例年になくノーベル賞が注目され(たと私は思うのだが)、2週続けて週末を襲った台風でせっかくのイベントがキャンセルになってガッカリ、という方々も多かっただろう10月、どんな事が起こったのでしょうか。
2日 首都高速中央環状線・大橋JCT~大井JCT間 開通前に報道陣に公開
4日 「バスと親しむ催し」 京成バスが幕張メッセで開催
6日 第一三共ヘルスケア 「カコナール2」自主回収を発表
8日 産経新聞前ソウル支局長 ソウル中央地検が在宅起訴
10日 大阪教育大学附属池田中学校 WHO「インターナショナルセーフスクール」に認証
12日 「名古屋議定書」 発効
14日 フィギュアスケート高橋大輔選手 引退を表明
16日 リクルートホールディングス 東京証券取引所に株式上場
18日 震災で中止の卒業式 山形大学で開催
20日 火災で焼失の「かんだやぶそば」 1年8か月ぶり営業再開
22日 ドラッグストア4社経営統合 イオン発表
24日 JR東海 柘植社長 リニア新幹線工事認可を愛知県知事・名古屋市長に報告
26日 美幌町最高気温25℃ 観測史上北海道最遅の夏日を記録
28日 海上自衛隊・ロシア海軍 ウラジオストック沖で共同訓練
今月はこの他、内村航平が世界体操選手権個人総合5連覇達成、アスベスト健康被害で最高裁が国の責任を認定、サッカー元日本代表奥大介氏事故死、MRJ機体公開、カナダ・オタワ連邦議会で銃撃事件、米民間ロケット打ち上げ失敗、などがありました。
いろいろな意味で、「女性」が注目を集めた月だったと思います。国内も、海外も。
《今月この1枚》
10月12日の京急線・南太田駅です。上下の普通列車800形、上り線を通過するエアポート急行は2000形です。
元々は2ドア・クロスシートの快特車2000形と、4ドアの通勤車800形、性格やスペックは大きく異なるものの、3両ユニットで回生ブレーキ併用の界磁チョッパ制御、大型一段窓、右手操作のワンハンドル運転台と共通点が多く、「兄弟車」と言っても良い存在かと思います。1980年代前半の京急をリードした両系列だが、現状では運用上の制約が大きくなっていて(800形はホームドアに対応できず、空港線には入線できない、2000形は非貫通形だから泉岳寺には行けない、など)、この数年で両数を減らし続けています。どちらも遅くても、オリンピックまでは生き残れないのではないか、という気がします。このような光景が見られるのは、案外残り少ないかも知れません。
当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
明日の晩、本体の更新を行います。相鉄バスの再公開も行います。アーカイヴの改修に時間がかかってしまいました。車両では新旧エアロスター・ノンステップとエルガ・ノンステップを追加します。
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《今日見た・聞いた・思った事》
「上野東京ライン」の詳細が、JR東日本からリリースされました。
開業日の3月14日は北陸新幹線開業日と同じで、予想通りと言えます。
運行形態は、東海道線と宇都宮線・高崎線は終日相互乗り入れ、これに常磐線が割り込む形で品川まで直通、という形態となるようです。
(常磐線は、平日の朝・夕はE231系の「快速」のみ直通。でも編成足りる?)
