№1209 思い出の海外旅行クロニクル 11.1998年スペイン6
トレドよりマドリードに戻り、近郊のナローゲージのローカル線と、セゴビアを訪ねます。
翌日はついにマドリードに別れを告げ、バスク地方へ。
1998年11月21日(土)
8時30分少し前のトレド駅。ようやく陽が当たり始めました。冬晴れです。左の470系(?)が8時30分発のマドリード・アトーチャ行。1時間程でマドリードに着きました。
トレドへは、現在はセビリアへ行く路線から分岐する高速新線が到達し、マドリードからは33分で結ばれています。一方でアルゴドル経由の在来線は廃止になったらしい(少なくとも、旅客は)。
マドリード郊外のセルセディリャとコトスを結ぶナローのローカル線はマドリード近郊電車のネットワークに組み込まれ、C-9の系統番号が与えられています。
時刻表。本数が少ないのも去る事ながら、始発が遅いです。
始発のセルセディリャまでは、アトーチャからセゴビアに行くC-8a系統の電車で行きます。土曜日とあって、リュックサック姿の子供の団体がホームにあふれていました。
マドリードから遠ざかるにつれ、だんだん高度が上がっていきます。
セルセディリャ駅。既に山小屋風です。先の子供の団体も下車、コトス行に乗り換え。C-9系統は、登山鉄道的な性格を持っているようです。
どんどん山を登っていきます。一方的に急な上り勾配だし、カーブもきついが、ラックレールは使いません。
プエルト・デ・ナバセラダ駅も山小屋風。スペインとしてはカラフル?既にここも登山の基地らしい。先の子供グループも、皆降りて行きました。
終点のコトス駅。残った乗客は皆、思い思いの方向に散って行きました。丘の上にはゴンドラも見えます。
普通の民家は見当たりませんでした。
駅舎の中も山小屋のよう。カフェは登山客で大賑わいでした。
電車の車内。
折り返しの電車で戻るが、4連の内の先頭車両にしか乗れませんでした。
次はセゴビアに行くが、セルセディリャでの接続が良くなく、一旦ビリャルバまで下りました。
ビリャルバ駅はかなり近代的で、自動改札機まであります。エスカレーターも完備。ホームの放送もあり、通過列車注意のアナウンスもありました。
ダブルデッカーの近郊電車。
その車内。1Fだけれど、上も下もそんなに低くはない。やはりプラスチックシートが2-3配置。せっかくの新型、だと思うのに、窓自体の汚れが目立つ上にひっかき傷の落書きが輪をかけて、車窓が台無し。
それでもセルセディリャを経由しつつ、再び山を上がっていって、雄大な車窓が広がります。山腹に巨大な十字架が見えます。何だ?
終点のセゴビア駅。旧市街へはバスに乗り換えて行きます。駅付近は閑散としていたが、中心部は観光客や観光バスがゾロゾロ。日本人が多いのは言うまでもないです。
大聖堂。
水道橋。マイカーが結構多かった。
アルカサル城の全景を外から見たかったので、外周の急坂を下りて歩いてみました。結構かかったが、やはり日向側の外観は、迫力が全然違うと思いました。戻るのがしんどかったが…。
城からの展望。
セゴビアから再び近郊電車でマドリードに戻ります。切符売場で色々聞く観光客も多く、案外観光客の利用も少なくはなさそうだ。ところで、窓口にはチラシがあって、2日後の23日には列車が間引き運転になると記されていた。全国的なものになるようで、またスト?マドリードに戻って、23日のイルン→バルセロナ間のICを予約できたので、この列車は運行されると思うのだが、どうだろう?
アトーチャ駅近くの安ホテルに投宿するが、バストイレなしの古びた建物、しかも非常口が見当たらない!万一の時はどうしよう?
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1998年11月22日(日)
今日のマドリードも冬晴れになりそうです。
左のビトリア行で出発。何度か行きつ戻りつしたマドリードとは、今回はこれでお別れ、という事になります。
日曜日とあってか車内はガラガラ。数えてみたら、3両で18人しかいませんでした。居眠りの人が多い。
ビリャルバまでは前日乗った区間になります。エルエスコリアルでは、大きな宮殿を見かけました。
大スパイラル線も交え、森と山々の車窓が続きます。
終点のビトリア駅。ビトリアはバスク州の州都です。
バスク州ではスペイン語に優先して独自のバスク語を公用語としていて、駅構内の表記は必ずバスク語・スペイン語を併記しています。どちらの言葉も読めないが、文法からして両者がはっきり異なる言語である事位は、理解できます。
(同様に、カタルーニャ州もカタルーニャ語とスペイン語を併記する)
ここでイルン行に乗り換え。車内放送も2言語、ドア上の表記も、「次の停車」はスペイン語が「PROXIMA PARADA」に対し、バスク語では「HURRENGO EELDIALDIA」。
近郊電車は順調に快走、と思っていたが、トロサ駅の手前のトンネルの中で突然急停止、しかも車内の明かりが全部消えてしまった!真っ暗。少し先に出口があるようだが…。電気関係のトラブルらしく、前方の乗務員室の方からブルルルルル…という唸り声と、運転士と運転司令らしき者との間と思われる交信らしき音声が聞こえてくる。
しばらくして車内の明かりはついた。車掌の放送は全くなし。あったってスペイン語やバスク語では解るはずもないが。40分位して、ようやくノロノロと動き出した。モーター音が全然聞こえてこないので、カーブで後ろを見たら案の定、後続の近郊型電車をつないで、推進運転を行っていました。車掌が肉声で何か叫んで廻っている。「インターシティ」とか聞こえたから、この電車は運転を打ち切るので、後続のICに乗り換えるように、みたいな事を言っていたのでしょう。
トロサ駅で運転は打ち切り。ドアも自動では開かず、コックを使って開ける始末。編成全体で完全に電気関係がダウンしてしまったようでした。放送がなかったのもこのためか。
やがて何度か駅のアナウンスがあって、アンダイヨ行ICが来たが、こちらはここまで来てジタバタする必要が今日はないので、後続の近郊電車を利用します。故障したイルン行を押してきた編成が、入換えの上本線に入り、改めてイルン行として出発。所定から1時間以上の遅れ、という事になるようでした。
サン・セバスチャン駅には17時30分少し前に到着。ホテルを探した後、海岸へ。
夕暮れの海岸。多くの人々が浜辺を行き交います。若いカップルとか、犬の散歩とか…。
浜辺の一角の広場のメリー・ゴー・ラウンドでは、子供たちが歓声を上げていました。
長かった私の旅ももうすぐ終わり、暗くなった海岸の砂浜に腰を下ろし、きれいな星空を見上げながら、これまでの長旅をしみじみ回想していました…。
当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
明日の晩、本体の更新を行い、神奈中バスと茨城急行バスの画像を再公開します。両社とも、新たに画像を1枚追加します。
韓国で電車の正面衝突事故が起きましたが、まだ速報的な段階で、原因どうのこうのはまだ何とも言えないし、言うべきではないと思います。それにしても、日本も海外も、今年は何だか鉄道の事故が多い気がします。
《今日のニュースから》
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