№1314 思い出の海外旅行クロニクル 15.2000年ベルギー 5<終>

 2000(H12)年5~6月のベルギー鉄道の旅、最終回はいつものように、ベルギー国鉄の車両と、ブリュッセルの各ターミナル駅の画像をご覧頂きます。また、いつものように総まとめとして、当時感じたベルギーの鉄道の印象、ベルギーそのもののパーソナルデータを記して、完結とします。

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 国鉄のシンボルマーク。
「国鉄」と記してきたが、フランドル語ではSNCB(Société Nationale des Chemins de fer Belges)、ワロン語ではNMBS(Nationale Maatschappij der Belgische Spoorwegen)と称します。

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EL 1314号

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EL 2123号

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EL 1188号
 番号は大きく離れているが、上の2123号と同型では?こちらはブリュッセル~アムステルダム間直通IC用で、客車はオランダ。

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EL 2221号

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DL 6220号

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EC 561号
 IC用の電車で、デンマーク・IC3のような風貌。ただし一般的なボギー車。

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EC 329号
 近郊電車。

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 その車内。

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EL 822号

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EL 644号

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 郵便電車。上の電車の改造車?

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DC 4408号

 こうして並べてみると、一昔~二昔前位のベルギー国鉄の車両は、皆どこか風変わりな風貌に見えます。

 ブリュッセルの中心部の駅もこの十数年で大きく変わってしまったようだが(特にミディ駅)、昔はこんな感じだったんだ、という目線で見て頂ければ。

◆ 北(ノード)駅

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 ここの駅ビルは改装されています。

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 駅舎内のコンコース。
 実はこの写真を撮影した背後に鉄道資料室があるのだが、休業だったのが残念でした。

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 国内線の切符売り場。

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 こちらは国際線の切符売場。

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 大型の出発案内表示。

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 北駅のホームは、ドームでない中間駅の形態なので、少しつまらない感じも。近郊列車の発着が中心。

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 昔の北駅はこんな感じだった、という所で、昔の北駅を描いた絵葉書。1900(M33)年頃らしい。

◆ 中央駅

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 曲面を描いたガラス張りの壁面が印象的。

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 中央駅のコンコース。半地下式。

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 出札窓口。その上には出発案内表示。

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 右は自動券売機。左手奥にあるのはコインロッカーと、忘れ物取扱所。

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 小規模なエキナカもあります。

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 中央駅は地下ホーム。

◆ 南(ミディ)駅
 南駅はこの4年前、1996(H8)年にパリからTGVで到着、№967で書きました。
 翌年のオランダ旅行の帰りでも経由しているのだが、あの頃とは様相が大分変りました。

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 再開発工事の真っただ中、欧州らしい風景はちっとも感じられません。

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 工事中の看板。左がワロン語、右がフランドル語で並べて掲げられていました。

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 駅の内部は大分改装が進んで、きれいになっていました。コンコースは、他の駅とは少し違ったイメージもしました。

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 コンコースに掲げられた時刻表。左の黄色=出発、右の白色=到着、なのだが、到着の時刻表が掲げられていたのは、ここまで見てきた限りでは、ベルギーではこの駅だけでした。

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 発車案内表示。

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 切符売場。

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 券売機。

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 エキナカ。

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 サイン類はユーロスターやタリスの受け入れに合わせてか、ピクトグラムを多用した新しいものになっています。

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 南駅のビジターセンター。


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 ユーロスターの乗場の入り口。イギリス行なのでパスポートコントロールもあり、一般のお客さんはホームには立ち入れません。空港と同じ。

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 南駅の、一般の列車が発着するホーム。ここも中間駅形態で、発着も近郊列車・国内ICが主体となり、正直旅のムードには欠けていたかも知れません。

 一般の駅の時刻表は、こんな感じ。

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 このような感じでホームに立っています。左が土休日用、右が平日用、だったっけ?

