№1149 ANAグループ 過去最大の大量発注

 スミマセン、「Forever ANA's B747-400」はもう1回休みます。
 昨日の事になってしまったが、ANAホールディングスは5機種・合計70機の大量発注を発表しました。
 ANAグループとしては過去最大としています。

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 ここ数年最大の注目点になっていた長距離大型機だが、ANAはB777-9Xを選択しました。20機発注との事。
 ただ、いつデリバリーになるかはまだ明らかにならず(東京オリンピックには間に合わないだろう)、並行してB777-300ERも6機追加発注しています。
 合わせてB787-9も14機を追加発注。長距離機材に関しては、はっきりボーイング指向の方向性が出たのでしょうか。
 ボーイングから見ると、昨年B787-8の長期運行停止という一大事もあったし、SKYのA380・A330に加えて、JALがA350シリーズを選択してしまったので、万が一ANAまでエアバスに乗り換えてしまったら、大型機に関しては日本の市場をほぼ失う事になり、はっきり大打撃になる所でした。ホッと一息、ではないでしょうか。
 ただ、一方でB737の後継のナローボディ機、こちらはA320シリーズのneoに乗り換えるようです。
 案外重要なポイントと思えるのが、23機発注のA321neo。A321は過去にも運航の実績があるが、当時は機数も7機と少なく、中途半端に終わっていました。今回はどのような路線に使うのか。どの機種も具体的にどこで使うかまでは発表していないが、A321に関しては、案外近距離国際線という線もアリなのでは。フルペイロードでも7,000㎞近くは飛べるし。
 逆にA320は7機と、現行のグループの規模からするとやや少ない気がする。どう使うのだろうか。
 これを踏まえて10~15年くらい先のANAグループのフリートを展望すると、

大型機 B777-9X・B777-300ER
中型機 B787-9・B787-8
小型機 A321neoA320neo・B737-800
極小型機 MRJ

という形に落ち着くのでしょうか。
 現有フリートの中では、置き換えの時期が迫るB777-200(ER)、B767-300(ER)の直接的な後継機が何だ、というのはここでは見えません。
 B777-200に関してはB777-9X(あるいは300ER)とB787-9、B767-300はB787-8とA321neoが上下から埋めて、需要に応じて使い分ける形になるのだろうと思います。
 どの機種も具体的にいつ、というのはまだ解らないのだが、これから10~15年の間で、羽田空港第2ターミナルや国際線ターミナル・成田空港第1ターミナルに並ぶトリトンブルーのフリートも、大きく様変わりしそうです。特に使用路線(ANAグループのネットワーク自体がどの程度広がるかを含めて)に注目。
 また、長距離機材がB777-Xとなった事で、JALのA350と対決する事になり、同規模ワイドボディ機では、トライスターvsDC-10以来の直接対決になります。この点も見もの。

 今回は外部メディアの報道は一切見ないで、プレスリリースのみから私自身の勝手な推測を並べてみました。違ってしまったらゴメンナサイ。

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《今日のニュースから》
猪瀬東京都知事 略式起訴 罰金50万円の命令

№1148 JEX JALに吸収合併

「Forever ANA's B747-400」はあと1回残っていますが、1回お休みします。

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 昨日の話になるが、JALは、「2012~2016年度JALグループ中期経営計画 ローリングプラン2014」を発表しました。
 中期経営計画の3年目を迎えるに当たり、過去2年を振り返った上で、残り3年で目標を達成するための方針を再確認するというものです。
 他にもいろいろあって、一部は後で少し触れるとして、具体的な施策の中で一番大きいのは、今年の10月にJALエクスプレス(JEX)をJAL本体に吸収合併させるというものでした。

