を惹きました。
「防災」を抜きにしてもバス停名には私もある程度は関心があり、当ブログスタート直後の№25では、東急バスの「新羽営業所庚申堀」のバス停名の由来はどこから?と調べた事もありました。残念ながらいまだ解らずじまいのままなのだが。
これを「防災」の目線で見ると、「堀」の文字はリストにはなかったが、新羽営業所近辺には「貝塚」「中之窪町」「吉田新田」「狭間谷戸」があり、営業所近辺は軟弱という事?
一方で現在私の現住所近くを走るバス路線は、「戸塚」駅を発着し、バス停名が「根」「岡」と並ぶので、ここは良好な地盤なのかとか思ったりもしました。
古いバス停名を残す視点で見ると、ネコ・パブリッシングがある目黒の近くの、「清水」というバス停名の由来はどうなのだろう。目黒営業所に隣接しているが、現在清水という地名は存在しない。清水池公園という公園はあるが。
(目黒営業所の現住所は、目黒本町1丁目)。
にもかかわらず、東急バスはバス停名を変えていません。入庫便も行先は「清水」です。多分地名は住居表示導入時に消えたのだろうと思うが、先の「新羽営業所庚申堀」同様、東急バス側に名前を残したいという意思があったのではないだろうか。
(青葉台営業所を新設した時は、隣接するバス停の名前を変えた。横浜市営・神奈中と共同だったのに)
バス停というか地名そのものにかかわるものとして、関東南部から中部地方にかけては「一色」の地名が多いが、これも興味深い地名だと、前から思っています。リストにはないが、年貢を納めるための田地を「一色田」と呼んだのを由来とする説があり、とすれば軟弱地盤、なのだろうか?山梨県の旧上九一色村は富士山麓だから違うだろうとは思うが。
「バス停は昔の通称地名が多く残る」という説で、清水もその例だろうが、新しく公共施設とか、ショッピングセンター的なものができると逆にあっさり変わってしまう事も少なくなく、鉄道の駅と違って一度改称されると過去のデータがほぼ残らなくなるので、興味がある人は、事業者から無償配布される路線図などを常日頃からコレクションとして残しておく事も大事でしょう。
多摩動物公園のライオンバス 確か子供の頃に乗ったような気がするのだが、具体的なディティールは、はっきり忘れてしまいました。
まず、運行が京王電鉄バスに委託されているとは意外だった。それもスタートから既にそうなっていた(当時は京王帝都電鉄)とは。てっきり動物園のスタッフが運転しているものだと思っていたのだが。ライオンの動向も注視しなけらばならないし。
ライオンがそのまま解き放たれているエリアに進入するだけあって、車両そのものも、オペレーションも、異常事対策も、一般のバスとはまるっきり違っている。幸い、走行中の故障とかの緊急事態は、少なくとも私は聞いた事は無いが、それも入念な対策のたまものでありましょう。
馬肉で釣るのか。
こういう、特殊な施設を走る特殊なバスの運行は、他のバス趣味誌ではほぼ取り上げられないので、今後も各地から発掘して頂けると嬉しいです。
渋谷駅 西口メモリー 巻末折込ポスターまであって、力が入っていました。前にも書いたが、「東急プラザ」自体は他にもあり、戸塚も再開発でオープンしてまだ間がないが、やはり東急の総本山の渋谷が閉まるというのが、東横線の駅が消えるのと同じ位の一大インパクトがあるというという事でしょう。思えば西口のバスターミナルは、東京でも有数のバス発着場でありながら、屋根がない乗場がほとんどでした。どの路線も便数がとても多いので、古いものが消えるのは寂しいけれど、再開発を機に利便性が向上した新ターミナルが造られる事が期待されます。これは東口も同じ。
この他、「南房総 バスで見つけた春」「昭和浪漫の終止符」「おもしろバス路線漫遊記(ちばフラワーバス)」「小田急思い出のボンネットバス」など。
今号は先のモノコックも含め、日東交通の露出度が比較的大きかったような。
(現在の館山は館山日東バスだが)
渋谷、そして大塚と、東京は変化がまだ足りないのだろうか。
裏表紙が「どらなびEXPO2015」の広告で、最近他誌でも見られる「バスドライバーNavi」主催の就職イベントだそう。こんなイベントがあるのは正直やや驚きでした。昨今のバスドライバー不足が生み出したのは間違いないです。いいドライバーが集まると良いが、これも前にも書いたが、業界外の協力も得て、バス業界の社会的地位の向上が図られる事も必要でしょう。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
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《今日見た・聞いた・思った事》
東武の新特急車500系の2017(H29)年デビューが昨日発表になりました。
車体デザインを見て、名鉄2000系「ミュースカイ」+近鉄50000系「しまかぜ」÷2、と感じたのは私だけでしょうか?
