№1265 思い出の海外旅行クロニクル 14.2000年台湾 2

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 台湾2日目。天気が良くなかった午前中は、平渓線を中心に、東部の鉄道を少し訪ねてみました。当時の平渓線は(少なくとも、日本では)今ほどブームではなく、数少なくなったローカル支線の一つ、という印象でした。
 天候が回復した午後は、メインの旅客機撮影に向かいます。滑走路際にポイントがありました。

2000年 3月20日(月)

 区間車(普通列車)の乗り継ぎで行こうと思って、台北駅窓口で菁桐までの乗車券を購入しようとしたのだが、八賭までしか売ってくれなかった。
 地下ホームから出発。台湾はどこもそうだが、ホームそのものに「1月台」(ホーム)「2月台」と振られ、その左右でA・Bに分かれる。ちょっと戸惑う。
 8時前の基隆行区間車で出発。2ドアロングシート車。

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 長い地下線を抜け、途中ですれ違った客車列車。莒光号?
 直線が長いが、スピードは60㎞/hそこそことあまり出ない。

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 八賭駅。ここで菁桐まで買おうとしても、瑞芳までは莒光号を指定された。今にして思えば、台北も八賭も、直通の区間車がないからこのような発券になったのだろう。最初から、台北から直通の莒光号にすれば良かったが、他国の鉄道のシステムに慣れていないと、色々と大変だ。

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 瑞芳駅で見かけた、DR3100形の自強号。

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 当時の平渓線DC、DR1000形の車内。回転リクライニングシートで、ローカル線にしてはおごっているなーとビックリしたものでした。
 今はロングシートに改造されています。

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 当時の菁桐駅。当時の印象は、ただど田舎、という感じ。

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 木造駅舎。この駅舎は1931(S6)年製だそうだが、先日再訪した時には全面的に解体され、新駅舎の建築工事に入っていました。

 ここから平渓まで歩いてみる。全体的にはひなびているが、最近まで貨物列車が走っていたからだろう、PC枕木で線路自体はしっかりしていました。

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 平渓駅。今はこの駅舎も変わっています。

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 記念に1枚、硬券の乗車券を購入してみました。日付の「89」とは1989年ではなく、中華民国紀元(1912(M45~T元))を表しています。
(今年2014年は「紀元103年」となります)

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 平渓付近は、こんな感じ。商店が、線路際に並んでいます。

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 平渓線の沿線は、十分~菁桐に小ぢんまりした集落があるが、それ以外はこのような渓谷沿いに走ります。ひなびた印象。
 この時の平渓線は丹念に訪ねる、という感じではなく、あくまでローカル線の乗りつぶし、みたいな感じになりました。

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 平渓線は、ほぼすべての列車が瑞芳まで直通します。駅舎は今もほとんど変わっていないけれど、14年前はホームに改札があり、一部のホームは、列車の発着がない時間帯は立ち入れなくなっていました。駅員は日本語が話せました。

 八賭乗り換えで基隆まで行く事にするが、八賭までの区間車が2時間近くなく、短区間だが自強号を利用。12両編成と長いのだが、座れずに立っているお客さんが多かった。八賭からは区間車の電車。

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 西部幹線の始発駅、基隆。

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 駅前に建つ、蒋介石の像。
 基隆は、沖縄からの客船も発着します。残念ながら、ここはすぐとんぼ返り。

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 区間車に運用される、EMU500形通勤電車。韓国の大宇製。

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 台北に戻る途中、区間車の運転間隔が小さくなっていたので、行きがけに気になっていた、七賭駅に途中下車してみました。この駅、当時は機関区を挟んで上下に大きく分かれていました。こちらは下りの台北・高雄方面行の駅舎で、大きなコンクリート造り。

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 上りの基隆・花蓮方面行の駅舎はこじんまりした、平屋の木造駅舎。
 上下の駅舎間は地下道を利用して、たっぷり10分近くはかかっていました。
 今は上下が統合され、かなり大規模な橋上駅舎となっているようです。

