本題に入る前に。
来ましたよ!「架空請求メール」が。
全文を載せておきます。
~お客様への大切なお知らせ~
弊社は調査業務、情報管理及び和解手続き代行等を主とした調査機関でございます。
本日ご連絡致しましたのは、現在貴方がご契約されている
インターネット総合コンテンツ提供サービス会社からの通告を放置し、
利用料金を長期延滞している事に対し、起訴準備期間に入った事を報告致します。
本通知メール到着より、翌営業日(営業時間内)までにご連絡を
頂けない場合には、ご利用規約に伴い
①ご名義人調査開始
②各信用情報機関に対して個人情報の登録
③法的書類を準備作成の上、法的手続きの開始
以上の手続きに入らせて頂きますので予めご了承下さい。
尚、法的手続きが開始されますと、管轄裁判所からの呼出状が発行され、執行官立ち会いのもと、
給料、財産や不動産、有価証券等の差押さえを含めた強制執行となりますので、ご注意下さい。
最近、個人情報を悪用する業者の手口も見受けられますので、
万が一身に覚えのない場合でも、早急にご連絡下さい。
※メールでの返答には対応しておりませんのでご了承下さい。
【お問い合わせ先】
株式会社ITデータバンク
顧客管理部
担当:石川隆一・小泉麻衣子・工藤貴弘
お問い合わせ番号:03-4434-8553
受付時間:10:00~19:00
これは昨日の朝受信したものだが、前日には全く同じ文面で、
【お問い合わせ先】
株式会社帝国データリサーチ 東京本部
顧客管理部
担当:田澤優一・伊藤沙織・川島秀明
お問い合わせ番号:03-4434-8615
受付時間:10:00~19:00
とするメールも来ていました。
何が「お客様への大切なお知らせ」だよ!!
「差出人」が私のメルアドになっているし、(私が契約しているとしている)「インターネット総合コンテンツ提供サービス会社」などと、具体的な会社の名称を明らかにしない所からして、怪しさプンプン。
どちらもご丁寧に「担当者」の個人名まで書いて問い合わせの電話番号まで書いてあるが、これにかけると、またここから詐欺につながる個人情報を与えてしまいます。
完全無視が鉄則。しつこく何度も来て不安なら、消費者生活センターなどの機関に相談してみましょう。
(証拠として、メールそのものはしばらくは残しておいた方が良いかも知れない)
皆様も要注意。私も、もう少し注意してみます。
せっかくのW杯の熱気と興奮を見事なまでに吹き飛ばしてくれた、悲惨かつ(適切ではないだろうが、あえて言えば、極めて)不快な惨劇が相次いだ7月、何があったのでしょうか。
2日 STAP細胞論文 雑誌ネイチャーが正式取り下げ
4日 「世界最大の花」ショクダイオオコンニャク つくば市の植物園で開花
6日 1097人が「1098脚」 ギネス世界記録認定 岡山県総社市
8日 安倍・アボット首脳会談 日豪EPA=経済協力協定に調印
10日 北アルプス登山届義務化条例案 岐阜県議会で可決
12日 「トーマス列車」 大井川鐵道で運行開始
14日 USJ新施設「ウィザーティング・ワールド・オブ・ハリーポッター」 報道関係者らに公開
16日 「脱法ドラッグ」販売店 東京都が緊急立ち入り調査
18日 最年少の野球殿堂入り 野茂英雄氏ら表彰式
20日 奈良県野迫川村 避難住民 2年10ヵ月ぶり一斉帰宅
22日 日本=モンゴル首脳会談 EPA(経済連携協議)大筋合意で署名
24日 裁判員裁判の判決 最高裁判所が初の直接取り消し
26日 岩手県田野畑村の三陸海岸観光船 3年4か月ぶり運航再開
28日 山口・島根豪雨から一年 萩市で「市民防災の日」式典
今月はこのほか、集団的自衛権行使容認の閣議決定、ベネッセ・コーポレーションの個人情報大量流出(とばっちりで、鉄道博物館の夏休みのイベントが一部中止)、「BRICS」が開発銀行創設で合意、ヤンキース田中将弘投手が故障で長期離脱、、倉敷市の小学生監禁事件(無事に保護されて、本当に良かった)、上海の食品工場の期限切れ食材出荷事件、などがありました。
マレーシア機「撃墜」事件は論外としても、今月は世界的に、陸も空も交通の事故が数多く発生しました。日本でもJR北海道で脱線事故が発生しています。
《今月この1枚》
予告通り、この前の日曜日27日、成田空港に行ってきました。昨年5月以来、実に1年2ヶ月ぶり。そんなに行っていなかったんだ…。アシアナ航空A380-800を中心にいろいろ撮ってきました。いつ行っても成田は新鮮です。カムチャッカへのチャーターフライトを運航している、ロシアのヤクティア・エア(ヤクーツク航空)を選んでみました。8月17日までの日曜日就航で、成田11時00分着・12時30分発のダイヤがうれしい。尾翼にはオーロラが描かれています。
(水曜日にもフライトがあり、スホーイ100らしい)
詳しくは来月書きます。なお、№781で「さくらの山」⇔第2ターミナル間を徒歩で行くルートを紹介したが、8月1日より、LCCターミナル工事のため、検問所から先の歩道が通行止めになるのでご注意を。東成田駅へ行った方が良いと思います。
(ターミナル循環バスも停車)
当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
明日の晩、その本体の更新で、富士急行のコンテンツを再度更新します。以前ご覧頂いた河口湖周遊のポンチョに加え、BRCハイブリッド、セレガ・ハイブリッドの画像も追加します。
********************
《今日見た・聞いた・思った事》
