№1161 思い出の海外旅行クロニクル 9.1997年ギリシャ5

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 ギリシャからの帰り、本当はテッサロニキから国際列車を乗り継ぎ、ソフィア(ブルガリア)・ブカレスト(ルーマニア)を経由してブダペスト(ハンガリー)へ抜ける予定だったが、果たせずに終わる事になるのでした。
 正直、他の欧州諸国(ユーレイルパス通用国)とは事情が全く違うよなあ、と思わせるフィナーレへ。

1997年12月18日(木)

 アレクサンドロポリスに宿泊、この日のテッサロニキ行は10時過ぎと遅いので7時30分まで朝寝坊。
 しかしこの時期は夜明けが遅く、ホテルの部屋の窓を開けると…。

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 なんと美しい朝日!いいタイミングで起きたものだと思いました。

 このホテル、「ホテル・エリカ」と言うのだけれど、朝食の会場にはなんと…。

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 ドイツ北部、ヴッパータールのモノレールの絵が掲げられていました。なんでだろう?理由は聞きそびれた。ドイツからの移住?

 時間があるので、朝のアレクサンドロポリスの街を少し歩いてみました。

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 マーケット。後方に小さく灯台が見えます。

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 漁港でしょうか。

 アレクサンドロポリスの駅、正確には、ホテル・エリカのそばにあるのは「港」駅で、本線から分かれた位置にあります。もう一つ、アレクサンドロポリスの本駅まで戻って、テッサロニキ方面だとスイッチバックする事になります。
 10時05分発のテッサロニキ行はディケアからの夜行で、例によって遅れ気味に到着。30分ならまだ良い方か?

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 客車列車で、港駅は頭端形態だから、メインのアレクサンドロポリス駅までは推進運転で引き返す事になります。ここがメインの駅。操車場メインな感じ。

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 市中を抜けると、山間部にかかって渓谷沿いを走ります。川の水がきれい。快晴になってくれている事もあって、すがすがしさも感じさせる車窓。

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 キルキス駅。

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 遠くに連なる雪山を眺めていると、「ギリシャ」のイメージじゃない。途中停車していく駅も、どこかスイス的なイメージ、と言ったら大げさだろうか。

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 ただし運行はスイスと同じとはいかず、コモティニ駅では上りICの15分遅れもあって、こちらの遅れは47分に広がりました。でもいい駅舎だなあ。

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 コモティニ駅構内の一角では、軍事車両を貨車に積み込むシーンも見られました。

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 進行方向右手はどこまでも白い山々。
 手前の低い山々の麓には所々小ぢんまりした集落も見られるのだが、線路の沿線には、民家はほとんど見られない。時々小駅を通過していくけれど、どこも集落からかなり離れていました。

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 ちょっと曇りがちになってきたけれど、さらに山間部を行き、カーブを右に左に切っていきます。列車のスピード自体はそれなりに出ていると思うのだけれどねえ。トンネルに入ると、つららが出来ていました。

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 スタブロウポリ駅。ここでディケア行の待ち合わせ。駅舎は民家みたい。

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 山道が終わって、直線も長くなります。寒いのだけれど、沿線では放牧も見られるようになりました。

 この先は夜の訪れが早いから真っ暗になってしまって、沿線の写真がないのはゴメンナサイ。
 ストリモンで、ソフィアからの客車2両を連結。明日は、この客車編成に乗り込む事になるはず。
 この先テッサロニキまでは明日の昼間乗るはずだから、とりあえず景色は明日のお楽しみか。

 最大1時間23分にまで広がった遅れは、ストリモンでの作業時間を短縮した事もあり、テッサロニキは56分の遅れと、1時間を切って到着しました。それでももう19時。

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 夜のテッサロニキ。ギリシャでの最後の夜です。

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1997年12月19日(金)

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 朝のテッサロニキの駅前。
 停車しているOSEのバスは、アルバニアのコルツェ行。今でもそうかもしれないが、当時のアルバニアは北朝鮮と並ぶ「謎の国」、しかもこの年はネズミ講の破綻で経済が大混乱に陥っており、簡単に行こうと考えるのはちょっとはばかられる、そんな時期でした。バスは2便、8時と24時の2便がありました。

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 ソフィア・ブカレスト経由でブダペストまでの国際乗車券。前夜の内に購入しておきました。27,145GRD(≒11,200円)。