車内のインテリアは、「和」のイメージを感じます。
運用方に関しては「ミュースカイ」に近くなりそうで、3連を適宜増解結する事で、多様な運行形態に対応するものになるとの事。支線区への直通を考慮しているのでしょう。
となるとこれは現在の100系「スペーシア」や200系を直接置き換えるものではなく、300・350系を置き換えた上で、新形態の列車の設定がありうるのでしょう。宇都宮線や佐野線だけでなく、例えば野田線から日光・鬼怒川方面への列車もありうるかもしれません。まだ少し先の話だが、全体のダイヤ形態(特に快速)も合わせてどのような変化が起きるか、注目です。
スカイマーク(SKY)が、インテグラルとANAホールディングの支援で再建を図る事となりました。昨日、基本合意書が締結され、来月29日には再生計画案が東京地裁に提出されます。
経済はオンチなのでお金の話はおくとして、共同運航の話もあるようだが、実際できるのか?SKY便にANA便名を付けるコードシェア、となろうが、既にSFJとコードシェアを行う羽田~福岡線、同じくADOとコードシェアを行う羽田~札幌線が、SKYともコードシェアとなると、共に54便中37便、全体の約7割がANAがらみになり、これでは独占禁止法に抵触する可能性大です。少なくとも羽田の枠の一部返上は必至で、ANAとしてはそこまでのメリットはあるのか?いずれにしろ再生計画案を見て判断されるだろうと思われます。
今年は京王競馬場線開業60周年、横浜市のこどもの国開園50周年、これを記念したラッピング電車の運行が、京王・東急から発表になりました。
今日は運輸安全委員会から報告書が多数発表になりました。一昨年のJR北海道〔北斗〕の発火や、去年のJR東日本京浜東北線川崎駅での作業用車両への衝突などが発表になっています。東急東横線元住吉駅の追突については、今回は出ませんでした。「報告書案審議中」となっているので、来月には、と思われます。
《今日のニュースから》
22日 日中首脳会談 戦略的互恵関係推進で一致
23日 ネット上仮想空間で高校生活 千葉市通信制高校サイバーコースで入学式
№1342 この列車の行先・終点はどんな場所 3.古河
JRの「上野東京ライン」が開通して1ヶ月が経ちました。
突然西武や東武の電車が走り出した2年前の東急東横線とは違い、東海道線も宇都宮・高崎線も同じ電車だし、既に湘南新宿ラインもあるからビジュアル的なインパクトは小さいが、それでも東海道線で言えば、3月13日まではほとんど全て東京行だったのがガラリ一変、一転してほとんど全てが宇都宮・高崎線への直通になり、行先表示には多くのお客さんが戸惑う事だろうと思います。
既に湘南新宿ラインで見られる行先もあるが、上野東京ラインでは新たに新前橋・深谷・黒磯・古河・上野の行先が見られるようになりました。今回はその中から古河を取り上げます。
上野東京ライン開通以降も全体の運行範囲は変わらず、東海道線側はJR東海・沼津までの乗り入れが引き続き9往復設定されています。伊豆半島の西側から、栃木県まで直通する列車が走ります。その中で、沼津7時00分発の1本は、栃木県に入る手前の古河が終点になります。古河行自体やや珍しいが、ましてJR東海区間の沼津や三島の方々には、この地名はどう映っているのでしょうか。「古河ってどこよ?」みたいな。
沼津7時00分発326M~1564Eは、前夜に到着した国府津センターのE233系(E231系と共通?)10連が滞泊し、翌日出庫するもので、沼津は御殿場線ホームの6番線から出発します。古河まで190.9㎞、全部乗り通すと3時間37分(土休日は3時間40分)かかります。
古河駅
古河市は、埼玉県・栃木県との県境が間近に迫る、茨城県の西の端です。2005(H7)年9月12日に旧古河市と旧総和町・旧三和町が合併して今の姿になりました。今年は合併からちょうど10年になります。
古河駅は、宇都宮線(東北本線)では唯一茨城県にあり、また古河市唯一の駅でもあります。
(東武日光線の新古河駅は、渡良瀬川を挟んで埼玉県加須市にある)
ここを終点とする列車の設定は比較的最近の事で、〔ホームライナー古河〕(今は廃止)ではあったものの、普通列車では2010(H22)年12月4日の、東北新幹線新青森開業時のダイヤ改正で初めて設定になりました。日中の古河~小金井間の輸送力調整を目的としていると思われます。
(始発はそれより前から、湘南新宿ライン大船行1本の設定があった)
古河行は、現行ダイヤでは1時間に1本、他に平日のみ夜間に1本、上野始発で設定があります。
快速・通勤快速全列車停車。
東口からはJRバス関東の東古河線があります。市の東端の大綱行、または駒羽根循環が20~30分毎に発着、平日のみ早朝の1本のみ松本まで走ります。
昔は南筑波線として、下妻経由で土浦まで路線がつながっていたが、松本から先が廃止になってかなり経ってしまいました。
また、茨城急行バスが八千代町役場まで路線があります。他の行先も合わせ、1時間に2~5本程度。
西口は、朝日自動車の境車庫までの路線があります。1時間に1本程度。
あとは古河市コミュニティバス「ぐるりん号」が東西両側に発着します。実質4コースあり、南コースの一部は埼玉県の栗橋駅まで入ります。
昔は東武バスが館林まで走っていたそうだが、ここもご多分に漏れず、ローカル路線の整理は急なようです。市内はまだいいが、鬼怒川より東の下妻市や結城市へ行く路線はなくなり、後は関鉄パープルバスが運転免許センター行の高速バスを運行するものの(期間限定のセンター開業日のみで、現在は運休期間に入っている)、茨城県目線で言うと、公共交通は他地域からはほぼ孤立した状態にあるとも言えます。他の市へ行こうとしたら、JR線でいったん小山へ出て、水戸線に乗り継がなければなりません。
古河駅は、1984(S59)年3月に連続立体交差が完成しました。2面4線の構造で、上下とも1日数回、快速と普通列車の相互接続があります。
古河折返し列車は、下りホームの1番線から逆線で出発します。古河始発は平日9本、土休日は6本あります。
高架下には、JRバスの車庫があります。JRバス関東の古河営業所は、元々は土浦支店配下の営業所で、一時は独立した支店となったものの、南筑波線廃線以降、佐野支店配下の営業所に再編されています。現在は東急バスあたりからのノンステップ車が主力の模様。
高架下の、改札内コンコース。
改札を出て右手、東口側にある観光案内書。
駅周辺の見どころは、主に西口側にあります。全部とはいかないが、いくつか並べてみました。
町の通りには、このような女の子が描かれた幟が目立ちます。「桃香」という、足利義家の娘をモチーフとした古河市文化協会のオリジナルマスコットキャラクター。
デザインしたのは古河市出身のアニメーター、浅野恭司氏。最近では「進撃の巨人」「PSYCHO-PASS」で知られています。
武蔵屋店舗。登録有形文化財だが、現役の食堂です。
古河宿の道標。
篆刻(てんこく)美術館。日本唯一の篆刻(印章の作成)の美術館だそうです。
古河街角美術館。市民創作活動の発表の場として利用されています。無料で入れます。訪れた時には、地元の日本画協会の「桃花展」が行われていました。昨年は先の浅野恭司氏の原画展が行われ、大変な盛況だったそうです。
直木賞作家・永井路子氏の旧宅。永井さんは東京の本郷で生まれた後、すぐに古河に転居、地元の学校に通った後執筆活動に入り、「炎環」で1964(S39)年の第52回直木賞を受賞しました。大河ドラマ「草燃える」「毛利元就」の原作者でもあります。先月末、めでたく90歳の誕生日を迎えられました。
内部も公開され、案内をしてくださる方もおられます。畳がいい匂いでした。著作もいくつか納められ、自由に読めます。先の震災で被災したが、翌年再開館したとの事。
さて、今回訪問した3月29日(日)、総合公園で「桃まつり」が開催されていました。このまつりがあったから、この時期の訪問となった訳で、さっそく出かけてみました。
総合公園へは、西口から茨城急行バスによる臨時バスが運行されています。土休日は20~45分間隔で運行されていました。
運賃大人180円。ICカードは不可。
(古河営業所自体、ICカードを導入していない)
とにかく公園内は、桃の花が満開!