SKYのA380導入が、突然経営そのものにかかわる、おかしな方向に向かい始めました。
昨日の話では、SKYは経営環境の悪化に加えて、円安で航空機の購入費用がかさむ事で、国際線事業を大幅に見直す方向だ、との報道がありました。
SKYは昨日の朝の内に社長名で声明を出し、エアバス側が、購入契約を変更(SKYは発注済み6機の内2機を来年以降に、4機を無期に導入延期としたかったらしい)するならSKYが大手キャリアの傘下に入る事を条件として、その要求を飲まないなら、「法外な」違約金を要求していているとしています。そしてSKYが大手傘下に入る事はあり得ない、経営の主体性を揺るがす要求は受け入れられない、と表明しています。
その後エアバスは6機全ての契約解除を通告、違約金は700億円に上る可能性もあるとの事です。
SKYの公式Webサイトからは、A380の特設ページが削除されました。
唐突な感があってビックリしたのだが、どうやら春頃から両社の間で問題が表面化していたようです。
裏の部分は解らないが、支払いを滞りなく行わせたいとしても、航空機メーカーが、航空会社(一応、機体を買ってくれる「お客様」)の経営の方針にまで直接口にできるものなのか?という疑問はあります。一方SKY側も、やはりいきなりA380新造機でニューヨーク線とは、少し大風呂敷を広げすぎだったのではないのか?4年位前の相次ぐ不祥事もあるし、昨今のCAユニフォーム問題もあって、何かパフォーマンス優先の経営、という印象が拭えません。
もし違約金も損失と計上されるなら、前払い分も含めて1000億円近い巨額の損失になります。どういう方向に行くのでしょうか。
間違いなさそうなのは、日系キャリアのA380は見られない事になりそうだという事。
《今日のニュースから》
豪栄道 大関に昇進 「大和魂貫く」と口上
№1212 思い出の海外旅行クロニクル 11.1998年スペイン9<終>
これまで8回に渡って、1998(H10)年11月の17日間(最初の予定より1日長くなったが)に渡るスペイン旅行について書きました。
最終回は、スペイン国鉄(RENFE=Red Nacional de los Ferrocarriles Españoles)の車両と、首都マドリード及びバルセロナのターミナル駅の画像を御覧頂きます。
また、総まとめとして当時感じたスペインの鉄道の印象、スペインそのもののパーソナルデータを記して、完結とします。
当時のRENFEのシンボルマーク。今は大分オシャレになったみたいだけれど。
◆EL
251型
ファンには有名な、日本のEF66型そっくりのEL。ただし、フレートライナー・ブルートレイン用だった本家と異なり、重量貨物用として、主に北部の山岳地帯で運用されているようでした。
252型
旅客用だと思われます。
269型
こちらも日本のEF60に雰囲気が割と似ています。251型同様、三菱が製造・納入したとの事で、その辺も影響しているでしょう。
◆DL
311型
入替用?
321型
架線試験用らしき車両を牽引しているようです。落書きが汚い…。
333型
アルストーム製でGMのエンジンを搭載しているようだが、なんとなくDD54に雰囲気が似ているような気がします。
352型
タルゴ用と思われます。背がかなり低いのが、後部の旧型タルゴとの比較で解るかと。
◆EC
旧型の中距離電車。
旧型の近距離電車。車体そのものは上の中距離と同じだと思います。
以前もご覧頂いたと思うが、当時の最新型近郊電車。
中距離ディーゼルカー。やや旧型で、車体は電車との共通性が高くなっています。
地元で購入した絵葉書から、251型EL。旧塗装で、本家EF66に色遣いが似ています。
もう一枚、高速特急「ユーロメッド」。AVEをベースとした広軌線用で、バルセロナ~バレンシア間で走っていました。
首都マドリードにはチャマルティン・アトーチャと2ヶ所のターミナルがあり、バルセロナにはサンツ・フランサとやはり2ヶ所のターミナルがあります。
ここではマドリードの2ヶ所と、バルセロナのサンツ駅をご覧頂きます。
◆ マドリード・チャマルティン駅
駅ビル。
コンコース。
カフェ。スペインには「カラマーレ」というイカフライの名物料理があって、ここでも手軽に食べる事が出来ます。
駅構内の待ち合わせ場所。
切符売場。番号札制で、場合によっては待ち時間が長くなる事も。要注意。
両替店。
時刻表。黄色が出発、白が到着。
ホーム。
◆ マドリード・アトーチャ駅
AVEの始発駅です。
アトーチャ駅の駅舎。AVE開通時に新たに建設されました。
構内は近郊線「CELCANIAS」と、AVEを中心とする中長距離線「GRANDES LINEAS」「REGIONAL」にエリアが分かれています。近郊線のコンコース。
近郊線の券売機。
近郊線の窓口。
マドリードに限らず、近郊線では改札が導入されています。改札口。
近郊線のソラリー。
近郊線のホーム。
ドームの中は植物園になっています。
「エキナカ」。
中距離線のコンコース。
中長距離線の窓口。
中長距離線のホーム。中央部がAVEを初めとする高速新線用で、右手が在来線用。
◆ バルセロナ・サンツ駅
駅ビル。ホテルになっていて、今回も利用させて頂きました。
窓口。
フリーマーケット?
コンコース。
時刻表。
両替店。
ホーム。
今回利用した、「スペイン・フレキシ―パス」。
2等フレキシータイプで、有効1ヶ月の間に10日間使えるタイプ。前回の「ジャーマン・レイルパス」は同じ内容で304USDだったから、思いの外高いかも?