 ここまでは曇りがちだったが、台北に戻ってきたら、青空が戻ってきました。
 実は、前日も松山空港のポイントに足を運んでいたのだが、本来は建前上「撮影禁止」で、当時は警備の人がいて撮影できないとあきらめていたのです。
 しかし、工夫すればこのポイントでも撮影が可能と気づき、改めてポイントに戻ってみました。

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 R/W10のエンドに隣接したポイント。柵に面してカメラを向けるとアウトだが、手前に空地がありますよね。ここに入って撮れば、警備の人は何も言わないみたい。地元の人も撮っているようだったし。
 という事で、午後はこの場所で撮影三昧!

 ただし、この画像でお気づきかも知れんが、着陸機が地上スレスレに通過するので、着陸機の撮影は不可。
 離陸のために進入する機体のみとなるが、特にジェット機の場合はブラストが凄いので注意、です。
 それと当時は国内線のみ、海外の航空会社は見られませんでした。とはいえ、ほとんど全ては日本では見られないキャリアで、新幹線開業前だったからトラフィック自体は多く、中には今はないキャリアもあります。
 ほんの一部だが、一気にご覧頂きます。

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復興航空 A321-200

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復興航空 A320-200

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復興航空 ATR72-500
 復興航空(TransAsia Airways)は、現在は国際線にも進出、成田や沖縄でも見る事が出来ます。

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立栄航空 MD-90-30

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立栄航空 DHC-8-Q200
 立栄航空(UNI AIR)はエバー航空傘下。

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遠東航空 B757-200

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遠東航空 MD-82
 遠東航空(Far Eastern)は、2000年代に入って一時運行停止に陥ったそうだが、現在は運航を再開しています。MD-82は一部塗り分けが変わっています。
 B757は以前もご覧頂いた事がある、当時のプロ野球独立リーグ「TML」のマーキング機です。
(現在は「CPBL」に統合)

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國華航空 F-100

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國華航空 F-50-300
 國華航空(Formosa Airlines)は、前年にチャイナエア(CA)系列の華信航空に吸収されていたが、撮影日時点では國華航空カラーのままでした。

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大華航空 DHC-8-Q300
 大華航空(Great China)も、前年に立栄航空に吸収されていたが、カラーはそのままになっていました。

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華信航空 F-50
 華信航空はCA系列のキャリア、過去にはB747-400やMD-11も保有、政治的にCA乗り入れが不可だった国々へ乗り入れていました。羽田にも(CA便として)B747-400就航の実績があります。後にコミューターに特化し、ERJが就航しています。

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中華航空 B737-800
 ご存じ中華航空(China Airlines)、なのだが、国内線とも思えないのだが、何だったのだろう。

 台湾は小さい島だし、台北~高雄だと片道約1時間。だからトラフィックは多いけれど、どの便も往復だとせいぜい3程度で戻ってきて、次の目的地に向けて出発する事になる。従って、メインで就航している機材だったら、午後の短い時間だけでも、ほとんど撮れてしまう事になります。
 従ってまだ陽が高い17時より前には、撮影を終了とします。大満足でした。

 このポイントには先日も行ってきました。来月、もう少し詳しく、付近のロケーションとかについても書きます。

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 この撮影ポイントの近くにある、神徳宮。

 この時は時間節約のため、タクシーを利用して着いたのだが(日本より大分安い)、電車の場合は、当時はMRT文湖線の中山國中駅が最寄でした。歩いて20分弱、だったでしょうか。民族東路を歩いて行くが、自動車やバイクの修理工場がやたら多かった。

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 文湖線と板南線が交差する、忠孝復興。降下線をVALの文湖線が走ります。右手に太平洋そごうが見えます。
 ビルに大きく、総統選挙の候補者の広告が掲げられているのが、日本とは大違い。
(選挙戦は終わっているが、どこも全く片づけられていなかった)

