№1240 私鉄名車列伝 119.南海電気鉄道8200系

「私鉄名車列伝」、今回は南海の8200系です。
 両数もあまり多くはなく、比較的地味な系列だったが、ここへきて動きが大きくなりました。

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 8200系は、1982(S57)年より製造された、高野線用大型通勤車である。1984(S59)年と1985(S60)年の合わせて3次に渡り、6連×3本、合計18両が東急車両により製造された。

 南海の省エネルギー対策としては、1975(S50)年にAVFチョッパ制御の初代8000系(後に抵抗制御に改造されて6200系に編入)が製造され、一定の効果を上げていたが、経済性や、想定されていた山岳区間直通時に必要となる抑速ブレーキ搭載の観点から、後継車両には界磁チョッパ制御の採用が有利と判定され、8200系は南海初の界磁チョッパ制御が採用された。ブレーキは抑速回生併用の電磁直通ブレーキで、回生ブレーキ失効時には電気ブレーキに切り替わる機構が設けられている。電動機は複巻式で、160kwに増強された。

 車体は引き続きコルゲート付のステンレス製となったが、軽量構造になり、8000系と比較して約1tの軽量化が図られた。前面にはFRP製の縁取りがつけられて額縁スタイルとなり、正面窓が大型化された。断面形状に多少丸みが持たせられた事もあり、やや柔らかいイメージを与えている。デビュー当初は無塗装だったが、正面貫通扉には、南海では初めて最初から車号板が設けられた。

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 車内は8000系までとほぼ同様のロングシート車だが、冷房効率を高めるため、ドア付近にラインデリアが設けられた。冷房は分散式で、各車両に4ヶ所ずつ搭載されている。


 6連単独運用で電気連結器も装備されず、他系列との併結は行われない。高野線「小運転」の各駅停車・準急等の運用が中心で、当初は難波~三日市町間、線路改良後は橋本まで運用区間が延長された。急行に運用される事もあり、泉北高速鉄道への乗り入れ運用もある。

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 後に関西空港開港を見据えた新CI採用によりブルー+オレンジの帯と新シンボルマークが設けられ、車内の座席の色もグレーに変更された。
 車両数も少なく、地味な系列で、他に主だった変化は見られなかった。
 しかし2013(H25)年になり、8703FがVVVF制御改造を受けて6200系に編入、6251Fとなった。残る2編成も改造が予定され、8200系は近く形式消滅する事になる。


【編成】
←難波     橋本
 Tc1 8701 - *M1 8701* - M2 8201 - *M1 8701* - M2 8201 - Tc2 8701
* パンタグラフ

 8200系においては、本格的な省エネルギー車として界磁チョッパ制御を選択した訳だが、デビュー年の1984(S57)年は、関西において、近鉄1250系(1420系)・大阪市20系と、本格的なVVVF制御の通勤車が営業運転を始めた年でもありました。まだ試作的な要素が濃かったが。
 南海初のVVVF車は6年後、1990(H2)年の2000系となるが、1990年代前半位までの約10年は、国鉄・JRも含め、鉄道各社が次世代の制御方式について模索し続ける事になります。

 今回の記事は
「私鉄の車両23 南海電気鉄道」(保育社) ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻)
「鉄道ピクトリアル1995年12月臨時増刊号 【特集】南海電気鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2008年8月臨時増刊号 【特集】南海電気鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ダイヤ情報2014年10月号」(交通新聞社) 等
を参考にさせて頂きました。

 次回は西鉄2000形です。大牟田線の特急車だったが、引退から早くも4年経ってしまいました。

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 JALマイレージバンクで個人情報漏えいの疑い、だって…。パスワードなどは流出していないそうだし、今日の所は迷惑メールとかの着信もないが、今後どんな影響があるのか。この所、こんな話ばっかり…。

《今日のニュースから》
インド火星探査機「マンガルヤーン」 アジア初 火星軌道に投入

 快挙、ではあるが、探査機に金を使えるなら、貧困層対策に力を入れるべきだ、という声も昨年の打ち上げの頃にはありました。日本円で約80億円は欧米に比べて格安、だそうだが。

№1239 5年ぶり 北陸を訪ねて撮影三昧 4<終>.「FUKURAM」初乗り

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 5年ぶりの北陸旅行も、あっという間に最終日になりました。福井鉄道を中心に訪ねます。当然「FUKURAM」も乗ります。
 今回は残念ながら、えちぜん鉄道までは足が回りませんでした。


 9月10日(水)

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 今回泊まったホテルは福井駅に隣接していて、部屋からはJRの高架駅を見下ろす事が出来ました。
 先行して工事していた、北陸新幹線のホームも見えるが、ここに列車が走るのはいつになるのか…。
 あれ?新幹線なのに、1面2線の島式ホームなの?

