№1249 思い出の海外旅行クロニクル 13.1999年オーストリア 1
一度は「12月に書く」と書いてしまった、1999(H11)年秋のオーストリア旅行のクロニクル、予定を早めて今月、6回に渡って書きます。
オーストリアはこれより4年前の1995(H7)年に短期間ながら集中的に訪れた事があり、その前後にも他国を訪れた際に旅の終点としたり、途中の経由地とした事がありで、何度も来ています。
従って今回はできるだけ、これまで訪れた事がなかった地域・路線を選んで訪ねてみました。上の画像のモンターフォーナー鉄道のように、(少なくとも、日本人には)比較的知名度が低いローカル線が多くなったと思います。
1999年10月23日(土)
今回は往復ともKLMオランダ航空を利用、アムステルダム経由となりました。
改修工事が終わった、成田空港第1ターミナル北ウイング。
改修後の出発フロアは、第2ターミナルに似た雰囲気になりました。
ただしサテライトはまだ工事中。KLMは南側の第4サテライトからの出発で、遠いので注意をと、チェックイン時にアドバイスがありました。
展望デッキもリニューアルされたが、金網が少々うっとおしい(現在もそうだが)。土曜日とはいえ、朝からずいぶん航空ファンが多いなあ、と思っていたら…。
B717ではないですか!?エアトラン機材を使用した、アジアのデモツアーフライトらしい。ファンの狙いはこれだったのか。
第4サテライトの45番ゲート。ここの改修工事はこれから。出発時刻を廻ってから搭乗が始まる。今回のKL862便のB747-400はフルパッセンジャータイプでした。
1時間遅れて出発。R/W34に向かう誘導路は6機が数珠つなぎ。2番目はIL-76だ。
離陸して、右手に土浦を見る。左下には小さく、ひたち野うしく駅が見えます。
日本海上空、右手に同じ方向へ飛ぶ旅客機が見える。おお、どんどん近づいてきてランデブーみたい。ロンドンへのBA機でした。
キャビンの様子。
離陸直後にサービスされた、オツマミとオレンジジュース。
離陸後の食事。牛肉メインだが、巻きずしがそえられています。
「ミスター・ビーン」、覚えていますかね?ローワン・アトキンソン演ずる中年男が繰り広げるギャグで、セリフはほとんどなくて、仕草や表情で笑いを誘うという、日本でもカルトな人気を誇ったTV番組。機内ビデオで放映されていました。
シベリア上空。快晴だが、太陽の光は弱々しく、夕方のよう。
映画と映画の合間にサービスされた、カップヌードル。これはもちろん日本製。
到着前の食事。ラザニアだが、これも日本そばが添えられていました。
着陸直前の、オランダの農村地帯。やはり日本とは全然違うなあ。
遅れはやや詰めたが結局46分の遅れでスキポール空港に到着しました。
オーストリアはシェンゲン条約国なので、ここで入国審査を受けます。
改めて、B747-400、PH-BFN。
ウィーン行KL1847便が出発するD78番ゲートに向かうと既に大方搭乗が終わっていて、スタッフより「ミスター・キクキ(チ)?」とか呼ばれた。トイレに行く余裕もなし。
成田チェックイン時では通路側のシートを指定されていて、窓の外を見る事は出来ない。空席自体は多くて、後方は窓際も空いているので変わっていいか、とCAに尋ねたら、離陸の後に、との事だった。
定刻よりやや早めに出発。成田とは違ってタキシングは短く、R/W24からもう離陸だ。
B737-400のキャビン。
コールドミールの食事。ハム・野菜・ピクルスにチーズ。しばらくしてからデザートのケーキとコーヒー・紅茶が廻ってきました。
下界は曇り空のよう、その雲の向こうに夕陽が消えていきます。
着陸直前の、ウィーンの上空。ウィーンは定刻より早く着きました。
改めて、KL1847便のB737-800。
到着ロビー。
中心部は、今回は初めて鉄道を利用します。ところが当時は、首都の国際空港の駅なのに窓口は16時45分で閉じてしまっているし、券売機は高額紙幣が使えない…。地下ホームもやや殺風景。当時はミッテ駅まで、Sバーンが30分間隔。
今回はいきなり、夜行列車で南端部のブレゲンツを目指します。西駅から出発なので、途中の駅で乗り継いで行きました。
最初は座席車を考えていたが、結構疲れていたし、クシェットにします。しかし、窓口では予約は入れられなくなり、列車の車掌から直接寝台券を購入するようアドバイスされました。350ATS(≒2,840円)。朝食が含まれているらしく、コーヒー・紅茶どちらにするか聞かれます。
後部には車運車が5両も連結(フェルトキルヒまで)され、車がどんどん積み込まれて行きます。
定刻を少し回って出発。猛烈に眠い。すぐに寝ます。でも寝台はやや寸足らず?