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 さらに、地方の無人駅などだと、バス停然とした、安普請なポールに時刻が掲げられています。

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 今回利用した、「B-TOURRAIL」パスです。1ヶ月の内の5日間利用できるフレキシータイプ。2,200BEF(≒5,600円)。通貨の流通は翌年だが、既にユーロ建ての金額も記されていました。

 今回の旅行、それに以前の経験・体験を踏まえ、ベルギーの鉄道について気付いた事、感じた事を簡単に記してみます。

1. 列車の種別は、国内列車ではインターシティ(IC=特急格)、インターレギオナル(IR=急行格)、ストップトレイン(L=普通列車)の3種類。全て乗車券だけで乗れる。

2. 運転系統は、基本はブリュッセル中心だが、終着としている列車は少なく、スルーの列車がほとんど。系統は高度に規格化され、IC・IRでは系統ごとにアルファベットを使った案内も行われている。

3・ 一部の非電化ローカル線を除けば1時間サイクルでダイヤが組まれて利用しやすい。ただし土曜・休日は大幅にダイヤが変更され、駅の時刻表も平日と土休日で別になっている。列車は減便のみならず、系統によっては運転区間や停車駅の変更もある。一部の駅は全列車通過になる。

4. 車両はIC・IRはEC及びELペンデルツーク、LはECが使用される。DCは見た限りでは、アンデルヌ地方の一部路線のみのように見えた。ICには新型車の導入が進み、一部には更新車も見られるものの、全体的には古い車両が少なくない。

5. 複線化率はかなり高い。1~2時間に1本程度のローカル線でもほとんどが複線化されている。電化率も高いようで、DC運行区間でも電化工事が行われていた。踏切が、欧州の中では多い方かも知れない。

6. 国際列車はユーロスターとタリスが中心となり、在来タイプの列車は少ない。アムステルダム・ケルン・ルクセンブルク・リール行等は国内列車の延長に近く、自国の車両が運用される。他国の車両はあまり見かけない。

7. 駅の密度は路線・地域によってかなり異なるようで、1~2㎞間隔である所も、20㎞位ない所もある。小駅では路面電車の如く、線路際に土を盛って、駅名票・ベンチ・バス停然とした時刻表を並べただけの簡素な所が多い。ここも廃止になった駅が少なくないようだ。

8. ウィーンを初め、各地の「中央駅」を名乗る主要駅の駅舎は、たいてい中央部に大きな明り取り窓を持つ吹き抜けを設けた、独特の設計になっている。エスカレーター・エレベーターが整備されている駅が多かった。

9. 純粋な私鉄は走っていない。地下鉄はブリュッセルで、路面電車・ライトレールは加えてゲント・アントワープ・北海沿岸・シャルルロワで走り、バス・トロリーバス共々、地域毎の統一組織で運営されている。路面電車も地下区間が目立つ。

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 ここで市内バスの画像を掲げておきます。ブリュッセルはSTIB/MIVBが運営。

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 フランダース地方のDe Lijn。

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 ワロン地方のT.E.C。 

11. 首都ブリュッセルから主要都市までの運賃(2等車)。
 ブリュッセル空港 17㎞ 90BEF(約230円)
 アントワープ 48㎞ 200BEF(約510円)
 ナミュール 65㎞ 245BEF(約630円)
 リエージュ 103㎞ 405BEF(約1,030円)
 オステンド 119㎞ 460BEF(約1,170円)
 アーロン 202㎞ 580BEF(約1,480円)
 ※1BEF≒2.55円で計算

 最後に、オーストリアそのもののパーソナルデータを記しておきます。
(帰国日の2000(H11)年11月2日現在)

正式国名 ベルギー王国 Kingdam of Belgium
面積 約30,528平方㎞ (九州よりやや小さい)
人口 約1,018万人(1998(H10)年)
政治体制 立憲君主制 議員内閣制
国家元首 国王アルベール二世
※現在は子息のフィリップ国王
政治指導者 ヒー・フェルホフスタット首相(フラームス自由民主)
※現在はシャルル・ミシェル首相(改革運動)
首都 ブリュッセル(人口約95万3千人)
国連 加盟(1945(S20)年)
EU(EC) 加盟(1957(S32)年)
NATO 加盟(1949(S24)年)
通貨 フラン(BEF) 1BEF≒2.55円
言語 オランダ語(フラマン語)・フランス語(ワロン語)
主な観光地 ブリュッセル(グランプラス)、ブリュージュ、北海沿岸など
日本からのアクセス 当時はブリュッセル・ザベンタム空港へ、サベナ・ベルギー航空が成田から週4便の運航があった。