(購入時の1998(H10)年10月には急激な円高ドル安が発生していて、1USD≒115円位だったらしいから、約43,000円)
以上、8回に渡って、スペインの鉄道の旅について書いてきました。
今回もスペイン・フレキシーパス有効活用もあって、夜行列車の利用が多くなりました。
ここで、当時のスペインの鉄道の印象を簡単にまとめてみます。
1. 大きな特徴として、種別体系は長距離系の「GRANDES LINEAS」、中距離系の「REGIONAL」、大都市近郊の「CERCANIAS」の3つのカテゴリーに大別され、それらの中で、AVEを筆頭として細分化されている。
2. 一つの地方の中では「CERCANIAS」が設定されている都市もあって、比較的本数が多い。しかし、地方間を結ぶ列車はマドリード~バルセロナ・バレンシア・セビリア、バルセロナ~バレンシア間などを除いて、非常に少ない。ローカル線だと、1日1本~数本の路線も。
3. 列車の遅延は事前にイメージしていた程大きくなる事は無く、少なくともアクシデントさえなければ、絶望的な遅延になる事は無い。逆に大幅な早着になるケースが多い。ダイヤが上げ底なのか、公示時刻に余裕を持たせているのか。
4. 何故だか解らないが、ストライキがたびたび起きて、列車が間引きになる。
5. 公式の全線時刻表が発行されず、駅で無料配布される、運転系統毎の無料時刻表が頼り。長距離列車は予約が義務付けられており、大きな駅では窓口が混雑する(日本の銀行のような番号札制が多い)事もあって、他国と比べると、列車の旅は少し難しい所があるかも。
6. 電化率は比較的高く、日本のメーカー(三菱)が製造したELが活躍する。しかし旅客列車は、欧州の中ではEC・DCの割合が高く、REGIONAL・CELCANIASは全てEC・DCで、ICでも一部は専用EC。客車はGRANDES LINEASに限られ、Talgoでない普通の客車は、一部の長距離夜行を除くとほと。プッシュプルトレインはない。
7. 欧州では珍しく、転換クロスシートが多用されている。RENFEだけでなく、私鉄でも長距離路線で採用されている。博物館の展示車両を見ると、昔から使われているようだ。
8. 沿線の人口密度にもよるが、駅の数が全体的に少ない。マドリード近郊でさえ、15㎞程の間、次の駅がない区間もあった。廃止となった駅が多く、かつては運転の拠点として機能しながら、駅舎などが無残な姿をさらしている所も少なからず見られた。
9. 一方、特にマドリード近郊では駐車場を併設した駅が多く、AVE発着駅を中心とした駅では交通広場が整備されている所も大半で、マイカーからの乗り換え客をかなり意識しているように感じた。
10. 乗客の退屈しのぎ、という訳なのか、長距離の昼行列車では必ず車内で映画を放映し、中距離以下ではBGMを車内に流す列車が少なくない。駅のホームやコンコースでもBGMが流れている事が多い。
11. 軌間の違いもあって、国際列車は非常に少ない。ほとんどは自国のTalgoで、他国の車両はポルトガルの車両をわずかに見るだけ。
12. 私鉄が多数活躍し、バルセロナやバレンシアでは都心部に地下で乗り入れて都市交通の一翼を担う。北部でも長距離の私鉄が走っている。
11. 首都マドリードから主要都市までの運賃(2等車)。スペインは種別毎に運賃が違い、特に長距離は普通列車に相当する列車がない事もあるので、それぞれの行先で最安の種別の運賃を記しました。従って、距離と運賃が比例していません。
アランフェス 49㎞ 370ESP(約330円)
サラマンカ 233㎞ 1,625ESP(約1,460円)
セビリア 470㎞ 7,100ESP(約6,390円) = Talgo利用
バレンシア 490㎞ 4,300ESP(約3,870円) = IC利用
バルセロナ 680㎞ 4,900ESP(約4,410円) = IC利用
ア・コルーニャ 750㎞ 5,000ESP(約4,500円) = IC利用
※1ESP≒0.9円で計算
最後に、スペインそのもののパーソナルデータを記しておきます。
(帰国日の1998(H10)年11月27日現在)
正式国名 スペイン Spain
面積 約504,782平方㎞ (日本の1.33倍)
人口 約3,921万人
政治体制 立憲君主制 議員内閣制
国家元首 ファン・カルロス国王
※先月退位、第1子のフェリペ6世皇太子に譲位
政治指導者 ホセ・マリア・アスナール首相(国民党)
※現在はマリアーノ・ラホイ・ブレイ首相(国民党)
首都 マドリード(人口約302万人)
国連 加盟(1955(S308)年)
EU(EC) 加盟(1986(S61)年)
NATO 加盟(1982(S57)年)
通貨 ペセタ(ESP) 1ESP≒0.9円
言語 スペイン語 地域によってカタルーニャ語・バスク語も使用
主な観光地 トレド バルセロナ市内 コスタ・デル・ソル など
日本からのアクセス 当時はイベリア航空が成田に乗り入れていて、モスクワ経由でマドリード・バルセロナ線を運航していた。最終期はA340でノンストップ運航だったが、この旅の直後の11月30日を持って廃止、現在は直行便は無し
今回も前回のドイツ同様、長期間の旅となりました。夜行を多用して全国的に駆け巡ったが、これでもまだほんの一端だと思います。
「Talgo以外の客車列車は少ない」と書いたが、その大半がマドリードまたはバルセロナを起終点とし、複数の行先の客車を併結した長大編成で、カフェカーも連結されたりしています。一方で高速新線AVEが開通し、新型Talgoも運行されたりと、ひょっとしたら当時のRENFEは、昭和40年代位の日本の国鉄の全盛期?と、似たような状況だったのかなと、乗り歩きながら少し感じたりもしました。
スペインもこの後高速新線が四方に張り巡らされ、フランスとの相互乗り入れも始まり、一方で旧来のスタイルの夜行は消滅したりと、この流れもまた、民営化後の日本に似ているような気がします。RENFEのマークやAVEを初めとする高速列車のデザイン・カラーもオシャレになったりしているようだけれど、実際の所、質的にはどのような変化が訪れているのか、ここの所訪れる機会はないが、再訪する機会を作れたら、その辺を確かめる事が出来れば良いと思っています。
…大惨事やテロは御免だけれど。
次回の「クロニクル」は、1999(H11)年6~7月のフィンランドです。7回に分けて書く予定です。
当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
《今日のニュースから》
山口・島根豪雨から一年 萩市で「市民防災の日」式典
JR線は間もなく被災した区間全ての運行の再開がなりそうだが、未だ行方不明の方もいたりして、現地は未だにいろいろな点で傷が癒えていないようです。近年の日本の夏は、災害との闘いに明け暮れるイメージが強くなっています。
最終回は、スペイン国鉄(RENFE=Red Nacional de los Ferrocarriles Españoles)の車両と、首都マドリード及びバルセロナのターミナル駅の画像を御覧頂きます。
また、総まとめとして当時感じたスペインの鉄道の印象、スペインそのもののパーソナルデータを記して、完結とします。
当時のRENFEのシンボルマーク。今は大分オシャレになったみたいだけれど。
◆EL
251型
ファンには有名な、日本のEF66型そっくりのEL。ただし、フレートライナー・ブルートレイン用だった本家と異なり、重量貨物用として、主に北部の山岳地帯で運用されているようでした。
252型
旅客用だと思われます。
269型
こちらも日本のEF60に雰囲気が割と似ています。251型同様、三菱が製造・納入したとの事で、その辺も影響しているでしょう。
◆DL
311型
入替用?
