№1204 思い出の海外旅行クロニクル 11.1998年スペイン2

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 今回のスペイン旅行も前回のドイツ同様、夜行列車を多用しています。マドリードに着いたら間髪入れずクエンカ経由で再度バレンシアに向かい、再びマドリードにトンボ帰りして、アルメリア行夜行乗車と、我ながら慌ただしいスケジュール。

1998年11月14日(金)

 せっかくの大型リクライニングシートではあったが、結局の所、あまりうまくは眠れませんでした。フットレストが固定式でないのでずり落ちる感じで、姿勢を固定できなかった。他の皆さんはよく眠っていたが。

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 チャマルティン駅は、定刻より7分も早く着きました。曇り空のせいもあって寒い。

 クエンカ経由バレンシア行はアトーチャ駅から出発するので、電車で移動。DC列車は、これも転換クロスシートでした。アランフェスまでは6年前にも乗っています。

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 アランフェスで「本線」と別れてクエンカへ向かう。勾配と平坦な区間が交互に現れる。草原と岩ばかりで何もない感じ。思い出したように踏切の標識が現れるだけ。「×」字状の踏切の標識が、かなり離れた位置にあるのが目につきました。スペインの田舎ではみんなそう。

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 集落は駅付近には全く見られない。一方でタランコンは突然高層ビルが並んで、びっくりさせられたりもする。

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 クエンカ到着。ここも急に建築物が増えて、割と都会にも見える。途中下車します。

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 クエンカ駅。

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 クエンカの街は丘の斜面に沿って広がっているので、何の目的もなくブラブラ歩くのは、実は割としんどいです。時計塔がある丘を目指します。

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 時計塔。

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 時計塔がある丘から眺める、クエンカの街並み。新しい建物と古い建物がごっちゃになっている。

 駅のカフェテリアでスパニッシュ・オムレツとコーラで昼食、午後のバレンシア行を待ちます。駅を出発して初めて気づいたが、大きな機関庫の跡が残っていました。

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 ビリョラ駅。駅舎は堂々としているはずだが、廃墟となっていました。こんな感じ駅が、この区間には多い。廃止になった駅もかなり見かけました。

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 車窓はクエンカまでとはやや違って見える。緑がかなり多くなった。
 ウチエルからはバレンシア近郊区間になって、列車の本数もグンと増えました。だんだん都会的になってバレンシア到着。

 バレンシアからマドリードまで、ICでトンボ帰り。前日のバルセロナ→バレンシアと同型の電車3連を2本つないでいます。
 夜なので外は何も見えない。特筆すべき事が特にないまま、マドリード・アトーチャ駅に戻ってきました。

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 アルメリアへ行く夜行はチャマルティン駅からの出発。客車が16両とかなり長いが、アルメリア行は3両、アルヘシーラス行が10両、グラナダ行が3両。
 今回は2等座席を利用。しかし純粋な2等座席車はアルヘシーラス行のカフェテリア合造車しかなかったので不思議だったが、1等車を2等として運用していたのでした。

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 そのカフェテリア。メニューはどこも同じだ。
 戻って、他の客のオシャベリはやや気になったが、とりあえず寝る。

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1998年11月14日(土)

 夜中のリナレスバエサでアルヘシーラス行は先に出発していて、DLの重連が連結されていました。

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 次に目覚めると、すっかり夜が明けていました。まっ茶色の禿げた山々の中を走っています。
 しかし、地中海(アルボラン海)に面したアルメリアは高層ビルが立ち並び、かなり都会していました。アルメリアも7分早着。

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 アルメリア駅。南国チックな駅舎。

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 壁画が印象的なコンコース。

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 アルメリア駅ホーム。停車しているのはマドリード行の旧型タルゴ。
 この駅からの列車は、実は非常に少ない。セビリア行TRDが3本、グラナダ行が1本、マドリードが昼夜各1本ずつ、バルセロナ行が週3本、これだけでした。前日のクエンカあたりから薄々感じているのだが、スペインは、街の規模と駅の列車の本数が、必ずしも一致していない所があるように思えました。

 セビリア行のTRDは、デンマークのIC3にそっくりなDC列車。ただし連接ではなくて、普通の2車体ボギー車。

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 車内はICよりは簡素。BGM(映画音楽?)が流れていました。

