1999(H11)年10~11月のオーストリア鉄道の旅、最終回はいつものように、オーストリア連邦鉄道(ÖBB=Österreichische Bundesbahnen)の車両と、ウィーンを中心とした主要駅の画像をご覧頂きます。いつものように総まとめとして、当時感じたオーストリアの鉄道の印象、オーストリアそのもののパーソナルデータを記して、完結とします。
当時のÖBBのマーク。
EL 1014型
EL 1044型
225両製造された、ÖBBでは最大勢力のEL。
EL 1063型
入換用。
EL 1099型
改めて、マリアツェル線用のEL。台車部分に見える赤い棒はロッド。
EL 1141型
EL 1142型
DL 2043型
DL 2067型
入換用。
DL 2068型
これも入換用。
EC 4030系
EC 4020系
ÖBB版115系、というポジションでしょうか?
DC 5090型
ナロー路線用。
PC Bmpz 5081 80-75 024-4
「ペンデルツーク」用の客車。運転台があります。
PC Amz 7381 19-91 032-6
EC用1等車。
PC WLABm 6181 76-94 321-4
2階建て構造の寝台車。
PC Bcmz 6181 59-70 019-3
クシェット車。
PC Bmpz 7081 20-94 002-6
EC用2等車。
ウィーンのメイドリングで見かけた、ダブルデッカーの近郊列車。
オーストリアの主要駅は、この15年の間にどこも大きく姿を変えているようで、もう古くなっちゃったかなーという感もあるが、昔はこんなだったんだ、という感じでご覧頂ければ。
◆ ウィーン西駅
駅舎。ガラス張りのフロントが印象的。
商店が並ぶ、1階のコンコース。
切符売場。
鉄道案内所。
皇后エリザベートの像。
2階のコンコースは、飲食店が多いようでした。広い。
両替商。左手に小さく見える自動両替機では、日本円(1万円札・5千円札)の両替もできます。
ホーム。西駅からはザルツブルクやインスブルック、ドイツやスイス方面へ行く列車が発着します。
◆ ウィーン南駅
駅舎。正確には「南」と「東」に分かれるが、駅舎は同じです。
1階のコンコース。
切符売場。
コンコースに立つ、ライオン像。
鉄道案内所。
2階のコンコース。ここで「南駅」と、「東駅」にホームが分かれます。
「南駅」のホーム。シュタイヤーマルク州・ケルンテン州や、イタリア・スロベニアなどの南部への列車が発着します。
「東駅」はやや田舎臭い。中央部にウクライナの寝台車がいました。右手にプラハ行「SMETANA」がいるように、東欧方面への列車の発着が多いようです。
Sバーンが発着する地下ホーム。
その他の主要駅。
グラーツ中央駅
コンコース。
クラーゲンフルト中央駅
コンコース。壁画が印象的。
リンツ中央駅
コンコース。ここも絵画が掲げられています。
ザルツブルク中央駅
ドイツと国境を接し、ドイツ鉄道(DB)が直接乗り入れていて、DBの切符売場もあります。
インスブルック中央駅
コンコース。ここの壁面にも絵画があります。
ブレゲンツ駅
この駅は割と近代的な装いで、ホームもエスカレーターが完備しています。
以上、予定より1回多く、7回に分けてオーストリアの鉄道の旅について書いてきました。
それ以前に周った分もひっくるめて、オーストリアの鉄道について気付いた事、感じた事を簡単に記してみます。
1. 列車の種別は、優等列車ではユーロシティ(EC=国際特急 ただし国内列車でECを名乗るものもあり)、ユーロナイト(EN=夜行の国際列車)、インターシティ(IC=特急)、シュネルツーク(D=急行 夜行の国際列車を中心にした、ごく限られた列車)があり、ローカル列車ではアイルツーク(E=快速)、レギオナルツーク(普通列車)が運行されている。ウィーン近郊ではSバーンも運行。
