№1206 思い出の海外旅行クロニクル 11.1998年スペイン4

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 スペイン北部には国鉄RENFEとは別に、FEVE(Ferrocarriles de Vía Estrecha)と呼ばれる狭軌の鉄道ネットワークがあります。
 いくつか路線があるが、特にアストゥリアス州のオビエドと、ガリシア州のフェロルの間の海岸線を走る路線は距離が長く、なおかつ全線通しの列車は1日2往復しかありません。意識しないと乗る機会を作れない路線。どんな路線なのか、ヒホン・オビエド付近のRENFEの路線と共に訪ねてみました。

1998年11月17日(火)

 バルセロナからヒホンへ向かう夜行の続きです。

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 5時前のミランダ・デ・エブロ。濃い霧に包まれています。理由は解らないが、20分程の遅れで出発。霧の中に吸い込まれるよう。

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 7時を過ぎているのに、まだ夜が明けきらないパレンシア。サラマンカ行を切り離す作業中。寒いです。

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 カフェテリアで朝食。といってもクロワッサンと飲み物だけなのだけれど。

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 8時過ぎ。最後部のデッキの扉から後方を眺めていたら、地平線からぽっかりと朝日が顔を出しました。まるで大地が朝日を産んだよう。
 複線なのに、すれ違う列車が近郊列車1本だけ。

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 レオン駅。お客さんはここでかなり降りました。
 しかし、同室の女の子3人組がいまだに爆睡中。なので最後部車両のコンパートに引っ越します。居心地良くないよ。

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 山々が近づいてくる。ここまで150㎞/h位で走っていたのが、さすがにスピードが上がらなくなってきました。谷間の町は陽が当たるのがかなり遅い。時々、営業しているのかどうか解らない、寂れた駅を通過していきます。

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 急峻なカンタブリカ山脈に差し掛かり、スパイラル線が連続します。眼下のこれから通過する線路に、貨物列車が見えました。これは見どころ。

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 オビエドを経由し、11時前、ヒホン到着。若干の遅れでした。

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 このヒホン駅は長距離列車専用らしく、やや町外れ。中心部までは近郊電車で移動する事になります。

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 ヒホン・セルカネアス駅。FEVEと共同使用です。
 この付近は近郊電車の路線がいくつかあるので、乗り歩いてみました。

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 ビリャボナ・デ・アストゥリアス駅は2つの系統が分岐。しかし駅員無配置。ただし、スピーカーからかすかにBGMが流れてくる。

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 少し離れた場所から、近郊電車440系?を撮ってみました。牧歌的な雰囲気です。

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 サンファン・デ・ニエバ駅。ここは駅員がいるが、操車場みたいな駅。

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 やはり北部はアンダルシア等のようなカラカラ感はなくて、農村地帯は緑が豊かです。

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 オビエド駅。コンコースに新駅舎の模型がありました。この画像の駅舎は残しつつ、ホーム全体に人工地盤をかけて道路と公園にした上、北側には高層ビルも建設するそうです。

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 エル・エントレゴ駅。美しいデザインだし、スペインはシンボルマークの使い方がうまいと思う。

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 駅舎内のカフェ。

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 ここが当時のFEVEの駅、オビエド・ヨベラノス。町外れ、という感じでしたか。プレハブのような小屋の駅舎があります。明日はここからフェロル行に乗る事になります。
 この駅は、どうやらこの後RENFEの駅と統合、という形で移転したらしい。この間の情報がないので良く解らないが。
 この駅の近くのホテルに投宿。部屋のTVをつけたら、リャネスという所(オビエドの東の、ビスケー湾沿いの町)で大きなバスの事故があって、多数の死者が出たらしい。もちろんスペイン語だけだから詳細は不明だが、画像に映っていた遺留品から見て、乗客の大半は学生だったのではないか?

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1998年11月18日(水)

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 FEVEの時刻表。実際には短区間の列車がもう少し頻発しているが、ナビア・リバデオを挟む区間は、この時刻表の通りの本数しかありません。
 フェロルまで2,470ESP(≒2,120円)。レシートのような乗車券を渡されました。

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 7時過ぎというのに暗い…。しかも霧がかかっています。それでも、列車が到着すると通勤通学客がぞろぞろ降りてきました。
 定刻を少し回って出発します。約7時間の長旅。

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 しばらくは霧のために全く見通しがなかったが、1時間位走ったプラヴィアあたりでようやく霧が少なくなってきました。青空だ。
 クディレロまでは電化されていました。ここを過ぎると、いよいよビスケー湾・コスタベルテの海が見えてくるようになります。しかしすぐに別れたりして、つかず離れずの感じ。

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 ソト・デ・ルイニャ駅。ホームが濡れている。前夜はやはり雨だったのか?

