№1252 思い出の海外旅行クロニクル 13.1999年オーストリア 4

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 ÖBBには760㎜期間のナローゲージ路線がいくつかあり、4年前(1995(H7)年)にはツェル・アム・ゼーを起点とする「ピンツガウ線」に乗った事を、№891で書きました。ほとんどのナロー路線は非電化だが、ウィーン~ザルツブルクの本線の途中にあるザンクト・ポルテンからは、電化ナロー路線「マリアツェル線」が延びています。全長84㎞と結構長距離。フェッケラマルクトからのローカル私鉄と共に訪ねてみました。
 翌日はウィーンに戻り、Uバーンや路面電車に乗ります。

1999年10月29日(金)

 前日はあんなに晴れていたのに、この日は朝から雨模様…。ホーフェン・ザルツブルク城も、雨で煙ってぼんやりしていました。
 駐車場を見たら、観光バスが5台も停まっていた。ざっと見積もって、200人位の団体だったのか。

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 ザルツブルクの交通の主役はトロリーバス。

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 フェッケラマルクトへ行く普通列車は、「City Shuttle」と書かれた客車列車。ペンデルツークタイプの編成ながら、運転台がある側にELが連結されています。

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 車内はモダンだが、これまで乗ってきたÖBBの列車とは少しインテリアの色使いが違い、やや軽い印象があります。

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 ザルツブルクから5~10分走っただけで、もう牧歌的な車窓になります。それにしても静か。他に客はいないし、放送もないから、シャーッという走行音しか聞こえない。ただ、さすがに特急街道。ECと何本もすれ違います。

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 フェッケラマルクトで下車。

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 ここからローカル私鉄、シュテルン・ハッフェール鉄道に乗ります。この鉄道は付近にいくつか路線があるらしいが、その中の一つ、南のアッター湖まで延びる路線に乗ります。BD4ET26形(…正しいか?)の単行。

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 BD4ET26形の車内。

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 BD4ET26形の運転台。ワンマン運転で、右側の赤い箱は乗車券発券機。

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 その発券機で、乗車券を発行してもらいました。往復60ATS(≒490円)。レシートみたい。

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 始発のフェッケラマルクト駅は、ÖBBの駅から地下道を通っていきます。

 10時45分発のアッターゼー行は、乗客は5人だけ。自分以外は地元の人ばかり。釣りかけの音をうならせて、坂を上って行く。途中の駅は皆小屋のような待合室があるだけで、ホームがない。それどころか、駅でない所で止まって、お客さんを降ろしていく。自由乗降電車って事!?日本ではありえん。

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 田園地帯が続く。ずっと曇り空が広がっていたのに、この付近だけぽっかり青空になりました。

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 終点のアッターゼー駅。観光地の装いだが、晩秋は完全にシーズンオフで人影はまばら、観光船の営業も終わっていました。

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 アッター湖。

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 車庫にはかなり古びた電車の姿がありました。動く機会はあるのか?
 帰りの電車は学校帰りの子供たちが多かったが、次の駅でさっさと降りてしまいました。またガラガラのまま、フェッケラマルクトまで戻ってきました。

 フェッケラマルクトからリンツまでの普通列車は「City Shuttle」ではなくて、普通のペンデルツーク。
 リンツからはECで先を急ぎます。食堂車連結。迷わず食堂車へ直行。

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「Hearty lentil hot pot」と称する、シチュー。

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 デザートの「Curd cheese dessert」。

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 ザンクト・ポルテン到着の直前、メルクの修道院を見ます。この付近では鉄道の撮影の名所でもあります。

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 ザンクト・ポルテン駅。青空。オーストリアも、空は気まぐれ…。

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 マリアツェル線は、構内の外れの方、頭端式の23・24番線から出発します。客車4両は、帰宅の学生が大半。
 1099型ELは足元がクラシックで、ロッド式。

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 キルヒベルク・アンデア・ピーラッハ駅で、新型の電車と交換。
 だんだん高度が上がってきている。デッキのドアの窓を開けると、かなり冷たい空気が吹き込んできます。素掘りのトンネルも現れる。