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1999年10月24日(日)
朝食とはいっても、丸パン2個+紙コップのコーヒーの簡単なもの。
10月後半の欧州は、7時前でも真っ暗。そんな中着いたスイス国境に近いフェルトキルヒで、同室の中年の夫婦を初めほとんど降りて、クシェットはガラガラになりました。ようやく明るくなった頃、ブレゲンツ到着。とてもモダンだ。
一駅先、ブレゲンツ・ホーフェン駅はボーデン湖が近い。観光船乗場と直結。ロープウェイ乗場もあります。
日曜日だがさすがに早朝とあって、人影はまばらだ。それでも散歩の人たちも見られました。ドイツの国境が近く、湖の対岸は昨年泊まったリンダウか。
ブルーデンツ行ローカルは、そのリンダウが始発だった。車掌は乗っているが放送は無し。車内もガラガラ。無人駅がほとんどだが、新しいホームが目立つ。
ブルーデンツ駅。ここも駅舎は古風だが、ホームは新しくなっていました。
モンターフォーナー鉄道に乗り換え、シュルンスまで往復します。片道28ATS(≒230円)。リッツ川に沿って走るが、路線そのものには、これといった特徴は正直感じられませんでした。沿線の秋の装いは美しいが。
チャグンス駅。
終点のシュルンス駅。
町中を流れるリッツ川。リゾート地の装いで夏冬は相当賑わいそうだが、今の時期は中途半端。カペルまで登るロープウェイは運休中。
教会。
改めて、モンターフォーナー鉄道のET10系電車。スイスの国電のよう。
その車内。
車庫には旧型電車の姿もありました。
ブルーデンツに戻り、インスブルックまではECで移動。
(アールベルクを越える普通列車は、無いに等しい)
食堂車に直行、昼食にします。
ハヤシライスのような、「Letschofleisch mit Rise」。
デザートのケーキ。生クリームがたっぷり添えられるウィーン風。
アールベルク越えは改良工事が行われているようで、特にザンクトアントンからランデンにかけては、全く新しい路線に切り替えられるようだ。山の中腹をトンネルで抜けるらしい。
インスブルックに着きました。
4年前にも乗った、STB(シュッツバイタール鉄道 Stubaitalbahn)の電車にもう一度乗ります。車両自体は変わりなし。
市電と別れてグングン上っていくと、インスブルックの街並みが見えてきました。
クレイス付近。ブレンナー峠に向かうアウトバーンが延びています。
終点のフルプメス。たたずまい自体は4年前と何も変わらないが、人影がほとんどなくてさびしいし、以前は開いていたキヨスクも閉じていました。
電車の車内。4年前はカウンターがあり、車掌が乗務していたのが、ワンマン運転になっていました。
インスブルック市電。
凱旋門と市電。
この晩はYHに泊まりました。
翌日はICとローカル列車をジグザグに乗り継いでウィーンに戻り、さらにグラーツを目指します。SL列車にも乗る予定、でしたが…。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
先週18号が来たばかり、というのに、さらに強力な台風19号が関東地方にも近づいてきそうです。既に西日本ではかなり影響が出ていて、JR西日本では、明日夕方以降のアーバンネットワークは全列車運休、と発表しました。運転見合わせだけで済むならいいが、この数年、大型台風が来るたびに、必ず年単位で鉄道を運休に追い込むような災害が発生するので(既に18号で東海道線が止まっている。20日までの復旧を目指しているらしいが、19号が追い打ちをかけたりはしないか?)、かなり不安です。
最低、人的被害だけはご勘弁。
《今日のニュースから》
「名古屋議定書」 今日発効
但し、肝心の日本は締結のメドが立っていないそう。