№1252 思い出の海外旅行クロニクル 13.1999年オーストリア 4

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 ÖBBには760㎜期間のナローゲージ路線がいくつかあり、4年前(1995(H7)年)にはツェル・アム・ゼーを起点とする「ピンツガウ線」に乗った事を、№891で書きました。ほとんどのナロー路線は非電化だが、ウィーン~ザルツブルクの本線の途中にあるザンクト・ポルテンからは、電化ナロー路線「マリアツェル線」が延びています。全長84㎞と結構長距離。フェッケラマルクトからのローカル私鉄と共に訪ねてみました。
 翌日はウィーンに戻り、Uバーンや路面電車に乗ります。

1999年10月29日(金)

 前日はあんなに晴れていたのに、この日は朝から雨模様…。ホーフェン・ザルツブルク城も、雨で煙ってぼんやりしていました。
 駐車場を見たら、観光バスが5台も停まっていた。ざっと見積もって、200人位の団体だったのか。

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 ザルツブルクの交通の主役はトロリーバス。

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 フェッケラマルクトへ行く普通列車は、「City Shuttle」と書かれた客車列車。ペンデルツークタイプの編成ながら、運転台がある側にELが連結されています。

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 車内はモダンだが、これまで乗ってきたÖBBの列車とは少しインテリアの色使いが違い、やや軽い印象があります。

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 ザルツブルクから5~10分走っただけで、もう牧歌的な車窓になります。それにしても静か。他に客はいないし、放送もないから、シャーッという走行音しか聞こえない。ただ、さすがに特急街道。ECと何本もすれ違います。

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 フェッケラマルクトで下車。

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 ここからローカル私鉄、シュテルン・ハッフェール鉄道に乗ります。この鉄道は付近にいくつか路線があるらしいが、その中の一つ、南のアッター湖まで延びる路線に乗ります。BD4ET26形(…正しいか?)の単行。

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 BD4ET26形の車内。

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 BD4ET26形の運転台。ワンマン運転で、右側の赤い箱は乗車券発券機。

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 その発券機で、乗車券を発行してもらいました。往復60ATS(≒490円)。レシートみたい。

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 始発のフェッケラマルクト駅は、ÖBBの駅から地下道を通っていきます。

 10時45分発のアッターゼー行は、乗客は5人だけ。自分以外は地元の人ばかり。釣りかけの音をうならせて、坂を上って行く。途中の駅は皆小屋のような待合室があるだけで、ホームがない。それどころか、駅でない所で止まって、お客さんを降ろしていく。自由乗降電車って事!?日本ではありえん。

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 田園地帯が続く。ずっと曇り空が広がっていたのに、この付近だけぽっかり青空になりました。

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 終点のアッターゼー駅。観光地の装いだが、晩秋は完全にシーズンオフで人影はまばら、観光船の営業も終わっていました。

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 アッター湖。

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 車庫にはかなり古びた電車の姿がありました。動く機会はあるのか?
 帰りの電車は学校帰りの子供たちが多かったが、次の駅でさっさと降りてしまいました。またガラガラのまま、フェッケラマルクトまで戻ってきました。

 フェッケラマルクトからリンツまでの普通列車は「City Shuttle」ではなくて、普通のペンデルツーク。
 リンツからはECで先を急ぎます。食堂車連結。迷わず食堂車へ直行。

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「Hearty lentil hot pot」と称する、シチュー。

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 デザートの「Curd cheese dessert」。

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 ザンクト・ポルテン到着の直前、メルクの修道院を見ます。この付近では鉄道の撮影の名所でもあります。

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 ザンクト・ポルテン駅。青空。オーストリアも、空は気まぐれ…。

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 マリアツェル線は、構内の外れの方、頭端式の23・24番線から出発します。客車4両は、帰宅の学生が大半。
 1099型ELは足元がクラシックで、ロッド式。

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 キルヒベルク・アンデア・ピーラッハ駅で、新型の電車と交換。
 だんだん高度が上がってきている。デッキのドアの窓を開けると、かなり冷たい空気が吹き込んできます。素掘りのトンネルも現れる。

