「バスジャパン・ハンドブックシリーズS86 京王バス 西東京バス」は昨年末には発売になっていたようだが、例によって入手が若干遅くなり、従ってデータ分析も遅くなってしまいました。
この両社は以前にもこのシリーズで2回取り上げられています。1999(H11)年の「NEW27」ではバス分社前だったから「京王電鉄 京王バス 西東京バス」、2007(H19)年の「R62」では「京王電鉄バス 西東京バス」のタイトルでした。
このシリーズの表紙はバスのカラーを模しているが、「NEW27」は電鉄バス色、「R62」は西東京バス色でした。今回は京王分社色で、エルガ・ハイブリッドが表紙を飾っています。
◆ 京王バス・西東京バスの車両たち 京王バス(グループ)と西東京バスに分けて分析してみます。過去分とも比較します。
京王電鉄バス(グループ)1. 事業所は分社が進んだうえに、桜ヶ丘〔営〕・小金井〔営〕・寺田〔支〕の開設がありました。高速バス専門で、高速バスセンター・世田谷〔営〕の開設もあります。
永福町〔営〕・府中〔営〕・多摩〔営〕・寺田〔支〕は、電鉄バスと分社が併存しています。このうち永福町〔営〕の電鉄バスは高速バスのみ。同じ場所に電鉄バスの高速バスセンターも併存し、共に高速バスが配置されているが、どのような関係にあるのか。
2. グループ全体873両は、15年前(京王電鉄+京王バス)の658両からは32.6%も増えました。しかし7年前の858両からは1.7%の微増で、20~21世紀の変わり目の前後で大幅に増えた事になります。
特に高速車は15年前49両→7年前97両→今回119両で、15年で倍以上になりました。中央高速バスの新路線開設や増便もあるし、郊外からの路線(特に空港路線)の充実もあるでしょう。南大沢営業所は15年前(南大沢〔支〕)が0だったのに、今回は12両の配属があります。
乗合車も15年前594両→7年前691両→今回708両と100両以上増えました。八王子市南部、特にJR横浜線八王子みなみ野駅(1997(H19)年開業)近辺の開発の進展や、コミュニティバスの受託の増があると思われます。
貸切車も15年前15両→7年前24両→今回46両と3倍になり、昨今の電鉄系バス事業者としては異例。ただし、一般的な「観光バス」は7両のみ。大半は学校のスクールバスと見えます。明大中野のスクールバスが15両あり、3分の1を占めています。ノンステップ車のスクールバスがあるのが異例。
用途別の割合は、乗合車が15年前90.2%→7年前80.5%→今回81.0%、高速車が15年前7.4%→7年前11.3%→今回13.6%、貸切車は15年前2.2%→7年前2.7%→今回5.2%でした。高速車の割合は増えているが、乗合車も若干減ってはいるものの、依然として8割と事業の主力になっている事が伺えます。
3. 全用途トータルのメーカー別割合は、いすゞが15年前18.2%→7年前0.1%→今回0.06%、日産ディーゼルが15年前31.6%→7年前56.7%→今回30.9%、日野が15年前22.3%→7年前26.4%→今回38.1%、三菱ふそうが15年前27.8%→7年前15.7%→今回30.2%となりました。
特に乗合車は、時期によって導入されるメーカーの傾向が極端です。1995(H7)年以降しばらくは日産ディーゼルのみの導入になり、以降いすゞ中型、日野の小・中型車(大半はコミュニティ)、三菱ふそうエアロスター・ノンステップの若干の導入はあったものの、2005(H7)年まではほとんど日産ディーゼル車の導入が続きました。小型バスの共同開発で、縁ができたためと思われます。いすゞは一時全滅、エルガ・ハイブリッドが久しぶりの導入になったが、現在も1%に満たない数値です。
しかし日デは2008(H20)年のスクールバスが最後となり、以降は日野と三菱ふそうが拮抗して導入が続いている所です。
4. 平均年齢を、用途別に出してみました。
乗合車は6.36年で、7年前の6.02年から若干延びました。2003(H15)年式が12.43%といまだ最多、2005年(H17)年式も11.44%あり、この辺が平均車齢を挙げていると思われます。
営業所別では、最も低いのが八王子〔営〕の3.49年、最も高いのが電鉄バス府中〔営〕と9.16年と、結構バラつきがあります。八王子〔営〕は2012(H24)年以降に43両が導入、所属の61.4%を占めて急激に若返っています。何か理由があるのでしょうか。