2. EC・ICは1時間ないし2時間間隔のパターンダイヤが組まれている。ローカル列車は、幹線では1時間に1本は走っているものの、支線では少ない。土休日は大幅に減り、路線・区間によっては全面運休になる。
3. 国際列車の運行が多く、領土の端のほんの一部をかすめたり、横切ったりするだけのの列車もある。従って他国の車両の乗り入れが多い。地勢学的に東欧各国の車両を見かけるが、電力方式が同じでELの相互乗り入れを行うドイツの結びつきが特に強いようだ。ICEも乗り入れる。
4. 車両はPCとECが混用され、感染のローカル列車ではペンデルツークも運航されている。非電化路線ではDCも使用され、ワンマン運転が行われる。
5. 路線は一部で160㎞/h運転が行われているものの、全体的に山がちな国土のためか、山岳区間でなくてもカーブが多く、優等列車でもあまりスピードを出せない区間が多い。但し、各地で新トンネル掘削などの大幅な線形改良工事が進められているようだった。
6. 複線化率は、幹線区では比較的高い。歴史上の経緯か、同じ国なのに右側通行と左側通行が混在している。
7. 環境保護政策の一環なのか、自動車関連の輸送が多い。タウエルントンネルではカーフェリー列車が運行され、幹線ではトラックのピギーパック列車が数多く走っている。夜行列車には車運車が連結される。
8. ウィーンを初め、各地の「中央駅」を名乗る主要駅の駅舎は、たいてい中央部に大きな明り取り窓を持つ吹き抜けを設けた、独特の設計になっている。エスカレーター・エレベーターが整備されている駅が多かった。
9. 小規模な私鉄が各地で走っている。観光・行楽輸送を担う路線もあるが(特にウインター・スポーツシーズン)、地域輸送が本来の目的、という路線が大半。SLの特別運転を行う所が多い。
10. 路面電車はウィーン、グラーツ、リンツ、インスブルックで見られた。特にウィーンのネットワークは、西側では最大級と言える。ウィーンには地下鉄Uバーンも走り、Sバーンや路面電車、市バスと連帯した輸送が特徴。
11. 首都ヘルシンキから主要都市までの運賃(2等車)。
バーデン 27㎞ 56ATS(約450円)
ザンクト・ポルテン 60㎞ 106ATS(約860円)
グラーツ 214㎞ 314ATS(約2,510円)
ザルツブルク 317㎞ 410ATS(約3,320円)
インスブルック 572㎞ 660ATS(約5,350円)
ブレゲンツ 770㎞ 800ATS(約6,480円)
※1ATS≒8.1円で計算
最後に、オーストリアそのもののパーソナルデータを記しておきます。
(帰国日の1999(H11)年11月2日現在)
正式国名 オーストリア共和国 Repblic of Austria
面積 約83,858平方㎞ (北海道と同じ位)
人口 約807万人
政治体制 連邦共和制 議員内閣制
国家元首 トーマス・クレスティル大統領(オーストリア国民党)
※現在はハインツ・フィッシャー大統領(オーストリア社会民主党)
政治指導者 ヴィクトル・クリーマ首相(オーストリア国民党)
※現在はヴェルマー・ハイマン首相(オーストリア国民党)
首都 ウィーン(人口約159万人)
国連 加盟(1955(S30)年)
EU(EC) 加盟(1995(H7)年)
NATO 非加盟
通貨 シリング(ATS) 1ATS≒8.1円
言語 ドイツ語
主な観光地 ウィーン、ザルツ・カンマーグート、チロルなど
日本からのアクセス ウィーン・シェベヒャート空港へ、当時は東京(成田)からOS週2便に加えてANA週1便(パリ便の寄港)、大阪(関空)からもOS週3便の就航があった。
ちょうど15年前の今頃、という話になりました。今回の旅で言うと、南側の山岳部にばかり目が向いて、ニーダーエスターライヒ州やオーバーエスターライヒ州の北部に足を踏み入れる事がなかったのは、ややバランスを欠いてしまったかなあと感じました。有力な都市がなくて地味な印象があった事もあるが。
