№1250 思い出の海外旅行クロニクル 13.1999年オーストリア 2

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 最初はウィーン郊外、シュネーベルクを走るSLの登山鉄道の乗車をプランに組んでいました。しかし、残念ながら…。ともあれ、ローカル路線・ローカル列車の旅を楽しみながらグラーツを目指します。

1999年10月25日(月)

 YHは中央駅からはやや離れていて、バスで駅へ移動。グラーツ行ICに乗ってビショッフス・ホーフェンへ。

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 2等のコンパート。

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 ギザギザの岩山が迫ってきます。

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 イェンバッハの手前で、トラックを輸送するピギーパック列車とすれ違う。DBのELが補機になっている。

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 シャルテンスパイツ。

 ビショッフスホーフェンで乗り換えたグラーツICは、4年前にも乗った電車特急4010系でした。まだ健在だった。

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 2等車の車内。2-1配置でゆったり。
 セッツタールで降ります。

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 アムステッテイン行ローカル3529列車。

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 客車3両の内、中間は1・2等合造の格下げなのだろうか。こちらも2-1配置でゆったりしています。客室が4つに分割されているが、かつては1等喫煙・1等禁煙・2等喫煙・2等禁煙に分けられていたのだろうか。
(今は全て禁煙)

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 フラウエンベルグ・アンデア・エンス付近。丘の中腹に小さくだが、お城が見えます。

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 シェーナウ・アンデア・エンス駅。

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 山間部のクレインレイフリング駅。サンクト・ヴァレンティンへの乗換駅(分岐は一つ先)で構内は広いが、駅付近には民家がない。人影もまばらで、車掌が暇そうにポツンとホームにたたずんでいました。

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 アムステッテイン駅は近代的。エレベーターもある。ただ、駅前広場は狭い。

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 その駅前から延びる道路の突き当りに、大聖堂が建っていました。

 シュネーベルクのSL列車は予約制だが、アムステッテイン駅で、翌日乗るはずだったSLを予約しようと思ったが、満席の回答…。残念ながらあきらめて、ダイレクトにグラーツを目指そう。遅くなったので、ウィーン行のICの食堂車で夕食にします。

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 夕食のサラダ。結構ボリュームがあり、ハムとチーズを絡めてスライスしているなど、芸も細かい。
(この画像では解りづらいが…)
 ただ、ザンクトペルテンを過ぎた所で営業は終了、デザートは楽しめなかった。コーヒーはOKだったのだが。
 ウィーン手前のヒュッテルドルフで下車して、YHに投宿。子供たちの団体さんが泊まっていて、駐車場に観光バスが停車していて、中では少年たちがビリヤードを楽しんでいました。

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1999年10月26日(火)

 全くお恥ずかしいことながら、この日はオーストリアの建国記念日、つまり祝日なのでした。だからSL列車が満席だったのか…。この程度、出国前に調べておけよな…、と反省。

 ヒュッテルドルフ駅からウィーン南駅を経由し、グラーツを目指す。ウィーナー・ノイシュタットまでは普通列車で行きます。

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 ウィーナー・ノイシュタット駅。

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 途中団体列車を追い抜いたのだが、この列車が後から追いついて、SLが現れました。

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 52-4984号機。1E「デカポット」スタイルのテンダー。国境を越えた先、ハンガリーのショプロンまで行くらしい。

 センメリンク峠も、今日は普通列車で越えたかったのだが、祝日では適当な時刻の列車が運休…。ブルック・アンデア・ムーアまではIC利用になります。

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 ペイヤーバッハ・ライヘナウの町。ここを過ぎると、ICと言えども大きくスピードが落ちる。

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 センメリンクを越える。勾配がきつくてカーブも多く、60㎞/h程度でノロノロ登っていく。補機はついていないからアールベルクよりは楽かもしれないが。身をよじらせるように登っていく。

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 YHで朝食を食べたばかりでもあったが、せっかく食堂車が連結されているとあれば、行かない訳にはいきません。ケーキとコーヒーを楽しむ。やはりクリームがたっぷり添えられています。

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 ブルック・アンデア・ムーア駅。ザルツブルクやフィラッハへ向かう路線の分岐駅で、4方向からICが集い、賑やか。