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 ソフィアまでの指定券。硬券です!805GRD(≒330円)

 さて、ソフィア行は8時25分出発、なのにホーム3番線に上がっても客車がいない!
 アテネからアレクサンドロポリス(さらにオルメニオ)に向かう夜行列車にストリモンまで併結されるのだが、そのアテネからの列車が全く現れる気配がない。既にホームには多くの待ち人がいる。どこかアジア系の風貌の人々が目立つ。皆大荷物だ。
 底冷えがするホームで長時間待つのはつらい。駅員に聞いたら、到着は10時を過ぎるって…。いきなり大きな不安が…。結局その通り10時過ぎに、3時間も遅れてやってきた。何やかや入れ替え作業も行って、ようやく11時過ぎに出発。

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 車窓自体は美しい。湖の向こうはマケドニア?
 それにしても、これまでのOSEもそうだったのだが、今回指定されたBDZ(ブルガリア国鉄)の客車も、窓ガラスが汚い。それに、テッサロニキで1泊していた割には、屑物入れのごみはそのままだったし、滞泊の間の準備が全然できていないようだった。また、例によって暖房の効きが良くない。車掌にアピールしても首をすくめるだけ。しかし、同じコンパートの男性3人は明らかに私より薄着だと見えるのだが、寒くはないのか?

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 ムリエス駅。

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 ロドポリ駅。

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 山間部。バスが見えます。
 所々新線が建設されているのは南部と同じ。旧線部には廃車の運命をたどる貨車が多数連なっていました。

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 名前が読み取れなかったのだが、待合室だけのこんな無人駅もありました。

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 ストリモン駅。ここで本線から分かれ、ブルガリアに向かう事になります。オルメニオ行はソフィア行を切り離して、さっさと出て行きました。こちらは、構内の貨物列車に連結されていたDLがこちらの方に来て連結、一旦構内のはずれで停止してバック、先の貨車の前に客車を連結させました。これでようやく出発。

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 ギリシャ最後の駅、プロマション。
 旅客列車はこの国際列車1往復の発着だったが、駅舎自体は案外大きく、カフェテリアもありました。
 DLは列車を切り離した後、単独で国境の向こうに走り去って行きました。

 問題はここから。国境警備の職員が、乗客全員のパスポートを回収して回ります。ビニール袋にはパスポートがぎっしり。それを持って、駅舎の前にいたパトカーに乗って、どこか(多分国境管理施設)に行ってしまいました。
 カフェテリアには一応客がいる。しかし切符売り場はないし、時刻表も見当たりませんでした。この駅の乗降は考えず、国境を越える手続きのためだけの駅なのでしょうか。
 さて、何時に出発できるのか。思い切って駅員に聞いたら、パスポートコントロール次第、だって。

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 15時を過ぎて、先にこちらの列車を牽引してきた後、国境の向こうに消えて行ったDLが、客車+貨車の混合列車を引いて戻ってきました。客車はこちらと同じ組成、貨車はスイス・フランス・ドイツの車両が見られました。DLは再びこちらの列車に連結。
 国境警備の職員が来たのですわ出発かと思ったら、反対側の列車の乗客のパスポートを回収するためだったらしい。構内はDLのエンジン音が響くのみで出発の気配が全くない。とにかく国境警備がパスポートを返してくれない限り、どうにもならない。

 17時を回り、あたりは暗くなってきた。駅も車内も明かりがつきます。
 さらに30分後、何やら叫び声が聞こえたと思って外に出ると、ようやくパスポートが帰ってきたようだ。乗客の名前が一人ひとり呼ばれ、パスポートが返却される。パスポートには、ギリシャ出国のスタンプのみが押されていました。

 17時36分出発。なんと3時間30分も停車していた。
 暗かったし、国境なので撮影ははばかられると思ったので写真はないが、国境と思われる橋の手前にはギリシャの、先にはブルガリアの軍の小屋が設けられていました。どちらも兵士が一人づつ、暖を取りながら警備をしていました。

 走ってみればわずか6分で、ブルガリアのクラータにつきました。ギリシャとはお別れ。
 ここでも同様に軍服の兵士が、乗客全員のパスポートを回収して回る。当然その間列車は動けない。
 それでもじれったく感じるのは私だけみたい、他の乗客は話が弾み、時には爆笑も聞こえてくる。