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 朝食もそこそこ、福井鉄道の電車を撮りに行くが、適当な場所を探すうちに木田四ッ辻まで来てしまいました。途中「FUKURAM」に抜かれた。
 路面区間から専用路線に入る手前で撮影。202F。これは神明行でした。

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 旧塗装復刻の203F。

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 名鉄美濃町線から来た800形。2000(H12)年製で、福鉄に来たのは2006(H14)年だから、早くも福鉄で走っている期間の方が長くなりました。ラッシュ時は運用から外している、と聞いていたのだが、最近は増発も行っているから、ラッシュ時も運用があるようです。

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 こちらは揖斐線770形。

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 一旦福井駅前に戻ります。この電停は改装されて割と経ちます。

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 F1000形「FUKURAM」、来ました。越前武生からここを経由して一旦田原町まで走り、再び越前武生行として戻ってきます。越前武生まで乗り通します。

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 沿線はオレンジのコスモスが咲き、秋の訪れを感じさせます。

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 越前武生駅。武生新から駅名が変わりました。JRの武生駅はやや離れています。

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 越前武生駅のホーム。800形と並びました。

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 町中から、武生公会堂記念館。

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 改めて「FUKURAM」車内。同じ新潟トランシスながら、2日前の富山地鉄「セントラム」のシックな内装と比べると、こちらは明るい感じがします。初の3車体連接は、今後の他社の超低床車の可能性を広げたのではないでしょうか。
「FUKURAM」は今年の鉄道友の会ローレル賞の受賞が決定したが、まだ授賞式を行っておらず、ローレル賞のプレートはまだありません。

 この後は、この5年の間にできた新駅を乗り降りします。北府(西武生)駅構内の車庫には、203Fと同じ色の602号と、ベージュ+青帯の203Fがいました。共に相当期間使われていないようで退色が著しく、203Fは編成をばらしているので、どちらも再起はもうないはず。

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 スポーツ公園駅。2010(H22)年3月25日開業。

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 鯖江を過ぎると直線が長くなり、沿線は田園地帯になります。

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 泰澄(たいちょう)の里駅。2011(H23)年3月20日開業。奈良時代の僧の名前から来ているらしく、駅から徒歩10分程度の所に泰澄寺という寺があります。

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 泰澄の里駅に掲げられていたお知らせ。「FUKURAM」ローレル賞受賞と、今回は乗る機会がなかった「レトラム」の時刻表、それに車椅子利用の際の案内。車椅子の利用は、現状では2日前までに連絡が必要、との事。職員の手配が必要なのでしょう。

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 清明駅。同じく2011(H23)年3月20日開業。

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 鉄道線の駅の駅名票は、写真を使ったカラフルなものになりました。自治体(越前市・鯖江市・福井市)で変えているようです。

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 清明駅から一つ歩いて江端で待つと、やってきた田原町行は202号でした。日中は動かないものと思っていたのだけれど、200形は2編成とも走っていました。実は、初めて乗ります。1960(S35)年製で、もう54年も走っている…。クロスシート車なのだが、座席のピッチが窓と微妙に合っていません。

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 ドアの窓には、ソフトバンクのWi-Fi使えますのステッカー。このミスマッチが楽しい。デビュー当時の通信事情って、どうだったんだろう?とか考える。
 田原町まで乗る。途中福井駅前を経由するが、市役所前で方向転換・転線して、福井駅前で再度方向転換。

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 田原町はえちぜん鉄道直通対応の工事が行われていて、ホームは仮設になっていました。

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 近くの歩道橋に上がると、田原町駅改良の全体像が見えてきます。福鉄は2線になるよう。以前あったコンビニを撤去して、線路を敷き直しています。
 えちぜん鉄道側は、福井からの電車が着きました。JR119系の7000系。