321型
架線試験用らしき車両を牽引しているようです。落書きが汚い…。
333型
アルストーム製でGMのエンジンを搭載しているようだが、なんとなくDD54に雰囲気が似ているような気がします。
352型
タルゴ用と思われます。背がかなり低いのが、後部の旧型タルゴとの比較で解るかと。
◆EC
旧型の中距離電車。
旧型の近距離電車。車体そのものは上の中距離と同じだと思います。
以前もご覧頂いたと思うが、当時の最新型近郊電車。
中距離ディーゼルカー。やや旧型で、車体は電車との共通性が高くなっています。
地元で購入した絵葉書から、251型EL。旧塗装で、本家EF66に色遣いが似ています。
もう一枚、高速特急「ユーロメッド」。AVEをベースとした広軌線用で、バルセロナ~バレンシア間で走っていました。
首都マドリードにはチャマルティン・アトーチャと2ヶ所のターミナルがあり、バルセロナにはサンツ・フランサとやはり2ヶ所のターミナルがあります。
ここではマドリードの2ヶ所と、バルセロナのサンツ駅をご覧頂きます。
◆ マドリード・チャマルティン駅
駅ビル。
コンコース。
カフェ。スペインには「カラマーレ」というイカフライの名物料理があって、ここでも手軽に食べる事が出来ます。
駅構内の待ち合わせ場所。
切符売場。番号札制で、場合によっては待ち時間が長くなる事も。要注意。
両替店。
時刻表。黄色が出発、白が到着。
ホーム。
◆ マドリード・アトーチャ駅
AVEの始発駅です。
アトーチャ駅の駅舎。AVE開通時に新たに建設されました。
構内は近郊線「CELCANIAS」と、AVEを中心とする中長距離線「GRANDES LINEAS」「REGIONAL」にエリアが分かれています。近郊線のコンコース。
近郊線の券売機。
近郊線の窓口。
マドリードに限らず、近郊線では改札が導入されています。改札口。
近郊線のソラリー。
近郊線のホーム。
ドームの中は植物園になっています。
「エキナカ」。
中距離線のコンコース。
中長距離線の窓口。
中長距離線のホーム。中央部がAVEを初めとする高速新線用で、右手が在来線用。
◆ バルセロナ・サンツ駅
駅ビル。ホテルになっていて、今回も利用させて頂きました。
窓口。
フリーマーケット?
コンコース。
時刻表。
両替店。
ホーム。
今回利用した、「スペイン・フレキシ―パス」。
2等フレキシータイプで、有効1ヶ月の間に10日間使えるタイプ。前回の「ジャーマン・レイルパス」は同じ内容で304USDだったから、思いの外高いかも?
(購入時の1998(H10)年10月には急激な円高ドル安が発生していて、1USD≒115円位だったらしいから、約43,000円)
以上、8回に渡って、スペインの鉄道の旅について書いてきました。
今回もスペイン・フレキシーパス有効活用もあって、夜行列車の利用が多くなりました。
ここで、当時のスペインの鉄道の印象を簡単にまとめてみます。
1. 大きな特徴として、種別体系は長距離系の「GRANDES LINEAS」、中距離系の「REGIONAL」、大都市近郊の「CERCANIAS」の3つのカテゴリーに大別され、それらの中で、AVEを筆頭として細分化されている。
2. 一つの地方の中では「CERCANIAS」が設定されている都市もあって、比較的本数が多い。しかし、地方間を結ぶ列車はマドリード~バルセロナ・バレンシア・セビリア、バルセロナ~バレンシア間などを除いて、非常に少ない。ローカル線だと、1日1本~数本の路線も。
3. 列車の遅延は事前にイメージしていた程大きくなる事は無く、少なくともアクシデントさえなければ、絶望的な遅延になる事は無い。逆に大幅な早着になるケースが多い。ダイヤが上げ底なのか、公示時刻に余裕を持たせているのか。
4. 何故だか解らないが、ストライキがたびたび起きて、列車が間引きになる。
5. 公式の全線時刻表が発行されず、駅で無料配布される、運転系統毎の無料時刻表が頼り。長距離列車は予約が義務付けられており、大きな駅では窓口が混雑する(日本の銀行のような番号札制が多い)事もあって、他国と比べると、列車の旅は少し難しい所があるかも。
6. 電化率は比較的高く、日本のメーカー(三菱)が製造したELが活躍する。しかし旅客列車は、欧州の中ではEC・DCの割合が高く、REGIONAL・CELCANIASは全てEC・DCで、ICでも一部は専用EC。客車はGRANDES LINEASに限られ、Talgoでない普通の客車は、一部の長距離夜行を除くとほと。プッシュプルトレインはない。
7. 欧州では珍しく、転換クロスシートが多用されている。RENFEだけでなく、私鉄でも長距離路線で採用されている。博物館の展示車両を見ると、昔から使われているようだ。
8. 沿線の人口密度にもよるが、駅の数が全体的に少ない。マドリード近郊でさえ、15㎞程の間、次の駅がない区間もあった。廃止となった駅が多く、かつては運転の拠点として機能しながら、駅舎などが無残な姿をさらしている所も少なからず見られた。
9. 一方、特にマドリード近郊では駐車場を併設した駅が多く、AVE発着駅を中心とした駅では交通広場が整備されている所も大半で、マイカーからの乗り換え客をかなり意識しているように感じた。
10. 乗客の退屈しのぎ、という訳なのか、長距離の昼行列車では必ず車内で映画を放映し、中距離以下ではBGMを車内に流す列車が少なくない。駅のホームやコンコースでもBGMが流れている事が多い。