 今回は若干路面電車・軽鉄道や保存鉄道が中心になってしまったでしょうか。
 ミディ駅やアントワープに代表されるように、ベルギーでは各地で鉄道の改良工事が進行中でした。フランスとオランダに挟まれ、ユーロスターの乗り入れも行われるようになったからでしょうか。比較的小国でもあり、欧州の鉄道の中では地味な部類に入るとは思うが、一部のローカル線を除けば利便性が高く、新型車両の導入も進みつつあり、快適な旅が期待できると思います。
 後は国そのものの問題で、元々フランダースとワロンの対立で分裂寸前まで行った事もあった上、昨今は国際テロのターゲットにもなりつつあり、心配です。海も陸地も美しい、穏やかな地がいつまでも続いてくれる事を、心から願います。

 次回の「クロニクル」は同じ年の秋、5年ぶりとなったイタリアです。前回は最後にイタイ目にあっただけに、プランニングも若干慎重なものになりました。4月に書く予定。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

《今日のニュースから》
21日 女性限定の航空教室 日本航空機操縦士協会が開催
22日 ニュージーランド大地震から4年 現地・富山で追悼式

 パイロットというと、この他年齢制限が67歳まで(条件付きだが)引き上げる方針を国土交通省が固めたとも伝えられています。昨年のLCC大量欠航を見るまでもなくパイロット不足は深刻なようで、それは他交通(特にバス)も同じではあるが、しかしなりたくたって誰でもなれるものでもなく、意欲だけでは無理な部分が多いから難しい…。
 4年前は東日本大震災を含め、世界的に大地震が多発した年だったが、その始まりがニュージーランドでした。

№1313 思い出の海外旅行クロニクル 15.2000年ベルギー 4

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 ブリュッセルには、大規模な路面電車の博物館があります。ベルギーの旅の締めくくりとして、この博物館を訪ねた後、ユーロスターでロンドンに向かいました。
 翌日のヒースロー発JAL便で帰国の途に就きます。本当はヒースローで旅客機を撮りたかったのだけれど…。

2000年 6月 4日(日)

 手持ちの「B-TOURRAIL」パス(次回出します)があと1日残っているので、いくらか国鉄線も乗ってきたのだが、画像数が多くなるので省略、昼からの路面電車博物館の訪問になります。

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 博物館へは、地下鉄のモンゴメリー駅で市電の44系統に乗り継ぎます。「プレメトロ」と称し、地下ホームから出発します。

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 路面電車博物館は39または44系統で、モンゴメリー駅から10分程、デポット・ヴェルヴム(車庫前)で降ります。
 入場料150BEF(≒380円)。

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 保存車両の中から、5025号車。

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 もう1台、7093号。

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 運転系統や区間を書いたサボの陳列は、この手の博物館だったらお約束。

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「路面電車博物館」、ではあるのだが、市電以外の乗り物の展示が充実していたのは感心させられました。その中からトロリーバス。他にディーゼルバスやタクシー、馬車もあります。
 日本でもこういう展示、できないでしょうか。日本はバスの展示が圧倒的に少ないので…。

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 日曜日は、クラシカル市電の保存運転があります。
 2路線運行があって、左はテルビューレン行の410号+オープンの244号(トレーラー)。
 右はサンカントネール行の1753号単行で、後で乗ります。
 先にテルビューレン行に乗ります。410号は1903(M36)年製で、動態保存車両では最古参との事。

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 テルビューレン行は、1906(M39)年製の984号+トレーラーもあり、410号と交互に走っていました。

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 410号の車内。ロングシートはゴザ張りみたい。

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 テルビューレン行のオチャメなクルー。車掌役の女の子は、小学生?カワイイ。彼女たちも、車内では切符拝見に回ってきます。

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 博物館を出発し、森の中を快走。日陰は涼しい。

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 終点のテルビューレン。ここまで20分。

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 ここは普通の市電44系統の終点でもあるが、市電離れしたのんびりした所。右側の線路の奥に、保存電車がいます。

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 一方、サンカントネール往復の運用に入っている1753号車は1914(T3年)製。前後に運転台があるシャトルタイプ。
 沿線からの注目度は高いが、残念ながら乗客は往復とも終始私一人だけで終わりました。右側の太っちょのおじさんが車掌。正規のルートではないのであっちこっち渡り線を転線する事になり、そのたびにポールを反転させる必要があるので大変そうだ。ここはサンカントネール記念公園のすぐ近くにあるので、沿線からの注目度は高いのだが。

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 小型だが、座席は半分がビニール地、もう半分が木製。2クラスだったのか?