オーストリアは隣国スイスと一体で語られる事も少なくないと思うが、鉄道に関しては、高度に発達したスイスと比べると、やや泥臭い印象があります。非電化路線が多いし、ローカル線は本数もかなり少なくなるので。
ただそれだけに、美しくてダイナミックな車窓を愛でつつ、しかしより素朴な鉄道の旅を楽しみたい向けには、実は割とおススメな国ではないかとも感じます。ナロー路線もあるし、東欧諸国に囲まれていて列車のバラエティもあるから。
ここまでの「思い出の海外旅行クロニクル」、13回全てが欧州でした。
しかし、そろそろ他の地域も足を踏み入れるべきではないかと考え始め、まず近場のアジアに目を向ける事としました。
次回の「クロニクル」は初のアジア、2000(H11)年3月の台湾・台北です。
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《今日のニュースから》
JR東海 柘植社長 リニア新幹線工事認可を愛知県知事・名古屋市長に報告
№1254 思い出の海外旅行クロニクル 13.1999年オーストリア 6
ウィーンにも小私鉄があり、南部のバーデンまで走っています。この鉄道を訪れた後、プラハ行ECでオーストリアともいよいよお別れ。翌日はKLM便を乗り継ぎ、帰国の途に就きます。
1999年10月31日(日)
ウィーン市中のオペラ座の前と、南部のバーデンの間は、ウィーン・ローカル鉄道(WLB Wiener Lokalbahnen)が走っています。路面電車スタイルの電車が使われ、市の中心部は市電のレールに乗り入れます。
ただし車内は本格的なクロスシート、大型のテーブルもあります。
起点のオペラ座前。WLBの線路は専用です。
ヨハンシュトラウスガッセを過ぎるとしばらくは地下線の駅が続き、抜け出すとWLBの専用路線になりました。
郊外のメラースドルフ付近。雲がやや多いが、空が広く感じられました。
終点のバーデン・ヨセフプラッツ。オペラ座前から1時間強。2線の折り返し線があります。ただの電停とも思ったが、乗場の脇、画像では右手のビルにはWLBの切符売場と旅行代理店が入っていて、日曜日ながら切符売場の窓口が開いていました。
帰り道は、グンドラムスドルフで途中下車してみました。この区間は路面だが、この路線は専用軌道と路面区間が混在し、南部は単線になります。イメージ的には広電の宮島線に近いと感じました。
時間が少なかったため事実上単純な往復に留まったが、運行本数は非常に多いので(休日の日中でも15分毎)、時間をかけて訪ねれば、もっと楽しめたのではないでしょうか。
オーストリアからのお別れは、チェコのプラハ行と決めていました。せっかく東欧諸国と国を接しているのだし、特にチェコは行った事がなかったから。
南駅からのEC72列車「SMETANA」号。1等車1両と食堂車を含めた客車6両は全てチェコの編成。水準は西側とそん色ないように感じました。
古めかしいサボ。列車名はチェコの作曲家、ベドルジナ・スメタナから取られているようです。
始発は東駅、出発してすぐドナウ川を渡ります。
と、早々にパスポートコントロールの係官の一団が廻ってきました。国境はまだ先なのに。まずオーストリア側。少し太めのおじさんが、パスポートをじろじろ眺めて、ハンコを押しました。
続いてチェコ側の係官も来ました。おばさん係官がパスポートを眺めて、何やらデータをパソコンに打ち込んでいた。スタンプは押されない。
田園地帯。冬時刻となったので、16時前で影がかなり長い。
ついにオーストリア最後の駅、ホーヘナウ。操車場のような駅で、右も左も貨車がずらり。歩道橋のような跨線橋で駅舎に向かうのは、これまで見てきたオーストリアの駅にはなかったスタイルです。
別のチェコの係官が乗り込むが、乗客の乗降は無かった様子。
国境の大平原に、夕陽が沈んでいく…。
Auf Wiedersehen!