どこをどう歩いても、ピンク色(一部の品種は白)の花が圧倒的。
曇り空になってしまったのだけが、残念ではありました。
古河の桃の由来について記された看板も。江戸時代初期、当時の藩主が子供たちに桃の種を拾い集めさせ、農民に育てさせたのが初めてだそう。
散策路の両側にも桃の木。
この手のまつりに、B級グルメはお約束。サイコロステーキと豚汁で昼食です。
メインステージではフラダンス。ラストは全パーティ勢揃い。
サブステージでは「モンキーパフォーマンス」。猿回し、ですな。
桃だけでなく、菜の花も満開。黄色と赤のコントラスト。晴れだったらもっと映えたと思います。
気球のイベントもありました。風の動向に左右されるようだったが。
最後に、公園の中心に位置する小高い丘「富士見塚」から見下ろす公園。
「富士見」という位だから、条件がそろえば富士山を見る事も出来るのでしょう。
いい時に来た、と思いました。
古河というと、バス撮影を目論んで降りた事はあったけれど、地味な町、というのが正直な印象でした。しかし、今回桃まつりに行ったり、駅近くの見どころを回ったりすると、実は実は、この町にもこんなにいいものがいっぱいあるんだな、と思わされました。
今後もこのシリーズでは、そんな「いいもの」を、列車の終着駅にたくさん探したいと思います。
沼津から古河ではさすがに遠いけれど。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日のニュースから》
20日 町村衆議院議長 辞任願を提出
21日 リニア中央新幹線 603㎞/h 鉄道世界最高速度を記録
突然西武や東武の電車が走り出した2年前の東急東横線とは違い、東海道線も宇都宮・高崎線も同じ電車だし、既に湘南新宿ラインもあるからビジュアル的なインパクトは小さいが、それでも東海道線で言えば、3月13日まではほとんど全て東京行だったのがガラリ一変、一転してほとんど全てが宇都宮・高崎線への直通になり、行先表示には多くのお客さんが戸惑う事だろうと思います。
既に湘南新宿ラインで見られる行先もあるが、上野東京ラインでは新たに新前橋・深谷・黒磯・古河・上野の行先が見られるようになりました。今回はその中から古河を取り上げます。
上野東京ライン開通以降も全体の運行範囲は変わらず、東海道線側はJR東海・沼津までの乗り入れが引き続き9往復設定されています。伊豆半島の西側から、栃木県まで直通する列車が走ります。その中で、沼津7時00分発の1本は、栃木県に入る手前の古河が終点になります。古河行自体やや珍しいが、ましてJR東海区間の沼津や三島の方々には、この地名はどう映っているのでしょうか。「古河ってどこよ?」みたいな。
沼津7時00分発326M~1564Eは、前夜に到着した国府津センターのE233系(E231系と共通?)10連が滞泊し、翌日出庫するもので、沼津は御殿場線ホームの6番線から出発します。古河まで190.9㎞、全部乗り通すと3時間37分(土休日は3時間40分)かかります。
古河駅
古河市は、埼玉県・栃木県との県境が間近に迫る、茨城県の西の端です。2005(H7)年9月12日に旧古河市と旧総和町・旧三和町が合併して今の姿になりました。今年は合併からちょうど10年になります。
古河駅は、宇都宮線(東北本線)では唯一茨城県にあり、また古河市唯一の駅でもあります。
(東武日光線の新古河駅は、渡良瀬川を挟んで埼玉県加須市にある)
ここを終点とする列車の設定は比較的最近の事で、〔ホームライナー古河〕(今は廃止)ではあったものの、普通列車では2010(H22)年12月4日の、東北新幹線新青森開業時のダイヤ改正で初めて設定になりました。日中の古河~小金井間の輸送力調整を目的としていると思われます。
(始発はそれより前から、湘南新宿ライン大船行1本の設定があった)
古河行は、現行ダイヤでは1時間に1本、他に平日のみ夜間に1本、上野始発で設定があります。
快速・通勤快速全列車停車。
東口からはJRバス関東の東古河線があります。市の東端の大綱行、または駒羽根循環が20~30分毎に発着、平日のみ早朝の1本のみ松本まで走ります。
昔は南筑波線として、下妻経由で土浦まで路線がつながっていたが、松本から先が廃止になってかなり経ってしまいました。
また、茨城急行バスが八千代町役場まで路線があります。他の行先も合わせ、1時間に2~5本程度。
西口は、朝日自動車の境車庫までの路線があります。1時間に1本程度。
あとは古河市コミュニティバス「ぐるりん号」が東西両側に発着します。実質4コースあり、南コースの一部は埼玉県の栗橋駅まで入ります。
昔は東武バスが館林まで走っていたそうだが、ここもご多分に漏れず、ローカル路線の整理は急なようです。市内はまだいいが、鬼怒川より東の下妻市や結城市へ行く路線はなくなり、後は関鉄パープルバスが運転免許センター行の高速バスを運行するものの(期間限定のセンター開業日のみで、現在は運休期間に入っている)、茨城県目線で言うと、公共交通は他地域からはほぼ孤立した状態にあるとも言えます。他の市へ行こうとしたら、JR線でいったん小山へ出て、水戸線に乗り継がなければなりません。
古河駅は、1984(S59)年3月に連続立体交差が完成しました。2面4線の構造で、上下とも1日数回、快速と普通列車の相互接続があります。