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 仁愛女子高校(裁判所前)電停。改装されていました。

 5年ぶりに福井鉄道に乗って、新駅開業など変わった部分も多々見られたが、特に市内線の改良は急務かと感じられました。福井駅前へ行くのに市役所前でスイッチバックする現状の形態は、乗客の流れから見れば明らかに不自然。田原町の如く、既にプランは動き出しているが、個人的には武生方面から直接中央大通りに進入し、在来の支線に接続するループ線の建設を希望します。また、仁愛女子高校(裁判所前)は改築されたが、他の電停はまだ手つかずで、バリアフリーの観点からも改善が急がれます(特に市役所前)。このままではせっかくの「FUKURAM」が生きないので。電停の数自体もやや少ないと思われます。足羽川の南側では、電停配置の見直しも必要かも知れません。
 車両面では、残念ながら200形・600形の大型車は、もはや今の福井鉄道に求められるべき要素を満たしていないと思われます。足腰が弱そうな高齢者が多そうだったのに、高いステップをえっちらおっちら登らなければ乗り降りできない大型車は相当きついのでは?ラッシュ時の収容力の問題もあるが(なんだかんだ言って、朝ラッシュ時は結構混雑しているように見えた)、「FUKURAM」は今後あと3編成導入予定とされるので、一気に置き換えが進むはずです。撮る・乗るなら今の内。

 残念ながら午後は曇り空。京福バスの撮影もしたかったけれど、時間まで足羽神社付近を訪ねてみました。

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 愛宕坂。近年改修されたそう。

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 展望台からは、福井市を一望する事ができます。快晴なら画像の中央部付近にに白山も見られるらしいが、残念ながら今日は雲の中。

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 足羽神社。御社殿では結婚式が執り行われているようでした。

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 神社のある丘の東側にある「百坂」。およそ百段あるから、というのが由来だそうだが、とんでもない、数えたら164段もありました。

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 百坂を下りたところにある、水道記念館。

 福井は、北陸新幹線の影響はどう出るだろう?対東京では現状で、米原経由の<しらさぎ>+<ひかり>で3時間35分程度。北陸新幹線開業後は、金沢経由にすると、特急から<かがやき>乗継で最速3時間20分程度になると思われるが、決定的な差にはならない気もします。運賃・料金もあるし、品川や新横浜、あるいは上野や大宮といった、東京以外の目的地にも左右される事になりそうです。

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 いよいよ北陸とはお別れ、米原経由で帰ります。敦賀行348M(金沢始発)。521系4連。

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 下り列車とのすれ違い。特急通過駅はどこも長いホームの端をフェンスで仕切っていて、4連を上回る編成の普通列車の設定は、もう考えていないよう。

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 下り<サンダーバード>。
 北陸トンネルを7分53秒で抜けて、敦賀到着。

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 新快速3523Mに乗り換え。223系。左は<サンダーバード36号>。

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 この列車は米原経由播州赤穂行。福井県の駅において、兵庫県の西の端の駅名の表記は、違和感ありあり。275.5㎞と、実は相当長距離。滝川→釧路と30㎞ちょっとしか違いません。

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 この高架橋は、7月に開通したばかりの舞鶴若狭自動車道。
 この後ループ線をクリアして、滋賀県へ。

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 湖東地域の田園地帯。この後だんだん暗くなっていきます。
 米原で、始発の空車8両を連結。

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 米原からは、いつもの<ひかり532号>(小田原停車)。N700系で、A改造済み。

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 いよいよ、新幹線開業50周年が近づいてきました。デッキには記念のステッカーがあります。

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 福井で買っておいた「若狭ぎゅうぎゅうめし」を、ここで広げて食べます。

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 車内。普通車でも足元が広々しているのはいい。開業から50年、ビュッフェ・食堂車など失われたものも少なくないが、この足元のゆとりだけはいつまでもなくならないで欲しいと願います。

 小田原で東海道線に乗り換えようとしたら、「中央線は大雨の影響で遅れ」の表示。新幹線でも名古屋では夜空が稲光で光ったり、静岡では雨だったりと空模様が不安定そうだったが、関東地方はそれどころではなく、東京の都心や千葉では激しい土砂降りになっていたそうで、TVニュースを見たら車が冠水したりしていました。
 それに比べたら今回の北陸は、事前の予報が全体的に良い方向に変わってくれて、幸運だったと思います。撮れなかったもの、乗れなかったものも様々あったが、次のお楽しみにしておきます。次に行くのは北陸新幹線開業後、各地の乗り物は、どのように変わっているでしょうか。