チェコのブジェツラウに到着。構内は広い。見た事がない電車が多くて楽しい。ホームの放送はオーストリアと比べたらずいぶん多くてやや騒がしいかも。大きな煙突のある工場が見えるから、ここは工業都市なのだろうか。
ELが、チェコの362 123-2に交換。割とおとなしいスタイル。
もう外は真っ暗になってしまい、残念ながらチェコの車窓は楽しめない。ブルーノでは、何やらすごい大聖堂がライトアップされているのが見えました。
せっかく食堂車が連結されているのに、ガラガラ…。ちょうど夕食時なのに。やがて客は私一人だけになってしまった。
夕食のチキンステーキ。132ATS(≒1,170円)。 食堂車ではチェコのコロナ、オーストリアシリングの他、ドイツマルク、スイスフラン、それに米ドルが通用。カードもビザとユーロマスターが通用。
プラハ中央駅は定刻に到着。ウィーンからは5時間弱。
残ったATSをコロナに両替、地下鉄に乗り換えて郊外のホテルに向かいました。過去に2度止まった、バルセロナの駅ビルのホテルと同じチェーン。
ホテルの部屋で見たCNNは、ニューヨークからのエジプト航空990便が墜落事故を起こしたと伝えていた。217人全員絶望!?
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1999年11月 1日(月)
ホテルには日本人の団体さんがいて、先に朝食を取っていました。皆中高年。
ホテルからルズイニェ空港へは、地下鉄と市バスを乗り継いで行きます。
地下鉄A線。やはり旧ソ連製なのか。乗客が読んでいた新聞にも、エジプト機の事故が伝えられている。
空港行市内バス119系統は、A線の終点、デジュビッカから乗ります。ごく普通の連接タイプのバスで、空港利用者は他にも多かったが、荷物の置き場に一苦労。
市電と出会う。パンタグラフが異様に高いのが目立つ。
ルズイニェ空港のターミナルビル。出発と到着でターミナルが異なる。
展望デッキはあるにはあるが、ガラス張りだし、狭くて何もない。
出発フロア。大分新しい。屋根のアーチは、関西空港に似ている気がします。なんとなく、だけれど。
出国審査の先のカフェバーからは滑走路を一望できるが、トラフィックはそう多くはない。それから、免税品店は小規模な1軒しかなかった。
KL1352便、B737-300。
出発の直前、左手にアエロフロートのTu-154の到着を見ました。
やや遅れて出発、離陸。一直線に上昇、農村地帯が広がるのが見えます。
機内の様子。
機内食はサンドイッチ。
デザートはケーキ。
大都市が見えました。確信は持てないが、ライプチヒあたりでしょうか?
着陸直前、スタジアム・アレナ。アムステルダムは曇り空。
スキポールのターミナルを行き交う人々は、プラハとは比べ物にならない位多いし、人種も様々。もちろん日本人の姿も。
成田行KL861便。KLM-asiaのコンビ型。
雨のアムステルダムを離陸。中央駅やライン河も見る事が出来たが、すぐに雲の中に入って、何も見えなくなってしまいました。
離陸直後にふるまわれたオツマミ。
キャビン。
離陸後の食事。鶏の照り焼きにライス添え。
食事の途中、突然揺れだして、一時ベルトサインが点灯。気流の悪い所を飛行中、とのキャプテンアナウンスもあったが、前線が機体の近くにあるらしい。15分程で消灯。
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1999年11月 2日(火)
夜が明けました。朝日が、シベリアの大地をオレンジ色に染めていきます。
到着前の食事は、暖かいワッフル。
成田も残念ながら雨模様。アプローチで見る、鹿島のコンビナートと利根川。
成田空港に着きました。外気温18℃と表示が見られた。関東地方も寒くなってきたようです。
無事、オーストリアから帰ってきました。
次回はいつものように、ÖBBの車両と主要駅の写真をご覧頂き、当時のオーストリアの鉄道の印象、オーストリア自体のデータを記して、完結とします。
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《今日のニュースから》
ドラッグストア4社経営統合 イオン発表
№1253 思い出の海外旅行クロニクル 13.1999年オーストリア 5
ウィーンには「Uバーン」と呼ばれる地下鉄、及び路面電車のネットワークがあり、「Sバーン」と共に都市交通を支えています。
10月30日~31日の2日にまたがって乗り歩きました。
当時の最新型(今でも?)。これは6系統で、7車体連接に見えるが、実際は5連接。掃除機が走っているように見えるのは気のせい?他の系統では、3連接の編成も見ました。
その車内。もちろんノンステップ。ループスタイルなので、座席は前方のみ向いています。
座席は簡素です。
(ウィーンに限らず、オーストリアに限らず、欧州の市電の座席は皆こんなもの)
新型市電のドア部分。スイング式。
同じく6系統、やや小ぶりな2連接+単車トレーラーの連結編成。
こちらは62系統を走る、大柄な2連接車。
ウィーン西駅前の電停。
グリルガッセ電停。工事で雑然としていました。
ブルガッセ・スタットハレ電停も工事中。
車庫の中に見えた、旧型市電。
旧型市電もう一台。イベント用でしょうか?
