№1146 Forever ANA's B747-400 4
ANAのB747-400には、国際線用の400型と、国内線用の400D型があるのはご存じの通りだが、国内線・国際線とも路線の展開や需要、さらには他機種、特にB777各シリーズとの絡みもあって、他のキャリアでは見られる事がなかった展開がありました。
21世紀に入ってから、各機とも胴体のロゴを「全日空 All Nippon Airways」→「ANA」と改めていく。
一部には外国人訪日促進キャンペーン「Yokoso! Japan」のマークを書き加えた機体もあった。ANAでは、自社のロゴの後ろに小さく書き添えるパターンだった。
国内線用400D型も、順次ロゴを書き換えていった。
羽田空港は1997(H9)年、東京湾に面した新C滑走路の供用を開始した。青い海に、トリトンブルーが映える。
若干時系列的に前後するが、1990年後半は国際線の拡張が急ピッチで、国内線用の400D型2機が、ウイングレットを装着してキャビンも大改装、国際線に転出する事になる。
JA8955とJA8957の2機が、1996(H8)~1997(H9)年にかけて改造されたが、世界初の事例だった。
外観上はオリジナルの400型と全く変わらない。
一方、21世紀に入ると今度は国内線の大型機材が不足気味となり、国際線の400型からウイングレットを取り外して、国内線用400D型への改修が行われた。
JA8955・JA8957の2機が再びウイングレットを取り外した他、元々国際線用として導入されたJA401・JA402もウイングレットを取り外して国内線に転用された。
この2機には、400Dオリジナルにはある、アッパーデッキ後方の独立した窓2つ分がないので、すぐに認識できる。
同じく400型・400D型両方を保有していたJALはこの改造を行わないまま終わっているし、いまさら海外のキャリアが、わざわざウイングレットを取り外して短距離路線に就航、などという事もあり得まい。
ANAは、「B747-400でウイングレットの装着・取り外しの改造を行った、世界唯一の航空会社」として記録される事になるだろう。
取り外されたウイングレットの実物は、鹿児島空港ターミナル内の展示施設で見る事ができる。
この時期は「エコノミークラス症候群」が世界的な問題になっており、航空各社ではさまざまな対策を行っていた。
機内エアロビクスのビデオの放映もその一つ。
特に外国人のお客さんは、皆結構楽しそうにやっていた。ノリがいい。
ANAのパリ線は、デイリー化が意外に遅かった。しかも、デイリー化当初の週1便はウィーン経由だった。これはこれで乗ってみたかった。今は経由便なんて全くないから。
シャルル・ド・ゴールに着陸。手前はエル・アル・イスラエル機。
ANAのシャルル・ド・ゴール空港のターミナルは、昔も今も変わらずターミナル1。
実は、ANAの欧州路線で、フランクフルト線以外で搭乗したのは、2004(H16)年6月19日の、このパリ線NH206便だけだったりする。
翌日の成田では、バスでの移動になった。
この年、国内線では久しぶりに「ポケモン」の新バージョンが現れた。
5月就航の「ピカチュウジャンボ」(JA8957)。B747-400の「ポケモン」では最後まで飛んだデザインだ。
暮れには「お花ジャンボ」(JA8956)が就航した。
前後して羽田空港の第2ターミナルがオープン、ANAは第2ターミナルからの発着になった。東京湾を望む新スポット。
その羽田空港第2ターミナル。曲面ガラスを多用した、開放的な空間を演出している。
ちょうど「ポケモンジェット1999」が出発する。
この年の卓上カレンダーから。5月と6月、連続してB747-400が起用された。
ANAの発展に大きく貢献してきたB747-400ではあるが、この後はB777シリーズ、特に300ER型の目覚しい進出の前に規模を縮小させていく事になります。
国際線用400型は、2011(H23)年3月がラストフライトになりました。
次回は、最後の国際線搭乗などについて書きます。ちょっとしたハプニングもありました。
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《今日のニュースから》
「震災復興道路」 高田道路・陸前高田~大船渡間全通
宮城・岩手・青森各県の沿岸部を結ぶ「三陸沿岸道路」の一部となり、沿岸の国道が津波で被災した際の代替道路としても期待されます。
通岡インター~碁石海岸インター間はすでに開通済み、昨年夜行高速バス<けせんライナー>で通った事は、№931で書きました。
(あの時は三陸縦貫自動車道と書いてしまったが、碁石海岸口までは高田道路だった)