№1212 思い出の海外旅行クロニクル 11.1998年スペイン9<終>

 これまで8回に渡って、1998(H10)年11月の17日間(最初の予定より1日長くなったが)に渡るスペイン旅行について書きました。
 最終回は、スペイン国鉄(RENFE=Red Nacional de los Ferrocarriles Españoles)の車両と、首都マドリード及びバルセロナのターミナル駅の画像を御覧頂きます。
 また、総まとめとして当時感じたスペインの鉄道の印象、スペインそのもののパーソナルデータを記して、完結とします。

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 当時のRENFEのシンボルマーク。今は大分オシャレになったみたいだけれど。

◆EL

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251型
 ファンには有名な、日本のEF66型そっくりのEL。ただし、フレートライナー・ブルートレイン用だった本家と異なり、重量貨物用として、主に北部の山岳地帯で運用されているようでした。

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252型
 旅客用だと思われます。

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269型
 こちらも日本のEF60に雰囲気が割と似ています。251型同様、三菱が製造・納入したとの事で、その辺も影響しているでしょう。

◆DL

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311型
 入替用?

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321型
 架線試験用らしき車両を牽引しているようです。落書きが汚い…。

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333型
 アルストーム製でGMのエンジンを搭載しているようだが、なんとなくDD54に雰囲気が似ているような気がします。

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352型
 タルゴ用と思われます。背がかなり低いのが、後部の旧型タルゴとの比較で解るかと。

◆EC

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 旧型の中距離電車。

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 旧型の近距離電車。車体そのものは上の中距離と同じだと思います。

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 以前もご覧頂いたと思うが、当時の最新型近郊電車。

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 中距離ディーゼルカー。やや旧型で、車体は電車との共通性が高くなっています。

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 地元で購入した絵葉書から、251型EL。旧塗装で、本家EF66に色遣いが似ています。

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 もう一枚、高速特急「ユーロメッド」。AVEをベースとした広軌線用で、バルセロナ~バレンシアで走っていました。

 首都マドリードにはチャマルティン・アトーチャと2ヶ所のターミナルがあり、バルセロナにはサンツ・フランサとやはり2ヶ所のターミナルがあります。
 ここではマドリードの2ヶ所と、バルセロナのサンツ駅をご覧頂きます。

◆ マドリード・チャマルティン駅

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 駅ビル。

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 コンコース。

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 カフェ。スペインには「カラマーレ」というイカフライの名物料理があって、ここでも手軽に食べる事が出来ます。

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 駅構内の待ち合わせ場所。

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 切符売場。番号札制で、場合によっては待ち時間が長くなる事も。要注意。

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 両替店。

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 時刻表。黄色が出発、白が到着。

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 ホーム。

◆ マドリード・アトーチャ駅
 AVEの始発駅です。

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 アトーチャ駅の駅舎。AVE開通時に新たに建設されました。

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 構内は近郊線「CELCANIAS」と、AVEを中心とする中長距離線「GRANDES LINEAS」「REGIONAL」にエリアが分かれています。近郊線のコンコース。

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 近郊線の券売機。

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 近郊線の窓口。

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 マドリードに限らず、近郊線では改札が導入されています。改札口。

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 近郊線のソラリー。

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 近郊線のホーム。

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 ドームの中は植物園になっています。

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「エキナカ」。

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 中距離線のコンコース。

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 中長距離線の窓口。

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 中長距離線のホーム。中央部がAVEを初めとする高速新線用で、右手が在来線用。

◆ バルセロナ・サンツ駅

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 駅ビル。ホテルになっていて、今回も利用させて頂きました。

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 窓口。

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 フリーマーケット?

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 コンコース。

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 時刻表。

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 両替店。

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 ホーム。

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 今回利用した、「スペイン・フレキシ―パス」。
 2等フレキシータイプで、有効1ヶ月の間に10日間使えるタイプ。前回の「ジャーマン・レイルパス」は同じ内容で304USDだったから、思いの外高いかも?
(購入時の1998(H10)年10月には急激な円高ドル安が発生していて、1USD≒115円位だったらしいから、約43,000円)

 以上、8回に渡って、スペインの鉄道の旅について書いてきました。
 今回もスペイン・フレキシーパス有効活用もあって、夜行列車の利用が多くなりました。
 ここで、当時のスペインの鉄道の印象を簡単にまとめてみます。

1. 大きな特徴として、種別体系は長距離系の「GRANDES LINEAS」、中距離系の「REGIONAL」、大都市近郊の「CERCANIAS」の3つのカテゴリーに大別され、それらの中で、AVEを筆頭として細分化されている。

2. 一つの地方の中では「CERCANIAS」が設定されている都市もあって、比較的本数が多い。しかし、地方間を結ぶ列車はマドリード~バルセロナ・バレンシア・セビリア、バルセロナ~バレンシアなどを除いて、非常に少ない。ローカル線だと、1日1本~数本の路線も。

3. 列車の遅延は事前にイメージしていた程大きくなる事は無く、少なくともアクシデントさえなければ、絶望的な遅延になる事は無い。逆に大幅な早着になるケースが多い。ダイヤが上げ底なのか、公示時刻に余裕を持たせているのか。

4. 何故だか解らないが、ストライキがたびたび起きて、列車が間引きになる。

5. 公式の全線時刻表が発行されず、駅で無料配布される、運転系統毎の無料時刻表が頼り。長距離列車は予約が義務付けられており、大きな駅では窓口が混雑する(日本の銀行のような番号札制が多い)事もあって、他国と比べると、列車の旅は少し難しい所があるかも。