高速車は5.77年で、こちらも7年前の5.51年より、ほんの少し延びています。2003(H15)~2005(H17)年式が合計41両あり、34.4%になります。一方で2012(H24)年以降に40両導入され、若返りも図られている段階と言えます。
貸切車は6.02年、7年前の3.68年からは大幅に延びました。2008(H20)年に明大中野スクールバスが大量に導入されたためでしょう。
最高齢は2002(H14)年式、20世紀の車両は姿を消しています。
グループ内移動を除き、他事業者からの中古導入や、契約先からの移籍はなし。
5. 乗合車の営業所別配置(電鉄+分社合計)は、府中が2社計で122両と最も多く、京王グループの17.2%を占めています。ただし、その内の32両はコミュニティバスで、1/4以上です。
八王子〔営〕は7年前100両→今回70両と一見大幅な減少だが、寺田車庫が支所として独立したためで、両者を合わせれば5両の増です。小金井〔営〕は31両と寺田〔支〕より少なく、ずいぶん小規模な車庫を分社したものです。分社前は府中〔営〕の分車庫でした。
コミュニティバス(新宿WEバスは除いた)は71両、全体の10%を占めるまでになりました。
6. 乗合車のノンステップ率は94.92%と高率。7年前62.99%から大幅に延び、中野〔営〕・小金井〔営〕・多摩〔営〕・八王子〔営〕・寺田〔支〕の乗合車は100%です。他社で見られる、大口需要に対応する長尺ワンステップ車は、京王グループでは見られません。
西東京バス1. 全体では、15年前325両→7年前340両→今回358両と微増を繰り返しています。
乗合車は15年前252両→7年前(西東京+多摩合計)285両→今回284両で、こちらも20~21世紀の変わり目で台数が増えたものの、以降は横ばいと言えます。
高速車は15年前10両→7年前10両と横ばいが、今回は16両と増えました。空港バスの増強があるでしょうか。
貸切車は、15年前には観光バスセンターの存在もあって55両あったものが、7年前には21両と一気に減少。現在は36両まで戻っているが、大半は乗合車ベースで、契約輸送が中心。純粋な「観光バス」は3両のみ。トヨタコースターは、小津町貸切代替路線用。
特定車は、現在は全て中野学園〔車〕のスクールバスのみ。学園の中に独立して設けられた専用の車庫に21両も配置されているのだから、ずいぶん大掛かりな輸送になるものだと思います。学校がどの鉄道の駅から遠い場所にあるからだろう。
2. 全用途トータルのメーカー別割合は、いすゞが15年前37.8%→7年前21.7%→今回32.6%、日産ディーゼルが15年前21.8%→7年前50.2%→今回19.8%、日野が15年前37.5%→7年前25.5%→今回44.4%、三菱ふそうが15年前2.7%→7年前2.3%→今回2.7%でした。
(今回は、他にトヨタ1台あり)
西東京バスも、日産ディーゼル車の存在が導入傾向を大きく左右していると言えます。京王バス程極端ではないものの、いすゞは1996(H8)~2001(H13)年の自社導入は全くなく、日野も一般的な大型乗合車は1996(H8)~2003(H15)の間導入なし(中型系・コミュニティ・トレーラーバスのみ)。
しかし日デは2010(H22)年が最後の導入になり、一方で昨年かなり久しぶりに三菱ふそうの乗合車が入りました。
3. 平均車齢を用途別に出すと、乗合車は7.67年と、ボンネットバスが引退したにもかかわらず、7年前の5.54年から大幅に延びました。2003(H15)年式が今でも主力の上、同年式の京王電鉄バス10両が移籍してきた事で、乗合車全体の17.61%を占めています。
営業所別の平均では、五日市〔営〕が8.35年が最高齢、氷川〔車〕が6.40年で最若でした。
高速車も7.73年と、7年間の5.60年から延びています。逆に貸切車は6.27年で7年前の7.33年から、特定車も5.24年で7年前の7.62年から若返りました。
最高齢は2000(H22)年の2両だが、どちらも契約貸切車。路線車は2001(H13)年で、こちらも20世紀の車両はなくなりました。
こちらは貸切車で契約元からの移籍が見られるが、グループ外からの中古導入はなし。路線移管による移籍はあったが、基本的には経年車の京王バス→西東京バスの移動もありません。他の大手バス事業者だと地方のグループ会社への移籍は普通だが(国際興業→山梨交通など)、両社とも排ガス規制がある東京都内の事業者という事もあるでしょう。
