№1210 思い出の海外旅行クロニクル 11.1998年スペイン7

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 スペインは割と私鉄が多く、バスク地方にもあります。この私鉄は国境を越えてフランスのアンダイヨにも達しています。朝方はこの私鉄に乗った後、インターシティで一気にバルセロナへ。
 翌日はバルセロナの地下鉄に乗ったりして、チューリヒ行ICNでいよいよスペインとお別れです。

1998年11月23日(月)

 朝起きて、部屋のTVをつけたら、ニュースはトップでストに伝えていた。やや扱いが軽い気もしたが。バルセロナ行、大丈夫かなあ…。朝食は7時30分から、他地域もそうだが、スペインの朝はやはりややワンテンポ遅い。

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 サン・セバスチャン(バスク語ではドノスティア)のバスク鉄道のターミナル、アマラ駅。

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 アマラ駅のホーム。

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 この1ドアの電車は「プルマン」と称しているようだが、何でしょうね?

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 今回乗った電車の車内。この電車も、車内にはBGMが流れている。

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 スミマセン、いきなり終点のアンダイヨになります。フランスの駅で、SNCFの駅の隣に位置します。スペイン・バスク・フランスの3言語で案内が書かれていました。小駅。
 基本的にはアマラ~アンダイヨは30分間隔運転で、平日のみ区間運転あり。

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 この橋がスペインとフランスの国境。アーチ橋はRENFE/SNCF。

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 バスク鉄道のイルン駅。

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 RENFEのイルン駅。フランス側からSNCFで来た場合はここで乗り換えになります。
(逆の場合は、RENFEの列車でアンダイヨまで行って乗り換え)
 一番最初の海外旅行では、パリからのTGVで夜に着いて、マドリード行夜行(今は廃止)に乗り換えたものでした。ザンザ降りだたっけ。
 窓口で聞いたらバルセロナ行ICは予定通り運行との事。ヤレヤレ。

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 バルセロナ行IC530列車。まずは2等ツーリスタの2両のみ。

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 ICのサボ。

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 しばらくは、昨日立ち往生したトンネルも含めた区間を快走。田舎ではあるが、周辺は高速道路や幹線道路がかなり整備されているよう。
 まだカフェテリア車はないが、ミニバーが回っているし、イヤホンも配られて映画の上映も始まります。

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 水道橋。どこだったっけ?

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 なめらかな曲面の田園地帯と、遠くに山々。

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 カラカラに乾いた畑作地帯。踏切の×型標識は、ここでも踏切そのものから遠い位置に立っています。

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 ツーリスタ車内。転換クロスシート。RENFEでは、IC以下の中長距離列車では、転換クロスシートが普通のようです。欧州では異例。

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 カステリョン・デ・エブロ駅。前にバルセロナ発ヒホン行夜行で通過しています。あの時は真夜中でした。機関庫らしき跡地がありました。風が意外に冷たい。
 ここでサラマンカ・ビルバオからの編成を連結して7両(うち1両回送)になりました。カフェテリアも連結され、少しはICらしくなりましたか。

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 イタリアのETR450系似の電車がいました。443系というらしいが。もう使っていないはずだが、特急の試作車だったのだろうか?

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 カフェテリアはサラマンカからの編成に連結されていました。サラゴサを過ぎて昼食を食べに行きます。この車両はもう少し食堂車らしくなり、メニューも他とは異なっていました。定食は一皿目と二皿目を選択する本格的なスタイル。

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 一皿目は豆の煮物。

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 二皿目は肉料理。
 備え付けの新聞は自由に読めるらしい。今日の鉄道の間引き運転はスペインだけでなく、フランスやベネルクス三国、ポルトガル、ギリシャでも行われているよう。

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 レリダから先は比較的直線が長い。時速140㎞位で突っ走ります。

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 山間部はまさに荒野。
 17時を過ぎて、夕陽が山の影に沈んで行きました。

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 終点のバルセロナ・サンツ到着。前の列車がつかえていたのかノロノロ運転になっていたのに、定刻より7分も早く着きました。スペインのダイヤって、どうなっているんだろう?