6. 電化率は比較的高く、日本のメーカー(三菱)が製造したELが活躍する。しかし旅客列車は、欧州の中ではEC・DCの割合が高く、REGIONAL・CELCANIASは全てEC・DCで、ICでも一部は専用EC。客車はGRANDES LINEASに限られ、Talgoでない普通の客車は、一部の長距離夜行を除くとほと。プッシュプルトレインはない。

7. 欧州では珍しく、転換クロスシートが多用されている。RENFEだけでなく、私鉄でも長距離路線で採用されている。博物館の展示車両を見ると、昔から使われているようだ。 

8. 沿線の人口密度にもよるが、駅の数が全体的に少ない。マドリード近郊でさえ、15㎞程の間、次の駅がない区間もあった。廃止となった駅が多く、かつては運転の拠点として機能しながら、駅舎などが無残な姿をさらしている所も少なからず見られた。

9. 一方、特にマドリード近郊では駐車場を併設した駅が多く、AVE発着駅を中心とした駅では交通広場が整備されている所も大半で、マイカーからの乗り換え客をかなり意識しているように感じた。

10. 乗客の退屈しのぎ、という訳なのか、長距離の昼行列車では必ず車内で映画を放映し、中距離以下ではBGMを車内に流す列車が少なくない。駅のホームやコンコースでもBGMが流れている事が多い。

11. 軌間の違いもあって、国際列車は非常に少ない。ほとんどは自国のTalgoで、他国の車両はポルトガルの車両をわずかに見るだけ。

12. 私鉄が多数活躍し、バルセロナやバレンシアでは都心部に地下で乗り入れて都市交通の一翼を担う。北部でも長距離の私鉄が走っている。

11. 首都マドリードから主要都市までの運賃(2等車)。スペインは種別毎に運賃が違い、特に長距離は普通列車に相当する列車がない事もあるので、それぞれの行先で最安の種別の運賃を記しました。従って、距離と運賃が比例していません。
 アランフェス 49㎞ 370ESP(約330円)
 サラマンカ 233㎞ 1,625ESP(約1,460円)
 セビリア 470㎞ 7,100ESP(約6,390円) = Talgo利用
 バレンシア 490㎞ 4,300ESP(約3,870円) = IC利用
 バルセロナ 680㎞ 4,900ESP(約4,410円) = IC利用
 ア・コルーニャ 750㎞ 5,000ESP(約4,500円) = IC利用
 ※1ESP≒0.9円で計算

 最後に、スペインそのもののパーソナルデータを記しておきます。
(帰国日の1998(H10)年11月27日現在)

正式国名 スペイン Spain
面積 約504,782平方㎞ (日本の1.33倍)
人口 約3,921万人
政治体制 立憲君主制 議員内閣制
国家元首 ファン・カルロス国王
※先月退位、第1子のフェリペ6世皇太子に譲位
政治指導者 ホセ・マリア・アスナール首相(国民党)
※現在はマリアーノ・ラホイ・ブレイ首相(国民党)
首都 マドリード(人口約302万人)
国連 加盟(1955(S308)年)
EU(EC) 加盟(1986(S61)年)
NATO 加盟(1982(S57)年)
通貨 ペセタ(ESP) 1ESP≒0.9円
言語 スペイン語 地域によってカタルーニャ語・バスク語も使用
主な観光地 トレド バルセロナ市内 コスタ・デル・ソル など
日本からのアクセス 当時はイベリア航空が成田に乗り入れていて、モスクワ経由でマドリード・バルセロナ線を運航していた。最終期はA340でノンストップ運航だったが、この旅の直後の11月30日を持って廃止、現在は直行便は無し

 今回も前回のドイツ同様、長期間の旅となりました。夜行を多用して全国的に駆け巡ったが、これでもまだほんの一端だと思います。
「Talgo以外の客車列車は少ない」と書いたが、その大半がマドリードまたはバルセロナを起終点とし、複数の行先の客車を併結した長大編成で、カフェカーも連結されたりしています。一方で高速新線AVEが開通し、新型Talgoも運行されたりと、ひょっとしたら当時のRENFEは、昭和40年代位の日本の国鉄の全盛期?と、似たような状況だったのかなと、乗り歩きながら少し感じたりもしました。
 スペインもこの後高速新線が四方に張り巡らされ、フランスとの相互乗り入れも始まり、一方で旧来のスタイルの夜行は消滅したりと、この流れもまた、民営化後の日本に似ているような気がします。RENFEのマークやAVEを初めとする高速列車のデザイン・カラーもオシャレになったりしているようだけれど、実際の所、質的にはどのような変化が訪れているのか、ここの所訪れる機会はないが、再訪する機会を作れたら、その辺を確かめる事が出来れば良いと思っています。
…大惨事やテロは御免だけれど。

 次回の「クロニクル」は、1999(H11)年6~7月のフィンランドです。7回に分けて書く予定です。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

《今日のニュースから》
山口・島根豪雨から一年 萩市で「市民防災の日」式典

 JR線は間もなく被災した区間全ての運行の再開がなりそうだが、未だ行方不明の方もいたりして、現地は未だにいろいろな点で傷が癒えていないようです。近年の日本の夏は、災害との闘いに明け暮れるイメージが強くなっています。