古河折返し列車は、下りホームの1番線から逆線で出発します。古河始発は平日9本、土休日は6本あります。
高架下には、JRバスの車庫があります。JRバス関東の古河営業所は、元々は土浦支店配下の営業所で、一時は独立した支店となったものの、南筑波線廃線以降、佐野支店配下の営業所に再編されています。現在は東急バスあたりからのノンステップ車が主力の模様。
高架下の、改札内コンコース。
改札を出て右手、東口側にある観光案内書。
駅周辺の見どころは、主に西口側にあります。全部とはいかないが、いくつか並べてみました。
町の通りには、このような女の子が描かれた幟が目立ちます。「桃香」という、足利義家の娘をモチーフとした古河市文化協会のオリジナルマスコットキャラクター。
デザインしたのは古河市出身のアニメーター、浅野恭司氏。最近では「進撃の巨人」「PSYCHO-PASS」で知られています。
武蔵屋店舗。登録有形文化財だが、現役の食堂です。
古河宿の道標。
篆刻(てんこく)美術館。日本唯一の篆刻(印章の作成)の美術館だそうです。
古河街角美術館。市民創作活動の発表の場として利用されています。無料で入れます。訪れた時には、地元の日本画協会の「桃花展」が行われていました。昨年は先の浅野恭司氏の原画展が行われ、大変な盛況だったそうです。
直木賞作家・永井路子氏の旧宅。永井さんは東京の本郷で生まれた後、すぐに古河に転居、地元の学校に通った後執筆活動に入り、「炎環」で1964(S39)年の第52回直木賞を受賞しました。大河ドラマ「草燃える」「毛利元就」の原作者でもあります。先月末、めでたく90歳の誕生日を迎えられました。
内部も公開され、案内をしてくださる方もおられます。畳がいい匂いでした。著作もいくつか納められ、自由に読めます。先の震災で被災したが、翌年再開館したとの事。
さて、今回訪問した3月29日(日)、総合公園で「桃まつり」が開催されていました。このまつりがあったから、この時期の訪問となった訳で、さっそく出かけてみました。
総合公園へは、西口から茨城急行バスによる臨時バスが運行されています。土休日は20~45分間隔で運行されていました。
運賃大人180円。ICカードは不可。
(古河営業所自体、ICカードを導入していない)
とにかく公園内は、桃の花が満開!
どこをどう歩いても、ピンク色(一部の品種は白)の花が圧倒的。
曇り空になってしまったのだけが、残念ではありました。
古河の桃の由来について記された看板も。江戸時代初期、当時の藩主が子供たちに桃の種を拾い集めさせ、農民に育てさせたのが初めてだそう。
散策路の両側にも桃の木。
この手のまつりに、B級グルメはお約束。サイコロステーキと豚汁で昼食です。
メインステージではフラダンス。ラストは全パーティ勢揃い。
サブステージでは「モンキーパフォーマンス」。猿回し、ですな。
桃だけでなく、菜の花も満開。黄色と赤のコントラスト。晴れだったらもっと映えたと思います。
気球のイベントもありました。風の動向に左右されるようだったが。
最後に、公園の中心に位置する小高い丘「富士見塚」から見下ろす公園。
「富士見」という位だから、条件がそろえば富士山を見る事も出来るのでしょう。
いい時に来た、と思いました。
古河というと、バス撮影を目論んで降りた事はあったけれど、地味な町、というのが正直な印象でした。しかし、今回桃まつりに行ったり、駅近くの見どころを回ったりすると、実は実は、この町にもこんなにいいものがいっぱいあるんだな、と思わされました。
今後もこのシリーズでは、そんな「いいもの」を、列車の終着駅にたくさん探したいと思います。
沼津から古河ではさすがに遠いけれど。
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20日 町村衆議院議長 辞任願を提出
21日 リニア中央新幹線 603㎞/h 鉄道世界最高速度を記録
№1341 思い出の海外旅行クロニクル 16.2000年イタリア 8<終>
2000(H12)年11~12月のイタリア鉄道の旅、今回は大きなヘマもなく、無事に日本に帰って来れました。
最終回は、イタリア鉄道の車両と、ローマ・テルミニ駅の画像、そしてほんの少しだがイタリアのバスの画像もご覧頂きます。また、いつものように総まとめとして、当時感じたイタリアの鉄道の印象、イタリアそのもののパーソナルデータを記して、完結です。
イタリアの基幹鉄道事業者は、イタリア鉄道(FS = Ferrovie dello Stato)。この年民営化し、列車の運行業務を、子会社のトレタニアに引き継いでいます。最新のシンボルマーク。
国鉄時代のマークも、若干残っていました。
ETR500
正面のデザインが変わった2次車。
ETR500
これは1次車。個人的にはこちらの方が好みかな。
ETR500の2枚は、ローマのランブレーテ駅での撮影。
ETR460
これはトリノ・ポルタ・ヌォーヴァで撮りました。
旧型近郊電車
ランブレーテ駅。
E646
E656
イタリアは、連接タイプのELが数多く見られました。最もオーソドックスな形式と思われます。
E633
E402B
E402A
AとBの違いは、私には解りません。EF66のようなもの?