また、常磐線の特急は大半が品川発着となり、新名称<ひたち>(速達タイプで、今の<スーパーひたち>?)、<ときわ>(途中停車タイプで、今の<フレッシュひたち>?)に改称される他、新料金体系が導入されるとの事。<スワローあかぎ>と同じになるかと思います。
<ときわ>は国鉄時代の急行の名称だが、勝手な想像だけれど、2012(H24)年運行開始とアナウンスされていた、ひたち~仙台間の新タイプの特急に使いたかったのではないでしょうか。
「上野東京ライン」が開業すると、東京経由と、新宿経由「湘南新宿ライン」の2つのルートができる事になり、色が同じなので誤乗が心配されます。「湘南新宿ライン」のE231系は、国府津・小山とも運用を固定し、色を変えた方が良いのではないでしょうか。
(横須賀線とも区別しなければならないから難しいが、一案として「神奈川のイチョウ+北関東の紅葉」で黄色+オレンジ、とか)
《今日のニュースから》
小渕前経済産業大臣の政治資金問題 東京地検が強制捜査
№1257 バスジャパン・ハンドブックシリーズS85 九州産交バス
「バスジャパン・ハンドブックシリーズS85 九州産交バス」、当シリーズでは初登場です。九州では西鉄と並ぶ大手事業者であり、以前から期待していました。
発売からやや時間が経ってしまったが、データ分析を中心に記してみます。
◆九州産交バスの車両たち
1. グループ3社を合計して、各用途の割合は乗合76.55%、高速12.00%、貸切11.45%。
昨今では高速バスに積極的、のイメージもあるが、全体的にはまだ 乗合車が3/4を占めています。
ただし、乗合には空港リムジンバスや、<快速あまくさ>などの長距離路線用のトップドア車(高速・貸切からの転用?)も少なくありません。
2. 全用途トータルのメーカー別割合は、いすゞが25.10%、日産ディーゼルが2005年10.90%、日野が46.21%、三菱ふそうは15.86%、トヨタと現代が共に0.97%となりました。
日野の割合が多いのは、近年リエッセやポンチョの積極的な導入があるかと思います。リエッセが4形式で107台、ポンチョが2形式で24台、合計すると乗合車の中での割合が23.60%と1/4近く、日野車の中では39.10%と4割近くになりました。
3. 平均年齢を、用途別に出してみました。
乗合車は14.57年とやはり高め。特に大型車は2005(H17)年以降新車の導入が少なくなり、本州からを中心に中古の導入で経年車を置き換える傾向にあります。
最高齢は1990(H2)年式の7台で全て産交バス配置。ただ、本体の九州産交バスの熊本〔営〕に1991(H3)年式が4台あります。
営業所別の年式では、九州産交・木山16.65年、産交・熊本16.63年、産交・山鹿16.65年、産交・玉名16.46年、産交・木山16.20年が経年化しています。
その一方、産交の牛深10.00年、水俣10.26年、八代10.43年、人吉10.80年と、地方都市の方が若い「逆転現象」が見られます。全体の台数が少ない所に、リエッセやポンチョ、ハイエース、ローザの新車を近年大量に導入している事がこの数字になっています。牛深は中古車両がなく、水俣・人吉も乗合は京王からのKC-RN2台ずつしかいません。
高速車は9.60年、貸切車は11.92年でした。高速の最高齢は1995(H7)年、貸切は1990(H2)年式が阿蘇にいるが、乗合車からの転用車。
4. 営業所別の配置は、乗合車は当然産交・熊本が最も多くて乗合車全体の15.3%、熊本・松橋・大津・山鹿・木山への配置が(産交籍を含めて)288台あり、51.89%。当然熊本市を中心にしたエリアに集中して配置される傾向にあります。
郊外は天草・玉名の配置が比較的多いが、天草は<快速あまくさ>などの運行もあり、玉名は旧荒尾市営バスの路線網を引き継いだ事があるでしょう。
高速はほとんどが九州産交・熊本。産交・人吉は<ひとよし号>が7月一杯で廃止になってしまったため、現在は配置がなくなっていると思われます。
貸切は観光・熊本が36台と当然最も多く、大牟田は5台のみ。九州産交・産交にも貸切車は分散して配置されているが、八代が9台と比較的多いのは新幹線対策?
5. 中古車は、全体では173台あって全体の23.86%、乗合車に限ると169台で、30.45%を占めています。
登録番号から推測して、前述のように2005(H17)年より、中古車の大量導入に行われるようになりました。H.I.Sが産業再生機構から株式を譲受した年でもあり、コスト削減が強く求められたのだろうと考えられます。
乗合車の譲渡元は33者、一番多いのは京浜急行バス26台で譲渡車両の割合の15.38%を占め、一大勢力になっています。
他に目立つのは京王電鉄バスが16台で9.47%、神奈川中央交通が15台で8.88%、でしょうか。九州の事業者ながら、関東からの移籍が大半、113台が関東の16者から集まっています。関東は排ガス規制もあり、早めに取り替える傾向にあるからでしょうか。
関東以外では、水間鉄道の7台が目を引きました。水間鉄道も2005(H17)年に経営破綻を経験、以降バス事業を急速に縮小している事で、適当な車両をまとまって入手できたのではないでしょうか。
6. ノンステップ車は62台あり、ノンステップ率は11.17%。
一番高いのは九州産交・松橋(8台)で34.78%だが、次は意外にも産交・水俣で31.58%。乗合全19台中ポンチョが6台で、この数字になりました。同じく新車のポンチョの割合が多い八代(20.00%)、人吉(16.00%)も、地方としては高めです。
九州産交本体では大津23.08%、山鹿22.86%、熊本15.29%だが、木山には今の所1台もありません。
牛深・玉名・阿蘇も、現状ではノンステップ車はなし。
ネオプランのノンステップ車は、在籍がなくなりました。産交レベルではまだそれほど経年化もしていなかったと思うが、外国車なのでメンテナンスなどで不利だったのでしょうか。一方で中古導入では7台ありました。
今回は一部、画像がない形態の車両がありました。全県レベルの広範囲な事業者だし、「1タイプ1台」の車両が少なくなさそうなので、仕方がないか。
◆ 九州産交バスのあゆみ
戦前の前身には個人事業者もかなりいて、産交の母体となった事業者は、結局いくつに上るのだろう?
