№1254 思い出の海外旅行クロニクル 13.1999年オーストリア 6
ウィーンにも小私鉄があり、南部のバーデンまで走っています。この鉄道を訪れた後、プラハ行ECでオーストリアともいよいよお別れ。翌日はKLM便を乗り継ぎ、帰国の途に就きます。
1999年10月31日(日)
ウィーン市中のオペラ座の前と、南部のバーデンの間は、ウィーン・ローカル鉄道(WLB Wiener Lokalbahnen)が走っています。路面電車スタイルの電車が使われ、市の中心部は市電のレールに乗り入れます。
ただし車内は本格的なクロスシート、大型のテーブルもあります。
起点のオペラ座前。WLBの線路は専用です。
ヨハンシュトラウスガッセを過ぎるとしばらくは地下線の駅が続き、抜け出すとWLBの専用路線になりました。
郊外のメラースドルフ付近。雲がやや多いが、空が広く感じられました。
終点のバーデン・ヨセフプラッツ。オペラ座前から1時間強。2線の折り返し線があります。ただの電停とも思ったが、乗場の脇、画像では右手のビルにはWLBの切符売場と旅行代理店が入っていて、日曜日ながら切符売場の窓口が開いていました。
帰り道は、グンドラムスドルフで途中下車してみました。この区間は路面だが、この路線は専用軌道と路面区間が混在し、南部は単線になります。イメージ的には広電の宮島線に近いと感じました。
時間が少なかったため事実上単純な往復に留まったが、運行本数は非常に多いので(休日の日中でも15分毎)、時間をかけて訪ねれば、もっと楽しめたのではないでしょうか。
オーストリアからのお別れは、チェコのプラハ行と決めていました。せっかく東欧諸国と国を接しているのだし、特にチェコは行った事がなかったから。
南駅からのEC72列車「SMETANA」号。1等車1両と食堂車を含めた客車6両は全てチェコの編成。水準は西側とそん色ないように感じました。
古めかしいサボ。列車名はチェコの作曲家、ベドルジナ・スメタナから取られているようです。
始発は東駅、出発してすぐドナウ川を渡ります。
と、早々にパスポートコントロールの係官の一団が廻ってきました。国境はまだ先なのに。まずオーストリア側。少し太めのおじさんが、パスポートをじろじろ眺めて、ハンコを押しました。
続いてチェコ側の係官も来ました。おばさん係官がパスポートを眺めて、何やらデータをパソコンに打ち込んでいた。スタンプは押されない。
田園地帯。冬時刻となったので、16時前で影がかなり長い。
ついにオーストリア最後の駅、ホーヘナウ。操車場のような駅で、右も左も貨車がずらり。歩道橋のような跨線橋で駅舎に向かうのは、これまで見てきたオーストリアの駅にはなかったスタイルです。
別のチェコの係官が乗り込むが、乗客の乗降は無かった様子。
国境の大平原に、夕陽が沈んでいく…。
Auf Wiedersehen!
チェコのブジェツラウに到着。構内は広い。見た事がない電車が多くて楽しい。ホームの放送はオーストリアと比べたらずいぶん多くてやや騒がしいかも。大きな煙突のある工場が見えるから、ここは工業都市なのだろうか。
ELが、チェコの362 123-2に交換。割とおとなしいスタイル。
もう外は真っ暗になってしまい、残念ながらチェコの車窓は楽しめない。ブルーノでは、何やらすごい大聖堂がライトアップされているのが見えました。
せっかく食堂車が連結されているのに、ガラガラ…。ちょうど夕食時なのに。やがて客は私一人だけになってしまった。
夕食のチキンステーキ。132ATS(≒1,170円)。 食堂車ではチェコのコロナ、オーストリアシリングの他、ドイツマルク、スイスフラン、それに米ドルが通用。カードもビザとユーロマスターが通用。
プラハ中央駅は定刻に到着。ウィーンからは5時間弱。
残ったATSをコロナに両替、地下鉄に乗り換えて郊外のホテルに向かいました。過去に2度止まった、バルセロナの駅ビルのホテルと同じチェーン。
ホテルの部屋で見たCNNは、ニューヨークからのエジプト航空990便が墜落事故を起こしたと伝えていた。217人全員絶望!?
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1999年11月 1日(月)
ホテルには日本人の団体さんがいて、先に朝食を取っていました。皆中高年。
ホテルからルズイニェ空港へは、地下鉄と市バスを乗り継いで行きます。
地下鉄A線。やはり旧ソ連製なのか。乗客が読んでいた新聞にも、エジプト機の事故が伝えられている。
空港行市内バス119系統は、A線の終点、デジュビッカから乗ります。ごく普通の連接タイプのバスで、空港利用者は他にも多かったが、荷物の置き場に一苦労。
市電と出会う。パンタグラフが異様に高いのが目立つ。
ルズイニェ空港のターミナルビル。出発と到着でターミナルが異なる。
展望デッキはあるにはあるが、ガラス張りだし、狭くて何もない。
出発フロア。大分新しい。屋根のアーチは、関西空港に似ている気がします。なんとなく、だけれど。
出国審査の先のカフェバーからは滑走路を一望できるが、トラフィックはそう多くはない。それから、免税品店は小規模な1軒しかなかった。
KL1352便、B737-300。
出発の直前、左手にアエロフロートのTu-154の到着を見ました。
やや遅れて出発、離陸。一直線に上昇、農村地帯が広がるのが見えます。
機内の様子。
機内食はサンドイッチ。
デザートはケーキ。
大都市が見えました。確信は持てないが、ライプチヒあたりでしょうか?
着陸直前、スタジアム・アレナ。アムステルダムは曇り空。
スキポールのターミナルを行き交う人々は、プラハとは比べ物にならない位多いし、人種も様々。もちろん日本人の姿も。
成田行KL861便。KLM-asiaのコンビ型。
雨のアムステルダムを離陸。中央駅やライン河も見る事が出来たが、すぐに雲の中に入って、何も見えなくなってしまいました。
離陸直後にふるまわれたオツマミ。
キャビン。
離陸後の食事。鶏の照り焼きにライス添え。
食事の途中、突然揺れだして、一時ベルトサインが点灯。気流の悪い所を飛行中、とのキャプテンアナウンスもあったが、前線が機体の近くにあるらしい。15分程で消灯。
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1999年11月 2日(火)
夜が明けました。朝日が、シベリアの大地をオレンジ色に染めていきます。
到着前の食事は、暖かいワッフル。
成田も残念ながら雨模様。アプローチで見る、鹿島のコンビナートと利根川。
成田空港に着きました。外気温18℃と表示が見られた。関東地方も寒くなってきたようです。
無事、オーストリアから帰ってきました。
次回はいつものように、ÖBBの車両と主要駅の写真をご覧頂き、当時のオーストリアの鉄道の印象、オーストリア自体のデータを記して、完結とします。
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