D445
AL663
イタリア全土の非電化ローカル線で見られます。シチリア島やサルディーニャ島でも走っています。
ローマ・テルミニ駅
前回訪問(1995(H7)年)から5年の間に、改装されてきれいになっていました。
駅の佇まいそのものは変わっていないと思います。
コンコース。
窓口。
券売機。方面別にこれから発車する列車数本を表示し、その列車毎の運賃・料金を提示します。6カ国語対応。
セルフレストラン。夕食で利用しました。コスト例で、パスタ・コーラ・パン・フルーツサラダで12,500ITL(≒600円)。
両替と鉄道警察。
案内窓口。
発着案内のソラリー。左が到着、右が出発。長距離列車のラインナップも少なくないが、国際列車はさすがにほとんどないようです。
フィミチーノ空港へのアクセス鉄道「レオナルド・エクスプレス」の乗場。
やはり欧州の大ターミナルらしい、頭端式のホーム。夜撮ったので暗いのは勘弁。
ミラノ中央駅
ミラノ中央駅駅舎。
窓口。
発着案内のソラリー。上段が出発で下段が到着。スイスの駅の名前も見られます。到着の一部は大幅な遅れになっている。
コンコース。
売店も多数あります。
ホーム。ドームに覆われた頭端式。いかにも欧州のターミナル。
今回利用した、「イタリアレイルカード」。日本で購入し、249USD(27,400円位ではなかったかと)。2等車が15日間連続で利用可能。
イタリアのバスも少しご覧頂きます。
トリノの市内バス。
トリノには連接車もあります。
カリアリの市内バス。旧型。4枚折戸が4ヶ所もあります。
トリノの郊外バス。広告ラッピング車?
同じく、トリノの郊外バス。
最後に、カリアリの長距離バス。どこへ行くのかは解らなかったが。
見た限り、イタリアでは市内バス=黄色、郊外・長距離バス=青で基本的には統一されているように見えました。
また、日本でもそろそろ見られるようになっていたLED行先表示が、イタリアでは既に相当数普及していました。
以上、イタリアの鉄道の旅について書いてきました。
それ以前に周った分もひっくるめて、イタリアの鉄道について気付いた事、感じた事を簡単に記してみます。
1.列車の種別は、ユーロスター・イタリア(ES=高速特急 現在はイーエス・スターと呼称)を筆頭に、ユーロシティ(EC=国際特急)、インターシティ(IC=特急格)、エスプレッソ(E=急行格)、インターレッジョナーレ(IR)、ディレット(D)、レッジョナーレ(R)に区別されている。ただし、IR・D・Rの区別は、ダイヤ上ではあいまい。
2.一部の区間を除くと、幹線区でも本数はそれほど多くはない。休日にはかなりのローカル列車が運休、路線によっては全面運休となる区間もある。
(土曜日は平日と同じダイヤで運転される列車が多い)
3.北部のミラノ・トリノからローマより南部、さらにシチリア島へ直通する長距離列車が、昼夜とも多数設定されていた。特に夜行は旧型車両中心に長大編成が組まれ、さらに複数の行先を併結する列車も多いので、一昔前の日本の夜行急行列車を彷彿させるようだ。
4.評判が良くなかった列車のダイヤだが、まだ完全とは言い切れないものの、一頃に比べれば定時運転が確保されるようになった。少なくとも、始発駅は定時に出発する事が多くなった。
5.車両はPCが中心で、IRやRではプッシュプルトレインが大半。ECは大都市の近郊列車や一部のD、電化された支線で見られる。DCは非電化の支線の運用が大半で、優等列車では見られない。
6.全体的に旧型車が多い上、壊れたりなくなったりしてもそのまま放置されているなど、整備状態が良くない。何より、これまでご覧頂いたように、車体が落書きで汚染されている車両が非常に多くて見苦しい。高速特急のETRでさえ見られるようでは、車両の管理体制の側にも問題があるのではないだろうか?