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 こちらもハゲた大地がどこまでも続く。時々は民家も見られるが。わずかに生えた草木も変色して、大地の薄茶色に染まってしまっているかのようだ。

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 セビリア・サンタフスタ駅到着。久しぶり。

 今日はコルドバに泊まります。「アンダルシア急行」でコルドバへ。電車です。
(車両は次回)

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 コルドバの夕方は、市内巡りに当てました。アルミナールの塔。

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 ローマ橋。普通の道路で、路線バスも通ります。
 当然ながら?日本人観光客の姿も目立ちました。

 予定していたYHは満室。近くの安ホテルに投宿する。バス・トイレ付だったから上々だったが、土産物屋がホテルを兼業していたのだろうか。

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 風景画。

 部屋でスペインのサッカーを観戦。レアル・マドリードvsセルタ戦だったが、レアルはシュケル(当時のクロアチア代表で、この年のW杯で日本と戦った)がPKを外してしまったのが命取りとなったか、1-2で敗れました。これを見て就寝。
 明日はAVEだ!

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

 長らくお待たせしました。明日の晩、本体で横浜市営バスの画像の再公開を行います。長く改修工事に時間を費やした割には、新たな追加画像は2枚に留まっていますが、昔の画像を中心にしたコンテンツが多く、作り直すのに時間がかかってしまった結果です。ご了承ください。この後は今度こそ、もう少し再開のピッチを上げたいと思うが、これでは全面復旧はいつになるのやら。

《今日のニュースから》
「トーマス列車」 大井川鐵道で運行開始

 トーマスをラッピングした電車は京阪や富士急行で走っているが、SLそのものをトーマスに見立てたのは初めて。ここの所利用の低迷で普通電車の大幅削減など状況が厳しい大井川鐵道だが、これで何とか利用が戻ってくれれば。
(正直個人的にはあまり好みではないが)

№1203 思い出の海外旅行クロニクル 11.1998年スペイン1

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「思い出の海外旅行クロニクル」、11回目は1998(H10)年11月のスペインです。9回に分けて書く予定です。
 スペインの鉄道はタルゴとAVEが有名だが、一般の鉄道はどうなの?事前にトーマス・クックの時刻表を読んだ感触では、一部を除いて列車本数が少なく、プランニングがやや難しくなりました。前回のドイツ同様、夜行列車をかなり多用しています。

1998年11月11日(水)

 今回は往復ともパリ経由、パリまではJAL便、パリからバルセロナはAF便の乗り継ぎとなりました。

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 パリ行JAL405便、B747-400。
 JA8913はこの春に導入されたばかり。
 
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 本館のB73番ゲートから出発。
 今日はアッパーデッキが指定されているが、キャビンに入ってビックリ、エコノミークラスにも個人TV!!

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 サテライトにフィリピン航空機がいます。この年の9月に経営難から一時運行を停止、この日は再開して2ヶ月、という所でした。
 ロシア上空の混雑のため、出発が13時頃になるとアナウンス。実際にはそれよりは5分早く動き出しました。

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 R/W34へ向かう途中、B747-200B、「リゾッチャ」の着陸を見ます。

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 離陸して、関東平野。

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 日光。

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 改めて、アッパーデッキのキャビン。個人テレビは「MAGIC(-Ⅰ)」と呼称。ただしまだ試験段階のようで、飛行中時々画面が瞬間的に止まってしまう事がありました。さすがにまだAVODではなかった。映画(「シティ・オブ・エンジェル」とか)の他、フライトデータや下界の様子も映ります。

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 離陸後のオツマミ。TVは免税品販売。

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 離陸後、最初の食事。エコノミーだとこれまではメインだけ選択可能、他は和洋共通だったのが、最初の食事に関してはトレイ自体が和洋で完全に分離されていました。
 洋食はスライスビーフ・シャスール風、マロン風味のパテ サラダ添え、フレッシュサラダ/リングマカロニ フレンチドレッシング、紅茶風味のケーキ、ソフトフランスロール。
(和食だと赤魚の煮つけや鶏肉バンバンジー蒸し、水ようかんなど)

