№1208 思い出の海外旅行クロニクル 11.1998年スペイン5
1回お休みを頂いたが、スペイン旅行のクロニクルを続けます。前にも少し書いたが、スペインの鉄道でも、この旅の6年後、マドリードなどで大規模な爆弾テロが起きて、多数の犠牲者が出ました。公共交通を狙い撃ちした事件・テロなど、もう沢山です。
今回は、マドリードをベースとして各方面を巡るスタイルとしています。ア・コルーニャから列車乗継でマドリードに戻り、翌日は鉄道博物館を訪ねた後トレドへ。
1998年11月19日(木)
とにかく冬のスペインは、朝が遅いです。7時を過ぎても真っ暗。
ヴィゴまでTRDのDC列車。指定席券が必要。長距離(グランデス・リネアス)とは用紙が別物。
サンチャゴ・デ・コンポステラを経由。歴史ある街だし、もう少し古びたイメージがあったけれど、思ったより近代的な建物が並んでいるようでした。
スミマセン、いきなりビーゴが近づきます。ビーゴ湾にかかるロンデ橋。
ヴィゴ湾。
マドリード行タルゴ152列車は手前のポンテベドラが始発なので、ビーゴからいったん戻りました。ムダ足ではあるが、長距離列車は始発から終着まで乗り通したいクチなので。
タルゴは屋根がかなり低いので、一般のDLの運転台からだと、完全に見下ろす形になります。333型DLは大柄だが、雰囲気は日本のDD54に似ていると思いません?
2等ツーリスタ車内。4日前のマドリード→バルセロナとは、座席が異なっています。ビーゴですぐに進行方向が変わるため、座席は逆向きにセットされていました。
タルゴの指定券。
タルゴ始発駅のポンテベドラ。閑散としているが、やけに大きめのBGMが流れていました。
発車のアナウンスはスペイン語のほか、ポルトガル語・英語・フランス語で流れていました。なんと定刻より2分も早く出発。いいのか?車内はガラガラ。
ビーゴで方向転換、電化区間になるのでELが反対側に連結されます。
隣にいたステンレスのDCはポルトガルの列車で、ポルトから1日2往復、国境の鉄橋を渡ってきます。線路幅もあって、スペインでは他国の車両を見る機会は、ポルトガルの車両以外はほぼ皆無。
進行方向が変わって、最後部から外を見る事が出来ます。電化された単線。カーブが多いが、線路自体はしっかりしています。
車内はまだガラガラです。それでもカフェテリアのスタッフが、ランチの案内に回ってきました。天井のTVも何かのプログラムを始めています。
山間部の集落。ポルトガルとの国境が近いようです。
やはり食事は食堂車で、だよねー、とカフェテリアで昼食。串焼きの定食とコーラ。
カフェもヒマそうで、車掌も食事中。何しろオーレンセ到着直前時点では、乗客はプレファンテ9人・ツーリスタ33人で、全座席数の1/4にもなりません。
オーレンセ駅。ここで、ア・コルーニャからの編成が連結されます。
ここからまた非電化区間となり、機関車が好感、354型はタルゴに合わせたカラーで、背がかなり低い。ポンテペドラ始発の客車を連結して一旦引き上げ、別ホームのア・コルーニャ発編成に連結しました。
時々現れる集落を見ながら、山間部を走ります。
18時を過ぎて、夕陽が平原の向こうに消えていく。しかし、その後もずっと西の雲を赤く染め続けていました。
メディナ・デル・カンポ駅はもう真っ暗。ここでまた方向転換。
この先は真っ暗で、どんな所を走っているかはもう解りません。2~3日後にまた乗る事になるが。
21時30分過ぎ、チャマルティン駅到着。着いてみれば結構大勢の乗客がゾロゾロ降りてきました。出会いの光景はどこも劇的でした。
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1997年11月20日(金)
午前中は鉄道博物館を訪ねるが、オープンが10時だから、あわてる事はないです。
鉄道博物館は、地下鉄または近郊電車のデリシアス駅が最寄です。10~15時と開館時間がちょっと短い。500ESP(≒430円)。旧駅のドームを利用しているようで、ずいぶんと子供たちの歓声が高く響く。ここは保存車両の展示が中心で、資料はやや少なめか。
SL 1-1-1。
SL 130-0201“PUCHETA”。
SL 141-F-2416。
EL 3。
EL7301。バスク地方で走っていたようです。
EL7420。
DL 1615。どこかアメリカナイズされている気もします。
手前の車は何でしょうね。
DC 9522。ボディマウント。車内には入れないが、外から覗いた限り、座席は転換クロスシート。スペインは転換クロスが多いと書いてきたが、昔からそうだったのか?としたら、欧州では異色だと思う。
PC 335。
PC ZZ-307。貴賓車。
内部はすごい。豪華コンパート3室に、最後部はダイニング。以前の「夢空間」みたい。