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 JR西日本が、207系電車の更新工事についてリリースを出しました。VVVF制御装置などの更新も行うそう。ほぼ同期の小田急1000形あたりもそうで、VVVF車も初期の車両は更新の時期を迎えているようです。

《今日のニュースから》
「ヘイトスピーチ」禁止 国立市議会が意見書を可決

№1238 5年ぶり 北陸を訪ねて撮影三昧 3.野々市と金沢のバス

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 北陸旅行3日目は金沢。バス撮影がほとんどになりました。

 9月 9日(火)

 最初は北陸鉄道石川線7700形を撮るつもりで、金沢駅からJRに乗って西金沢に向かったのだけれど、ちょうど7700形が野町へ走っていくのが見えた。適当な撮影場所を探し、延々野々市方面へ歩いて行ったのだが、結局場所が見つからないまま、野々市工大前で抜かれてしまいました。時刻表から見て、今日の日中は鶴来で運用から外れるよう。残念。
 ただ、全くの無駄足にはならず、こんなバスを見つけました。

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 野々市市のコミュニティバス「のっティ」。野々市工大前の駅前にバス停があり、ちょうど便があったので乗ってみました。
 途中で降りて、他の地域に寄り道して行ったので先回りして撮影。

「のっティ」は市内に4ルートあり、地元のののいちバスが運行を受託しています。4ルート皆別々に専用車があり、全ルート撮影に挑戦。

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「のっティ」のバス停。路線ごとに色が違います。
 2ルートある場合は表裏で色が違います。ご丁寧に土台も塗り分けられる。

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「のっティ」北部ルート。

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「のっティ」西部ルート。この路線のみローザだったが、共通予備車らしい。

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 野々市市役所。
「のっティ」は4ルートとも45分間隔で運行。3ヶ所の拠点で2つの系統が相互に接続を取り合い、乗り換えが可能なダイヤになっている。野々市市役所は中央・西部・南部の3ルートが集まり、45分おきに、このように3台が並ぶシーンが見られます。
 ここは他に北鉄金沢バスの金沢駅からの路線があるが、本数は少ない。市役所は市の中心部から離れた場所にあるようです。

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「のっティ」南部ルート。
 キャラクターがとてもユニーク。個人的には牛に見えるのだが、「のっティ」という生き物で、現存のどの生物でもない。バスが先で、それがそのまま市の「ゆるキャラ」になったそう。
「のっティ」は今年で運行開始10周年だそう。野々市市の町からの市制施行は2011(H23)年11月11日なので、町だった頃から走っています。当初は初代ポンチョだったらしい。

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 ここにはもう一つポンチョを使った路線として、「のんキー」というバスがあります。JRの野々市駅から野々市市域をほぼ縦断、白山市の松任石川中央病院まで。「のっティ」とは別物(共通の回数券あり)。同じく、ののいちバスが受託して運行しています。このキャラクターはロバだそう。

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 野々市市には北にJR北陸本線、東に北鉄石川線の駅があるが、一番メインになるだろうと思われる交通機関は、北側の国道157号線を経由して金沢市と白山市を結ぶ、北鉄金沢バスの路線になろうかと思います。いくつかの行先があるが、合わせて日中は15~20分間隔位で運行。
 このバスで、金沢市内に戻ります。

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「城下まち金沢周遊」の左回り路線。一般的な大型ワンステップ車。犀川大橋で撮りました。

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 金沢駅前で、JRバス。
 ローカル路線は、以前はオンデマンド方式を採用していたが、現在は全て一般的な形態で運行されているようです。

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 同じく金沢駅前で、金沢市コミュニティ「金沢ふらっとバス」此花ルート。以前のクセニッツはポンチョに置き換わったようです(予備で残っているそう)。4ルート中3ルートは北陸鉄道が運行、長町ルートのみJR西日本バスが運行。

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 加越能バスの高岡行高速バス。貸切格下げでしょう。高岡駅まで1時間30分と少し時間がかかり過ぎの気もするが(砺波を経由)、新幹線開業後はどうなる?