7.車内の放送は、ES・IC等を除いて全くない。旧型車両の場合は、放送設備そのものがないのではないだろうか。地下鉄・市電・バスにもない。
8.この5年の間で託送手荷物輸送「チッキ」が廃止になっていた。その事もあり、荷物車・郵便車は全く運行されていなかった。
9.国際列車は、ミラノを中心とした北部を中心に運行があり、フランスからTGVも乗り入れる。通常はローマが南限だが、バカンスシーズンには東海岸へ行く列車も設定されるようだ。
10.時刻表に名前がありながら全列車が通過、実質信号所としか機能しない駅が非常に多い。本当に廃止になった駅も少なくなかった。
11.駅員配置駅では、たいてい鉄道警察の交番が併設されていた。列車内でも警官の姿を良く見かけたし、やはりお国柄で犯罪が少なくないのだろうか。
12.線路の改良は前回から、特に南部で引き続き活発だった。高速新線の延長や線形の改良が進行中。シチリア・サルディーニャ両島では電化工事も進行中だった。
13. 私鉄が全国各地で活躍していた。空港アクセス快速が走る大手から、旧型DCのローカル鉄道まで、日本同様バラエティに富んでいる。
14. 地下鉄はローマ・ナポリ・ミラノで、市電は加えてトリノで運行されていた。バス・トロリーバスもひっくるめた市内交通は、全体的にインフォメーションが不十分と感じた。
15.首都ローマから主要都市までの運賃(2等車)。
チビタベッキア 81㎞ 8,000ITL(約400円)
ナポリ 214㎞ 20,600ITL(約1,030円)
ミラノ 366㎞ 50,500ITL(約2,530円)
ヴェネチア 573㎞ 56,100ITL(約2,850円)
トリエステ 710㎞ 58,200ITL(約2,910円)
パレルモ 916㎞ 73,200ITL(約3,660円)
※1ITL≒0.048円で計算
最後に、イタリアそのもののパーソナルデータを記しておきます。
(帰国日の2000(H13)年11月7日現在)
正式国名 イタリア共和国 Repblic of Italia
面積 約301,341平方㎞ (日本の約0.8倍)
人口 約5,737万人
政治体制 共和制 議員内閣制
国家元首 カルロ・アツェリオ・チャンピ大統領(無所属)
※現在はセルジョ・マッタレッラ大統領(無所属)
政治指導者 ジュリアーノ・アマート首相(無所属)
※現在はマッテオ・レンツィ首相(民主党)
首都 ローマ(人口約264万8千人)
国連 加盟(1955(S30)年)
EU(EC) 加盟(1993(H5)年)
NATO 加盟(1949(S24)年)
通貨 リラ(ITL) 1ITL≒0.048円
言語 イタリア語
主な観光地 ローマ(トレビの泉・バチカン等)、フィレンツェ、ヴェネチアなど
日本からのアクセス ローマ・フィミチーノ空港へ、成田からJAL週3便(1便はモスクワ経由)・AZ週2便(ミラノ経由)、ミラノ・マルペンサ空港へ、成田からJAL週3便・AZ週5便に加え、関空からもAZ週3便が運航されていた。当時は全便、JAL・AZ共同運航だった。
前回の反省も踏まえ、今回は基本的に時計回り1周とややゆったりさせたプランとなりました。従って南部が中心となり、大陸側の北部は足を踏み入れる機会は少なくなりました。その間にも欧州縦横断・欧州一周があって北部にも行ったからある程度バランスは取れているとも思うが。
15年も前の話だし、特に南部はこれ以降行っていないから現状は解らないが、当時は民営化の直後でもあったし、イタリアの鉄道は近代化の途上にあったのか思います。高速新線開業の一方で昔ながらの長距離列車も多数存続、一方では路線の近代化工事も進行中で、車両も新型車の導入がある程度進んでいました。
ダイヤ上の利便性がやや劣る(特に南部)は、需要の点でやむを得ない部分もあります。ある程度入念なプランニングをされる事をお勧めします。乗り継ぎ時間も、やや余裕を持たせた方が良いでしょう。
後は国そのものの問題。ギリシャ等に比べるとやや落ち着いているようだが、財政問題は以前厳しいと思います。これが鉄道の運営に影響が出なければいいがと感じます。あとは国民性の事だからしょうがないかも知れないが、特に落書き、何とかなりませんかねえ?欧州ではどこでも見られるけれど、特にイタリアが酷いのは事実なので。
この翌年の2001(H13)年、私的な事情もあって、欧州行は1年お休みとなりました。次回のクロニクルは初のアメリカ、10月のロサンゼルス行について書きます。何しろ「9.11」の直後、色々影響を感じました。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
********************
《今日見た・聞いた・思った事》
ジャーマン・ウイングス機事故の追悼ミサ・式典が17日、ケルンの大聖堂で行われました。
地元のTVニュースをBSで見ただけなのだが、むき出しの感情というものが表には出ないで、重い悲しみが支配する、そんな空気だったように感じました。
印象的だったのはガウク大統領の発言で、機体を故意に墜落させた「加害者」とされる副操縦士の家族の心中にまで言及し、他の被害者の遺族と同列に慰霊していた事でした。
無論事故の真相の究明や、補償の交渉が進む内に、いろいろ違った事が起きてくるのだろうが、この時点に限っては、関係者全てが感情を押し殺し、犠牲になられた方々の霊を静かに慰めよう、そんな場であるように見えました。
一方、セウォル号沈没事故から1年の韓国では昨日、犠牲者の遺族や支援者がデモを起こして警察と衝突、けが人も出た上に身柄を拘束された人も多数出たそうです。
(日本も含めて)アジアではどこでもそうだと思うが、特に韓国では、この手の事故が起きると、遺族の方々は非常に激しく感情的な言動・行動に出る事が多いようです。
ドイツ・韓国、どちらの行動が正しいかなんて、この手の、惨事によって身内を失った経験がない私に発言する資格はないでしょう。私自身はただ、セウォル号、ジャーマン・ウイングス機、どちらの事故の犠牲者に対しても、静かに冥福を祈るだけです。
日本でも、まもなく福知山線の大惨事から10年です。裁判の経緯もあって、遺族の方々の怒り・憤り・不信は未だ根深いようです。前にも書いたけれど、(交通に限らず)大惨事は被害者・加害者、どちらの側にも心に深い傷を残します。絶対に起こしてはいけない事のだと、交通事業の関係者は、上も下もはっきり意識して、安全運行に取り組むべきです。
こちらは幸い人的被害が出なかった広島のアシアナ機事故だが、空港は再開されたが、ILSが破壊された影響で今日の発着便は全便欠航、明日も全便欠航が予想されています。中国地方では最大の空港なので影響は大、早く何とか復旧してほしい所だろうが、GWに間に合うのでしょうか?