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 シュヴェルバッハ駅。停留所そのもの。線路際が黒くなっているのは、ロッド式ELだから?
 最後部車両に座っていたら、いつの間にか客は自分一人だけになってしまった。と思ったら、車掌から前の車両に行くよう言われた。ラウヘンバッハミューレで切り離しらしい。ここを出ると、路線はつづら折りの線形で一気に高度を稼いでいく。

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 ゴッシング駅。標高891mで、マリアツェル線の最高地点らしい。

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 アンナベルク付近。

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 マリアツェル到着。残っていた10人程度の乗客は、皆すぐに姿を消して行った。列車もややあって車庫へ。今日はもう列車がない。

 さて、辺鄙な街だが、リゾートでもあるから宿自体はすぐ見つかった。シャワー・トイレ・TV付で350ATS(≒2800円)と、上々じゃないか!
 ところが、チェックイン後、大失敗に気付いた。ATSの残りがない!しかも田舎の宿ゆえC/Cも使えない…。もちろん、銀行なんてないし、あったって今の時間じゃ開いているわけもない。どうしようどうしようとスタッフに相談したら、朝食抜き条件で、200ATSでいいよ、と言ってくれた。感謝あるのみ。
 オーストリアに限らず、田舎に泊まろうと思ったら、都会にいる内に、地元通貨の残額のチェックを!

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1999年10月31日(土)

 マリアツェルの中心街は、駅から200m離れた所が中心のようだ。ホテルが他にもいくつかあったが、休業中の所が少なくない。ウインター・スポーツシーズンになればまた賑わうのだろうが。

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 改めて、早朝のマリアツェル駅。実はこの駅からさらに南へ、SL等の保存鉄道があるのだが、今回は乗る機会なし。
 今日は青空、行く手の山々がオレンジ色に染まっていました。

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 ラウヘンバッハ・ミューレを下っていく、オメガカーブ。眼下に駅が見えてきました。

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 ラウヘンバッハ・ミューレ駅の標高は535m。ゴッシングからは360mも下ってきた事になります。マリアツェル行と交換。向こうは客車を7両もつないでいて、最後部は特別車両のようでした。

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 駅から、今下ってきた丘を見ます。この丘の上から南に北に、進路を大きく変えつつグングン下ってきたのでした。

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 ケルヒベルク・アンデア・ピラッハ駅。壁面に飾られた花がきれい。基本的には晴れなのだが、谷あいの街は、霧で霞んでいます。
 ザンクト・ポルテンが近づくと、遊びに行くらしい子供の姿が多くなってくるのだが、喫煙エリアでは皆人目もはばからず平気で煙草をプカプカさせているのには、正直あきれてしまいました。すごく煙い…。

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 マリアツェル線は1998(H6)年、全線開業から100周年を迎えました。その記念の絵葉書。初期のMh6型SL、1099型EL、4090系電車が描かれています。

 ザンクトポルテンからはECでウィーンへ。西駅の両替には、日本円(10000円・5000円札)を両替できるマシンがありました。両替して、サンドイッチとコーラを食す。何しろハラペコ…。

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 産業博物館を訪れてみました。鉄道の展示があると聞いたので。95ATS(≒760円)。

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 しかし残念ながら、展示の入換もあったのだろう、鉄道の展示は極めて少数でした。
(本当は鉄道博物館に行きたかったのだが、移転していたとの事)
 子供たちの姿が多く、電子や機械の工学に関する展示が好きなら、それなりに楽しめると思いますが。

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 数少ない鉄道の展示から、ELのモックアップ。

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 ここでもプチ観光を楽しんでみました。シェーン・ブルン宮殿。マリア・テレジア・イエローが印象的。

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 カールス教会。

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 オペラ座。

 この日を持って、欧州のサマータイムが終了。
 ヒュッテルドルフのYHには、こんな張り紙がありました。

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 翌10月31日、午前3時になったら、1時間繰り下げてもう一度午前2時になります。
 日本との時差は、サマータイム期間中の7時間が、8時間になります。

 この2日間をまたいで、ウィーンでは地下鉄と路面電車を乗り歩きました。次回1回費やして、まとめてご覧頂こうと思います。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

 MRJの機体が公開されました。ようやくここまで来たかの感はあります。どうかこれ以上はスケジュールの狂いなく、2017(H29)年度の初号機ANA導入を迎えて欲しいと思います。