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 途中、オニギリもサービス。

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 シベリア上空。白と黒のまだら模様。

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 成田から9時間弱、ウラル山脈を越えてラドガ湖。

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 到着前の食事。ペンネパスタ ボローニャ風、フレッシュサラダ、フレッシュフルーツ、テーブルロール。

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 CDGが近づいて降下、フランスの田舎を見下ろします。民家が限られたスペースに小ぢんまりと固まっているだけ。ホント、行ってみたくなる。私だけではなかったみたいで、後ろの席の女性も、「信じられない」と声を上げていた。

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 CDG到着。20分遅れ。バルセロナ・アムステルダム行AF乗り継ぎ客は申し出てくださいとアナウンスが聞こえてくる。まさに私が該当者。ビジネスクラスの客と同時の降機になったのは、他のYクラスの旅客に申し訳なかった。他にも数名いたが。
 ブリッジの階段を下りて、専用のバスでA→Fへ。

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 バルセロナ行、AF2048便。A320-200。目の前の3席には日本人トリオがいるが、全体的にはガラガラ。出発は4分も早かった。これでは成田で預けた荷物はどうなるのか、やや心配。ロスト・バゲージは勘弁。

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 TVもオーディオもないから、非常デモは実演。

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 CDGの夜景。
 18時過ぎに離陸。11月だともう真っ暗。ナスカの絵模様を連想させる街明かりが広がりました。

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 キャビン。

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 機内食はまさに軽食。サンドイッチなどは一口・二口で終わってしまう。むしろトルテの方がメインに思えました。
 キャビンはエンジン音とエアコンの音位で静かだ。所々大きな街も見えるが、どこだかはまるで解らない。

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 バルセロナは定刻に到着。
 案ずることはなく、成田で預けたバッグは、最後の1つとなってターンテーブルをグルグル回っておりました。

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 空港からはサンツ駅までのアクセス鉄道があります。駅はターミナルから離れていて、たどり着いたら発車間際。自動改札だったのだが、駅係員が扉を開けて、車内で切符を買うように言っていた。こういうケースは珍しくないのか、他にも数人乗車券を買う旅客の姿を見かけました。

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 車掌から購入した乗車券。305PTS(≒260円)。

 この晩は、以前も宿泊した駅直結のホテルに投宿。

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1998年11月12日(木)

 本格的な鉄道の旅がスタート。バレンシアへ日帰りで行って、夜行へマドリードへ移動のプランとしたが、最初に予定していたバレンシア行はなんと運休!ストだって…。何が理由か解らんが、スペインの鉄道は部分ストに突入していて、全面運休ではないが、先々の行程に影響が出る事になります。

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 サンツ駅10時のIC185に乗車。ポルトボゥが始発。3連の電車。

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 その車内。転換クロスシートが、欧州では珍しい。ただ、ピッチは狭い。天井にTVがあって、映画を上映。発車後にバーコーナーのスタッフがイヤホンを配って回ります。

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 先頭車両には1等と合造でバーコーナーがありました。小規模だが、ボカディーリョ(スペイン風サンドイッチ)はレンジで温める本格的なものでした。

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 エブロ川。
 この路線は複線と単線が混在している。線形を改良した所が所々見られました。

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 カラフルなオロペサ・デル・マール駅。

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 カステリョン・デ・ラプラナ駅。バレンシアからの近郊区間のはずれに位置しているよう。

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 バレンシア・ノルテ駅到着。 ドームに覆われた頭端式ホーム。

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 バレンシア・ノルテ駅。いい駅舎ですねー。

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 駅内部・コンコース。

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 改めて、ホーム。

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 バレンシアにはメトロがあります。かなり新しそう。
 全部は無理だが、ノルテ駅前のハティバ駅から乗ってみます。

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 当時のメトロ路線図。

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「メトロ」としてはかなり小型の2ドア3連。その車内。車内はモダンで、BGMが流れていました。

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 ハティバ駅の入り口。斬新です。
 3号路線に乗り、途中の駅で乗り降りしつつ、終点を目指します。

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 中間のメリアナ駅。地上で、単線区間になります。農村地帯の畑の中を走ります。郊外のローカル線を、中心部の新しい地下線で連絡して、ネットワークを築いたと見えます。

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 メリアナ近郊を走るメトロ電車。

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 一方、当時の終点アヴェニュー・デルシドは将来の延伸に備えた2面3戦の地下ホーム、かなり天井が高い。ここは地下鉄らしい装い。なかなかユニークな「メトロ」と見えました。

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 時間は少なかったが、観光も。「海の門」。
 大聖堂は改修工事中でした。

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 バルセロナ行IC694列車は客車。どこが始発だったっけ?

