№1160 思い出の海外旅行クロニクル 9.1997年ギリシャ4

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 ギリシャというとまず、古代遺跡のアテネや紺碧のエーゲ海を連想される方が大半だろうと思います。
 日本人で北部に足を踏み入れる方はそう多くはないだろうと思うし、ましてローカル鉄道路線に乗る人は、「鉄」でもほとんどいないのではないか、そんな気がします。
 旅後半はテッサロニキをベースとし、夜行列車も加えて、そんな北部の鉄道路線を訪ねてみようと思います。(恐らくは)ギリシャ最北の駅にも足跡を記しました。

1997年12月16日(火)

 前日はギリシャ全土でいろいろ何やかやとあったらしい。列車の目の前にトラックが落ちた、港に車が落ちた、とか。
 この日も朝は曇り空。
 ICで西のコザニへ行きます。

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 ICは全車指定で、指定席券が必要。追加料金が必要、とトーマスクックの時刻表には記されていたが、実際には無料で発券されました。どうなっていたのだろう?

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 無料配布されていた、ポケットサイズのICの時刻表を掲げておきます。全部ギリシャ語なので読みづらいが、アテネ~テッサロニキは5往復(1往復はさらにアレクサンドロポリスまで運行)されて、1往復は完全ノンストップ。コザニへは、アテネからも1往復あります。テッサロニキからの編成が、コザニ折り返しでアテネに向かう(またはその逆)ダイヤです。ペロポネソス半島のアテネ~キパリシアにも設定がありました。

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 2等車の車内。2-2配置。1等だと1-2配置です。どちらもリクライニングします。座席はベルリンのメーカー製らしい。

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 1等車には売店もありました。乗客が少ないので、手持ち無沙汰な感じ。紅茶400GRD(≒170円)。

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 IC81列車の方向板(サボ)。ギリシャ語で書かれている「PELLA」とは、列車の愛称だろうか。古代マケドニア王国の首都だった所。
 車内は放送がキチンとありました。それにしてもガラガラ。アレキサンドリア発車時点では、乗客は20人しかいませんでした。エアコンのシューという音だけで静か。意外と若い乗客が目立ったけれど。この列車は逆に暖房がやや効き過ぎ。

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 この路線も展望が良いです。大スパイラル線もあるし、遠くには雄大な雪山も連なります。 さすがにICといえどもスピードは出なくなるが。

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 雪原となった沿線に、工場(?石炭発電所?)が3つ4つあって、モクモク煙を噴き上げている。その内の1ヶ所から、専用線が延びていた。電化されていて、突然の事だったから写真がないが、妙ちくりんな形のELが使われていた。
 この付近は一度は快晴になったのだが、煙突から吹き上げられる煙があっという間に雲に変化し、太陽を遮って曇り空にしてしまったのには、少々びっくりさせられました。
 工場以外には、民家は全くなし。

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 終点のコザニ駅。31分の遅れでした。
 一応、大きな街らしいのだが、駅そのものも、駅付近も、どこか殺風景な感じがしたのは、乗客が少なかったからか。
 中の壁には、何故か鉄道のダイヤが掲げられている。これから向かうフローリナの近辺からはマケドニアへの貨物専用路線があるらしいが、ダイヤ上は列車の設定が全くなし。

 アミンテオンまで戻って、そのフローリナへ向かう。折り返しICのアテネ行以外選択の余地がなく、30分程度の滞在でとんぼ返り。この列車も、乗客は1ケタ程度。この先大丈夫なの?と思ってしまった。
(現在、アミンテオン~コザニは、少なくとも旅客列車は走っていないらしい)
 アミンテオンで乗り換えたフローリナ行ローカル列車は、DLが客車1両をけん引するだけのチープな客車列車。

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 ちょっと先走って、アミンテオン~フローリナの鉄路。
 アミンテオン駅構内の分岐の形態や、キロポストと思われる標識の数字からすると、こちらが本線格なのかもしれない。線路は貧弱で、揺れました。

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 まあ純粋にローカル線らしい風情ではある。北海道のようでした。

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 フローリナ駅。エーゲ海などからくるギリシャのイメージからはかけ離れた、完全に北国の装い。こういうギャップの体験も、一国をワイドに巡る旅ならではのものでしょう。
(知らない国なら、なおさら)

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 折り返しアミンテオン行は、一転して軽快なリズムで山を下っていきます。しかし空は雲が低く立ち込めて、薄暗く、重苦しい雰囲気。
 左手に何かモニュメントが見えるが、何かは不明。

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 アミンテオン駅に戻ってきました。静かな田舎町風情。
 貨物対応なのか線路の有効長がとても長く、わずか1両牽引のDLは方向転換のため、かなり遠くまで走っていきました。日本ならDCの単行にする所だろう。