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 保存館の傍らのヴォルブム湖。市民の憩いの場。

 ブリュッセルの中心、グランプラスの明るい休日の光景から。

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 市庁舎。

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 ベルギーに来たからには、やっぱり食べたい本場のワッフル。

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 あちこちいろいろなパフォーマンスもあります。何の楽器を演奏していたんだっけ?もちろん、撮影の後募金しましたよ!

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 この銅像は生きています。

 いろいろと大いに満足した所で、ブリュッセル中央駅を経由してミディ駅に戻り、いよいよベルギーとはお別れ。
 ユーロスターが発着するミディ駅は再開発工事中、駅の外観は、殺風景なのは否めない。

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 ロンドン行9157列車。
 今回は何と!1等車(しかもプレミア)をおごっています。

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 以前のロンドンでもそうだったが、ホームはしばらくすると人影がなくなり、閑散とする。空港のように改札から先は乗車の旅客しか立ち入れないからだが、どうも列車の旅が始まる、という感じがしない。
 ともあれほぼ定刻に出発。次の停車駅はフランスのリールだから、ベルギーとはこれでお別れです。

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 30分弱でベルギーからフランスになる。農村地帯が続くのは変わらない。

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 1等車の車内。

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 食事のサービスがあります。英仏蘭の3か国語で記されています。

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 オードブル。+白ワインを注文します。

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 メインは肉と魚のチョイスで、魚を選ぶとパスタだった。

 食事の最中にユーロトンネルに突入。事前のアナウンスの通り、20分弱で抜けた。

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 当時は高速新線HS1開通前だったからイギリス側は在来線、架線がなくなり、サードレールがむき出しになっていました。ロンドンが近づくと、小ぶりな近郊電車も見かけるようになります。

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 当時の終着駅、ウォータールーに到着。

 最後の宿はヒースロー空港の近くのホテルを予約済み。「ヒースローエクスプレス」に乗って行ったのだが、12£(≒2,100)円とえらく高かった。

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2000年 6月 5日(月)

 帰国のJAL402便の出発は夕方、なのに前日の内にロンドンに入ったのは、ヒースローで旅客機を撮影するチャンスが得られれば、と考えていたからでした。
(一昨年2013(H25)年に訪れた、ハットンクロスに行くつもりだった)
 しかし…残念無念、ヒースローは曇り空…。チェックアウトタイムギリギリまで、ホテルで寝て過ごしました。海外まで来てねぇ。

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 午後になって、当時空港にあった展望デッキ「スペクターズテラス」に出かけてきました。展望デッキ、というより航空ファン向けの施設、という感がありました。今は閉鎖されているよう。
 世界各国の旅客機が見られて楽しく、曇天が何としても残念。
(ただし、晴れだと目の前の滑走路は逆光になるのだが)


 
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 そんな中、これ、エールフランス航空(AF)のコンコルドが離陸。
 №485でも書いたのだが、ロンドンなのになぜAFなのか解らなかったのだけれど、これが言葉で表現が難しいくらい、恐ろしく凄まじい爆音。
 ヒースロー空港ってとても広いのだが、その全体で聞こえた事でしょう。
 コンコルドの離陸をLIVEで見たのは、これが最初で、最後でした。

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 旧ブリティッシュ・ミッドランド航空(BM)のA320。
 当時の、加盟会社のマークを並べるスタイルのスター・アライアンスカラーでした。
 BMは後にブリティッシュ・エアウェイズ(BA)に吸収され、今はありません。バックはそのBAのB747-400「ワールド・イメージ」。

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 JAL便が発着する、ターミナル3。

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 JL402便、JA8915。JA8101から通算して、JALが導入した100号機目のジャンボジェットです。

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 滑走路に向かう途中、BAのコンコルドも見かけました。

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 さらにケニア航空のエアバスも。
 その前に見えるDC-10もどき?の怪しげな緑色の物体は、火災訓練用らしい。

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 離陸。広い駐車場と、ホテル群を見下ろす。

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 雲海を抜けると、もう夕暮れ時だ。

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2000年 6月 6日(月)