熊本県は福岡県と違って「陸上交通事業調整法」の「調整を必要とする地域」には含まれず、あくまでその精神に則って事業者の統合が進められたが、鉄道会社の統合がなされなかったのは、既に鉄道会社だった福岡の九州電気軌道や九州鉄道と違って、鉄道を持っていなかったからか。
産交グループで特徴的だったのは、トラック輸送の部門も大きかった事で、以前は関東地方でも、産交のマークを掲げたトラックを割と見かけたものでした。サイパン・グアムへの進出もあって、結構ワールドワイドな企業グループを目指していたのかなとも感じました。
◆ 九州産交バスの路線エリア
熊本バス・熊本電気鉄道もあるから多少ムラもあるが、基本的には熊本県の全域をカバーしていると思われます。但し、一般路線で熊本県の外へ出て行く路線は、現状ではないようです。
人吉エリアは、他と路線がつながっていない(多分、九州道開通の時点で切れたと思う)。「黒白」へのが廃止になってしまったと何度か記しているが、この図を見る限り、6月1日現在なのに、まだ残っている事になっています。
(4月1日で廃止、球磨村町営バスに移行している)
高速バス<ひとよし号><さいかい号>もこの後廃止になりました。
◆ 終点の構図 南関上町
元々はバス路線全体では終点ではなく、国鉄→JR九州バスの山鹿線が、山鹿温泉からここを経由し、福岡県に入って鹿児島本線の瀬高まで入っていました。私も27年前、国鉄時代最末期に乗った事があるが、残念ながら印象はあまり強くはなかったです。
2006(H18)年春のJR撤退後に産交が引き継ぎ、一時は福岡県に入っていたが、わずか3年半後に県境を越える区間は廃止、完全にここが終点になっています。
(JTB時刻表では「南関ターミナル」が終点だが、その一つ先)
廃止の理由について、福岡県みやま市のWebサイトが回答しています。利用者が少なすぎて補助金交付の要件を満たさなかった上、その利用者の大半は高齢者で、福祉バスによる代替が有効、という事のようです。県境を行き来する利用は少なかった、という事でしょう。
◆ 「あまくさ乗り放題きっぷ」の旅
熊本県は広いし、どういうルートを取るのかなあと思っていたのだが、福岡を基点として、天草地方に特化した旅になりました。確かに天草だけでも相当広く、ていねいにたどろうと思えば2日は必要でしょう。
崎津天主堂は、降りた事は無かったが、車窓から見た事はありました。27年前、国鉄バス山鹿線と同じ時期。天主堂もさることながら、路線バスなのにとんでもない山道を走っていたという印象があります。本渡~牛深間には快速<うしお>も走っていました。懐かしいなあ。
「コレジヨ」とは宣教活動の一環なのだから、キリスト教がなかった所に造られる訳で、元々キリスト教が普及した所にはなかったのでしょうか?海外ではどうなのかな?今でも、性格は違っても「コレジヨ(オ)」を名乗る施設は各地に見られるようだが。
ラストでAMXのDHC-8が出てきました。紀行で旅客機が出てくるのは、前身の「バス・ジャパン」から含めても初めてです。
九州産交は遠い九州の地の事業者なので方向性は読みづらいが、熊本市内、近距離高速、観光に力を入れて行く事になるのか。
熊本市内に関しては、熊本市が政令指定都市になった事でもあり、今一度新車(特にノンステップ車)の積極的導入にも力を入れて欲しいかなあ。インフラの問題もあるが、低公害車の導入も期待したい所。路線網は来年の熊本市営バス事業終了後、熊本都市バスとどのようにすみ分ける事になるか。都市バスは、しばらくは市営バスのネットワークをそのまま引き継いでいくだろうが、在来の民営事業者も絡めた再編成もありうるでしょうか。あとはICカードを入れるのかどうか。熊本市電が「nimoca」を入れたし、<ひのくに>も西鉄便では使用できるので、少なくとも九州産交本体は「nimoca」導入の可能性があるでしょう。
高速バスは経営の柱、とはいってもここへきて一部の路線の廃止があるし、特に本州(名古屋・関西)へ行く夜行便はLCCとの競争が発生したので(一昨日から熊本にジェットスター・ジャパンが就航)、今後どこまで対応ができるでしょうか。<ひのくに>を中心とした、九州内高需要路線に力を入れて行く事になろうと思います。