TALGO Ⅱ。今の目で見るとずいぶん妙チクリンなデザインで、遊園地で見かけてきたおとぎ列車のようだ。今風に言うと、動力集中方式の固定編成、というところか。
TALGO Ⅱは車内に入れます。最後部は展望室だったようだが、こんな列車、本当にお客さんを乗せて走っていたのですかねぇ。
博物館の館内。全体的に若干詰め込み気味かな、という感じはありました。
陸軌両用車のファーゴ・パワー・ワゴン。
チャマルティン駅の模型。
資料も若干ありました。一つ気になったのは、AVEやユーロメッド、新タルゴ等の展示が一切なかった事。模型・資料すらなかった。日本でもありがちなのだが、古い車ばかりではなく、新しい車両の展示もやって、将来を見据えた構成にして欲しいと思いました。
記念品売り場では各種グッズに交えて鉄道模型も販売されているが、日本のKATO製の日本車両も販売されていたのはビックリ。デビューしたばかりだったE2系あさまやスーパーあずさ、MAX、シーガイアカラーのキハ65、SLやEF66もありました。KATOは日本でも、RENFEのELやAVEも製作・販売しているから、その縁もあったのでしょうか。
午後はトレドに向かいます。6年前にも訪れていて、あの時は単純に往復するだけだったが、今回はトレドに泊まります。電車は変わらないが。
マドリード→トレドの時刻表。世界的にも有名な世界遺産へ行く路線にしては、やはり本数が少ないかな。
アランフェスの先、バレンシア方面への本線と別れると、急に酷く揺れだすのは6年前と変わらないなあ。その支線の途中に位置するアルゴドル駅。5線もあって、貨車が多い。
トレドの駅舎の中。厳かです。
トレド駅は前回訪問から2年後の1994(H6)年に開業75周年を迎え、記念のプレートが設けられていました。
トレド駅。時計塔が印象的です。
6年前は旧市街には行かずにそのままとんぼ返りしてしまったが、今回はYHに一泊します。
トレドの聖堂。
トレドの丘。アルカサールが異様に大きく、街全体を威圧しているかのよう。
日本人観光客が多いのは、世界文化遺産にも登録されているとあれば当然でありましょう。
タホ川を隔てた反対側の道路からは、トレドの全景を一望する事が出来ます。大変だったけれど歩いてみました。コルドバが「白」なら、トレドは「茶色」。
改めて、絵葉書でトレドの全景。
この晩の夕食はカフェバールでうまいイワシの酢漬けとトルティーリャ、コーラ、そして食後のコーヒー。列車内以外では、久しぶりにまともな夕食を食べたような気がする…。YHで洗濯をして、23時過ぎ就寝。しかし同部屋の2人がまだ帰ってこない…。
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また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日見た・聞いた・思った事》
マレーシア機「撃墜」の一件の影に隠れて日本ではほとんど伝えられていないようだが、フランスでは17日、TGVに後続のローカル列車が追突する事故が起きていました。
現地からの報道に頼るしかないが、前方で30㎞/hの減速運転中だったTGVに、後続の急行が90㎞/hで衝突したという事で、映像を見るとTGVの動力車の先頭部が完全につぶれた状態になっています。これが動力車でなく客車だったら、恐らくは負傷者40人では済まず、相当数の犠牲者も覚悟しなければならなかったでしょう。
「保守点検中の信号が『赤』のまま変わらなかった」という話もあるそうです。
日本の鉄道運転規則では、
① 不明確な信号は「赤」とみなす(183条)
② 閉塞信号で「赤」の場合、1分以上停車の後、次の信号が確認できるまでは15㎞/h以下で進行する(90条・169条)
この2点の決まり事があります。
現地の規則までは解らないが、日本の運転規則に照らし合わせると、第一義には後続の急行の側に問題があったのではないかと考えます。
SNCFでは昨年の今頃パリ近郊で大事故があったし、他にもあれやこれやトラブルがなくならず、一方で先頃は労組による過激なストライキまで勃発しました。
日本だったらこんな状況が続けば、「さっさと民営化しろ!」という方向に世論が動きそうです。フランスのお国柄ではすぐにはそういう方向にはならないし、社会党オランド政権が続く内は現状のままだろうが、フランス国内の世論は、いつまでSNCFに寛容でいられるでしょうかね。
西鉄の高速バスのバスジャック事件は、無事に解決できて良かった。
《今日のニュースから》
奈良県野迫川村 避難住民 2年10ヵ月ぶり一斉帰宅
これは良かったが、関東地方は各地で大雨や雷になっていて、我が自宅は2度も停電になりました。