11. 軌間の違いもあって、国際列車は非常に少ない。ほとんどは自国のTalgoで、他国の車両はポルトガルの車両をわずかに見るだけ。
12. 私鉄が多数活躍し、バルセロナやバレンシアでは都心部に地下で乗り入れて都市交通の一翼を担う。北部でも長距離の私鉄が走っている。
11. 首都マドリードから主要都市までの運賃(2等車)。スペインは種別毎に運賃が違い、特に長距離は普通列車に相当する列車がない事もあるので、それぞれの行先で最安の種別の運賃を記しました。従って、距離と運賃が比例していません。
アランフェス 49㎞ 370ESP(約330円)
サラマンカ 233㎞ 1,625ESP(約1,460円)
セビリア 470㎞ 7,100ESP(約6,390円) = Talgo利用
バレンシア 490㎞ 4,300ESP(約3,870円) = IC利用
バルセロナ 680㎞ 4,900ESP(約4,410円) = IC利用
ア・コルーニャ 750㎞ 5,000ESP(約4,500円) = IC利用
※1ESP≒0.9円で計算
最後に、スペインそのもののパーソナルデータを記しておきます。
(帰国日の1998(H10)年11月27日現在)
正式国名 スペイン Spain
面積 約504,782平方㎞ (日本の1.33倍)
人口 約3,921万人
政治体制 立憲君主制 議員内閣制
国家元首 ファン・カルロス国王
※先月退位、第1子のフェリペ6世皇太子に譲位
政治指導者 ホセ・マリア・アスナール首相(国民党)
※現在はマリアーノ・ラホイ・ブレイ首相(国民党)
首都 マドリード(人口約302万人)
国連 加盟(1955(S308)年)
EU(EC) 加盟(1986(S61)年)
NATO 加盟(1982(S57)年)
通貨 ペセタ(ESP) 1ESP≒0.9円
言語 スペイン語 地域によってカタルーニャ語・バスク語も使用
主な観光地 トレド バルセロナ市内 コスタ・デル・ソル など
日本からのアクセス 当時はイベリア航空が成田に乗り入れていて、モスクワ経由でマドリード・バルセロナ線を運航していた。最終期はA340でノンストップ運航だったが、この旅の直後の11月30日を持って廃止、現在は直行便は無し
今回も前回のドイツ同様、長期間の旅となりました。夜行を多用して全国的に駆け巡ったが、これでもまだほんの一端だと思います。
「Talgo以外の客車列車は少ない」と書いたが、その大半がマドリードまたはバルセロナを起終点とし、複数の行先の客車を併結した長大編成で、カフェカーも連結されたりしています。一方で高速新線AVEが開通し、新型Talgoも運行されたりと、ひょっとしたら当時のRENFEは、昭和40年代位の日本の国鉄の全盛期?と、似たような状況だったのかなと、乗り歩きながら少し感じたりもしました。
スペインもこの後高速新線が四方に張り巡らされ、フランスとの相互乗り入れも始まり、一方で旧来のスタイルの夜行は消滅したりと、この流れもまた、民営化後の日本に似ているような気がします。RENFEのマークやAVEを初めとする高速列車のデザイン・カラーもオシャレになったりしているようだけれど、実際の所、質的にはどのような変化が訪れているのか、ここの所訪れる機会はないが、再訪する機会を作れたら、その辺を確かめる事が出来れば良いと思っています。
…大惨事やテロは御免だけれど。
次回の「クロニクル」は、1999(H11)年6~7月のフィンランドです。7回に分けて書く予定です。
当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
《今日のニュースから》
山口・島根豪雨から一年 萩市で「市民防災の日」式典
JR線は間もなく被災した区間全ての運行の再開がなりそうだが、未だ行方不明の方もいたりして、現地は未だにいろいろな点で傷が癒えていないようです。近年の日本の夏は、災害との闘いに明け暮れるイメージが強くなっています。
№1211 思い出の海外旅行クロニクル 11.1998年スペイン8
一昨日の事になってしまったが、サンチャゴ・デ・コンポステラの大惨事から1年になり、現地では追悼の式典が行われました。改めて犠牲になられた方々の冥福を祈ると共に、このような大惨事が(スペイン以外でも)繰り返されない事を祈ります。ここの所日本内外とも、鉄道の事故が多いのが気になるのだけれど…。
チューリヒ到着後、AFとJALを乗り継ぎ、パリ経由で帰国の途につきます。しかし。
1998年11月25日(水)
翌朝7時30分ウエイクアップ。フリブールを出た所。良く眠れました。曇り空もあるのか、薄暗い。
朝食。トスターダとクロワッサン、オレンジジュースとコーヒーというコンチネンタルスタイル。他の客が意外に少ない。列車全体で少なかったのか。
ディエティコンを過ぎたあたりで、少しは晴れてきたのだろうか。チューリヒは同じ大都会でも、マドリードとは違う。砂漠?の中にいきなり現れるイメージのマドリードとは違って、少しずつ民家などの建物が増えてくるようだ。
9時30分少し前、チューリヒ中央駅到着。寒い…。出会いの光景はスペインもスイスも全く変わりませんでした。
2年前の1996(H8)年、欧州縦横断の旅の途中、チューリヒ空港に立ち寄ってまる一日旅客機の撮影に費やした事は、№942で書きました。その前の年のイタリアからの帰途にも立ち寄っています。
今回も夕方のパリ行出発までの間は、展望デッキで旅客機の撮影に充てるつもりでした。
ところが…。展望デッキは閉鎖中…!