観光は、H.I.Sの傘下になった事、そのH.I.Sが旅行セールスの分野でANAとの提携を始めているので、ANAとの関係をさらに強化して観光客を呼び込む方向に行くのでしょうか。当然インバウンドの取り込み策も考えられるのでしょう。熊本空港乗り入れの国際線は現在、ソウル線(アシアナ)週3便のみ、なのだが。
かつての主力、貸切格下げ改造車が見られなくなったのは残念も、代わって中古車の大量導入で、ファンの目には引き続き楽しい九州産交バス。それは、サービスレベルの点では微妙、という事でもあるのだが。魅力的な地方路線はまだ少なくないし、今後もレベルアップを図りつつ、引き続き私たちを楽しませてくれるでしょう。今後の九州産交に期待します。また、早いうちに熊本、行きたいな。
次回は京王バス・西東京バスとなるが、その次の予告が今の所ありません。どこになるか。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
《今日のニュースから》
海上自衛隊・ロシア海軍 ウラジオストック沖で共同訓練
発売からやや時間が経ってしまったが、データ分析を中心に記してみます。
◆九州産交バスの車両たち
1. グループ3社を合計して、各用途の割合は乗合76.55%、高速12.00%、貸切11.45%。
昨今では高速バスに積極的、のイメージもあるが、全体的にはまだ 乗合車が3/4を占めています。
ただし、乗合には空港リムジンバスや、<快速あまくさ>などの長距離路線用のトップドア車(高速・貸切からの転用?)も少なくありません。
2. 全用途トータルのメーカー別割合は、いすゞが25.10%、日産ディーゼルが2005年10.90%、日野が46.21%、三菱ふそうは15.86%、トヨタと現代が共に0.97%となりました。
日野の割合が多いのは、近年リエッセやポンチョの積極的な導入があるかと思います。リエッセが4形式で107台、ポンチョが2形式で24台、合計すると乗合車の中での割合が23.60%と1/4近く、日野車の中では39.10%と4割近くになりました。
3. 平均年齢を、用途別に出してみました。
乗合車は14.57年とやはり高め。特に大型車は2005(H17)年以降新車の導入が少なくなり、本州からを中心に中古の導入で経年車を置き換える傾向にあります。
最高齢は1990(H2)年式の7台で全て産交バス配置。ただ、本体の九州産交バスの熊本〔営〕に1991(H3)年式が4台あります。
営業所別の年式では、九州産交・木山16.65年、産交・熊本16.63年、産交・山鹿16.65年、産交・玉名16.46年、産交・木山16.20年が経年化しています。
その一方、産交の牛深10.00年、水俣10.26年、八代10.43年、人吉10.80年と、地方都市の方が若い「逆転現象」が見られます。全体の台数が少ない所に、リエッセやポンチョ、ハイエース、ローザの新車を近年大量に導入している事がこの数字になっています。牛深は中古車両がなく、水俣・人吉も乗合は京王からのKC-RN2台ずつしかいません。
高速車は9.60年、貸切車は11.92年でした。高速の最高齢は1995(H7)年、貸切は1990(H2)年式が阿蘇にいるが、乗合車からの転用車。
4. 営業所別の配置は、乗合車は当然産交・熊本が最も多くて乗合車全体の15.3%、熊本・松橋・大津・山鹿・木山への配置が(産交籍を含めて)288台あり、51.89%。当然熊本市を中心にしたエリアに集中して配置される傾向にあります。
郊外は天草・玉名の配置が比較的多いが、天草は<快速あまくさ>などの運行もあり、玉名は旧荒尾市営バスの路線網を引き継いだ事があるでしょう。
高速はほとんどが九州産交・熊本。産交・人吉は<ひとよし号>が7月一杯で廃止になってしまったため、現在は配置がなくなっていると思われます。
貸切は観光・熊本が36台と当然最も多く、大牟田は5台のみ。九州産交・産交にも貸切車は分散して配置されているが、八代が9台と比較的多いのは新幹線対策?