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 スピエルフェルド・ストラーシェ行ローカル4019列車。グラーツを一旦スルーします。

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 2等車の車内。とにかく乗客は非常に少なかった。だから車内もとても静か。

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 終点のスピエルフェルド・シュトラーシェ駅。スロベニア国境に近く、黄色いスロベニアのELも見かけたのだけれど、バート・ラドケルスブルク行ローカル列車の出発時刻が迫っていて、慌ただしく乗り換え(だからELを撮るヒマがなかった)。近くにはお城もあり、あまり国境というピリピリした雰囲気はない。

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 沿線は農村地帯が続きます。線形は良いはずだが、遅い。遠くに見える丘はスロベニアなのか。

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 途中のプルクラ駅。

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 終点の、バート・ラドケルスブルク駅。構内は広くて駅員もいるが、付近の民家は少なくて寂しい。貨車が見られたが、線路は行き止まり、貨物だけでもスロベニアへ直行、という訳ではなさそう。

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 往復で乗った、5047形DC。ÖBBのローカル線では、割と良く見られるタイプのようです。

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 5047形の車内。客車とほぼ同じ仕様だが、荷物棚に特徴あり。

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 この路線では、ワンマン運転が行われていました。客室側に運賃箱を置く日本とは違い、乗務員室の側に、乗車券発券機を置いています。袖のシャツの柄でお分かりかと思うが、運転士は私服でした。

 スピエルフェルド・ストラーシェより、グラーツに戻ります。居眠りしていました。
 グラーツからは、今度はグラーツ・ケフラッハ鉄道(GKB Graz-Köflach Bahn)に乗ります。小ぶりな2連のDC(連接タイプ)。

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 2-3配置の簡素なプラスチックのシートが並ぶ車内。

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 最初はグラーツの近郊という感じで住宅地が続くが、だんだん車窓が田舎じみてきた。レールそのものの整備状態は良さそうに思えたが、乗り心地は今一つ。

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 待合小屋だけのガイスフェルド駅。
 ここを過ぎると勾配がきつくなって、トンネルも現れる。

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 当然ほとんど無人駅だが、「リクエスト・ストップ」(乗降があると確認された時だけ停車)は無くて、律儀に一つ一つ停車していく。その際、車掌はドアの上のボタンでベルを鳴らし、発車の合図を送る。ドアを閉じるのは運転士の役目だが、この方式、欧州では珍しい気がするが、どうだろう?

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 1時間弱で終点のケフラッハに到着。祝日らしく大きな国旗がぶら下がっているが、駅員はいない。但し、駅前の広い道路は多くの車が行き交い、思ったよりも騒々しい気がしました。

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 最後に、構内に留置されていたダブルデッカー客車。ラッシュ専用らしく、休日は運用されないようです。

 この晩はグラーツのYHに宿泊。4年前にも泊まった所だが、内部は大分変っていました。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 東京メトロ日比谷線の新駅建設が、今日リリースされました。
 神谷町~霞ヶ関の、桜田通りの虎の門2丁目と3丁目の信号の間に建設。
 付近は「虎の門ヒルズ」を中心とする再開発計画があり、新橋方向への環状2号線も建設されます。新駅は再開発地区のアクセスとなるとともに、五輪の際に設置されるバスターミナルとも直結し、五輪会場へのアクセスルートともなる構想です。
 来年度には着工し、五輪までには営業開始、2022(H34)年には全面的な完成を目指すとしているようです。
 現在の東京メトロは駅番号を導入しているが、在来の駅の番号はどうするのだろう?新駅は、現在の霞ヶ関が使用している「H06」を使うと思われるが、霞ヶ関~北千住の各駅はどうするのか。新駅開業と同時の改番では混乱するはずから、どこかのタイミングでやるかと思われます。
 日比谷線は再来年には新車両の運行も始まり、五輪までには取り換えが完了する計画で、五輪を前に、他の駅も含めて大きく姿を変えそうです。今後に大いに注目です。

 今回の台風19号は、知る限りでは、幸い交通機関には大きな被害は出さなかったようです。JR西日本の早期全面運休決定には議論もあるだろうが、ともあれ何もなくて良かった。

《今日のニュースから》
フィギュアスケート高橋大輔選手 引退を表明