(ANAは、羽田~岩国線で臨時便2往復を運航)
《今日のニュースから》
18日 北海道博物館 札幌市にオープン
19日 高台に新たな桜並木 岩手県山田町で植樹
最終回は、イタリア鉄道の車両と、ローマ・テルミニ駅の画像、そしてほんの少しだがイタリアのバスの画像もご覧頂きます。また、いつものように総まとめとして、当時感じたイタリアの鉄道の印象、イタリアそのもののパーソナルデータを記して、完結です。
イタリアの基幹鉄道事業者は、イタリア鉄道(FS = Ferrovie dello Stato)。この年民営化し、列車の運行業務を、子会社のトレタニアに引き継いでいます。最新のシンボルマーク。
国鉄時代のマークも、若干残っていました。
ETR500
正面のデザインが変わった2次車。
ETR500
これは1次車。個人的にはこちらの方が好みかな。
ETR500の2枚は、ローマのランブレーテ駅での撮影。
ETR460
これはトリノ・ポルタ・ヌォーヴァで撮りました。
旧型近郊電車
ランブレーテ駅。
E646
E656
イタリアは、連接タイプのELが数多く見られました。最もオーソドックスな形式と思われます。
E633
E402B
E402A
AとBの違いは、私には解りません。EF66のようなもの?
D445
AL663
イタリア全土の非電化ローカル線で見られます。シチリア島やサルディーニャ島でも走っています。
ローマ・テルミニ駅
前回訪問(1995(H7)年)から5年の間に、改装されてきれいになっていました。
駅の佇まいそのものは変わっていないと思います。
コンコース。
窓口。
券売機。方面別にこれから発車する列車数本を表示し、その列車毎の運賃・料金を提示します。6カ国語対応。
セルフレストラン。夕食で利用しました。コスト例で、パスタ・コーラ・パン・フルーツサラダで12,500ITL(≒600円)。
両替と鉄道警察。
案内窓口。
発着案内のソラリー。左が到着、右が出発。長距離列車のラインナップも少なくないが、国際列車はさすがにほとんどないようです。
フィミチーノ空港へのアクセス鉄道「レオナルド・エクスプレス」の乗場。
やはり欧州の大ターミナルらしい、頭端式のホーム。夜撮ったので暗いのは勘弁。
ミラノ中央駅
ミラノ中央駅駅舎。
窓口。
発着案内のソラリー。上段が出発で下段が到着。スイスの駅の名前も見られます。到着の一部は大幅な遅れになっている。
コンコース。
売店も多数あります。
ホーム。ドームに覆われた頭端式。いかにも欧州のターミナル。
今回利用した、「イタリアレイルカード」。日本で購入し、249USD(27,400円位ではなかったかと)。2等車が15日間連続で利用可能。
イタリアのバスも少しご覧頂きます。
トリノの市内バス。
トリノには連接車もあります。
カリアリの市内バス。旧型。4枚折戸が4ヶ所もあります。
トリノの郊外バス。広告ラッピング車?
同じく、トリノの郊外バス。
最後に、カリアリの長距離バス。どこへ行くのかは解らなかったが。
見た限り、イタリアでは市内バス=黄色、郊外・長距離バス=青で基本的には統一されているように見えました。
また、日本でもそろそろ見られるようになっていたLED行先表示が、イタリアでは既に相当数普及していました。
以上、イタリアの鉄道の旅について書いてきました。
それ以前に周った分もひっくるめて、イタリアの鉄道について気付いた事、感じた事を簡単に記してみます。
1.列車の種別は、ユーロスター・イタリア(ES=高速特急 現在はイーエス・スターと呼称)を筆頭に、ユーロシティ(EC=国際特急)、インターシティ(IC=特急格)、エスプレッソ(E=急行格)、インターレッジョナーレ(IR)、ディレット(D)、レッジョナーレ(R)に区別されている。ただし、IR・D・Rの区別は、ダイヤ上ではあいまい。
2.一部の区間を除くと、幹線区でも本数はそれほど多くはない。休日にはかなりのローカル列車が運休、路線によっては全面運休となる区間もある。
(土曜日は平日と同じダイヤで運転される列車が多い)
3.北部のミラノ・トリノからローマより南部、さらにシチリア島へ直通する長距離列車が、昼夜とも多数設定されていた。特に夜行は旧型車両中心に長大編成が組まれ、さらに複数の行先を併結する列車も多いので、一昔前の日本の夜行急行列車を彷彿させるようだ。
4.評判が良くなかった列車のダイヤだが、まだ完全とは言い切れないものの、一頃に比べれば定時運転が確保されるようになった。少なくとも、始発駅は定時に出発する事が多くなった。
5.車両はPCが中心で、IRやRではプッシュプルトレインが大半。ECは大都市の近郊列車や一部のD、電化された支線で見られる。DCは非電化の支線の運用が大半で、優等列車では見られない。
6.全体的に旧型車が多い上、壊れたりなくなったりしてもそのまま放置されているなど、整備状態が良くない。何より、これまでご覧頂いたように、車体が落書きで汚染されている車両が非常に多くて見苦しい。高速特急のETRでさえ見られるようでは、車両の管理体制の側にも問題があるのではないだろうか?