5. 中古車は、全体では173台あって全体の23.86%、乗合車に限ると169台で、30.45%を占めています。
登録番号から推測して、前述のように2005(H17)年より、中古車の大量導入に行われるようになりました。H.I.Sが産業再生機構から株式を譲受した年でもあり、コスト削減が強く求められたのだろうと考えられます。
乗合車の譲渡元は33者、一番多いのは京浜急行バス26台で譲渡車両の割合の15.38%を占め、一大勢力になっています。
他に目立つのは京王電鉄バスが16台で9.47%、神奈川中央交通が15台で8.88%、でしょうか。九州の事業者ながら、関東からの移籍が大半、113台が関東の16者から集まっています。関東は排ガス規制もあり、早めに取り替える傾向にあるからでしょうか。
関東以外では、水間鉄道の7台が目を引きました。水間鉄道も2005(H17)年に経営破綻を経験、以降バス事業を急速に縮小している事で、適当な車両をまとまって入手できたのではないでしょうか。
6. ノンステップ車は62台あり、ノンステップ率は11.17%。
一番高いのは九州産交・松橋(8台)で34.78%だが、次は意外にも産交・水俣で31.58%。乗合全19台中ポンチョが6台で、この数字になりました。同じく新車のポンチョの割合が多い八代(20.00%)、人吉(16.00%)も、地方としては高めです。
九州産交本体では大津23.08%、山鹿22.86%、熊本15.29%だが、木山には今の所1台もありません。
牛深・玉名・阿蘇も、現状ではノンステップ車はなし。
ネオプランのノンステップ車は、在籍がなくなりました。産交レベルではまだそれほど経年化もしていなかったと思うが、外国車なのでメンテナンスなどで不利だったのでしょうか。一方で中古導入では7台ありました。
今回は一部、画像がない形態の車両がありました。全県レベルの広範囲な事業者だし、「1タイプ1台」の車両が少なくなさそうなので、仕方がないか。
◆ 九州産交バスのあゆみ
戦前の前身には個人事業者もかなりいて、産交の母体となった事業者は、結局いくつに上るのだろう?
熊本県は福岡県と違って「陸上交通事業調整法」の「調整を必要とする地域」には含まれず、あくまでその精神に則って事業者の統合が進められたが、鉄道会社の統合がなされなかったのは、既に鉄道会社だった福岡の九州電気軌道や九州鉄道と違って、鉄道を持っていなかったからか。
産交グループで特徴的だったのは、トラック輸送の部門も大きかった事で、以前は関東地方でも、産交のマークを掲げたトラックを割と見かけたものでした。サイパン・グアムへの進出もあって、結構ワールドワイドな企業グループを目指していたのかなとも感じました。
◆ 九州産交バスの路線エリア
熊本バス・熊本電気鉄道もあるから多少ムラもあるが、基本的には熊本県の全域をカバーしていると思われます。但し、一般路線で熊本県の外へ出て行く路線は、現状ではないようです。
人吉エリアは、他と路線がつながっていない(多分、九州道開通の時点で切れたと思う)。「黒白」へのが廃止になってしまったと何度か記しているが、この図を見る限り、6月1日現在なのに、まだ残っている事になっています。
(4月1日で廃止、球磨村町営バスに移行している)
高速バス<ひとよし号><さいかい号>もこの後廃止になりました。
◆ 終点の構図 南関上町
元々はバス路線全体では終点ではなく、国鉄→JR九州バスの山鹿線が、山鹿温泉からここを経由し、福岡県に入って鹿児島本線の瀬高まで入っていました。私も27年前、国鉄時代最末期に乗った事があるが、残念ながら印象はあまり強くはなかったです。
2006(H18)年春のJR撤退後に産交が引き継ぎ、一時は福岡県に入っていたが、わずか3年半後に県境を越える区間は廃止、完全にここが終点になっています。
(JTB時刻表では「南関ターミナル」が終点だが、その一つ先)
廃止の理由について、福岡県みやま市のWebサイトが回答しています。利用者が少なすぎて補助金交付の要件を満たさなかった上、その利用者の大半は高齢者で、福祉バスによる代替が有効、という事のようです。県境を行き来する利用は少なかった、という事でしょう。
◆ 「あまくさ乗り放題きっぷ」の旅
熊本県は広いし、どういうルートを取るのかなあと思っていたのだが、福岡を基点として、天草地方に特化した旅になりました。確かに天草だけでも相当広く、ていねいにたどろうと思えば2日は必要でしょう。
