№1205 思い出の海外旅行クロニクル 11.1998年スペイン3

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 スペインには他の国と組み合わせた周遊の行程の中で、過去に3度足を踏み入れているが、高速鉄道AVEには乗る機会がありませんでした。
 今回はいよいよ初乗車、しかも1等「プレファンテ」をおごっています。どんな旅になるのやら、期待大。

1998年11月15日(日)

 コルドバにもAVEは停車するが、セビリアから乗りたいから、在来線で戻ります。

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 コルドバ駅。AVE開通に合わせて整備されたようで、大規模です。

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 市内バスターミナルも併設。

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 コンコース。他の駅もそうなのだけれど、この駅もコンコースには軽くBGMが流されています。

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 所々、くたびれた?感じのおじさん?のモニュメント?があちらこちらに見られます。どんな意味?

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 ホームは、左側の1~4番線が高速新線、5~8番線が在来線。中央部の4番線と5番線で軌間が異なるのが解るでしょうか?
(在来線は1,668㎜の広軌に対し、高速新線は1,435㎜の標準軌)

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「アンダルシア急行」で出発。すぐに右手の丘の上に、古城が現れます。AVEと組み合わせた撮影の名所。
 在来線には駅があるようだが、停まる列車はないみたい。廃止?

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 白と青のコントラストがカラフルなペニャフロール駅。

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 ロラ・デル・リオ駅で途中下車してみました。コルドバ~セビリアは高速新線と在来線がほとんど並行していて、前日乗ってみた感触では、新線に近づいてAVEを撮影できるかも知れない、と考えたので。
 マークが記されている如く、ここからはセビリア近郊区間、という感じで、本数も大幅に増えて移動もしやすくなるし。

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 スクエアな建築、白の壁と黒の格子、テラスがいかにもアンダルシアな民家が並ぶロラ・デル・リオの集落。近郊電車が通過して行きます。
 土地勘なんて全くないけれど、それでも15分程で高速新線の袂に着きました。うまい具合に線路を見下ろす感じで、フェンスもクリアできそう。
 時刻表で目安はつけてあるのだが、正確な通過時刻など解るはずもなく、ひたすら動かずじっと待つのみ。やがて、遠くからヴォーンと音が聞こえてきました。

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 セビリアへ向かうAVE。
 この後、セビリアからマドリードに向かうAVEも撮って見たのだけれど、帰国してから現像したらシャッターが早すぎました。当然ながら高速で通過するので、タイミングはすごく難しい。それに日本の新幹線ほど本数が多い訳ではなく、ましてこの日は日曜日だから運休の列車もあって、シャッターチャンスは極めて少ないです。この短時間ではこれが精一杯でした。
 このポイントだと、セビリア側・コルドバ側とも、発車から20分前後で通過するようでした。

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 在来線のこの区間を走る電車。「アンダルシア急行」。470系?

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 その車内は転換クロスシート。

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 近郊電車も、色は違えど車体は「アンダルシア急行」と同じだと思うが、こちらは440系?

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 こちらはプラスチックの2-3配置でシートが並ぶ。日本だったらすごく文句が出るに違いないアコモデーション。
 ジングルベルが流れていました。クリスマスはまだ1ヶ月以上先なのに。

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 改めて、セビリア・サンタフスタ駅。大きいです。駅前のたたずまいは、駅というより空港を連想させました。

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 コンコース。やはり広い。

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 ホーム。この駅での本格的な列車の撮影は難しいと思う。全体が巨大なドームで覆われているし、カディス側はすぐに地下線に入る。

 いよいよAVE乗車。

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 AVEの指定券。プレファンテ!

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 15時ちょうど発、AVE31列車が出発する3番線。ホームに入るには、指定券を見せて(右側をもぎ取られる)、手荷物の検査を受けなければならない。これも旅客機みたいだけれど、こんな所までマネはしないで欲しいと思った。スペインは時々テロがあるので(実際この6年後、マドリードで大規模な爆弾テロが起きてしまう)、厳重な警戒を必要とするのだろうが。

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 プレファンテの車内。2-1配置のシートは適当に方向が変えられている。乗客が変える事は出来ない。ゆったりとしてはいるが、シートピッチと窓の柱の間隔が一致しておらず、指定された7Aはすぐ真横が柱になっていてイマイチ。イヤホンは最初から箱に紙箱に収められてポケットに入っていました。