理由はちょっと不明だった。ターミナルの工事が行われているので、そのためだったかも知れない。
せっかく回復した青空の下、あきらめきれず、当時のターミナルAから延びる歩道橋から、撮影できそうな場所を見つけたので、午後までしばらく撮っていました。ターミナル工事のための資材や重機はやや邪魔な部分もあったが。
その中から数枚。
AOMフランス航空 MD-83
ほんのわずかな時期、成田にもDC-10で乗り入れていたキャリアだが、今はなくなりました。
エア・アルファ A321-200
トルコのチャーター航空会社。これも今はなし。
ブリティッシュ・エアウェイズ B757-200
当時BAが採用していた「ワールド・イメージ」の1種類。
エミレーツ航空 A300-600R
以前にもご覧頂いているが、後部に何か描かれています。何だったっけ?ドバイのイベントだったはずだが。
チロリアン航空 F-28
今はオーストリアン・アローズになっています。
イージー・ジェット B737-500
欧州を代表するLCC。Webサイトのアドレスが書かれているが、当時はネット予約が今ほどは浸透はしていなかったはずで、画期的だったと言えます。
途中警官だったか警備員だったかに職務質問もされたりしたが、パスポートと帰りの航空券を見せたら見逃してもらえました。テロリスト、というより、不法難民ではないかと疑ったのではないかと、当時は思いました。
残念ながら、午後になると一気に曇り空になってしまった。早めに搭乗待合室に入る事にします。
チェックイン・カウンター。撮影に入る前にチェックインをしてくれました。
AF2155便。B737-500。
ところが、本来の出発時刻近くになってからの到着。しかもアナウンスでは、CDG到着は1時間程遅れるとか。オイオイ、CDGでの乗継は45分しかないのに…!
搭乗開始。しかしなかなか前に進まない。キャビンは単通路なのに、客の大半は自分の席の列まで着いて、荷物をストウェッジに収め、さらに上着を取って、それから着席、だから前がつかえてしまう。
隣にはJALのB747-400がいました。この時点では、成田~チューリヒの単純往復。
結局チューリヒ出発は、所定より1時間以上の遅れになってしまった。アナウンスでは悪天候のせいだ、と言っていたようだが。外は完全に真っ暗。
B737のキャビン。
機内食。ほんの一口二口といった程度の軽いもの。あっという間に平らげてしまった。
上空では三日月が見えたりもしたが、天候が悪いのは事実のようで、チューリヒだけでなく、パリでもかなり厚い雲が広がっているようでした。真っ暗だから実際はどうだったかはっきりしないが。
結局遅れが縮まる事はなく、CDG到着。ターミナルB。何とかターミナル循環バスに乗り込むが、F→Cと経由して、JAL便が出発するターミナルAに向かうので、すごく時間がかかる。
バスを降りて、あわててA41ゲートに走ったら…。
ガーン!!
B747-400が、ちょうどバックしていく所…!!
AF機内である程度覚悟はしていたけれどね…。すぐ目の前で出発の機体を見送る事になるとは…。
このような事は私だけではなく、他に10人ほどが積み残しになってしまったらしい。欧州全域で航空ダイヤが乱れていて、中には22時着になってしまった便もあるとか。
ここで、JALのスタッフが、宿探しと翌日の代替便の手配に骨を折って下さった(栗木さん、改めてお礼申し上げます)。空港近くのホテルに夕・朝食込で無料で宿泊の上、翌日のJAL便(しかもエグゼグティブクラス)に振り替えという事になった。
何やかんやあって、とにかくひどく疲れた。パリは明日も天気が良くなさそうで、だったらチェックアウトタイムギリギリまで、ずっと寝ていよう。
********************
1998年11月26日(木)
結局起床は朝8時。部屋の外はかなり濃い霧が出ている。100m位先が見えない。航空便の発着は行われているようだったが。バイキングの朝食をがっぽり食べて、チェックアウトタイムまで寝ていた。
晴れだったら空港内で旅客機を撮るか、できなければパリ市内へ行って観光か、とも思うが、この天気では、わざわざ短時間の滞在のためにフランスフランに両替したりするのはばかばかしい。
(ユーロ導入後の今なら、パリ市中行も考えたかもしれないが)
改めて、CDGのターミナルA。
さすが世界有数の大空港。どのエリアもいろいろな人種の人々が行き交う。ダカール行など、アフリカそのものという民族衣装を身にまとうお客さんがいたりして楽しい。時々マシンガンを抱えた軍人?が3人一組でパトロールしたりしているのも見たりするのだが。
チェックイン・カウンター。エグゼグティブクラスの搭乗券を受け取るが、窓側でも通路側でもない、完全に真ん中の席。それに喫煙席(当時はまだあった)。今日は完全に満席。昨日の救済に加えて、今日もイタリアからの便が遅れて、AF運航の名古屋行に乗れなくなったとかいう乗客もいたらしいから、仕方がないか。
17時前、成田からのB747-400が到着。
このターミナルは出発と到着が同じ階にあります。入国のパスポートの上にバーがあり、出国エリアの歩道橋の役割も果たしている。
時間が近づいて、A41番ゲート付近には大勢の乗客が集まってくるが、その中には、明らかに高校生風情の若者の一団が平気でしゃがみこんで煙草をふかしまくっている。何者なんだ?コイツら。えらく気分が悪くなる。
予定よりやや遅れて搭乗開始。真ん中の席とはいえ、そこはビジネスクラス、さすがにゆったりしている。すぐにウエルカムドリンクのサービスがあって、ややこそばゆい。その後新聞のサービスがあるが、右の日本人男性は、カートを前方に回送する最中に、さっさと日経を抜き取っていった。せわしなさすぎ。そんなに経済情報が大切ですか?