 宿泊は、以前も利用した「ホテル・バルセロ・サンツ」。部屋のTVニュースでは、今日の鉄道の間引きはやはりストで、スペインはまだまし、ベルギーでは全く列車が走らなかったらしい。

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1998年11月24日(火)

 夜にチューリヒに向けて出発するので、ほぼ1日中バルセロナ滞在。地下鉄を乗り歩きました。前回はカタルーニャ鉄道が中心だったが、今回はTMB(Transports Metropolitan de Barcelona)に乗ります。

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 TMBの車両から、2000形。架線集電式。

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 その車内。プラスチックのセミクロスシート。

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 3000形は第三軌条式。

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 その車内。やはりプラスチックのセミクロスシート。

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 1000形。架線集電式。

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 その車内。サイドシート。やはりプラスチック。

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 4000形。第三軌条式。41号線用。この路線はどこも屋根がドーム状で広い。

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 当時の地下鉄の路線図。
 TMBの全体的な印象としては、
① 放射状のため中心部の乗客が多く、中心部から遠ざかるほど乗客は少なくなる
② 例外もあるが、ほとんどの駅は相対式ホーム
③ 駅にはバーやカフェ等の「エキナカ」は多いが、トイレがない
④ 自動改札で、降りる時は扉を開けるだけ
⑤ 物売りなどが多い
等があげられると思いました。

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 バルセロナに来たからには、やっぱり外せない、サグラダ・ファミリア。


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 バルセロナのもう一つのターミナル、フランサ駅も以前来た事があるが、この日は「スペイン鉄道150周年記念」とかで、一部の線路・ホームを閉鎖して、展覧会を行っていました。

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 有料。900ESP(≒770円)。実物の車両や模型などが並んでいたが、スペイン語・カタルーニャ語は解らないからざっと見る程度。その中からいくつか。

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 モックアップが多かった。マドリードの新型地下鉄らしい。

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 シーメンスなどの企業も出展していたみたい。でもなんでICE3?
(この9年後、AVE S103としてスペインでもデビュー)

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 実物から、旧型EL。

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 SLも。形式についてはゴメンナサイ。

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 LRT。CAF社?この後ビルバオでこれをベースにしたLRTが開通したらしい。

 スペインともお別れ、最後は一気にスイス・チューリヒに向かう、タルゴのインターシティ・ナイトに乗ります。
 毎日運転ではなく、確かイタリア・ミラノ行と曜日を分け合った、週3~4回程度の運行だったと思う。

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 タルゴ273列車。途中(ナルボンヌあたり?)まで、パリ行と併結。だから合計29車体(パリ16・チューリヒ13)とかなり長い。始発はフランサではなくサンツ。

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 タルゴ指定券。今回は個室寝台(グランクラス)を奮発。最後だしね。

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 その個室。出だしはベッドにはなっていなくて、2人掛けの座席が並んでいます。

 定刻を少し回って出発。ワゴン・リのスタッフにパスポートを渡した後、しばらくは部屋の電気を消して、窓の外を眺める。真っ暗な部屋から眺める真っ暗な夜景は、やはり違う。時々工場とか、2階建て近郊列車を見たりする。GSやドライブ・スルーのマクドナルド等も見かけるが、後はひたすら夜空が広がるばかり。星空が最高に美しい。

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 フィゲーラスを過ぎた所で食堂車へ。注文が終わる頃には、スペイン最後の駅、ポルト・ボゥに到着。街は寝静まっていました。そんな中で軌間変更の作業場にのっそりのっそり進入していく。作業のおじさんが何人もいる。
 やがて全車両の軌間変更作業が終わってスピードが上がり、トンネルを抜けると、フランスのセルベール。
 スペインとはしばらくお別れです。Adios!

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 前菜のサラダ。

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 メインのサーロインステーキ。柔らかくて美味。

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 食後のスイーツ。プリン?

 はっきり言って客は少なかった。そんな中で男女5人グループが、少々騒々しい位のオシャベリ。そろそろスペインもケータイが普及し始めていて、隣のテーブルについたビジネスマン風の男性も、時々どこかへ電話をかけていました。

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 部屋に戻ると、既にベッドメイクは完了。シャワーを浴び、歯も磨いて横になる頃にはもう日付が変わっていました。左右に振られる感じで良く揺れるが、軌間が狭くなったから?

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

 関東地方は梅雨が明けたはずなのに、今日は夜になって雷の影響が出て、東急世田谷線や京王井の頭線が止まったり、羽田空港で航空便の発着に影響が出たりしているようです。クソ暑いのは我慢できるから、とにかくスッキリした青空が広がって欲しい。

《今日のニュースから》
裁判員裁判の判決 最高裁判所が初の直接取り消し