 さて、所定で16時前に出発するはずのテッサロニキ行ローカルが、姿を見せない。
 先にアテネからのICが来たが、行き違いの相手を待たずに出発。また、フローリナ行もローカルを見捨てて出て行きました。
 寒さが厳しいので、暖房が効いた駅舎の中でウトウトしていたら、「テッサロニキ!」と駅員の叫び声が聞こえたので外へ。列車が入ってくるのが見えたが、既に50分近くの遅れだ。

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 左手に、ヴェゴリティーダ湖。沿線のムードは、北欧と言っても騙せそう?
 残念ながら、この先はどんどん暗くなってきました。遅れがなければもう少し車窓を楽しめたとは思うが、エディッサ駅では遅れが1時間に増幅してしまいました。駅毎に停車時間が長く、停車の旅に増幅していく感じ。

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 そのエディッサ駅では、可愛らしいクリスマスのイルミネーションが目を楽しませてくれました。

 テッサロニキ到着、1時間22分延。特に北部は大幅な遅れが常態化しているように感じられました。この先もそうで、これが最後にたたって大幅なプランの修正を強いられる事になります。

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 夜のテッサロニキ駅。
 手前に見えるブルーのバスはOSEが運行する長距離国際便で、ブルガリアのソフィア経由プロヴディフ行、との事。

 ここから北部のディケアまで、夜行列車のクシェットを利用して行きます。列車自体はアテネ始発だが、クシェットはここで連結。ドイツの中古と思われるが、相当古い。
 実は、良く眠れるか少々不安だった。寒いのに、ここまでは暖房の効かない列車が多かったので。暖気は入ってくるが、少々弱々しい…。

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1997年12月17日(水)

 幸い心配は杞憂に終わってくれて、良く眠れました。目覚めたら、もう8時過ぎ。

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 ソウフリ駅。さっそく1時間程遅れていました。
 車内を廻ってきた車掌にどこまで行くのか聞かれてディケアだと答えたら、ディケアには泊まれる場所はないよと告げられました。元々その日の内にアレクサンドロポリスまで戻るプランなので、そう答えておきました。

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 ディケア駅。この列車の終点です。確かに、長距離夜行列車の終点の割にはひなびた田舎の駅という感じ。切符売場は軍人の姿がチラホラ見えました。

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 駅前を延びる通り。

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 丘の上から。エブロス川を挟んだ反対側は、もうブルガリア。

 ギリシャ領としてはあと2駅先、西のオルメニオまで路線があるので、午後の列車で行ってみました。どこにも記録はないが、おそらくはギリシャ最北の駅でしょう。
 例によって1時間近くの遅れ。アレクサンドロポリスから来たのは、近郊タイプのDC2連。
 雪原の直線を突っ走って、駅が見えてきた、と思ったらもうオルメニオでした。

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 何とも中途半端な「終着駅」。無人駅で、行き違いもできません。
 集落もかなり離れていて、元々5分で折り返すダイヤでもあったので、さっさと折り返し、周辺を歩く余裕はありませんでした。乗り遅れたら、今日はもう列車がないので。

 線路はこの先ブルガリアのスヴィレングラードまで延びていて、夜行列車の設定があったようでした。
 しかし現在はディケアから先、旅客列車の設定がありません。オルメニオにも列車は来ていないよう。
 折り返し、アレクサンドロポリスまで乗り通します。

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 エブロス川は下流でマリツァ川に合流。川の向こうはトルコになります。マラシアでは、対岸におそらく国境警備だろう、トルコ側のやぐらが見えます。これまで国境と呼ばれる所を何度か見てはきたが、その中では一番厳重に見えました。ギリシャとトルコって、あまり仲が良くないので…。

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 それにしても、川のすぐ向こうが違う国、というのは、陸上の国境を持たない日本人としては不思議な感覚ではありました。
 左手に4本の、遠目には鉛筆のような塔が見えるが、おそらくはエディルネにある、セリミエのモスクでしょう。

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 マリツァ川。

 2両編成なのだが、後ろの車両は乗客が全くいない。それもそのはず、この車両も全く暖房が入っていない。どうした事か、ギリシャは暖房が故障したままの車両がとても多い。北部はすごく寒いのに…。

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 ピシオで、トルコへの路線が接続します。ちょうど列車が着いた所で、1日1往復だけなのでラッキーでした。「イスタンブール~テッサロニキ」の方向板を掲げてはいるが、国境の前後を行き来するだけの区間運転。

 その後も暗くなっていく中、例によって駅毎に遅れが増幅。
 アレクサンドロポリスに着いたのは、定刻より1時間30分程の遅れになりました。思ったのだけれど、行き違いの部分で遅れが増える傾向にあるので、信号システムに不備があるのではないか。

 今日はここまで。駅前に見えたホテルに投宿して、明日に備えます。

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