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 龍山寺駅。板南線は、当時はここが終点でした。MRTのホームはどこも明るくて良い。

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 龍山寺を訪ねてみました。本殿。きらびやかな装飾が目につく。

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 龍山寺の後殿。

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 熱心に礼拝する人々。
 見学の後境内で「花枝麺」を食べる。薄味で美味でした。
 龍山寺ほど豪勢ではなくても、先の神徳宮の如く、このようなお寺は大小様々、市内の各地に見られます。人々の信仰心の熱さを感じさせてくれます。

 夕食は、今日は寂しくホテル近くのセブン=イレブンで食事を買い込んで、部屋で食べました。セブン=イレブンは、パッと見た目は日本とほとんど変わらず。日本のコミックの単行本(もちろん訳してある)や、日本語のお菓子も並んでいました。

 明日はMRTの乗車と市内見学の後、早くも帰国です。

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《今日のニュースから》
労働者健康福祉機構が障害者雇用率を虚偽報告 厚生労働省が告発

№1264 思い出の海外旅行クロニクル 14.2000年台湾 1

 これまで13回の海外旅行は全て欧州でした。
 そろそろ違う場所に行く事も考えて良いのではないかとも思い、当時はまだ暮らしにも少しは余裕があった事もあり、通例になった年2回の欧州旅行にプラス、初のアジア旅行として、台湾の台北行を決定しました。
 どうして台北にしたのか、今となっては思い浮かない部分もあるのだが、確か当時の航空雑誌に、市中にある松山空港の撮影ガイドが記されていて、それを見て旅客機の撮影に行ってみようか、と考えたのだと思います。もちろん台北市内の都市交通も(MRT)や、時間があれば郊外への列車の乗車、みたいな事も考えていました。
 一昨日、2回目の台湾訪問から帰ったばかりだが、当然ながら14年も経てば、違っている部分が相当ありました。今回の「クロニクル」に関しては、今回との比較も、記録・記憶にある限りは、少しは触れてみたいとも思います。

 ところで、出発前日の2000(H12)年3月18日、台湾では史上2度目の直接総統選挙が行われ、世界的に注目を集めていました。 民主進歩党の陳水扁氏が勝利し、国民党からの初の政権交代が行われる事となったが、背景として、国民党陣営の分裂劇がありました。この選挙結果は台湾全土で大変な騒動を引き起こす事になり、私自身、その現場をわずかながらも垣間見る事となります。

2000年 3月19日(日)

 今回は今は無き、日本アジア航空(JAA)の利用としました。
 1972(S47)年の日中国交正常化で台湾との関係が断絶、空路も途絶える事になってしまいました。後に空路を再開させる際、中国メインランドに路線を開設していたJALでは台湾への乗り入れができないため、子会社としてJAAを設立したものです。

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 JAAにもB747はいたけれど、このEG205便はB767-300でした。台北経由高雄行。日本発着の国際線でB767に乗るのは、初めてでした。
 9時出発と成田としてはやや早め、なので出国審査や手荷物検査場もは少なく、普段の成田ではない雰囲気。

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 C86番ゲート。中高年のお客さんが多いようだった。

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 搭乗口を通過、ボーディングゲートブリッジには各種新聞が並んでいました。台湾紙もあるが、前日のもの。

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 三里塚の方から黒煙がなびいてくる。火事ですか?運航には影響がなさそうではあるが。

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 そんな中を離陸。眼下のジャンボはBA機。

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 九十九里。しかし段々景色が白っぽくなってきた。

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 キャビン。B767としては新しい方で、座席が当時のJALのB777-200「スタージェット」と同じ柄。オシャレだと感じました。

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 オツマミのサービス。コカコーラの缶は中国語だ。日本のキャリアなのに、現地で調達したのか?