崎津天主堂は、降りた事は無かったが、車窓から見た事はありました。27年前、国鉄バス山鹿線と同じ時期。天主堂もさることながら、路線バスなのにとんでもない山道を走っていたという印象があります。本渡~牛深間には快速<うしお>も走っていました。懐かしいなあ。
「コレジヨ」とは宣教活動の一環なのだから、キリスト教がなかった所に造られる訳で、元々キリスト教が普及した所にはなかったのでしょうか?海外ではどうなのかな?今でも、性格は違っても「コレジヨ(オ)」を名乗る施設は各地に見られるようだが。
ラストでAMXのDHC-8が出てきました。紀行で旅客機が出てくるのは、前身の「バス・ジャパン」から含めても初めてです。
九州産交は遠い九州の地の事業者なので方向性は読みづらいが、熊本市内、近距離高速、観光に力を入れて行く事になるのか。
熊本市内に関しては、熊本市が政令指定都市になった事でもあり、今一度新車(特にノンステップ車)の積極的導入にも力を入れて欲しいかなあ。インフラの問題もあるが、低公害車の導入も期待したい所。路線網は来年の熊本市営バス事業終了後、熊本都市バスとどのようにすみ分ける事になるか。都市バスは、しばらくは市営バスのネットワークをそのまま引き継いでいくだろうが、在来の民営事業者も絡めた再編成もありうるでしょうか。あとはICカードを入れるのかどうか。熊本市電が「nimoca」を入れたし、<ひのくに>も西鉄便では使用できるので、少なくとも九州産交本体は「nimoca」導入の可能性があるでしょう。
高速バスは経営の柱、とはいってもここへきて一部の路線の廃止があるし、特に本州(名古屋・関西)へ行く夜行便はLCCとの競争が発生したので(一昨日から熊本にジェットスター・ジャパンが就航)、今後どこまで対応ができるでしょうか。<ひのくに>を中心とした、九州内高需要路線に力を入れて行く事になろうと思います。
観光は、H.I.Sの傘下になった事、そのH.I.Sが旅行セールスの分野でANAとの提携を始めているので、ANAとの関係をさらに強化して観光客を呼び込む方向に行くのでしょうか。当然インバウンドの取り込み策も考えられるのでしょう。熊本空港乗り入れの国際線は現在、ソウル線(アシアナ)週3便のみ、なのだが。
かつての主力、貸切格下げ改造車が見られなくなったのは残念も、代わって中古車の大量導入で、ファンの目には引き続き楽しい九州産交バス。それは、サービスレベルの点では微妙、という事でもあるのだが。魅力的な地方路線はまだ少なくないし、今後もレベルアップを図りつつ、引き続き私たちを楽しませてくれるでしょう。今後の九州産交に期待します。また、早いうちに熊本、行きたいな。
次回は京王バス・西東京バスとなるが、その次の予告が今の所ありません。どこになるか。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
《今日のニュースから》
海上自衛隊・ロシア海軍 ウラジオストック沖で共同訓練
№1256 私鉄名車列伝 120.西日本鉄道2000形
「私鉄名車列伝」、今回は西鉄の元特急車2000形です。気づけば、引退からちょうど4年です。
2000形は1973(S48)年、大牟田線(現天神大牟田線)特急車として製作された2ドアクロスシート車。後に3ドア車に改造され、急行用に転用されながらも、37年にわたって筑後平野を走り抜け、西鉄のイメージアップに大きく貢献した。1974(S49)年ローレル賞受賞は、西鉄のみならず、九州の鉄道では初の快挙だった。
特急車としては使用されてきた1000形はデビューから15年を過ぎて陳腐化してきた事、4両編成で輸送力が不足していた事、冷房改造が困難とされた事が問題視されていた。このため新幹線博多開業や高速道路の開通なども控えていた事で、旅客サービスの向上、さらに西鉄自体のイメージアップを図る必要があり、2000形は完全フルモデルチェンジ車として設計された。
6両固定編成、2ドア転換クロスシート、700形で試用されたM-Mユニットを本格採用、Tc車にMGを搭載して、Tc-M-Mの3両を1ユニットとしている。運転台は高床式で、中央部への設置が高速電車では珍しい。側面は両開きドアの間にユニット二段窓を並べた。カラーも一新し、オキサイドイエロー+ボンレッドの明るいデザインになった。また、西鉄初の新製冷房車でもあり、分散式冷房装置を1両に4基搭載されている。
車内は当初はドア間に転換クロスシート12脚、車端部にロングシートを配置していた。
2年に渡り6編成、36両が川崎重工で製造されている。1983(S58)年3月には最高速度の105㎞/hへの引き上げにより、福岡~大牟田間で60分運転を実現した。