7.車内の放送は、ES・IC等を除いて全くない。旧型車両の場合は、放送設備そのものがないのではないだろうか。地下鉄・市電・バスにもない。
8.この5年の間で託送手荷物輸送「チッキ」が廃止になっていた。その事もあり、荷物車・郵便車は全く運行されていなかった。
9.国際列車は、ミラノを中心とした北部を中心に運行があり、フランスからTGVも乗り入れる。通常はローマが南限だが、バカンスシーズンには東海岸へ行く列車も設定されるようだ。
10.時刻表に名前がありながら全列車が通過、実質信号所としか機能しない駅が非常に多い。本当に廃止になった駅も少なくなかった。
11.駅員配置駅では、たいてい鉄道警察の交番が併設されていた。列車内でも警官の姿を良く見かけたし、やはりお国柄で犯罪が少なくないのだろうか。
12.線路の改良は前回から、特に南部で引き続き活発だった。高速新線の延長や線形の改良が進行中。シチリア・サルディーニャ両島では電化工事も進行中だった。
13. 私鉄が全国各地で活躍していた。空港アクセス快速が走る大手から、旧型DCのローカル鉄道まで、日本同様バラエティに富んでいる。
14. 地下鉄はローマ・ナポリ・ミラノで、市電は加えてトリノで運行されていた。バス・トロリーバスもひっくるめた市内交通は、全体的にインフォメーションが不十分と感じた。
15.首都ローマから主要都市までの運賃(2等車)。
チビタベッキア 81㎞ 8,000ITL(約400円)
ナポリ 214㎞ 20,600ITL(約1,030円)
ミラノ 366㎞ 50,500ITL(約2,530円)
ヴェネチア 573㎞ 56,100ITL(約2,850円)
トリエステ 710㎞ 58,200ITL(約2,910円)
パレルモ 916㎞ 73,200ITL(約3,660円)
※1ITL≒0.048円で計算
最後に、イタリアそのもののパーソナルデータを記しておきます。
(帰国日の2000(H13)年11月7日現在)
正式国名 イタリア共和国 Repblic of Italia
面積 約301,341平方㎞ (日本の約0.8倍)
人口 約5,737万人
政治体制 共和制 議員内閣制
国家元首 カルロ・アツェリオ・チャンピ大統領(無所属)
※現在はセルジョ・マッタレッラ大統領(無所属)
政治指導者 ジュリアーノ・アマート首相(無所属)
※現在はマッテオ・レンツィ首相(民主党)
首都 ローマ(人口約264万8千人)
国連 加盟(1955(S30)年)
EU(EC) 加盟(1993(H5)年)
NATO 加盟(1949(S24)年)
通貨 リラ(ITL) 1ITL≒0.048円
言語 イタリア語
主な観光地 ローマ(トレビの泉・バチカン等)、フィレンツェ、ヴェネチアなど
日本からのアクセス ローマ・フィミチーノ空港へ、成田からJAL週3便(1便はモスクワ経由)・AZ週2便(ミラノ経由)、ミラノ・マルペンサ空港へ、成田からJAL週3便・AZ週5便に加え、関空からもAZ週3便が運航されていた。当時は全便、JAL・AZ共同運航だった。
前回の反省も踏まえ、今回は基本的に時計回り1周とややゆったりさせたプランとなりました。従って南部が中心となり、大陸側の北部は足を踏み入れる機会は少なくなりました。その間にも欧州縦横断・欧州一周があって北部にも行ったからある程度バランスは取れているとも思うが。
15年も前の話だし、特に南部はこれ以降行っていないから現状は解らないが、当時は民営化の直後でもあったし、イタリアの鉄道は近代化の途上にあったのか思います。高速新線開業の一方で昔ながらの長距離列車も多数存続、一方では路線の近代化工事も進行中で、車両も新型車の導入がある程度進んでいました。
ダイヤ上の利便性がやや劣る(特に南部)は、需要の点でやむを得ない部分もあります。ある程度入念なプランニングをされる事をお勧めします。乗り継ぎ時間も、やや余裕を持たせた方が良いでしょう。
後は国そのものの問題。ギリシャ等に比べるとやや落ち着いているようだが、財政問題は以前厳しいと思います。これが鉄道の運営に影響が出なければいいがと感じます。あとは国民性の事だからしょうがないかも知れないが、特に落書き、何とかなりませんかねえ?欧州ではどこでも見られるけれど、特にイタリアが酷いのは事実なので。
この翌年の2001(H13)年、私的な事情もあって、欧州行は1年お休みとなりました。次回のクロニクルは初のアメリカ、10月のロサンゼルス行について書きます。何しろ「9.11」の直後、色々影響を感じました。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
********************
《今日見た・聞いた・思った事》
ジャーマン・ウイングス機事故の追悼ミサ・式典が17日、ケルンの大聖堂で行われました。
地元のTVニュースをBSで見ただけなのだが、むき出しの感情というものが表には出ないで、重い悲しみが支配する、そんな空気だったように感じました。
印象的だったのはガウク大統領の発言で、機体を故意に墜落させた「加害者」とされる副操縦士の家族の心中にまで言及し、他の被害者の遺族と同列に慰霊していた事でした。
無論事故の真相の究明や、補償の交渉が進む内に、いろいろ違った事が起きてくるのだろうが、この時点に限っては、関係者全てが感情を押し殺し、犠牲になられた方々の霊を静かに慰めよう、そんな場であるように見えました。
一方、セウォル号沈没事故から1年の韓国では昨日、犠牲者の遺族や支援者がデモを起こして警察と衝突、けが人も出た上に身柄を拘束された人も多数出たそうです。
(日本も含めて)アジアではどこでもそうだと思うが、特に韓国では、この手の事故が起きると、遺族の方々は非常に激しく感情的な言動・行動に出る事が多いようです。
ドイツ・韓国、どちらの行動が正しいかなんて、この手の、惨事によって身内を失った経験がない私に発言する資格はないでしょう。私自身はただ、セウォル号、ジャーマン・ウイングス機、どちらの事故の犠牲者に対しても、静かに冥福を祈るだけです。
日本でも、まもなく福知山線の大惨事から10年です。裁判の経緯もあって、遺族の方々の怒り・憤り・不信は未だ根深いようです。前にも書いたけれど、(交通に限らず)大惨事は被害者・加害者、どちらの側にも心に深い傷を残します。絶対に起こしてはいけない事のだと、交通事業の関係者は、上も下もはっきり意識して、安全運行に取り組むべきです。
こちらは幸い人的被害が出なかった広島のアシアナ機事故だが、空港は再開されたが、ILSが破壊された影響で今日の発着便は全便欠航、明日も全便欠航が予想されています。中国地方では最大の空港なので影響は大、早く何とか復旧してほしい所だろうが、GWに間に合うのでしょうか?
(ANAは、羽田~岩国線で臨時便2往復を運航)
《今日のニュースから》
18日 北海道博物館 札幌市にオープン
19日 高台に新たな桜並木 岩手県山田町で植樹