《今日のニュースから》
震災で中止の卒業式 山形大学で開催

№1251 思い出の海外旅行クロニクル 13.1999年オーストリア 3

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 トーマスクックのタイムテーブルは、当然すべての欧州の鉄道路線を網羅しているわけではなく、オーストリアにも、トーマスクックに記されていないローカル路線がいくつもあります。その路線を乗り継ぎ、グラーツから南部のフィラッハを目指しました。
 翌日はザルツブルクへ。オーストリア自体は程度の差はあれ何度も訪れているのに、実は、ザルツブルクは降りた事がありませんでした。軽鉄道が走っています。

1999年10月27日(水)

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 グラーツで宿泊したYH。4年前の1995(H7)年にも宿泊しているが、中は大分変っていました。

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 ロビーはカフェ兼用。インターネットが4台もあった。有料だったけれど、当時の私はようやくインターネットのイの字程度を知る位でしかなかったから、正直相当驚きました。

 グラーツを発つ前に、シュロスベルクを訪れてみました。ハウプト広場から、黄色に染まった木々の中の坂道を10分位かけて登って行きます。

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 丘の上に立つ、シュロスベルクの時計台。

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 丘からの展望。意外に近代的なビルが多いような気もしました。

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 シュロスベルクの丘の全景。

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 グラーツ市電の200形。

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 500形。

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 600形。これが当時の最新型。4年前と違うのは、中間に超低床車体を組み込んで3連接になっていた事。他の国の都市でも見られた手法(バーゼルとか)だが、窓の形が前後と合わず、アンバランスな感じがします。

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 斬新なカラーの広告電車。グラーツ中央駅前で。

 10時22分発のIC514列車で出発し、ブルック・アンデア・ムーア経由で南部のフィラッハを目指します。4年前にも乗った、4010系電車。

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 ムール河沿いに、お城が見えました。

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 ブルック・アンデア・ムーア駅に停車中の4010系。原色。
 ここで列車を乗り換えて、ツェルトベグへ。

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 ツェルトベグ駅。ここからはヴォルフスベルグ経由のローカル線で、クラーゲンフルトを目指します。5047形DCの単行。

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 オブダッハ付近。美しい農村地帯。この付近はどんどん高度を上げて行きます。
 ボルフスブルクで1両増結。

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 ドリエル付近。すがすがしい。学校帰りの子供たちがどっと乗り込んできた。

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 ザンクトパウルの城。
 ブライブルクで、左手から路線が合流。スロベニアのマリボルからの路線で、当時は平日2本、土曜日1本の旅客列車がありました。

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 クラーゲンフルトで、ローゼンバッハ行ローカルに乗り換え。またも5047形DCの単行。

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 駅は割とあるが、バス停同然の所がほとんど。ザンクト・ヨハン・イム・ローゼンタールもそんな感じ。

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 森の中をグングン上り、高い鉄橋を渡ったり、トンネルをくぐったりします。窓を開けると、風が冷たい。やがて行く手の丘の上に、架線柱が見えてきました。フィラッハからの路線と合流して、終点。

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 ローゼンバッハ駅。フィラッハからくると、オーストリア最後の駅。トンネルを抜ければスロベニア。
 国境警察や税関のオフィスがあるのは確かに国境の駅らしいけれど、人影がまるでないし、切符売場さえない。郵便局を併設しているが、両替はできない。

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 駅付近も閑散としているのだけれど、教会がありました。言語の違う2枚の張り紙があって、片方はスロベニア語のはず。国境を越えて礼拝に来るスロベニア人って、いるのでしょうか?駅にはスロベニア語なんて全然なかったけれど。
 そういえば、スロベニアの方に行く電車って、どの位あっただろう?調べるの忘れていた。
(長距離国際列車は何本かあるが、ここは通過)
 16時30分を回ると陽は山の影に沈み、駅付近はだんだん暗くなってくる。そんな中、フィラッハからの電車が電車が着きました。それでも10人位降りてきました。折り返し電車に乗車。

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 国際列車が走る割には、フィラッハ側もローカル線だ。単線でカーブが多い。ヴィンキル・イム・ローゼンタール駅なんて森の中の小駅で、乗り降りする人なんていないように思えるのだが…。