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 シュヴェルバッハ駅。停留所そのもの。線路際が黒くなっているのは、ロッド式ELだから?
 最後部車両に座っていたら、いつの間にか客は自分一人だけになってしまった。と思ったら、車掌から前の車両に行くよう言われた。ラウヘンバッハミューレで切り離しらしい。ここを出ると、路線はつづら折りの線形で一気に高度を稼いでいく。

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 ゴッシング駅。標高891mで、マリアツェル線の最高地点らしい。

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 アンナベルク付近。

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 マリアツェル到着。残っていた10人程度の乗客は、皆すぐに姿を消して行った。列車もややあって車庫へ。今日はもう列車がない。

 さて、辺鄙な街だが、リゾートでもあるから宿自体はすぐ見つかった。シャワー・トイレ・TV付で350ATS(≒2800円)と、上々じゃないか!
 ところが、チェックイン後、大失敗に気付いた。ATSの残りがない!しかも田舎の宿ゆえC/Cも使えない…。もちろん、銀行なんてないし、あったって今の時間じゃ開いているわけもない。どうしようどうしようとスタッフに相談したら、朝食抜き条件で、200ATSでいいよ、と言ってくれた。感謝あるのみ。
 オーストリアに限らず、田舎に泊まろうと思ったら、都会にいる内に、地元通貨の残額のチェックを!

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1999年10月31日(土)

 マリアツェルの中心街は、駅から200m離れた所が中心のようだ。ホテルが他にもいくつかあったが、休業中の所が少なくない。ウインター・スポーツシーズンになればまた賑わうのだろうが。

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 改めて、早朝のマリアツェル駅。実はこの駅からさらに南へ、SL等の保存鉄道があるのだが、今回は乗る機会なし。
 今日は青空、行く手の山々がオレンジ色に染まっていました。

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 ラウヘンバッハ・ミューレを下っていく、オメガカーブ。眼下に駅が見えてきました。

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 ラウヘンバッハ・ミューレ駅の標高は535m。ゴッシングからは360mも下ってきた事になります。マリアツェル行と交換。向こうは客車を7両もつないでいて、最後部は特別車両のようでした。

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 駅から、今下ってきた丘を見ます。この丘の上から南に北に、進路を大きく変えつつグングン下ってきたのでした。

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 ケルヒベルク・アンデア・ピラッハ駅。壁面に飾られた花がきれい。基本的には晴れなのだが、谷あいの街は、霧で霞んでいます。
 ザンクト・ポルテンが近づくと、遊びに行くらしい子供の姿が多くなってくるのだが、喫煙エリアでは皆人目もはばからず平気で煙草をプカプカさせているのには、正直あきれてしまいました。すごく煙い…。

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 マリアツェル線は1998(H6)年、全線開業から100周年を迎えました。その記念の絵葉書。初期のMh6型SL、1099型EL、4090系電車が描かれています。

 ザンクトポルテンからはECでウィーンへ。西駅の両替には、日本円(10000円・5000円札)を両替できるマシンがありました。両替して、サンドイッチとコーラを食す。何しろハラペコ…。

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 産業博物館を訪れてみました。鉄道の展示があると聞いたので。95ATS(≒760円)。

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 しかし残念ながら、展示の入換もあったのだろう、鉄道の展示は極めて少数でした。
(本当は鉄道博物館に行きたかったのだが、移転していたとの事)
 子供たちの姿が多く、電子や機械の工学に関する展示が好きなら、それなりに楽しめると思いますが。

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 数少ない鉄道の展示から、ELのモックアップ。

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 ここでもプチ観光を楽しんでみました。シェーン・ブルン宮殿。マリア・テレジア・イエローが印象的。

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 カールス教会。

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 オペラ座。

 この日を持って、欧州のサマータイムが終了。
 ヒュッテルドルフのYHには、こんな張り紙がありました。

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 翌10月31日、午前3時になったら、1時間繰り下げてもう一度午前2時になります。
 日本との時差は、サマータイム期間中の7時間が、8時間になります。

 この2日間をまたいで、ウィーンでは地下鉄と路面電車を乗り歩きました。次回1回費やして、まとめてご覧頂こうと思います。

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 MRJの機体が公開されました。ようやくここまで来たかの感はあります。どうかこれ以上はスケジュールの狂いなく、2017(H29)年度の初号機ANA導入を迎えて欲しいと思います。

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