№1310 思い出の海外旅行クロニクル 15.2000年ベルギー 1

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 久しぶりに「思い出の海外旅行クロニクル」、やります。今回は2000(H12)年5~6月のベルギーです。9日間の旅を5回に分けて書きます。
 ベルギーはオランダ・ルクセンブルグと共に「ベネルクス三国」を構成、たいていはオランダと、さらにはルクセンブルグと一体で訪問され、単独で訪れる方は、それほど多くはないだろうと思います。ECの政治・金融の中心地であり、「フランダースの犬」に代表されるおとぎの国、ワッフルなどのグルメのイメージがある一方、言語圏の対立が時々国際ニュースを騒がせたりします。さて、鉄道はどうなのでしょうか。
 基本的に路面電車と保存鉄道が中心となりました。

2000年 5月29日(月)

 今回は往復ともJAL利用です。1998(H10)年スペイン以来になりました。
 パリ行405便からブリュッセルへと乗り継いで行くが、「エコノミークラスが満席」とかで、ビジネスクラスにアップグレードされていました。しかも今回は窓際だ。

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 A64番スポットにたたずむ、JL405便。B747-400、JA8074。
 改めて、このデザインは惚れ惚れするなあ。機体そのものも、カラーリングも。

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 ほぼ定刻に出発。スタッフが見送ってくれます。

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 R/W34から離陸、一直線に日本海を目指す。右には霞ヶ浦。手前の競技場のような場所はJRAの美浦トレーニングセンター。

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 当時のエグゼグティブクラス。今の目で見ると、これでも一昔・二昔前のレベル、になるのだろうけれど。

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 まずオツマミ。コーラでもちゃんとグラスだ。

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 オードブル。「海の幸ケーキ仕立て ラングスティーヌ添え」だそうだ。

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 メインは洋風の魚(スズキのソテー)をチョイス。ただ、ご飯も食べられる。しかもふりかけ付。

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 食後のデザートもていねいにふるまわれる。チョコレートのケーキと紅茶。
 他に和菓子・果物・チーズ・チョコレートも選べました。

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 出発前に録画された、朝7時のNHKニュース。スポーツコーナーでは、前日行われた日本ダービーで、アグネスフライトが制した事を伝えていました。画像は河内洋騎手(現調教師)。
 この機体はMAGICシステムがまだ搭載されておらず、上級クラスのみパーソナルTVがついていました。

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 離陸から2時間弱でシベリア上空に差し掛かります。5月も終わりなのに、雪が残っています。

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 セルフサービスコーナーでは、飲み物やスナックにパリの観光ガイドがあって、好きに持って行けました。

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 成田からきっちり7時間でウラル山脈。真っ白。

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 到着前の食事。ラザニアとパスタ。一度にトレイでサービスされる。ひょっとしたら到着前は、エコノミークラスと共通だったのかも知れません。

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 パリ到着直前。農村地帯がどこまでも続く。
 定刻より10分早くCDG到着。今回のターミナルは2F。
(2年前のスペイン行の時は2Aだった)

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 ターミナルに向かう通路はガラス張り。

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 乗継のブリュッセル行AF2576便はF22から。ここはバスで移動。バスラウンジは日本の羽田あたりと違って、飲食店や売店はありませんでした。

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 AF2576便はエール・ジェットのフランチャイズ運航。BAe146は初めて乗ります。バスから降りて、歩いて搭乗。この時点では、上空は青空、だったのに…。

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 出発直後、たまたま目の前を、成田へ戻るJAL406便が離陸しようとする。ところが、突然の雨にビックリ。結構本降りだ。猛然と水煙を上げて消えて行く。

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 この後着陸4機の後、ようやくこちらも離陸。出発から37分もかかった。すると、雲の切れ目に青空が覗いた。通り雨だったのか?急激な天気の変化に戸惑う。

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 キャビンはやはり狭い。

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 ドリンクサービスが廻る。フライトタイム1時間、の割にていねい。

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 短いフライトタイムゆえ、機内食、というよりスナック程度の食事?がふるまわれる。
 CDG-BRU間はTPMで167マイル。羽田~八丈島間より短距離です。

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 着陸直前、右手には大都市が見えた。どこだったのだろう?

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 ブリュッセル・ザベンタム空港到着。パリの遅延がたたって27分遅れ。もう21時が近いが、真夏の欧州ゆえ、まだまだ存分に明るい。

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 空港から国鉄(SNBC/NMBS)の電車でブリュッセル市中に向かいます。当時はユーロ導入前、北駅までは90BEF(≒230円)。

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 空港駅のホーム。有効長は長いが、21時20分発の電車は2連。一番奥にポツンという形で停車していました(左側)。
 北駅まで、快速運転で20分でした。
 この日は体調維持を優先。ホテルに着いたらすぐに就寝。

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2000年 5月30日(日)

 アントワープを経由し、ゲントへ向かいます。

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 ムスクロンへ向かう道すがらの農村地帯。

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 ムスクロン駅。ここでアントワープ行に乗り換え。

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 アントワープ中央駅。宮殿みたいな駅。

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 当時中央駅は高速新線建設に対応した地下ホームを建設中で、あちらこちらで工事を行っていました。コンコースも狭くなっています。

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 ドームに覆われたホームの、工事現場。半分くらいをごっそり削っていました。

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 このためホームは2面3線しか使用しておらず、ダイヤに相当影響が出ていました。ブリュッセル~アムステルダム間のICは、平日ダイヤではここを経由せず、ベルヘム駅からルーセンダールへ直行していました。
(土休日ダイヤは中央駅経由)

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 市電の地下ホーム。新型連接車。片側にのみ運転台とドアがあるループスタイル。今回は、乗る機会がありませんでした。
 西部フランダース地方の公共交通は「DE LIJN」が運営、都市に関わらず統一カラーになっています。このカラーは、この後も出てきます。

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 アントワープ市中の様子からいくつか。市中を走る観光馬車。こういうのも機会があれば、乗ってみたいかも。

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 ルーベンス像。

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 ローカル線を訪ねてみます。ニールペルト行IRも平日ダイヤでは中央駅には入らず、オスト駅発着で運行されていました。寂れた無人駅。
 列車はペンデルツーク。先頭の制御車は面構えがユニーク。日本国鉄末期によく見られた、先頭車改造車みたい。こちらは最初から運転台付きだったろうが。

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 終点のニールペルト駅。オランダの国境まで4㎞、という所か。レールは延びているようだが、旅客列車はここまで。

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 同じ路線をリエルまで戻ります。リエル駅。

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 さらにメッヘレンで乗り継いでゲントへ向かう。カペル・オプ・デン・ボスの手前で運河を渡ります。

 ゲントには18時過ぎに着きました。宿は決めていなかったが、YHに空きがあったので市電で向かう。但し、連泊したかったのだが翌日は満室だって。明日は1日費やして、ゲントの市電に乗ります。

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 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

 北陸新幹線開業まであとちょうど1ヶ月。開業日の指定券が今日発売になり、〔かがやき501号〕は25秒で完売したそうです。私は多分、少なくとも今年は乗らない。もっと落ち着いた時に乗ってみたいと考えています。東北新幹線(八戸~新青森)に九州新幹線(久留米~鹿児島中央)だってまだだし…。
 一方で、京成3300形、阪急2300系の引退記念イベントが相次いで発表になっています。先日は東急7600系(元7200系)も引退、名車が相次いで姿を消そうとしています。

《今日のニュースから》
13日 福島明誠高校の生徒 仮設住宅にバレンタインプレゼント
14日 一日限定「真冬のビアガーデン」 北海道・長万部町にオープン