一方、こちらはUバーン。U6系統以外のUバーン路線で共通に運用されているよう。以前もご覧頂いたが、非貫通形ではあるけれど、やっぱり、日比谷線03系にイメージが似ていませんか?あくまで「なんとなく」のレベルではあるが。
参考までに、メトロ03系。
U6系統のみ、LRTスタイルの車両を利用しています。ここでは画像がないが、旧型市電タイプの車両もあって、新型とのチグハグな編成も見られます。
U6の新型の車内。
Uバーンの駅から、カールスプラッツ。駅舎は「ユーゲントシュティール建築」と称するのだそうで、記念写真を撮る観光客も目立ちます。但し、本来のUバーンの入り口としては機能していません。
(出入口はこの裏)
ホームは一転して近代的。
ウエスト・バーンホフ駅。ÖBBの駅に隣接しています。
U4号線のマルガレーテン・ギュルテル駅。こちらもクラシックな建築です。
シェーン・ブルン駅も建築はマルガレーテン・ギュルテル駅と共通。その名の通り、宮殿の最寄駅です。
U6号線の駅をいくつかご覧頂きます。
終点のシーベンヒルテン駅。1999(H7)年4月15日に開業したばかりらしい。ニュータウンの中にある、閑静な駅です。
その3つ手前のアルテーラー駅は、団地の中の高架駅。旧タイプの電車がチラッと見えるのが、解るでしょうか。
U6号線はここで約半数が折返し。実はその事を知らず、他の乗客がいなくなったと思ったら、電車は折り返しのための引き上げ線に転線。車内に閉じ込められてしまったのでした。2~3分ですぐに折り返して、駅に戻って来れましたが。
フィラデルフィア・ブリュック駅は、Sバーンのメイドリング駅と直結しています。
グムペンドルファー・シュトラーシェ駅は、クラシカルな駅舎の高架駅。
U6号線のもう一方の終点、フロリドスドルフ駅。ドナウ川の対岸にあり、Sバーンの乗換駅。市バスの発着も頻繁です。
U6号線という路線は、レンゲンフェルトガッセ~シュピッテラウ間の古い路線をベースに、両端に新線を造って、ニュータウンの足とした、という感じに見えました。
今回利用した、24時間乗車券。購入した時点から24時間使えます。60ATS(≒490円)。
Sバーン・Uバーンの路線図が記された絵葉書。
ウィーンは地下鉄と路面電車が混在して運営されている都市である訳だが、思うのだけれど、日本では都市の軌道系交通に関わる過去の議論は、「地下鉄?or路面電車(LRT)?」の二者択一でしかないように見える所があったと思うのだけれど、やはり適材適所、ではないですか?地下鉄が高度に発達しても、輸送量が十分に見込めるならLRTの導入も確かにありうるだろう。逆に、路面電車網が発達していても、比較的長距離の移動が多いなら地下鉄の建設が必要な場面もあるでしょう。どちらか一方だけ、というのではなく、各々の長所を生かし、弱点は互いに補い合う、そういう視点も必要ではないでしょうか。
(巨大都市だとLRTが生きるのは、地下鉄網を補完する外環状線的な路線、という考えは変わっていない)
次回はオーストリア最終日になります。もう一つローカル私鉄に乗った後、プラハ経由で帰国の途に就きます。
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日本シリーズのカードが、阪神(セ・リーグ2位)vsソフトバンク(パ・リーグ優勝)と決まりました。阪神は29年ぶり、ソフトバンクは3年ぶりの日本一がかかります。7戦までもつれるほどの好勝負を期待します。
《今日のニュースから》
火災で焼失の「かんだやぶそば」 1年8か月ぶり営業再開