№1147 Forever ANA's B747-400 5

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 国内外ともにANAの躍進に大いに貢献してきたB747-400シリーズだったが、2000年代後半ともなると、いよいよB777シリーズ、特に300ER型の台頭により、特に国際線では急激に就航路線を減らして行く事になります。
 当時はまだ、具体的にいつになるかは判明しなかったが、国際線に関しては完全リタイアも近いだろうと、ささやかな「お別れフライト」も企図しました。

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 驚いた。2005(H17)年暮れの長崎線。
 機体まではバスで移動、だったのだが、スポットにいたのは国際線機、それも「スーパースタイル」だ!


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 羽田空港を見下ろしながらグングン上昇していく。D滑走路は、影も形もなし。
 ウイングレット越しの羽田も、妙な感覚だ。
 機内エンターテイメントは当然国内線のものだったが、ゲームがそのまま、少な目だったお客さんも心得たもの、思い思いに楽しんでいた。


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 翌2006(H18)年暮れの長崎空港。「スーパースタイル」機が離陸していく。
 この頃にはシカゴ路線も再開、ANAの稼ぎ頭と成長していくのだが、もはや時代はトリプルセブン、「スーパースタイル」が返り咲く事はもうなかった。
 アメリカ線から欧州線と転用、最後は香港線はまだしも、国内の長崎線が活躍の場とは、不本意だったはずだ。
 結局、2007(H19)~2008(H20)年にかけて3機とも売却。JA405Aに至っては、ANA在籍が7年ちょっとと、最も短い機体となってしまった。
 パフォーマンスと、意欲的だったアコモデーションで期待された「スーパースタイル」3機は、残念ながら、ANA史上最も不遇なジャンボ機になってしまったのではないだろうか。
 3機とも香港の新興航空会社に売却されたが、わずか数か月で倒産の憂き目にあい、その後は散り散りになってしまった。


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 国内線は各型式とも順次キャビンを変更。
「スーパーシート」は「プレミアムクラス」とさらに豪華になり、普通席のキャビンインテリアも変更されていく。
 ただ、B777やB767で採用された新シートは、B747-400Dでは採用されないままで終わった。


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 2004(H16)年暮れ、羽田空港第2ターミナルがオープン。ANAの新たな国内拠点となった。
 一部には退役機も出ていたものの、ターミナル前にトリトンブルーのジャンボが肩を並べるシーンは、まだまだ当たり前のように見られていた。


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 新千歳空港でも、時間によってはジャンボが並ぶシーンを見る事がまだできた。錦秋の北海道。

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 新千歳発羽田行。
 今はなくなったが、当時の機内では、NHKニュースの放映があたりまえだ。
 画面に映っているのは、当時ボストン・レッドソックスの松坂大輔。そういえば、彼が西武ライオンズ時代、ANAの宣伝に一役買っていた時期があった。「ハンバーガー計画」だったっけ?


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 2008(H20)年6月30日の成田空港。
 右手を離陸滑走していくのは、A380-800!
 巨人機のカテゴリーも、世代交代の時期を迎えたようだ。


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 トリトン・ブルーのジャンボで何度も経験済みの、フランクフルト・アム・マイン空港着陸進入。
 右手の高層ビル群の中には、独特の鉛筆型のビル(メッセタワー)も視認できる。


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 7月4日のフランクフルト出発。もうすぐ21時というのに、さすがは真夏のヨーロッパ、とんでもなく明るい。
 LH・LOT・TAMのスター・アライアンスメンバーに混じり、第1ターミナルにはライバルJALの姿がある。JALは既に、フランクフルト線はB777-300ERに世代交代させていた。ジャンボの居場所は、いよいよ少なくなってきたのか。


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 北欧の大地に、ようやく夕陽が沈んでいく。

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 国際線のキャビン。個人モニターは、もはやエコノミークラスでさえAVODの時代、座席毎に映し出される画面は皆、てんでバラバラだ。

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 全く真っ暗になる事はなく、わずか数時間で、再び東から朝日が昇ってきた。

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 成田はやや天候が不安定だったか、湧き上がる雲の中をすり抜けるように降下していく。白い雲と青いウイングレットが絶妙のコントラストだ。

 具体的なアナウンスはなかったものの、国際線機材については、この2~3年位での全機退役が見えてきていた。
 既に北米線からは完全撤退し、欧州線が中心になってはいたものの、私自身の置かれた状況もあり、軽々しく欧州へ行く事が出来なくなっていた。
 なので、大分早いけれど、翌2009(H21)年3月22日フランクフルト出発の成田行を、密かに「お別れフライト」として搭乗する事とした。


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 ANA欧州線は、これまでは皆、夏場(欧州がサマータイムの時期)の搭乗だった。
 冬場に乗る事になったのは、この時が初めて、同じ20時前だが、前年の夏場と違って、早くから真っ暗だ。
 昼と夜の長さの極端な違いが、日本以上に特異な欧州の特徴だと思う。

 さて、フライト自体は全く順調だったが、夜が明けて、キャビンが明るくなった頃、キャプテン・アナウンスが思わぬ事態を告げた。

「成田空港で貨物機が事故を起こし、滑走路が閉鎖されたため、当機は行先を羽田空港に変更します」

 日本時間23日早朝、フェデラル・エクスプレスのMD-11が成田空港A滑走路で着陸に失敗して炎上、滑走路が閉鎖されたため、行先を変えざるを得なくなったのだ。
(当時既にB滑走路が供用されていたものの、ジャンボ機はまだ着陸できなかった)
 私も日本国内外で相当旅客機に乗ってきたが、他空港ダイバートなど初の体験だ。
 とはいえまだシベリア上空。アムール川さえ越えておらず、時間的な余裕は充分、変更先が羽田でもあるし、ドタバタ慌てふためく事はあるまい。


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 真っ白に凍りついたアムール川。

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「スーパースタイル」機長崎線就航はあったものの、まさか国際線用機材で、ウイングレット越しに浮島の換気塔のピラミッドを見る事になろうとは。


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 羽田空港は、当時の国際線暫定ターミナルからはかなり離れた、北側のスポットに着いた。「お花ジャンボ」との出会い。同じANAとはいえ、ほとんど見られない顔合わせだったろう。

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 羽田空港ダイバート機は他にも数多く、機内で延々待たされた後、バスで暫定ターミナルへ移動。
 とんだ「お別れフライト」の終わりではあったが、バスに移動する途中振り返ると、ツンと尖り気味の機首を向け、威風堂々とそびえるジャンボ機の姿があった。この機体で欧州への旅を何度も満喫できた事を、幸せに思う。


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 翌2010(H22)年4月の成田空港「さくらの山」。
 前年の事故を受けてB滑走路の延長工事が急きょ実施。
 ANA機のA滑走路への着陸は、この日見た限りでは、このパリからのジャンボ機だけだった。
 桜はもう散ってしまっていたが、可愛らしい花々と、大勢の観客が迎えてくれた。まさに「花道」。
 

 ANAの国際線用B747-400は、翌2011(H23)年1月に定期便の運航を終了、そして3月のグアムチャーター便を持って、ジャスト20年の国際線での活躍を終えるのです。
 国際線に関しては若干舌っ足らずの部分があったと思うが、今後「思い出の海外旅行クロニクル」などでも、もう少し深く書く事にします。
 ANAのB747-400は、国内線用の400D型のみが残って最後の活躍を続けますが、これも間もなく終了します。最終回は、国内線オンリーの3年間について書きます。
 ただし、明日・明後日の更新はお休みです。

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