 時刻を8時間進め、日付を変えます。

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 キャビン。真新しい機体なので、最初からMAGIC搭載。

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 シートテレビのゲームから四目並べ。結構難しくて、なかなか勝てません。他に「インベーダーゲーム」とか。

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 CAがドリンクサービスに周る。その後方では、NHKニュースが放映されていました。この旅の直前に西鉄高速バスジャック事件があり、事を起こした少年が家庭裁判所に送致された事がトップニュースになっていました。他に衆議院選挙の直前の動きとか、スマトラ島の地震とか。1$≒107円82~85銭、日経平均株価は17,201円79銭、だって。

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 出発後にサービスされた、オツマミ。

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 離陸後の食事。「洋食がかなり少ないのでできれば和食を…」とCAの方が申し訳なさそう。和食でもメインはハンバーグだったのだけれど。スイーツがなかったな。そばがくっついて少々食べづらかったかな。

 東行きだと、窓の外は一気に闇。どこか大きな街の明かりが見えた。サンクト・ペテルブルグ?

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 朝が来るのも一気。朝食はお約束?のオムレツ。食べ終わる頃、モニターのデータは機体がシベリアから日本海に抜けた事を示している。ただ、ひたすら雲海。

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 日本が近づくと、雲が切れて地上が見えてきました。佐渡島。

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 霞ヶ関と、美浦トレセンをかすめてファイナルアプローチ。

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 R/W16に着陸。花時計が迎えてくれました。

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 成田の上空は快晴。ヒースローもこうだったら良かったのに…。
 降りると暑い。周りからも「暑いな」という声があちこちから聞こえてきました。

 ベルギーの旅も無事終了しました。
 今回は路面電車と保存鉄道が中心になった感があったが、次回最終回では、ベルギー国鉄の列車や、一般の路線バスの画像などをご覧頂いた上で、ベルギーの鉄道の印象や、ベルギー自体のパーソナルデータを記して、完結とします。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

 中国や韓国など、東南アジア各国は、旧正月の「春節」の休日でにぎわっていたようでした。韓国は、TVニュースのキャスターも「ハンボク」をまとっていました。
 思ったのだが、「正月三が日」とか称して、(新暦の)年末年始に大きな休みを取る国って、ひょっとしたら日本位かも?欧米だと年末年始よりクリスマス、だし。

 明日は本体の更新を行います。神奈中バスの画像を追加します。

《今日のニュースから》
19日 日経平均株価 終値18,264円79銭 14年9ヶ月ぶりの高値
20日 九州道バス立てこもり事件 懲役5年半の判決

 詳細は不明だが、スイス・シャフハウゼンの近郊で大規模な列車事故が発生した模様。

№1312 思い出の海外旅行クロニクル 15.2000年ベルギー 3

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 ベルギーにも保存鉄道がいくつかあります。特に大規模なのは南部のマリエンブールにある、トロワバレ蒸気鉄道。非電化ローカル線と合わせて訪ねてみました。

2000年 6月 2日(金)

 この日はリエージュからナミュールに向かい、南西部の非電化ローカル線でディナンを訪ねます。

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 当時のナミュール駅は大規模改良工事中。橋上駅舎を建設しているようだった。ホームは新しくなっていました。

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 リブラモン駅。単行のDC列車に乗り換え。ベルトリクスまでは電化された複線。

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 牛の放牧が見られる、農村地帯。

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 ベルトリクスで、3方向からの路線が合流し、DCが集う。

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 DCの車内。かなりオンボロで、エンジンの唸りが凄い。特に中央部はかなり暑かった。エンジンの熱がこもるのか?窓もほとんど開かないし…。
 ビルトンまでは非電化ながら複線。しかも電化工事中で、真新しい架線柱が並んでいました。せっかくの複線なのに、すれ違ったのはリブラモン行の単行DCだけだったが。

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 当時は終点だったビルトン。構内には貨物列車の姿が何本かありました。現在はアチュ経由でアーロンまで旅客列車が走っているようです。フランスのロンギョンも16㎞と比較的近いが、バス便などは無いよう。
 駅自体はバスのガレージがあるだけで閑散としていたが、「Centre」の表示に従って駅前の緩い坂道を上がっていくと、通りに露店が並んでいました。ブラッスリーで昼食。