 ぴったり定刻に発車。

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 すぐにドリンク(ワインかオレンジジュース)とオツマミ、その後に新聞と車内販売のリストが配られて、いよいよ旅客機みたい。スペイン語が読めるはずもないが、新聞をもらっておく。なんとJリーグの結果も簡単ながら掲載されていて、鹿島アントラーズが2ndステージ(当時のJリーグは2ステージ制)優勝と書いてあったようでした。
 先のロラ・デル・リオは発車後17分で通過。コルドバまでは37分。

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 コルドバを発車すると、食事のメニューのカードが配られた。スペイン語でしか書かれていないからチンプンカンプン、ではあるが。

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 その食事。パスタでした。美味。

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 2等客向けにはバーコーナーもあります。コーヒー175ESP(≒150円)と割安。

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 コルドバを過ぎると、沿線の雰囲気は明らかにアンダルシア地方とは異なる。木々も多くなり、民家もオレンジの屋根が目立つようになってきました。

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 平原もアンダルシアとは違う。

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 山間部も、アンダルシアよりは木々が目立つようになりました。
 コルドバからはノンストップになり、中間駅のプレトリアーノ、シウダーレアルは通過。時々在来線の跡と思われるアーチ橋などが見られました。ひょっとしたら高速新線も、在来線を改造した所があったかも知れません。

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 アトーチャ到着。なんと7分も早く着きました。あっという間の2時間18分でした。
 ホームの検査はちょっとご勘弁だけど、サービスレベルはさすがに素晴らしいと感じました。

 この日は郊外のYHに宿泊。部屋がうすら寒くって、貸切に近かったから他のベッドの毛布を5枚も被ったが、サイズが小さくて足元が冷えました。

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1998年11月16日(月)

 タルゴでバルセロナに戻ります。マドリード~バルセロナは今回の旅も含めて過去4度乗っているが、昼のタルゴで乗り通すのは初めてです。

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 YH最寄りの地下鉄ラゴ駅。地上駅で、駅舎がユニークです。

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 バルセロナ行タルゴ374列車。

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 タルゴのロゴマークは、最近変わったみたい。

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 2等はツーリスタと呼称するようです。その車内。ごく普通の仕様ですかね。

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 遠くに山が見えます。秋の気配を感じます。

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 山間部。

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 カフェテリア。昼間は食事も出ます。プレファンテにはシートサービスもあるらしい。シートサービスも良いが、自分で食べに行くのも、やっぱり楽しい。

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 チキンとソーセージ、サラダのセット。

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 カウンター式なので、外の景色を見ながら食べるのは少し難しいかも。それでも、窓の外にはバラエティある風景が流れて行きます。お菓子類が並んでいます。
 複線と単線が混在する山間部を抜け、グアダラハラ・サラゴサと突然と思える大都会を過ぎて行きます。

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 タラゴナで地中海に出ました。やがて、水平線に夕陽が沈んでいきます。

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 この列車は、バルセロナはサンツ経由でグラシア駅が終着。珍しく?心持ち遅れて到着。あまり長距離列車の終着駅の風情ではない。サンツで既に回送状態になっていて、グラシアは1分程の停車で、すぐに回送で出て行きました。

 この後、サラゴサまでは逆行する形になるが、ヒホン行の夜行に乗ります。ただ、予定していたクシェットは満席で、2等座席車を利用する事となりました。この列車でも、1等座席車を2等として運用していました。在来客車を使用した夜行は皆そうなのかも知れない。

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 ヒホン行はサンツ駅始発。客車13両(1両回送)と長いが、うちヒホン行は4両、後はビルバオ・サラマンカ・アンダイヨと、北部の主要都市行が連結されています。昔の日本の夜行急行も、こんな感じだったのでしょうかねぇ。

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 カフェテリアはヒホン行に連結。やはりメニューはこれまでと同じ。ボカディーリョとコーラで夜食にして、部屋に戻りました。若い女の子3人組と同じなので少々居心地が悪いのだが…。

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 W杯はドイツ優勝で幕を閉じました。次は2018(H30)年のロシア。3大会連続でBRICSでの開催となるが、政治問題が影を落とさないといいけれど…。ブラジルの方は2年後にリオで五輪があるが、今回のW杯が最後まで反対運動の影を引きずった感があったし、こちらも若干不安…。

《今日のニュースから》
USJ新施設「ウィザーティング・ワールド・オブ・ハリーポッター」 報道関係者らに公開