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 機内食。洋風の肉と和風の魚の選択で、洋風を選択。中華風味も添えられている。さつまいもがユニーク。

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 ビデオプログラムには台湾の電車が映っています。機内誌やオーディオプログラム、トイレの注意書きにも表れているのだが、JAAは台湾路線専門だけあって、日本と台湾、両方をバランスよく扱っているように感じられました。

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 離陸から約3時間、降下の最中、台湾の淡水河が見えてきました。

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 滑走路に向け、地上で大きく左にUターン。農村地帯だが、当然の話だけれど、やはり日本とも、欧州とも趣きが大きく違って見えて、新鮮でした。ああ、これがアジアの農村なのかと。

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 市街地。ごみごみした感じ。

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 到着しました。当然チャイナ・エアライン(CA)機がズラッと並ぶ。
(当時はエバー(BR)はまだ少なかった)。
 JAAのB767も他に2機いました。
 今は桃園と呼んでいるこの空港、当時は中正国際空港と称していました。

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 到着したA11ゲート付近は、成田空港第1ターミナルの改築前の各サテライトに雰囲気がよく似ていました。入国審査までやたら歩く。動く歩道も少ないし。ただ、各地で改修工事が進行中でした。

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 入国審査がどこも大行列。20分は並びました。アジアだとこんなものかと、ある程度は予想していたけれど。

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 到着ロビー。

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 台北車站(台北駅)の空港バス。当時は台汽客運という会社でした。この後、國光客運と改められる事になります。
 後ろ2軸の旧型車。もう冷房が入っている。当時は110新台湾ドル(TWD≒390円)。
(一昨日乗った時は125TWD)。

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 高速道路は片側4車線と広いのだが、車の流れは、今一つ秩序がないように見えました。車線に一般・追い抜きの区別がなくて、追い抜きの車は、隣の車線の隙間を伺うように左へ右へ、車線を変えていく。ちょっとヒヤヒヤ。
 先日台北→高雄の高速バスに乗った時も感じたが、トラックが少なかったのが印象的。両日とも日曜日という事もあったかも。

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 市内に入ると、まずバイク・スクーターが多いのにびっくり。しかも、その半分は2人乗り。

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 台北駅前も、歩道上がバイクでびっしり。日本より遥かにひどいなーというのが第一印象。

 市内のホテルに2泊、先にチェックインを済ませて身軽になり、一日乗車券を購入して、MRTを乗り歩く事にします。

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 当時の一日乗車券。150TWD(≒530円)。紙製で自動改札機は通れず、改札通過の度に職員に言って、専用のドアを開け閉めしてもらう必要がある、少々面倒なシステムでした。

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 当時のMRTの路線図。一般的な電車は、台北車站で交差する、実質2路線だけ。
 中孝復興で交差する路線は、新交通システム。フランスのVALです。

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 中山駅。

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 中正記念堂駅。

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 中正記念堂。ブルーの屋根と白い壁のコントラストが印象的。

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 中孝復興駅。地下の板南線と高架の木柵線の乗換駅であり、直通のエスカレーターは住之江公園駅を連想させます。

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 木柵線はゴムタイヤ式の新交通システム。日本のものより大型で、4両編成。

 一般的なMRTの地下駅の様子を、一部ご覧頂きます。「こんな感じだった」という所で。
(複数の駅にまたがっています)

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 券売機。

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 改札口。当時はICカードやトークンはまだなく、一般の乗車券は磁気カード。

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 ホームのエレベーター。

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 ホーム(中山駅)。エスカレーター・エレベーター完備です。

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 案内表示。これは中孝復興駅のもの。

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 地下駅ホームの全体像。吹き抜けで屋根が高いのが特徴。

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 防犯のため、ホームの中央部を「夜間婦女候車區」と称して、特に夜間はできるだけここで待つようにと指定しています。防犯カメラがあるみたい。ホーム自体が十分明るいし、今だと全体にカメラがあると思うのだが、この設定は今もあるようです。
(「女性専用車」というものは昔も今もない)

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 市政府駅ホームのパブリックアート。

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 台大病院駅ホームのパブリックアート。

 台北の地下鉄はまだかなり新しく、淡水線が3年前、板南線となると前年(1999(H11)年)暮れに開業したばかりでした。それ故案内標識なども日本的な感覚で、解りやすいものになっていたように感じられました。

 ホテルに戻って、TVニュースを見たらビックリ。総統選挙で敗れた国民党の本部前では、支持者の激しい抗議活動が繰り広げられていた。幹部のリムジンがボコボコにされたり、警官隊と衝突したりしてムチャクチャ。
…今もやっているの?