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 フィラッハ中央駅。ここはちょうど3年前、1996(H8)年10月20日に降り立った事がありました。あの時はヴェネチア→ウィーンの国際列車で通過しただけでした。
 今回はYGHに泊まります。

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 ザンクト・ニコライ教会。

 YGHは駅から歩いて行けるけれど、ちょっと遠い。この夜は客が少なく(日本人が1人いた)、部屋は一人で貸切になりそうだが、静かすぎて殺風景な感じもしました。

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1999年10月28日(木)

 サマータイム終了直前では7時前でもまだ薄暗く、星と月の光がきれいでした。
 今日は、ÖBBの列車はEC1本だけ。午後はザルツブルクの街で過ごします。

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 タウエルントンネルを抜けるのは初めて。延長8551m。トンネルの前後では、大規模な線形改良工事が行われていました。

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 バート・ガシュタインで出会ったピギーパック列車。トラックを何台も載せています。インスブルック近郊でも見たけれど、観光保護政策の一環として、多数運行されています。

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 ホーフェン・ヴェルフェン城。これを見ると、もうすぐザルツブルク。

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 ザルツブルクには、ドイツとの国境を流れるザルツァッハ川沿いを北上する、SVB(Salzburger Stadtwerke-Verkehrsbetriebe Lokalbahnen)の軽鉄道路線があります。市内の観光に使われる路線ではないので、日本人向けガイドブックには記されていません。
 ザルツブルクは地下にホームがあります。かなり斬新。ランプレヒツハウゼン駅まで50ATS(≒400円)。

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 いきなりだけれど、終点のランプレヒツハウゼン駅。静かな住宅地の中、という感じ。駅舎は駅員はいないものの、カフェがあります。

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 ランプレヒツハウゼン到着目前。

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 ビュルムース駅。トリンメルカンへの支線があるので乗り換え。

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 のどかな支線と思っていたのだが、終点のトリンメルカンは駅周辺をほじくり返して、大規模な工事を行っている。工場もあるようで、何をするのだろう。次の電車を待つつもりだったが、ここにいても省がなさそうで、ビュルムース駅にさっさと引き返してしまいました。
 ビュルムースからのザルツブルク行は2編成を併結した4連。

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 オベルンドルフで途中下車してみました。ここが、SVB沿線では最も主要な駅か。帰宅の学生が目立つが、未成年のくせに煙草をプカプカふかす者がいるのは、どの国も同じですか…。

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 オベルンドルフの教会。

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 通りには露店が並ぶ。大賑わいだ。

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 実は何の予備知識もなかったのだが、ザルツァッハ川に架かるクラシックな橋を渡ると、なんと対岸は、ドイツのラウフェン。とはいえ国境警察やパスポートコントロールがあるわけではなし、人も車も自由自在に行き交う。国境と言っても、様々だなあ。

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 ザルツブルクに戻り、プチ観光も楽しみました。ミラベル庭園。背後の丘の上には、ホーフェン・ザルツブルク城がそびえています。なんか出来過ぎ?

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 丘の上にそびえる、ホーフェン・ザルツブルク城。白い壁が印象的。

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 基本的にはケーブルカーを利用して登ります。往復69ATS(≒560円)とはやや高いか?

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 城から見下ろす、ザルツブルクの街並み。ザルツァッハ川を挟み、白っぽい街並みが広がっていました。

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 城の一角では、人形劇のパフォーマンス。

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 モーツァルト広場。

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 最後に、ザルツァッハ川に架かるモーツァルト橋。秋本番です!

 ザルツブルクの市内交通はトロリーバスが中心。残念ながら路面電車・LRTは走っていない。歩いて、バスに乗ってみた感触では、電車が走るにはどこも道が少し狭いかも知れません。
 今日も宿泊はYH。前日とは逆に運悪く?子供の団体と出くわしてしまった。非常に騒がしい。夕食はサラダバーに行列を作り、カウンターに群がる。ドアの前にバッグや上着が山積みになっていて、到着後部屋には向かわず食事に直行、という雰囲気。それにしても夕食会場、おばさんが一人で調理から清掃までこなしているのか?重労働だなあ。
 夜の窓から外を眺めれば、ホーフェンザルツブルク城がライトアップされていました。

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《今日のニュースから》
リクルートホールディングス 東京証券取引所に株式上場