外は暗くなってしまったし、何よりド真ん中の席では外の景色もへったくれもない。離陸すると何とか街明かりが見えたが、すぐに雲に突入したようで真っ暗になりました。
********************
1998年11月27日(金)
エグゼグティブクラスのキャビン。これでも今の目から見たら、一昔二昔前の仕様に映るのでしょうか。
機内サービス。スクリーンはNHKニュースだが、何度か停止する。
この機体(JA8914)も往路同様、エコノミーにも個人TVがついた新仕様なのだが、システムの調子が悪くて使用できないとアナウンスがありました。パーサーの話では、機体のシステム全体がダメになって、ただいま鋭意調整中と恐縮していました。JALだけでなく、他社でもこのシステムに関して苦慮しているのだそう。パーソナル・エンターテイメント時代の黎明期、ならではの事象でしょうか。
オツマミ。
離陸後の食事。まずオードブル。
メイン。ご飯もの。
最後にデザートのケーキ。おいしかったです。さすがにビジネスクラスの食事はすごい。冊子状のメニューも入手したはずだが、ちょっと見当たりませんでした。スミマセン。
翌朝、シベリア。席を立って、ドアの窓から見たもの。そうでなければ、外の景色は見られません。
到着前の食事。朝食も和洋選択。メインスクリーンのNHKニュースウィークリーでは、大相撲九州場所は大関琴錦優勝と伝えていた。個人TVのシステムは、結局最後まで直らずじまいだったようでした。
日本海から上越国境を越え、水戸→鹿島灘と経由して、成田空港にはほぼ定刻の着陸でした。
到着はサテライトのC81。本館までは、今は廃止になったシャトルで移動。
成田も11月になって寒くなったはずだが、パスポートコントロールでは、「ロンドンとかに比べたら全然暖かいわね」という声も聞こえてきました。
到着階のコンコースはどこも人、人、人。当時は不景気で海外旅行客が減っているという報道もあったが、全然信じられませんでした。
どうにかこうにか、日本に帰って来れました。
念のため。当時は帰国予定日の翌日は、海外旅行だとこんなアクシデントもあろうかと、休養も兼ねた予備日を設けていたので、仕事に穴を空ける事なく、同僚に迷惑をかける事もなく済みました。
最後はほとんど空の旅に費やしてしまいましたが、最終回はRENFEの鉄道車両と、マドリード(チャマルティン・アトーチャ)及びバルセロナ・サンツ駅の画像をご覧頂いた後、当時のスペインの鉄道の印象と、スペイン自体のデータを記して、完結とします。
当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
全国的に凄まじい猛暑です。どうか皆様お気を付け下さい。私自身、明日成田へいく予定だが、気をつけなくてはなりません。
《今日のニュースから》
岩手県田野畑村の三陸海岸観光船 3年4か月ぶり運航再開
チューリヒ到着後、AFとJALを乗り継ぎ、パリ経由で帰国の途につきます。しかし。
1998年11月25日(水)
翌朝7時30分ウエイクアップ。フリブールを出た所。良く眠れました。曇り空もあるのか、薄暗い。
朝食。トスターダとクロワッサン、オレンジジュースとコーヒーというコンチネンタルスタイル。他の客が意外に少ない。列車全体で少なかったのか。
ディエティコンを過ぎたあたりで、少しは晴れてきたのだろうか。チューリヒは同じ大都会でも、マドリードとは違う。砂漠?の中にいきなり現れるイメージのマドリードとは違って、少しずつ民家などの建物が増えてくるようだ。
9時30分少し前、チューリヒ中央駅到着。寒い…。出会いの光景はスペインもスイスも全く変わりませんでした。
2年前の1996(H8)年、欧州縦横断の旅の途中、チューリヒ空港に立ち寄ってまる一日旅客機の撮影に費やした事は、№942で書きました。その前の年のイタリアからの帰途にも立ち寄っています。
今回も夕方のパリ行出発までの間は、展望デッキで旅客機の撮影に充てるつもりでした。
ところが…。展望デッキは閉鎖中…!
理由はちょっと不明だった。ターミナルの工事が行われているので、そのためだったかも知れない。
せっかく回復した青空の下、あきらめきれず、当時のターミナルAから延びる歩道橋から、撮影できそうな場所を見つけたので、午後までしばらく撮っていました。ターミナル工事のための資材や重機はやや邪魔な部分もあったが。
その中から数枚。
AOMフランス航空 MD-83
ほんのわずかな時期、成田にもDC-10で乗り入れていたキャリアだが、今はなくなりました。
エア・アルファ A321-200
トルコのチャーター航空会社。これも今はなし。
ブリティッシュ・エアウェイズ B757-200
当時BAが採用していた「ワールド・イメージ」の1種類。
エミレーツ航空 A300-600R
以前にもご覧頂いているが、後部に何か描かれています。何だったっけ?ドバイのイベントだったはずだが。
チロリアン航空 F-28
今はオーストリアン・アローズになっています。
イージー・ジェット B737-500
欧州を代表するLCC。Webサイトのアドレスが書かれているが、当時はネット予約が今ほどは浸透はしていなかったはずで、画期的だったと言えます。
途中警官だったか警備員だったかに職務質問もされたりしたが、パスポートと帰りの航空券を見せたら見逃してもらえました。テロリスト、というより、不法難民ではないかと疑ったのではないかと、当時は思いました。
残念ながら、午後になると一気に曇り空になってしまった。早めに搭乗待合室に入る事にします。
チェックイン・カウンター。撮影に入る前にチェックインをしてくれました。
AF2155便。B737-500。
ところが、本来の出発時刻近くになってからの到着。しかもアナウンスでは、CDG到着は1時間程遅れるとか。オイオイ、CDGでの乗継は45分しかないのに…!
搭乗開始。しかしなかなか前に進まない。キャビンは単通路なのに、客の大半は自分の席の列まで着いて、荷物をストウェッジに収め、さらに上着を取って、それから着席、だから前がつかえてしまう。
隣にはJALのB747-400がいました。この時点では、成田~チューリヒの単純往復。
結局チューリヒ出発は、所定より1時間以上の遅れになってしまった。アナウンスでは悪天候のせいだ、と言っていたようだが。外は完全に真っ暗。
B737のキャビン。
機内食。ほんの一口二口といった程度の軽いもの。あっという間に平らげてしまった。
上空では三日月が見えたりもしたが、天候が悪いのは事実のようで、チューリヒだけでなく、パリでもかなり厚い雲が広がっているようでした。真っ暗だから実際はどうだったかはっきりしないが。
結局遅れが縮まる事はなく、CDG到着。ターミナルB。何とかターミナル循環バスに乗り込むが、F→Cと経由して、JAL便が出発するターミナルAに向かうので、すごく時間がかかる。
バスを降りて、あわててA41ゲートに走ったら…。
ガーン!!