 翌日は天気任せの結果だったのだけれど、午前中は平渓線乗車、午後に松山空港での撮影、となりました。

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 今朝の新横浜の一件だけど、乱暴を承知で言えば、死にたいなら独りで死ねよ、と言いたい。何の関係もない十数万人の乗客を巻き込む必要はないです。

《今日のニュースから》
G20サミット エボラ出血熱流行終息に向け声明を採択

№1263 台湾から、帰ってきました。

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 日曜日~今日の間、ブログ更新2回の休みを頂きつつ、台湾に行ってきました。
 台湾は14年ぶり2回目だったけれど、前回は台北中心で3日間の短期でした。
 今回は高速バスと新幹線の乗り比べで高雄まで行ったりして、5日間の日程となりました。もっとも今日は午前中の便で早々に帰ってきた訳ですが。
 今回は、とりあえず画像によるダイジェストをご覧頂きます。

11月 9日(日)

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 羽田~台北(松山)はエバー航空「ハローキティジェット“Hello Apple”」。

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 台湾から高雄へ、高速バスの旅。

11月10日(月)

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 高雄市内を十字型の2路線で走る地下鉄MRT。

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 鼓山と旗津を結ぶ小型フェリー。背後に台湾第2位のビル。

11月11日(火)

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 ついに乗りました。台湾版新幹線「高鐵」。

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 午後は松山空港で旅客機撮りまくり。マンダリン航空のERJ。

11月12日(水)

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 ご存じ平渓線。十分の露店街の中、観光客をかき分ける?かのように列車が行く。

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 十分・平渓・菁桐~木柵は、路線バスもあります。

11月13日(木)

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 早朝の空港バス。アメリカンスタイルの旧型車両が健在。

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 帰国のANA便。背後はJALの“one world”。

 これから準備を進めて、来月には公開します。
 なお、「14年ぶり2回目」と書きました。14年前、1998(H10)年3月には、初めてのアジアで、台湾を訪れていましたが、それについて次回から、「思い出の海外旅行クロニクル」として、3回に分けて書く予定です。今回との比較も記録・記憶がある程度は、少し入れてみたいと思います。

 情報を一つ。平渓線の終点・菁桐駅は古い木造駅舎が残されていたが、昨日訪れた時点では全面改築工事を行っています。窓口が仮設でした。来年初頭までの予定だが、どのような姿になるのでしょうか。

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 ところで、台湾では現在、統一地方選挙の選挙戦が真っ只中で、各地で運動が繰り広げられているが、日本では考えにくいような事がいくつもあります。特に、候補者がバスにラッピング広告を出すなんて事まで普通にやっています。台湾の選挙って、どこかお祭りムードもあるようです。思えば14年前は総統選挙の翌日に台湾入りしているのだが、政権交代の混乱で台北市内が大騒ぎになり、私も直接目の当たりにする事になります。それについても「クロニクル」で書きます。
 でも、台湾でも日本のニュースをネットで見ていたけれど、日本も解散・総選挙?まだ2年しかたっていないのに?あーヤダヤダ、町中が街宣車の騒音で埋め尽くされるのは…。

《今日のニュースから》
英高速鉄道向け新型車両 日立製作所が公開

 ロンドン~スコットランド路線向けの今回の車両は、非電化区間直通用に、ディーゼルエンジン付きの発動機を搭載。
 来年には英国に発送、試運転の後、2017(H29)年からの営業運転を目指すとの事。