№1150 Forever ANA's B747-400 6<終>
ラストを前にして2回も空いてしまいました。スミマセン。
今回ANAが発注したB777-9Xはフルペイロードが15,000㎞以上、B747-400は13,000㎞強(ANAが保有していたGEエンジン機)なので、2,000㎞も遠く飛べる事になります。
双発機でジャンボ機以上のパフォーマンスを誇るのであれば、遅かれ早かれ、B747-400の居場所はなくなってしまっていたのでしょう。
2011(H23)年3月、ANAの国際線用B747-400は全て退役、国内線機材のみが最後の活躍を続ける事になります。
といっても時を追う毎に機材は少なくなるし、既に伊丹空港への乗り入れはなくなっていて、羽田を中心に新千歳・福岡・那覇路線が、残された期間の活躍の場の、ほぼ全てになっていたと思います。
当初は2015(H27)年位が退役の時期ともされていたが、期待の新機種、B787-8の導入が、スッタモンダはありながらも少しずつ進みつつあった事もあり、当初の予定が早まって、いよいよ今月一杯で姿を消す事となりました。
最後の3年間を、羽田でのフォトを中心にまとめてみました。昨年の沖縄線「お別れフライト」も一部、再度掲載しています。
第2ターミナルの展望デッキから、B747-400Dを見下ろす。メリハリのある巨体は、どこからどう眺めてもカッコイイ。
残念ながらANAでも時を追う毎にジャンボ機は持て余し気味になり、日中の羽田ではピーク期でも、ターミナルから遠く離れた駐機場に、長らく留め置かれる姿が珍しくなくなってきた。
2010(H22)年に供用を開始したD滑走路。東京湾に浮かぶ、まるで空母。ターミナルからは相当遠く、離陸も着陸も、タキシングは相当な時間を要する。
ちょうど「お花ジャンボ」が帰ってきた。不思議とあたりには他に機体の姿がなく、孤独な怪鳥に思えた。羽田らしくない?ちょっと独特のワンシーン。
東京の新名所「東京スカイツリー」をおぼろげな背景として、離陸滑走開始。
当初のスーパーシートは、富裕層向けを狙ってさらに豪華さを増し、「プレミアムクラス」と称するようになった。
機内食やアメニティキットのサービスは国際線ビジネスクラスと同等以上。
なので貧乏人の私が乗る資格などあるのかとも思ったが、少なくともジャンボのプレミアムクラスなど体験する機会はこの先まずなかろうと、空港での空席を狙って搭乗してみた。
サービス開始時点では、特にシートピッチについてミソがついたプレミアムクラスだったが、ジャンボの場合は114cm。
他機種よりも若干狭いのだが、これだって充分広い、さすがゆとりのクラスだと感じられたものだ。
ただし、当然他の客は高級ビジネスパーソンばかりで、こればかりは少々肩身が狭く感じられたものだ。
2012(H24)年9月の新千歳。
羽田だけでなく新千歳でも、ジャンボ機の長い昼休みが見られるようになった。
11時前に羽田から着くと、夕方までずっとお休み。
この日は、昼のジャンボ機の便で羽田に帰るつもりだったのに、直前になってB777-200に変更になってしまった。
去年8月の羽田空港から3点。
かつての「マリンジャンボ」と同じ趣旨で、全国の子供たちからの公募で選ばれたデザインをまとう「ゆめジェット」が、2月に就航を開始した。
以前のジャンボ機の役目をB767-300が担い、全国の子供たちに「ゆめ」を見せるのだ。
東日本大震災で傷ついた人々を慰め、勇気を与えようとメッセージが書き込まれた機体もあった。
中央は、いまだ苦難の道を行く福島県を舞台に、幕末~明治を劇的に生きた女性を描いた大河ドラマのマーキング機。
ジャンボ機は阪神・淡路大震災も経験しているが、最後まで復興メッセージが描かれる事はなかった。それでも復興支援の役目を担った事は変わらない。
展望デッキからはものすごく遠く、解像度が低いのは申し訳ない。
東京湾上に浮かぶように伸びるD滑走路、R/W05は、バックの「風の塔」の存在もあって、まるで要塞のよう。
2013(H25)年8月30日、ついにB747-400の全機退役が公式リリースされた。
以降、ANAもさまざまなキャンペーンを展開、「里帰りフライト」と称して、日本各地へのお別れフライトも次々に行われて現地のファンを沸かせた。
タイムテーブルも、10月以降はジャンボ機を印象的に配置して表紙を飾っていく。
公式リリースの時点では4機残されていたものの、9月一杯で「ピカチュウジャンボ」が退役、残り3機もそろって3月末まで仲良く、とは思えない。