4. 乗合車の営業所別配置は楢原〔営〕が全体の45.1%。八王子市東部の人口が多い地域をエリアの主力としているから当然でしょう。恩方〔営〕が22.9%。両者計で68%となります。どの事業所も7年前と比較して割合はあまり変わらず、乗合事業の中心が今も昔も八王子市にある事がこの数値からも伺えます。
5. 西東京バスも乗合車のノンステップ化率が96.83%と、7年前の72.28%からさらに高まりました。五日市〔営〕・青梅〔営〕以外は100%を達成。ノンステップでないのはトレーラーバス・深夜急行対応ワンロマ・リエッセ、その他青梅〔営〕に日デのワンステップ車6両、合計9両のみです。ローカル線オンリーの氷川〔車〕でさえ100%とは。
「はむらん」でポンチョEVが導入されているが、ピュアEVは「バスジャパン・ハンドブックシリーズ」初登場です。
氷川〔車〕が五日市〔営〕の配下にあるのは、以前配下に置いていた青梅〔営〕が一時多摩バスに分社していたからだが、山を隔てていて生活圏が全く異なるので、やや不自然な感があります。
なお、京王グループにはこの他「京王自動車」があり、タクシーを中心にしつつ貸切・特定バスも運行しているが、ここでは一切取り上げられていません。京王電鉄バス・西東京バスと同列に位置する京王電鉄グループ企業と思われます。
◆ 京王バスのあゆみ 1913(T2)年、前身の京王電気軌道が笹塚~調布間の機動開通と同時に、笹塚~新宿間・調布~府中~国分寺間を開業。鉄道会社が鉄道(軌道)とバスを同時に開業させるのは珍しい事だが、区間からして、軌道の先行開業の意味が強かったはず、短期間で終わったようです。
関東の他の大手私鉄系列のバスは皆、自社鉄道路線の培養や、他資本からの防衛を目的として、自ら開業させたり、他社を買収したりする事で規模を拡大するのが一般的で、京王も基本的には後に同じ道をたどる事になります。
路線網的には、一般路線は23区エリアから多摩地域の郊外へのシフト、高速路線は順次開業・延伸を繰り返した中央自動車道経由路線の拡充、という流れになりそうです。
最近のトピックスとして、中央道高速バスの「CHANCE」(
Chuo
Highwaybus
Allia
NCE)や、マスコットキャラ「ピンポン・パンポン」当たりは触れられても良かった。
◆ 西東京バスのあゆみ 八王子近辺の事業者が合併してできたのが西東京バス。その前身の高尾自動車は、京王の息がかかっていた武蔵中央電鉄の系列の八王子中央自動車と競合していたから、結果的に当初は京王と資本的にも競合関係にあったとも言えます。結局戦後には京王主導で西東京バスが成立する事になります。
高尾・五王・奥多摩の3社合併の時点で「西東京バス」となったように読めるが、西東京バスのWebによれば、奥多摩振興が合併の2ヶ月前に西東京バスと改称していたようです。
こちらも砕けたところで、マスコットキャラ「にしちゅん」とか、最近まで走っていた「ファンモンバス」があるので、この辺りも触れられればと思いました。画像位は欲しかった。
(「ピンポン・パンポン」も「にしちゅん」も、今の所「きゅん太」や「かなみん」のようなラッピング車はない模様)
◆ 京王バス・西東京バスの路線エリア「NEW27」「R62」同様、京王バスと西東京バスを一体で記しています。本当は分けて欲しいのだが。
京王バスは、23区の外周と、その郊外の調布市・武蔵野市などとの境は路線の密度が低くなっています。小田急バス・関東バスのエリアになっている事もあるでしょう。調布より西の多摩地域が主力になっているのは、15年前からの変わらぬ傾向です。一方でJR中央線より北へ行く路線があり、西武線の練馬駅に乗り入れているのも珍しく感じられます。一方で神奈川県への乗り入れは2路線のみ。また、鶴川駅への乗り入れもなくなって久しい。23区外の小田急小田原線の駅への唯一の乗り入れでした。
西東京バスは、15年前は御岳ケーブルへの路線が青梅からつながっていたのが、今は御嶽駅からの落下傘路線になってしまいました。ただし、全体的には便数の変動や系統の再編はあるが、路線網はローカル線でも基本的には維持されています。奥多摩の路線が山梨県に入っています。
路線図は9月1日現在だが、この直後の10月1日に小菅への路線が小菅の湯まで延長、富士急山梨バスの新路線とつながり、大月方面へ行けるようになりました。
ここにはコミュニティバスは記されていないが、西東京バスは八王子市「はちバス」を受託していて、京王線北野駅・JR横浜線片倉駅に乗り入れるルートもあります。コミュニティバスとは言え、西東京バスが中央線より南へ行くのも面白いものです。