 ベルトリクスまで戻り、ディナン行DCに乗り換え。

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 ボーレン付近。空が広い…。
 この路線も電化工事中でした。ボーレン駅は仮設ホーム。

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 ディナン駅。

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 城壁と教会で有名なディナン。山に挟まれたムーズ川の狭いエリアに市街地が広がります。城壁へは、ロープウェイで行けます。

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 ロープウェイ(195BEF≒500円)で城壁まで登り、市街地を見下ろします。

 この後いったんブリュッセルに戻り、YHに宿泊。連泊としてここをベースにトロワバレを訪ねる事にします。

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2000年 6月 3日(土)

 トロワバレ蒸気鉄道を訪ねます。シャルルロワへ向かうが、途中の二―ベルまで普通電車、その先はIR(快速)で行きます。

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 ニーベル駅。普通の田舎町風情という感じ。

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 シャルルロワ駅。ベルギー第4の都市だそうで、付近は大きな工場が目立ちます。

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 駅前には路面電車が発着します。残念ながら、今回は乗る機会なし。

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 シャルルロワの市電。この電車はマスターカードのラッピング広告が施されています。本来は、ワロン地方の公共交通を運営するT.E.Cの共通カラーです。ワロン地方の路面電車は、シャルルロワだけのよう。

 マリエンブールまではDLのプッシュプルトレイン。途中ガントレット区間がありました。

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 国鉄のマリエンブール駅。
 蒸気鉄道の駅は離れた場所にあります。10分ほど歩き、本当にこの道で良かったのか?と思い始めた頃、行く手にSLの煙が見えてきました。

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 蒸気鉄道のマリエンブール駅。
 終点のトレーニュには、小規模な鉄道博物館があるらしい。往復250BEF+博物館入館料100BEF(合計で≒900円)。

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 機関庫。車両の補修作業が行われていました。

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 最初の1便はDC列車。他に乗客はいませんでした。大半はやはりSL目当てか。DCはカラーからして、国鉄払下げでしょうか。

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 その車内。窓は開かない。前日のDC列車の事もあってやや心配だったが、幸いこの列車の車内はそれほど暑くはならない。
 線路は手入れがあまり行き届いていないようで、木々がビシビシ窓を叩く。約30分でトレーニュに到着。

 駅に隣接して、見てくれはやや安普請な博物館がありました。中は展示車両が多く、思ったよりは本格的でした。ただし、少し車両を詰め込み過ぎ。

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 展示車両から、18051号機。紫色が美しい。1905(M38)年、リエージュ・サンクトレオナルド工場製。

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 流線型の1200号機。

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 何故だか解らないが、日本の鉄道の制帽が展示されていました。旧日本国鉄3種とJR東日本・JR西日本・JR九州。日本酒の便やとっくり、一方でTGVの模型と一緒というのもなんでだろう。

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 マリエンブールからのSL列車が、トレーニュに向かってラストスパート。SLは逆向き。

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 トレーニュ駅構内にて、前後付け替え作業中。観光客の注目度も高いです。

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 左が蒸気鉄道の目玉、158号機。小ぢんまりした、1C配置のタンク機。
 右は静態保存の52号機。

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 3両の旧型客車を牽引するが、最後部車両は荷物室との合造車だったのだろうか。

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 客室のシートは木製。

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 改めて、トレーニュ駅。
 レールはフランス方面へつながっていたのだろうか。歩いても30分程で、フランス国境付近に行けました。

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 沿線はひたすら田舎そのもの。

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 途中の踏切では必ず一旦停車、機関助手が降りて、安全を確認してから合図を送り、列車が出発します。
(往路のDCもそうだった)
 いくつかトンネルもありました。当然モウモウと煙が立ち込めて来る事になるが、一方でヒンヤリして気持ちよくもありました。

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 マリエンブールまで戻ると、もう一往復の始業に備えて、給水作業に入りました。

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 最後に、ブリュッセルに戻って、YH隣接の駅に行く地下鉄。

 明日はベルギー最終日。ブリュッセルの路面電車の博物館を訪ねた後、ユーロスターでロンドンへ。帰国の途に就きます。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

《今日のニュースから》
17日 東北地方各地で大震災余震 三陸沿岸に一時津波注意報
18日 日本郵便 オーストラリア物流最大手の買収を発表