となればラストフライトが近づくにつれて乗れる便数は減って行く事になるだろうし、一方で搭乗希望者は多くなるはずだから、押し詰まってくると座席の確保も難しくなっていくだろう。
という事で国際線と同様、国内線についても、やや早めではあるが、ささやかな個人的「お別れフライト」を企画してみた。
2013(H25)年11月の那覇線。
最後の数か月は、沖縄・那覇路線が中心になった。さすが「高気圧ガール」のANA?機体のパフォーマンスからして、最もジャンボにふさわしい国内路線だろう。
居並ぶ米軍機に出迎えられて着陸するのが、沖縄らしい。
羽田以外でジャンボ機が競演するシーンを見られるのは、沖縄がほぼ唯一になっていた。
羽田へ向けて飛び立つ。
すぐに低高度での水平飛行がしばらく続く、これもまた沖縄。
青い空・青い海にトリトンブルーが映える。
「お別れフライト」は、アッパーデッキへの搭乗を選んでみた。
国際線はアッパーデッキに乗った事はなく(ANAでは必ず上級クラスだったから)、国内線で今回を含めて2回のみになった。
カマボコをイメージした、独特の空間。
羽田空港到着は、ターミナルまではバス移動。
思い出せば、国際線の「お別れフライト」も、羽田(成田からのダイバート)はバス移動だった。偶然だとは思うが、今回改めて整理してみると、ANAのジャンボは、意外とバスでの乗り降りが多かった、そんな気がした。
これで、個人的にはANAのジャンボ機の旅は終わった。いつも、どんな時も、快適なフライトをありがとう、と感謝したいと思う。
引退が近づくにつれ、関連グッズも続々発売。
高価なものから手頃なものまでよりどりみどりだ。何故か「マリンジャンボ」グッズがほとんどないのは?なのだけれど。
これは、定番のクリアファイルセット。なお、「3月29日リタイア」と記されているが、31日まで飛ぶ。
この日、ANAグループから姿を消す機種がもう1つある。
当初は北海道内路線、のちに西日本から伊豆諸島路線に場を移してきたANAウイングスのDHC-8-Q300が、同じく今月31日の三宅島線を持って退役する予定だ。
56席はB747-400D(565席)の10分の1。グループ最大の機体と最小の機体が同時に姿を消すのだが、大きかろうが小さかろうが、ANAを支えてきた貢献度の大きさは全く変わらない。
今日も沖縄に向け、羽田空港を出発する。
もはや日本全国津々浦々とはいかなくなったが、それでも、トリトンブルーの大きくて広い翼の記憶は、日本の多くの人々に強烈な印象として残る事だろう。
例によって、個人的なデータを並べてみました。
ANAのB747-400シリーズは400型・400D型をひっくるめて、1993(H5)年10月12日~2013(H25)年11月7日の20年強の間に、合計29回搭乗。
全搭乗マイル(TPMベース)の合計は69,402マイルでした。地球を約2.7週した計算。
最長は2004(H16)年6月19日のパリ発成田行NH206便で、6206マイル。
最短は、伊丹線ではB747-400シリーズに搭乗した事はなく(クラシックSRではあった)、2007(H19)年6月15日の羽田発函館行853便が最短となり、424マイルでした。
ANAのB747-400シリーズは延べ23機が導入されたが、JA8097に、なんと5回も搭乗して最多となりました。全て東京(成田・羽田)~フランクフルト線。特に2008(H20)・2009(H21)年の往復がすべて同じ機体になった事が最多記録につながりました。
また、ANAでの就航わずか8年のJA404Aにも4回搭乗。ロスへの往復が共に同じだった事に加え、長崎線でも搭乗していました。
国内線機材では、JA8965に、やはり4回でした。1998(H10)年3月2日に「スヌーピー号1997-1998」で、1999(H11)年3月17日には「ポケモンジェット1998」で乗っています。
ANAにおけるB747-400シリーズ「テクノジャンボ」が活躍した24年は、国際線長距離路線の拡張が急ピッチで進み、スター・アライアンスへの加盟もあって、ワールドワイドな地位を確立、ついには日本の航空業界の「東の正横綱」に上り詰めた躍進の時期と、見事に重なります。
なにもかもがテクノジャンボにもらたされたものではないとしても(意外に早く退役した機体もあるし)、意欲的なキャビン・魅力的なスペシャルカラーなど、テクノジャンボが道を開いたものが数知れません。
ANAの歴史の1ページを飾るにふさわしい名機だったと、断言できるでしょう。
Thanks JUMBO!