 ここでは1時間40分程でパスポートが戻ってきました。入国カードつき。
 2時間程でようやく出発。それにしても、プロマション+クラータで、出入国の審査に合計5時間、ですか…。当然ダイヤはもう無茶苦茶になってしまいました。ここから、ブルガリア側のELの牽引になります。客車も増結。
 外は完全に真っ暗になってしまい、せっかくの初めての国なのに、景色が全く楽しめませんでした。それどころか、相変わらず暖房が効かず冷え冷えしたもの。

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 暖房が効かないだけでなく、増結されたブルガリアの客車の最後部の貫通扉は、(解りにくいかもしれないが)窓ガラスが片方なくなっていました。
 コンパートにたたずんていると、他のコンパートの乗客が入れ代わり立ち代わりやってきて、同室の乗客とおしゃべりしている。仲間意識が強いようだ。一応禁煙なのにタバコプカプカは困ったものだが。通路も吸殻が凄い。

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 この先もなんやかやあって、ソフィア到着本来は18時26分の所が23時43分と、5時間以上の遅れになってしまいました。ものすごく暗くて、寒かった…。

 22時45分発のブカレスト行夜行はこちらを待つ事もなく、さっさと行ってしまっていました。クラータ出発のあたりである程度覚悟はしていたが。これまでの経験から定時運転はハナから期待していなかったけれど、4時間20分の待ち合わせが余裕にならないとはね…。
 さあどうしよう。明日まで列車はないから駅にいたってしょうがないし、といって泊まる場所、あるの…?と不安に思いながら外に出ると、幸い駅前に大きな「ノボテルホテルヨーロッパ」があり、迷わず投宿。米ドル立てで、C/C払いだと100USD(帰国後の請求では13,237円だった)と非常に痛い出費だが、帰国が迫っている事を考えると、もう選択の余地がありませんでした。もっと安い宿を探す、なんて時間的余裕もなく、何より駅付近は活気というものが全くなく不気味。あまり長居はできそうもないので…。

 ホテルはさすがに国際的大手チェーンらしく設備はキチンとしてはいたものの、部屋にドンと置かれたTVの映りが悪いのは、社会主義国「らしい」所?そんな中、オリンピアで翌年の長野オリンピックの聖火の採火が行われた、とのニュースがありました。

 残り時間を考えると、ブダペストまで列車という選択肢はなくなってしまい、飛行機での移動に変更する事になります。もちろん航空券の運賃の支払いもあるし(この時点ではいくらになるかも解らなかった)、鉄道の乗車券がソフィアから先が丸々ムダになってしまう(残りの区間の払い戻しの請求、自信ないよ。全くの初めての国で、共産圏だから英語が通じるかも解らないし…)から輪をかけて懐具合が寒くなってしまうのだが、もはやこれ以外道がありません。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 韓国の客船の沈没、捜索は思うように進んでいないようです。ただでさえ行方不明者が膨大だし、その大半が修学旅行の学生、というのは、当然家族もだけれど、残された同級生の心情を考えると、はっきり辛いです。心の傷が後々残るという点で。
 修学旅行中の大惨事、というと、個人的には26年前の上海の列車事故を思い出します。高知の高校の学生を乗せた列車が正面衝突を起こして、27人が犠牲になった事故でした。遠い昔には日本でも同様の事故がありました(1956(S31)年の参宮線)。
 未だ解決のメドが立たないマレーシア機「失踪」事件もそうだけれど、欲しい情報が得られない、というのが、親族の方々の怒りを誘う、というのは、事故、に限らずどんな些細なトラブルでも同じだなあ、と思わされます。と言って、じゃあその時点その時点でどんな情報を提供すべきなのか、というとこれまた難しい問題なんだよなあ、というのも、私の列車乗務員時代の経験から感じる事です。
 船長が謝罪したという報道もあるが、船長が先に降りた、と聞くと、№630で書いた「コスタ・コンコルディア」の座礁事故を連想させます。具体的な内情は全く解らないから、とりあえずこの場で良い悪いを語るつもりはないが。
 とにもかくにも、まずは行方不明者全員の所在の早期の判明が望まれます。

 北海道新幹線のJR北海道側の車両「H5系」の概要が昨日発表になりました。
 JR東日本のE5系と基本的には同じだが、帯の色が変わる他、インテリアもE5系とは異なるものになるらしい。

《今日のニュースから》
SL「義経号」 梅小路蒸気機関車館で歓迎セレモニー