B747-400が、ちょうどバックしていく所…!!
AF機内である程度覚悟はしていたけれどね…。すぐ目の前で出発の機体を見送る事になるとは…。
このような事は私だけではなく、他に10人ほどが積み残しになってしまったらしい。欧州全域で航空ダイヤが乱れていて、中には22時着になってしまった便もあるとか。
ここで、JALのスタッフが、宿探しと翌日の代替便の手配に骨を折って下さった(栗木さん、改めてお礼申し上げます)。空港近くのホテルに夕・朝食込で無料で宿泊の上、翌日のJAL便(しかもエグゼグティブクラス)に振り替えという事になった。
何やかんやあって、とにかくひどく疲れた。パリは明日も天気が良くなさそうで、だったらチェックアウトタイムギリギリまで、ずっと寝ていよう。
********************
1998年11月26日(木)
結局起床は朝8時。部屋の外はかなり濃い霧が出ている。100m位先が見えない。航空便の発着は行われているようだったが。バイキングの朝食をがっぽり食べて、チェックアウトタイムまで寝ていた。
晴れだったら空港内で旅客機を撮るか、できなければパリ市内へ行って観光か、とも思うが、この天気では、わざわざ短時間の滞在のためにフランスフランに両替したりするのはばかばかしい。
(ユーロ導入後の今なら、パリ市中行も考えたかもしれないが)
改めて、CDGのターミナルA。
さすが世界有数の大空港。どのエリアもいろいろな人種の人々が行き交う。ダカール行など、アフリカそのものという民族衣装を身にまとうお客さんがいたりして楽しい。時々マシンガンを抱えた軍人?が3人一組でパトロールしたりしているのも見たりするのだが。
チェックイン・カウンター。エグゼグティブクラスの搭乗券を受け取るが、窓側でも通路側でもない、完全に真ん中の席。それに喫煙席(当時はまだあった)。今日は完全に満席。昨日の救済に加えて、今日もイタリアからの便が遅れて、AF運航の名古屋行に乗れなくなったとかいう乗客もいたらしいから、仕方がないか。
17時前、成田からのB747-400が到着。
このターミナルは出発と到着が同じ階にあります。入国のパスポートの上にバーがあり、出国エリアの歩道橋の役割も果たしている。
時間が近づいて、A41番ゲート付近には大勢の乗客が集まってくるが、その中には、明らかに高校生風情の若者の一団が平気でしゃがみこんで煙草をふかしまくっている。何者なんだ?コイツら。えらく気分が悪くなる。
予定よりやや遅れて搭乗開始。真ん中の席とはいえ、そこはビジネスクラス、さすがにゆったりしている。すぐにウエルカムドリンクのサービスがあって、ややこそばゆい。その後新聞のサービスがあるが、右の日本人男性は、カートを前方に回送する最中に、さっさと日経を抜き取っていった。せわしなさすぎ。そんなに経済情報が大切ですか?
外は暗くなってしまったし、何よりド真ん中の席では外の景色もへったくれもない。離陸すると何とか街明かりが見えたが、すぐに雲に突入したようで真っ暗になりました。
********************
1998年11月27日(金)
エグゼグティブクラスのキャビン。これでも今の目から見たら、一昔二昔前の仕様に映るのでしょうか。
機内サービス。スクリーンはNHKニュースだが、何度か停止する。
この機体(JA8914)も往路同様、エコノミーにも個人TVがついた新仕様なのだが、システムの調子が悪くて使用できないとアナウンスがありました。パーサーの話では、機体のシステム全体がダメになって、ただいま鋭意調整中と恐縮していました。JALだけでなく、他社でもこのシステムに関して苦慮しているのだそう。パーソナル・エンターテイメント時代の黎明期、ならではの事象でしょうか。
オツマミ。
離陸後の食事。まずオードブル。
メイン。ご飯もの。
最後にデザートのケーキ。おいしかったです。さすがにビジネスクラスの食事はすごい。冊子状のメニューも入手したはずだが、ちょっと見当たりませんでした。スミマセン。
翌朝、シベリア。席を立って、ドアの窓から見たもの。そうでなければ、外の景色は見られません。
到着前の食事。朝食も和洋選択。メインスクリーンのNHKニュースウィークリーでは、大相撲九州場所は大関琴錦優勝と伝えていた。個人TVのシステムは、結局最後まで直らずじまいだったようでした。
日本海から上越国境を越え、水戸→鹿島灘と経由して、成田空港にはほぼ定刻の着陸でした。
到着はサテライトのC81。本館までは、今は廃止になったシャトルで移動。
成田も11月になって寒くなったはずだが、パスポートコントロールでは、「ロンドンとかに比べたら全然暖かいわね」という声も聞こえてきました。
到着階のコンコースはどこも人、人、人。当時は不景気で海外旅行客が減っているという報道もあったが、全然信じられませんでした。
どうにかこうにか、日本に帰って来れました。
念のため。当時は帰国予定日の翌日は、海外旅行だとこんなアクシデントもあろうかと、休養も兼ねた予備日を設けていたので、仕事に穴を空ける事なく、同僚に迷惑をかける事もなく済みました。
最後はほとんど空の旅に費やしてしまいましたが、最終回はRENFEの鉄道車両と、マドリード(チャマルティン・アトーチャ)及びバルセロナ・サンツ駅の画像をご覧頂いた後、当時のスペインの鉄道の印象と、スペイン自体のデータを記して、完結とします。
当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
全国的に凄まじい猛暑です。どうか皆様お気を付け下さい。私自身、明日成田へいく予定だが、気をつけなくてはなりません。
《今日のニュースから》
岩手県田野畑村の三陸海岸観光船 3年4か月ぶり運航再開