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 客車ではあったが、行きのEC同様、転換クロスシート。こちらはややピッチが広い。

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 この列車には、本格的なカフェテリア車が連結されています。調理物は終わっていて、またボカディーリョとオレンジジュース。

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 郊外に抜けると直線が長く、グングンスピードが上がる。160㎞/h以上は出ていたはず。
 だんだん暗くなり、民家の明かりも少なく、信号機の明かりだけが、次々に現れて、遠ざかっていく。
 居眠りしていて、気づいたら、もうバルセロナの到着案内放送が流れていました。

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 今回初のタルゴ。マドリード行夜行。今回は座席車とします。
 スペインは長距離の夜行が少なくないが、この晩は22時00分発マドリード経由マラガ・セビリア行、03分発マドリード行は運休となり、マドリードへの夜行は23時00分発の1本だけになっていました。ストの影響か。

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 1等リクライニング座席車。良く眠れそう?

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 夜行ながら、カウンター式のカフェテリアも営業。オールナイト。スタッフは大柄な初老の男性2人。結構忙しそうだ。調理物はないが、結構大賑わいでした。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
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 W杯決勝はドイツvsアルゼンチンと決まりました。それにしても昨日のブラジルの記録的大敗は衝撃的でした。ブラジルサポーターの少年が泣きじゃくっていたシーンはショックで、たかがスポーツ観戦が、後々のトラウマにならなければ良いが…。ネイマールらを欠いた事もあったろうが、開幕前から今に至るまで大規模なW杯反対運動が巻き起こっていて、今イチ乗り切れないムードを代表も引きずってしまい、皆がイメージしていた圧倒的な強さを見せられないまま、ここまで来てしまったような気がします。これがブラジルサッカー、ひいてはブラジルそのもののダメージとならぬよう、願うのみ。

《今日のニュースから》
北アルプス登山届義務化条例案 岐阜県議会で可決

№1202 西武球場前行 東横特急<後>

 元町・中華街発西武球場前行東横特急、後半は小竹向原からの西武線です。
 西武球場前駅と、西武ドーム周辺の雰囲気も合わせてご覧いただきます。

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 通常の小手指行の日は西武線内は快速急行だが、西武球場前行の日は快速に変更して走ります。
(ひばりヶ丘までは停車駅は同じ)

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 モニターも西武スタイル。

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 地上に出て、石神井公園駅。
 一番左の20000系は、池袋からの準急。
 この辺りでは、先頭車両に限るとまだそれほど野球観戦の客が多い雰囲気ではない。

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 ひばりヶ丘到着直前だが、目の前に有楽町線からのメトロ10000系がいます。小手指行各停で、本来はひばりヶ丘で追い抜く列車だが、野球ダイヤ施行日は清瀬まで先行します。その左の30000系が、ひばりヶ丘始発の小手指行快速急行。

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 ひばりヶ丘で、始発の小手指行快速急行に連絡、この列車が清瀬で先行するメトロ10000系を追い抜く。
 さらに所沢で西武球場前行(本川越始発らしい)に連絡する、という事でした。

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 30000系が下り快速急行として運用されるケースはめったにないので、側面の表示を掲げておきます。正面も撮っておけばよかった。

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 ひばりヶ丘発車直前、「レッドアロー・クラシック」との出会い。
 そろそろ観戦のお客さんが増えてきました。やはり秋津からが多かった。

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 西武線内の快速表示。

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 所沢で、後続の池袋発飯能行急行に抜かれます。
 元町・中華街からここまで6本の列車を追い抜いてきたが、追い抜かれるのは唯一。