№1250 思い出の海外旅行クロニクル 13.1999年オーストリア 2

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 最初はウィーン郊外、シュネーベルクを走るSLの登山鉄道の乗車をプランに組んでいました。しかし、残念ながら…。ともあれ、ローカル路線・ローカル列車の旅を楽しみながらグラーツを目指します。

1999年10月25日(月)

 YHは中央駅からはやや離れていて、バスで駅へ移動。グラーツ行ICに乗ってビショッフス・ホーフェンへ。

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 2等のコンパート。

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 ギザギザの岩山が迫ってきます。

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 イェンバッハの手前で、トラックを輸送するピギーパック列車とすれ違う。DBのELが補機になっている。

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 シャルテンスパイツ。

 ビショッフスホーフェンで乗り換えたグラーツICは、4年前にも乗った電車特急4010系でした。まだ健在だった。

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 2等車の車内。2-1配置でゆったり。
 セッツタールで降ります。

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 アムステッテイン行ローカル3529列車。

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 客車3両の内、中間は1・2等合造の格下げなのだろうか。こちらも2-1配置でゆったりしています。客室が4つに分割されているが、かつては1等喫煙・1等禁煙・2等喫煙・2等禁煙に分けられていたのだろうか。
(今は全て禁煙)

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 フラウエンベルグ・アンデア・エンス付近。丘の中腹に小さくだが、お城が見えます。

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 シェーナウ・アンデア・エンス駅。

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 山間部のクレインレイフリング駅。サンクト・ヴァレンティンへの乗換駅(分岐は一つ先)で構内は広いが、駅付近には民家がない。人影もまばらで、車掌が暇そうにポツンとホームにたたずんでいました。

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 アムステッテイン駅は近代的。エレベーターもある。ただ、駅前広場は狭い。

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 その駅前から延びる道路の突き当りに、大聖堂が建っていました。

 シュネーベルクのSL列車は予約制だが、アムステッテイン駅で、翌日乗るはずだったSLを予約しようと思ったが、満席の回答…。残念ながらあきらめて、ダイレクトにグラーツを目指そう。遅くなったので、ウィーン行のICの食堂車で夕食にします。

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 夕食のサラダ。結構ボリュームがあり、ハムとチーズを絡めてスライスしているなど、芸も細かい。
(この画像では解りづらいが…)
 ただ、ザンクトペルテンを過ぎた所で営業は終了、デザートは楽しめなかった。コーヒーはOKだったのだが。
 ウィーン手前のヒュッテルドルフで下車して、YHに投宿。子供たちの団体さんが泊まっていて、駐車場に観光バスが停車していて、中では少年たちがビリヤードを楽しんでいました。

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1999年10月26日(火)

 全くお恥ずかしいことながら、この日はオーストリアの建国記念日、つまり祝日なのでした。だからSL列車が満席だったのか…。この程度、出国前に調べておけよな…、と反省。

 ヒュッテルドルフ駅からウィーン南駅を経由し、グラーツを目指す。ウィーナー・ノイシュタットまでは普通列車で行きます。

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 ウィーナー・ノイシュタット駅。

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 途中団体列車を追い抜いたのだが、この列車が後から追いついて、SLが現れました。

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 52-4984号機。1E「デカポット」スタイルのテンダー。国境を越えた先、ハンガリーのショプロンまで行くらしい。

 センメリンク峠も、今日は普通列車で越えたかったのだが、祝日では適当な時刻の列車が運休…。ブルック・アンデア・ムーアまではIC利用になります。

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 ペイヤーバッハ・ライヘナウの町。ここを過ぎると、ICと言えども大きくスピードが落ちる。

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 センメリンクを越える。勾配がきつくてカーブも多く、60㎞/h程度でノロノロ登っていく。補機はついていないからアールベルクよりは楽かもしれないが。身をよじらせるように登っていく。

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 YHで朝食を食べたばかりでもあったが、せっかく食堂車が連結されているとあれば、行かない訳にはいきません。ケーキとコーヒーを楽しむ。やはりクリームがたっぷり添えられています。

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 ブルック・アンデア・ムーア駅。ザルツブルクやフィラッハへ向かう路線の分岐駅で、4方向からICが集い、賑やか。