1989(H元)年の後継の特急車8000形の製作が決定すると、2000形は主に急行運用に転用される事になり、8000形デビューに先駆けて3ドア化改造が実施された。中央部のクロスシートを撤去、ドアを増設し、戸袋部にはロングシートを設置した。合わせてローリーファン・非常通報装置を設置、1993(H5)年よりLED式車内案内表示装置を仕切り部に設置した。
以降は急行を中心に、時には8000形の代走で特急にも運用される事もあったが、2002(H14)年に2041Fが廃車、本格的には3000形デビューにより、2008(H20)年より廃車が本格化、最後まで残った2021Fも2010(H22)年一杯で廃車となった。廃車に先立ち、新CI導入時に省略された先頭部の旧社紋を復刻、日中の西鉄福岡(天神)~花畑間急行を中心とした限定ダイヤで運用の後、団体列車によるさよなら運転を行って花道を飾った。
【編成】
←大牟田方 西鉄福岡(天神)方→
Tc1 2000 - *M1 2000 - M2 2000 - *M3 2000 - M4 2000 - Tc2 2000
* パンタグラフ
さよなら運転の定期ダイヤと、10月17日の団体列車の運転、記念乗車券発売のチラシです。定期ダイヤ運用時に薬院駅で撮影していて、№360で書いています。
2ドア時代の2000形は27年前、1987(S62)年2月に乗った事はあるが、もう真っ暗な時刻だったので、お見せできるような画像がないのは、ご勘弁ください。なので当時の折り畳みダイヤの表紙を掲げておきました。
2ドア時代の過去の画像をいくつか見て感じたのは、正面の形態はややユニークな所もあるが、側面は角ばった印象がある事。それはユニット2段窓がズラッと並んでいるスタイルに起因するでしょう。2ドアクロスシートの特急車や快速車で、ユニット2段窓を採用した系列は、私鉄では他に例がありません。京阪1900形や旧3000形は2段窓だが、ユニット窓ではないし、片開きドアで戸袋もあったから、やや柔らかい印象です。国鉄117系(0番台)はユニット2段窓だったが、車体が広くて裾絞りがあった上に戸袋窓もあり、ユニット窓自体も窓部コーナーにRがあるので、2000形程はカチッとした印象はありません。
ユニット窓もそうだし、M-Mユニットも後の通勤車5000形に生かされる事になります。2000形は、「特急車」という完全に独立したポジションではなく、特急車としての威厳を示しつつも、後の通勤車への橋渡しとなった、西鉄電車そのもののターニングポイントとなった系列ではないでしょうか。
今回の記事は
「私鉄の車両9 西日本鉄道」(保育社 ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻)
「鉄道ピクトリアル1989年9月臨時増刊号 【特集】西日本鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル1999年4月臨時増刊号 【特集】西日本鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2011年4月臨時増刊号 【特集】西日本鉄道」(鉄道図書刊行会)
「週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄19 西日本鉄道」(朝日新聞出版) 等
を参考にさせて頂きました。
「私鉄の車両シリーズ」は次回から5回連続で、大手以外の西日本の事業者を取り上げます。次回は大阪市交通局20系です。
当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
《今日のニュースから》
美幌町最高気温25℃ 観測史上北海道最遅の夏日を記録
2000形は1973(S48)年、大牟田線(現天神大牟田線)特急車として製作された2ドアクロスシート車。後に3ドア車に改造され、急行用に転用されながらも、37年にわたって筑後平野を走り抜け、西鉄のイメージアップに大きく貢献した。1974(S49)年ローレル賞受賞は、西鉄のみならず、九州の鉄道では初の快挙だった。
特急車としては使用されてきた1000形はデビューから15年を過ぎて陳腐化してきた事、4両編成で輸送力が不足していた事、冷房改造が困難とされた事が問題視されていた。このため新幹線博多開業や高速道路の開通なども控えていた事で、旅客サービスの向上、さらに西鉄自体のイメージアップを図る必要があり、2000形は完全フルモデルチェンジ車として設計された。