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 西所沢からの狭山線は単線。毎日運行ではないが、この相直ルート(東武東上線も含めて)では唯一の単線区間、またこどもの国線(横浜高速鉄道が線路・車両を保有)を除けば、東急の電車が走る唯一の単線区間でもあります。
 場内信号機が6つ並んでいます。色つきガラス越しなので解りづらいが、一番左、一段高くなっている1番線への進路の信号機に黄色が現示されています。

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 西武球場前到着。1番線。所定は12時56分だから、元町・中華街から1時間37分。
(実際には4分程の遅れになった)

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 1・2番線ホーム。先頭車両はあまり混雑しなかったが、全体では結構乗っていました。頭端式の構造だから、もっと先頭車両に集中するのかと思っていたが。

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 ホームの駅名票。新デザインになり、駅番号も追加されました。東急のシンボルマークとの組み合わせなぞ、めったに見られるものではありません。

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 ホームに並ぶ列車。東急編成以外は皆、試合終了までのスタンバイ。6番線には<スタジアムエクスプレス>のレッドアローがいます。

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 東急の編成は、慌ただしく13時03分発の西所沢行各駅停車6146列車で折り返して行きます。西所沢表示の東急編成もレア。

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 西武球場前を出発。かなり忙しくなるが、西所沢からは小手指まで回送して、元町・中華街行1858列車から本来の運用に戻ると思われます。

 全体を乗り通した印象としては、趣味的には面白いし、確かに直通サービスは便利ではあるが、さすがに東横線沿線(特に神奈川県下)からの利用はどの程度あるのだろう?メトロでは有楽町線にも直通があるし(平日ナイトゲームのみ1本)、副都心線でも設定しようと思えば、みなとみらい線・東横線から仕立てる必要があるが、わざわざ運用を変更して(しかも他社編成)まで設定する積極的な意味は、少なくともみなとみらい線・東横線では存在しないように思えました。

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 西武球場前駅。駅舎自体は変わっていないはずだが、ツタで覆われるようになって、印象は多少変わりました。

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 西武ドーム。この日はソフトバンク戦。試合は既に始まっています。

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 27~29日のソフトバンク3連戦は「ライオンズ・クラシック」と銘打って、20年位前の水色のビジターのユニフォームを着用してプレーしています。
 駅員も、上半身ユニフォームを着用していました。

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「ライオンズvsホークス」、なのだが、よく見るとホークスも昔のダイエー時代のロゴマークになっています。
 この3連戦はホークス側も、南海からダイエーが買収した初年度、1989(H元)年当時のユニフォームを着用しています。

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 出店もいろいろありました。西武鉄道のブースもあり、ものすごく簡単?なクイズに正解すると、クリアファイル1枚がもらえました。キッズ向けだと思うのだが、私でもOKというので、「西武○○と着く駅を一つ答えよ」みたいな問題で、「西武立川」と答えたら見事?クリアファイルをゲット。

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 ホークスグッズ販売ブースも出ていました。

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 改めて、駅前広場。個人営業の弁当販売の店なども出ています。昼食に、デミソースのオムライスを食してみました。おいしかったです。
 騒々しいのは苦痛だが、こういう雰囲気は嫌いではないです。

 ライオンズに限らず、球界も交通業界に負けず、昔のユニフォームを復刻する催しがいくらかあります。
 一つだけ注文を付けるとしたら、ホームとビジターのケジメはつけた方が良いと思う。今回はライオンズホームだが(この後ヤフオクドームでも実施)、ライオンズがビジターの一方、ホークスはホームのユニフォームを着用するので何か違和感がある。ビジターは地元のファンは逆に見る機会が少なかったからだろうとも思うが、やはりホーム球場ではホームのユニフォームの着用が望ましい。これは他の球団にも言える事です。

 西武ドームや所沢近辺は青空ものぞいたのに、帰り道の自由が丘は土砂降りになってびっくり。
 横浜は雨は降っていなかったがどんより曇り空、またゲリラ雨のシーズン、なんでしょうか…。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

 沖縄に台風接近の一方、北海道では震度5弱の地震だそうで、北と南は災難です。この所、北関東から東北・北海道方面で地震が頻発しているようで、ちょっと不安…。

《今日のニュースから》
安倍・アボット首脳会談 日豪EPA=経済協力協定に調印