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 ノベリャニャ駅も堂々とした駅舎が建つが、駅員がいなくて、レールが1線はがされて棒線化されていました。RENFEでも見かけたが、駅舎側をはがすのは日本とは逆です。

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 サンタマリナ駅。谷間の停留所然とした駅。付近に民家など全く見えないが、おばあちゃんが乗ってきたし、待合小屋には落書きもあったから、それなりに乗降はあるのか。
 海は時々見え隠れするものの、波打ち際を延々走るというシーンは現れない。思ったより内陸を走る区間が多く、トンネルが連続する。スピードはやはり出ません。

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 カタヴェド駅は久々の集落の中の駅だが、駅員無配置。それでも乗車がそれなりにありました。

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 時々アーチ橋を渡ります。日本のローカル線のような雰囲気がする。

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 オビエドから2時間半のルアルカは、久々の大きな集落で、駅もソト・デ・ルイニャ駅以来久しぶりに駅員の姿がありました。入り江に面したこの町の民家は、白壁が目立つ。アンダルシアとは全く趣きが違うが。

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 ビジャペドレ駅も、そんな感じの駅舎でした。駅員はいないが。

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 ナビア駅。オビエドからの最終列車の終着駅なのだが、駅舎は質素だ。

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 しかし海に面した町は大きく、港もあります。明るい。

 ナビア~リバデオは、2往復しかありません。乗客は2両合計で、私を含めて9人だけ。

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 草原と海。

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 タピア・デ・カサリエゴ駅。

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 ナビアから約1時間でリバデオ。ここからはフェロルへの区間運転が1本あります。
 ここで、オビエド行と交換。向こうもDC2連で、乗客はやはりわずかという感じ。こちらの停車時間は短く、飲み物を買う間もなかった…。

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 ようやく海のすぐそばを走るようになります。直線が長い。木々が少なくて、どこか荒涼とした感じもありました。潮の香りがします。
 バスターミナルを兼ねたブレーラ駅で4分停車、飲み物で一息。

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 ビベイロ駅でも一息。駅にはカフェバーがあります。ヨソの国の遠い過去の話だからあえて書いちゃうけれど、乗務員がカフェバーで、なんとワインを飲んでいました。オイオイ…。私もクロワッサンとジュースで一息。

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 ここで、このDC列車の車内。幅が狭いから2-1配置だが、この列車でも転換クロスシートが使われています。
 乗客は私以外は同じオビエドから乗っている若者と、ブラビアからの夫婦、合計4人だけ。しかし乗務員は3人も乗っています。

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 この駅には、貨物列車のDLがいました。こちらの出発を待ってフェロルに向かうようです。

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 ビベイロの集落。

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 ラストスパート。海岸から離れて、森や農村地帯の中を行く。列車の本数が多くなってきたようで、区間運転のDC列車と交換。なるほど、沿線の民家が多くなってきました。ごく普通のローカル線風情。
 RENFEのレールが左手に現れる頃には、高層ビルがいくつも並んでいます。

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 ついにフェロルに着きました!かなり近代的なドームの駅。他に同型の編成が並ぶのが、列車本数のそれなりの多さを表しているようです。

 この路線は現在、観光客向けの豪華列車も運行されているようだが、ローカル普通列車でのんびり行くのも良いかと思います。中間部は本数が極めて少ないから、途中下車するなら、覚悟と綿密なプランニングが必要だが。

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 RENFEのフェロル駅。

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 ア・コルーニャまで、「ガリシア急行」と称するDC列車に乗ります。クエンカ行と同じタイプ。

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 1時間半でア・コルーニャ到着。

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 サンアントン城。
 この城のそばの道路には線路が敷かれ、架線柱も並んでいました。観光用の路面電車が走っているようだが、見る機会はありませんでした。

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 最後に、ア・コルーニャ駅。

 市中のホテルに投宿、カフェテリアでサッカーの試合を中継していました。イタリアvsスペイン。親善試合?2対2の引き分け。ハーフタイムのニュースは、リャネスのバスの事故の続報でした。

 明日はまた、マドリードに戻ります。

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