◆ 終点の構図 美山町 15年前は京王バスの小仏、7年前は西東京バスの藤倉でした。
(小仏は刊行当時「雑草に囲まれた殺風景な場所」と記されていたが、現在はJRの変電所が建っている)
美山町は八王子市にあるが、写真を見るだけでも、八王子のイメージからはかけ離れた、かなりローカル色が濃い場所と見えます。1時間に1~ラッシュ時3本とは、ロケーションから見たら恵まれているとも言えそう。
「雨乞いの神事」とあるが、雨そのものが少ないのではなく、地層のせいで少し雨が途絶えただけで、作物に大きな被害がでる、という事でしょう。獅子舞は、八王子市の公式Webサイトにも記されていました。
(今年は4月12日、琴平神社奉納の年だが、神社ではなく美山中央児童遊園で行う。最寄バス停は美山小学校で、美山町のはるか手前)
◆ 多摩の水辺の散歩道 このシリーズの紀行は、15年前は故種村直樹氏の「東京西遊記」で新宿→数馬(日着)、7年前は富田康裕氏の「多摩川流域はしご湯紀行」で吉祥寺→丹波(一泊二日)と歩いていました。
今回の谷口礼子さんの紀行は調布→数馬、やはりこのエリアだと、東→西、京王バスエリア→西東京バスエリアと歩くのが一般的な乗り歩きのパターンになるようです。都会から田舎へ向かう方が風情があるし。
調布から1泊2日でゆとりがあるように見えたが、京王エリアでは交通渋滞の影響は避けられなかったか。特に西東京エリアに入ってからが興味深く読めました。今熊のトンネルで「昔は道幅が狭くて、誘導員が乗っていた…」の下りは、15年前の種村氏の紀行で実際に出てきていて、今熊で誘導員が乗り込む所、1車線のトンネルにバスが進入して行く写真もありました。
一方で払沢の滝は、種村氏は降りておらず通過しただけでした(日着なのでもう暗くなっていた)。「昔は荷物が多かったらマイカーを使っていたものだ」らしいものが、路線バスに回帰しているとしたら頼もしいもので、是非この傾向が定着して欲しい。
終点の数馬は、若い頃奥多摩湖側から登った三頭山から降りて着いた所なので懐かしい。
京王バスグループでは、一般路線では今後も引き続き多摩地域がメインになるかと思われるが、最大の多摩ニュータウンでも住居者の減少・高齢化が叫ばれていて、多摩モノレールも開通して久しいから、かつてのような長尺車を大量に導入した幹線的大規模輸送はもうないのか。長尺車がないだけでなく、ノンステップ車にしても皆短尺でもあるし。多摩ニュータウンも入居からかなりの期間が経ち、再開発も進行中。リニューアルされたニュータウンで主力交通機関となる事が期待されます。
高速バスは、引き続き中央高速バスが中心になるでしょう。長野線は、北陸新幹線の開業はまず影響なしと見ています。いよいよ新宿新バスターミナルのオープンが近づいていて、JRなどと共同になるが、京王バスにふさわしい充実した設備を期待したいと思います。
西東京バスはローカル線も多い上、京王バスにも共通する事だが、そごうの閉店に象徴されるように、八王子市の多摩地域における地位の低下も指摘されているので、この辺がやや気がかり。まずは、特にローカル線の路線網の維持と、最低限現行の便数の確保。紀行にもあるように、観光資源が多いので、この辺をうまく生かしたい所。
高速バスは、夜行路線は見直しがあるかも知れない。四国2路線は横浜を経由するようになったが、JRバス便との競合に加えてLCCの影響も予想され(高松だとさらに電車の〔サンライズ〕もある)、ドライバー確保の点からも維持していくのに余裕があるかどうか。また、これも京王バスと共通するが、空港バスは国際線航空の羽田シフトと、東京駅~成田空港間の格安路線の相次ぐ開業の両方をにらんで、再編成があるかも知れません。
次回刊は都営バスと予告されました。「ハンドブックシリーズ」の前身「バスジャパン」創刊号でさっそく取り上げられ、その後のハンドブックシリーズでも3回取り上げられています。「バスジャパン」創刊号から30年近く経ち、相当大きな変化が繰り返されました。全体的に縮小傾向にあるが、現状はどうでしょうか。
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日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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