6両固定編成、2ドア転換クロスシート、700形で試用されたM-Mユニットを本格採用、Tc車にMGを搭載して、Tc-M-Mの3両を1ユニットとしている。運転台は高床式で、中央部への設置が高速電車では珍しい。側面は両開きドアの間にユニット二段窓を並べた。カラーも一新し、オキサイドイエロー+ボンレッドの明るいデザインになった。また、西鉄初の新製冷房車でもあり、分散式冷房装置を1両に4基搭載されている。
車内は当初はドア間に転換クロスシート12脚、車端部にロングシートを配置していた。
2年に渡り6編成、36両が川崎重工で製造されている。1983(S58)年3月には最高速度の105㎞/hへの引き上げにより、福岡~大牟田間で60分運転を実現した。
1989(H元)年の後継の特急車8000形の製作が決定すると、2000形は主に急行運用に転用される事になり、8000形デビューに先駆けて3ドア化改造が実施された。中央部のクロスシートを撤去、ドアを増設し、戸袋部にはロングシートを設置した。合わせてローリーファン・非常通報装置を設置、1993(H5)年よりLED式車内案内表示装置を仕切り部に設置した。
以降は急行を中心に、時には8000形の代走で特急にも運用される事もあったが、2002(H14)年に2041Fが廃車、本格的には3000形デビューにより、2008(H20)年より廃車が本格化、最後まで残った2021Fも2010(H22)年一杯で廃車となった。廃車に先立ち、新CI導入時に省略された先頭部の旧社紋を復刻、日中の西鉄福岡(天神)~花畑間急行を中心とした限定ダイヤで運用の後、団体列車によるさよなら運転を行って花道を飾った。
【編成】
←大牟田方 西鉄福岡(天神)方→
Tc1 2000 - *M1 2000 - M2 2000 - *M3 2000 - M4 2000 - Tc2 2000
* パンタグラフ
さよなら運転の定期ダイヤと、10月17日の団体列車の運転、記念乗車券発売のチラシです。定期ダイヤ運用時に薬院駅で撮影していて、№360で書いています。
2ドア時代の2000形は27年前、1987(S62)年2月に乗った事はあるが、もう真っ暗な時刻だったので、お見せできるような画像がないのは、ご勘弁ください。なので当時の折り畳みダイヤの表紙を掲げておきました。
2ドア時代の過去の画像をいくつか見て感じたのは、正面の形態はややユニークな所もあるが、側面は角ばった印象がある事。それはユニット2段窓がズラッと並んでいるスタイルに起因するでしょう。2ドアクロスシートの特急車や快速車で、ユニット2段窓を採用した系列は、私鉄では他に例がありません。京阪1900形や旧3000形は2段窓だが、ユニット窓ではないし、片開きドアで戸袋もあったから、やや柔らかい印象です。国鉄117系(0番台)はユニット2段窓だったが、車体が広くて裾絞りがあった上に戸袋窓もあり、ユニット窓自体も窓部コーナーにRがあるので、2000形程はカチッとした印象はありません。
ユニット窓もそうだし、M-Mユニットも後の通勤車5000形に生かされる事になります。2000形は、「特急車」という完全に独立したポジションではなく、特急車としての威厳を示しつつも、後の通勤車への橋渡しとなった、西鉄電車そのもののターニングポイントとなった系列ではないでしょうか。
今回の記事は
「私鉄の車両9 西日本鉄道」(保育社 ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻)
「鉄道ピクトリアル1989年9月臨時増刊号 【特集】西日本鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル1999年4月臨時増刊号 【特集】西日本鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2011年4月臨時増刊号 【特集】西日本鉄道」(鉄道図書刊行会)
「週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄19 西日本鉄道」(朝日新聞出版) 等
を参考にさせて頂きました。
「私鉄の車両シリーズ」は次回から5回連続で、大手以外の西日本の事業者を取り上げます。次回は大阪市交通局20系です。
当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
《今日のニュースから》
美幌町最高気温25℃ 観測史上北海道最遅の夏日を記録