 兼六元町まで「金沢周遊」右回りに乗車。旧塗装復刻のボンネットバスだった。女性ドライバーは、「1日フリー乗車券」が通用する範囲(「ふらっと」とJRバスは乗れない)とか、バスの種類とか全く絶え間なくアナウンスし続けて、正直な所、耳障りに過ぎると感じました。馴れない観光客への親切、なのだろうが…、運転、大丈夫?
 肝心の旧塗装復刻車は…、撮り損ねました。スミマセン。

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「ふらっと」の材木ルート。CNG改造車が入っています(全車ではない)。

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「金沢周遊」の右回り。同じ「金沢周遊」でも右と左でかなり違う。もともとはこのタイプの色違い(3色)で運行されていました。

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 今はポンチョも入っています。レトロ調。

 この後兼六園下から広坂まで歩いて移動します。兼六園下は長距離バスの終点でもあるが、大きめの待合室はあるものの、ターミナルではなく、ごく普通の道路際のバス停という感じ。

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「ふらっと」の菊川ルート。

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 北鉄金沢バスの高速バス富山線。

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 北鉄奥能登バスの輪島行特急便。

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 金沢駅と兼六園付近を結ぶ「兼六シャトル」。本来は土休日運行の所、4月1日から1年間は「実証運行」と称して毎日運行しています。土休日は100円。

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「1日フリー乗車券」の利用可能エリア。確かに利用可能なバスだけでも結構あり、これに「ふらっと」とJRバスが加わるので、馴れないと解りにくいかも知れない。

 今回撮影した北陸鉄道(グループの)バスについては、改めて本体で公開したいと思います。
 やや雲が多くなってきた夕方、兼六園下から金沢駅までバスで戻ります。たまたまやってきた、才田からのJRバスに乗車。331-8901は田辺あたりからの転属車らしく、和歌山県バス協会のステッカーが残ったままでした。

 さて、新幹線が開業すると金沢の交通はどう変わるだろうか。対東京に関しては、航空便はやはり影響を免れないと思う。特に小松空港は、アクセスもやや時間がかかるので。羽田路線は現状で2社計12便あるが、羽田の発着枠問題もあるし、若干の減便になりそうな気がする。良くてもダウンサイジングは免れまい。
 高速バスは、東京路線は、ここも安さを武器にして維持されるだろうとは思うが、ツアーバス移行組は、知名度の点で苦しくなるかも知れない。近距離の富山・高岡路線は在来線転換の第3セクター鉄道のダイヤ編成次第だろう。
 対関西・名古屋は、JR西日本のダイヤ編成次第になるが、こちらはほぼ現状のままでは?個人的には、関西空港~金沢<サンダーバード>の設定を望みたいと思います。681・683系に余裕が出るわけだし。空港だけでなく、大阪のミナミやUSJのアクセスにも利用できるでしょう。
 第3セクター鉄道に転換される北陸本線は、あいの風とやま鉄道の計画では、現行の普通列車のダイヤ+<おはようエクスプレス>代替の快速の設定が想定されているよう。金沢~富山の快速のフリークエントサービスなんて期待したいと思います。

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「金沢にLRTを造ろう!」の展示。地下コンコース、北陸鉄道浅野川線の駅の近くで見かけました。

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 17時13分発の敦賀行358Mで、金沢を後にします。しかし521系の2両編成とは短くないか?元々帰宅の人々が多い上に、富山からの456Mからの乗り換え客がゾロゾロ駆け込んできて、かなり混雑しました。

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 金沢を過ぎてからもしばらく新幹線の高架線が並走します。白山総合車両基地の検車庫には、W7系が3編成見えました。

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 加賀笠間駅。「(新幹線の)白山駅を造ろう」という運動があるようです。
(今の計画では、金沢の次は小松)

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 小松はやっぱり「KOMATSUの小松」だけあって、駅前の「コマツの杜」と称する広場には、巨大なダンプ形態の重機が保存されているのが垣間見えました。

 この後はだんだん暗くなってきて、車窓は楽しめなくなってきました。福井までは、特急に抜かれる事無く先着。

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 結局、金沢駅で買っておいた駅弁「加賀の彩」は、福井のホテルの部屋で食する事になりました。

 明日はいよいよ最終日、「晴れのち曇り」の予報が少々心配。福井鉄道を訪ねる予定です。えちぜん鉄道は難しい。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

 スコットランドの住民投票は、独立反対で決着しました。しかしこれで一件落着ではないでしょう。それにしても、なんだかスコットランドって行ってみたくなりました。特に北部の田舎は魅力的に映るので。

《今日のニュースから》
2018年アジア大会 インドネシア・ジャカルタ開催を決定

 元々はベトナム・ハノイの開催が決まっていたが、ハノイが4月に辞退していたもの。
 2019年開催予定が1年前倒し(大統領選挙のため)になったが、東京オリンピックの前哨戦になると思います。