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 スピエルフェルド・ストラーシェ行ローカル4019列車。グラーツを一旦スルーします。

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 2等車の車内。とにかく乗客は非常に少なかった。だから車内もとても静か。

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 終点のスピエルフェルド・シュトラーシェ駅。スロベニア国境に近く、黄色いスロベニアのELも見かけたのだけれど、バート・ラドケルスブルク行ローカル列車の出発時刻が迫っていて、慌ただしく乗り換え(だからELを撮るヒマがなかった)。近くにはお城もあり、あまり国境というピリピリした雰囲気はない。

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 沿線は農村地帯が続きます。線形は良いはずだが、遅い。遠くに見える丘はスロベニアなのか。

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 途中のプルクラ駅。

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 終点の、バート・ラドケルスブルク駅。構内は広くて駅員もいるが、付近の民家は少なくて寂しい。貨車が見られたが、線路は行き止まり、貨物だけでもスロベニアへ直行、という訳ではなさそう。

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 往復で乗った、5047形DC。ÖBBのローカル線では、割と良く見られるタイプのようです。

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 5047形の車内。客車とほぼ同じ仕様だが、荷物棚に特徴あり。

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 この路線では、ワンマン運転が行われていました。客室側に運賃箱を置く日本とは違い、乗務員室の側に、乗車券発券機を置いています。袖のシャツの柄でお分かりかと思うが、運転士は私服でした。

 スピエルフェルド・ストラーシェより、グラーツに戻ります。居眠りしていました。
 グラーツからは、今度はグラーツ・ケフラッハ鉄道(GKB Graz-Köflach Bahn)に乗ります。小ぶりな2連のDC(連接タイプ)。

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 2-3配置の簡素なプラスチックのシートが並ぶ車内。

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 最初はグラーツの近郊という感じで住宅地が続くが、だんだん車窓が田舎じみてきた。レールそのものの整備状態は良さそうに思えたが、乗り心地は今一つ。

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 待合小屋だけのガイスフェルド駅。
 ここを過ぎると勾配がきつくなって、トンネルも現れる。

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 当然ほとんど無人駅だが、「リクエスト・ストップ」(乗降があると確認された時だけ停車)は無くて、律儀に一つ一つ停車していく。その際、車掌はドアの上のボタンでベルを鳴らし、発車の合図を送る。ドアを閉じるのは運転士の役目だが、この方式、欧州では珍しい気がするが、どうだろう?

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 1時間弱で終点のケフラッハに到着。祝日らしく大きな国旗がぶら下がっているが、駅員はいない。但し、駅前の広い道路は多くの車が行き交い、思ったよりも騒々しい気がしました。

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 最後に、構内に留置されていたダブルデッカー客車。ラッシュ専用らしく、休日は運用されないようです。

 この晩はグラーツのYHに宿泊。4年前にも泊まった所だが、内部は大分変っていました。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 東京メトロ日比谷線の新駅建設が、今日リリースされました。
 神谷町~霞ヶ関の、桜田通りの虎の門2丁目と3丁目の信号の間に建設。
 付近は「虎の門ヒルズ」を中心とする再開発計画があり、新橋方向への環状2号線も建設されます。新駅は再開発地区のアクセスとなるとともに、五輪の際に設置されるバスターミナルとも直結し、五輪会場へのアクセスルートともなる構想です。
 来年度には着工し、五輪までには営業開始、2022(H34)年には全面的な完成を目指すとしているようです。
 現在の東京メトロは駅番号を導入しているが、在来の駅の番号はどうするのだろう?新駅は、現在の霞ヶ関が使用している「H06」を使うと思われるが、霞ヶ関~北千住の各駅はどうするのか。新駅開業と同時の改番では混乱するはずから、どこかのタイミングでやるかと思われます。
 日比谷線は再来年には新車両の運行も始まり、五輪までには取り換えが完了する計画で、五輪を前に、他の駅も含めて大きく姿を変えそうです。今後に大いに注目です。

 今回の台風19号は、知る限りでは、幸い交通機関には大きな被害は出さなかったようです。JR西日本の早期全面運休決定には議論もあるだろうが、ともあれ何もなくて良かった。

《今日のニュースから》
フィギュアスケート高橋大輔選手 引退を表明