I'll keep your blue forever!
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ところでこの連載の冒頭、「今回のジャンボの退役は、ANAのみならず、日本の航空業界全体の一大転機だ」と書きました。
旅客用に限るが、1970(S45)年7月1日にJALの1号機が就航してから44年、JAL(旧JAA含む)とANAで、クラシック・400合わせて延べ146機のジャンボジェットが就航。
最多の1999(H11)年には121機が登録されていて、羽田でも成田でも、ジャンボ機の姿が至極当たり前に見られていて、日本はその空港事情もあり、世界でも例を見ない「ジャンボジェット天国」でした。
それがわずか15年で、全て消え去る事になります。
また、日本の戦後の民間航空は1951(S26)年のDC-4に始まり、同じレシプロのDC-6B・DC-7C、ターボプロップのビッカース・バイカウント、ジェット時代になってDC-8・コンベア880、そしてB747と、エンジンの形態は異なれど、4発エンジンの旅客機が途絶える事はありませんでした。
しかし、31日にANAのB747-400Dが退役すると、この後SKYのA380の就航があるのでわずかな期間に留まるものの、日本における4発エンジンの旅客機の系譜も、一時絶たれる事になります。
世界的に見ても、長距離路線の展開も多い世界有数の航空大国から4発エンジン旅客機がいなくなるとは、結構異例な事態なのではないでしょうか。
つい十数年前、成田や羽田のターミナルをジャンボジェットの翼が埋め尽くしていたシーンを何度も目の当たりにしていた身には、何とも早く、そして非情な時の流れ、と感じずにはいられません。
最後に、日系・海外どのキャリアを問わず、B747-400、やっぱり傑作だなあ。
3年前にJALの、今回ANAのB747-400のお別れ企画を作ってみて改めて実感したのだけれど、長いアッパーデッキと大きな垂直尾翼、ツンと尖ったノースが絶妙の造形美を作っているように思えるのです。
(同じジャンボでも、300型より前のアッパーが短い「クラシック」には、個人的にはそこまでは感じない)
「マリンジャンボ」から航空趣味に入った事もあるし、社会人になって海外へ出るようになった時期はちょうどB747-400の脂が乗っていた頃で、欧州への旅ではほとんど同型機利用だった事もあり(日系2社+AF・KL・LH)、私的には非常に思い入れが強い機種になっています。
JALに続いてANAも次期長距離旅客機に再度双発機を選定した事で、後継のB747-8が日本で導入される可能性は、ますます遠のいてしまいました。日系キャリアのジャンボ機に乗る機会は、もうないだろうと思います。海外キャリアも日本乗り入れがどんどん少なくなっているけれど、いつか再び、一昨年のCXのように、なんとか搭乗する機会を作れたら、と思っています。
今回の連載は
「ANA SKY STORY」
「日本の旅客機」(各年)
「旅客機型式シリーズ5 B747-400」
「新・旅客機型式シリーズ02 B747-400」(いずれもイカロス出版)
を参考にさせて頂きました。
当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
《今日のニュースから》
奥松島遊覧船 本格的に運航を再開