 JEXは、元々は伊丹ベースのローカル路線の低コスト化を狙って1998(H10)年に設立されました。機材はJALから移籍のB747-400を使用したが、赤系ベースではありながら、JALグループのイメージを破るような、結構大胆なデザイン(特にロゴ)で注目されました。
 CAは「スカイキャスト」と称したが、低コスト化のため、これまでのCAが行ってこなかったような業務も担当するようになり、その様子は一般のTVニュースにも取り上げられた事があります。
 その後、JAL・JAS統合によりデザインも「Arc of the Sun」カラーに統一、MD-81の移管も受け、さらにはわずかな時期ながら短距離国際線も手掛けるようになりました。
 2010(H22)年以降は、JAL本体の経営再建に伴う再編成により、機材のダウンサイジングによりB737-800が国内線の主役に躍り出たから、一気に全国に路線網を広げる事になりました。しかし、JEX便名での運行はなくなり、当初の低コスト運航部門から、JALの運航の下請け的な役割に変わってきていました。
 合併の理由として、別のリリースによれば
「本合併により、JALグループにおける国内線の需給適合の機動性向上、および機内ヒューマンサービスの強化を実現し、国内線事業運営の安定化を図ってまいります」
としているが、あくまで部外者の勝手な推測だが、現場の従業員、特に実際に運航にあたるクルーへの配慮をせざるを得なかったのではないか、という事情もあるのかなと思います。
 №1136で書いた羽田→鹿児島線のように、乗客の立場としては、もうJEXである事を意識するシーンはほとんどなくなってしまっていると思うのだが、一方で同じB737-800ながら、JALが直接運航に関わる便もわずかながらあります。
 企業内の労働条件については解らないからうかつな事は書けないが、JEX側から見たら、「同じB737-800の国内線なのに、どうしてJALより賃金体系や労働条件が低いのよ」という不満も、ひょっとしたらあったのかも知れません。
 JAL側の方も経営再建の過程で賃金水準も若干下がってきているようだし、統合するには、ここらが好機、という判断もあったのでしょう。
 16年に渡るJEXの健闘、まだ就航期間は半年ありますが、ここで称えたいと思います。

 先の「ローリングプラン2014」について、お金などの話については専門家に任せるとして、お客さんの立場として、また趣味者として他に注目できる点としては、

1.B777-200ER・B767-300ER・B787にも「SKY Wi-Fi」を導入
(今回はパナソニックと組む)
2.JTAは2015(H27)年度より機材更新開始
3.4月より、BAにAYを加えた、欧州線共同事業をスタート

という所でしょうか。
 JTAの機材更新はちょっと注目で、これまでならB737で決まりだったと思うが、JAL本体がA350の導入を決定している事で、ひょっとしたら傾向が変わるかも。A320の可能性も、決して少なくはなくなってきたのではないでしょうか。

 この「ローリングプラン2014」には、

「JALグループには、計画作成を重視する一方、その実行状況や達成度に対する振り返りが十分ではなく、結果についての分析、反省をふまえることなく、以後の経営を進めたという、大いに反省すべき過去があります」(=経営破綻に至る事になる)

という言葉が何度か出てきました。
 会社の経営としてはこれでは失格、社会的に怒られたり笑われたりしても仕方ない(こんなものでは済まなかった訳だが)、となるのだが、これを個人の生活に強引に当てはめると「耳が痛え」って人、実は案外多くいるのではありませんか?
 かく言う私も、その一人…。

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《今日のニュースから》
JR西日本・セブン=イレブン 業務提携を正式発表

 最近の各鉄道のコンビニや売店は大手と提携するケースが多くなっていて、セブン=イレブンは既に京急などと提携しているが、鉄道事業者との提携は最大規模になるとの事。
 6月下旬の京都や岡山などからスタートし、5年程度で転換。「Kiosk」「Heart・in」の名は副称で残るよう。

№1147 Forever ANA's B747-400 5

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 国内外ともにANAの躍進に大いに貢献してきたB747-400シリーズだったが、2000年代後半ともなると、いよいよB777シリーズ、特に300ER型の台頭により、特に国際線では急激に就航路線を減らして行く事になります。
 当時はまだ、具体的にいつになるかは判明しなかったが、国際線に関しては完全リタイアも近いだろうと、ささやかな「お別れフライト」も企図しました。

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 驚いた。2005(H17)年暮れの長崎線。
 機体まではバスで移動、だったのだが、スポットにいたのは国際線機、それも「スーパースタイル」だ!


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 羽田空港を見下ろしながらグングン上昇していく。D滑走路は、影も形もなし。
 ウイングレット越しの羽田も、妙な感覚だ。
 機内エンターテイメントは当然国内線のものだったが、ゲームがそのまま、少な目だったお客さんも心得たもの、思い思いに楽しんでいた。


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 翌2006(H18)年暮れの長崎空港。「スーパースタイル」機が離陸していく。
 この頃にはシカゴ路線も再開、ANAの稼ぎ頭と成長していくのだが、もはや時代はトリプルセブン、「スーパースタイル」が返り咲く事はもうなかった。
 アメリカ線から欧州線と転用、最後は香港線はまだしも、国内の長崎線が活躍の場とは、不本意だったはずだ。
 結局、2007(H19)~2008(H20)年にかけて3機とも売却。JA405Aに至っては、ANA在籍が7年ちょっとと、最も短い機体となってしまった。
 パフォーマンスと、意欲的だったアコモデーションで期待された「スーパースタイル」3機は、残念ながら、ANA史上最も不遇なジャンボ機になってしまったのではないだろうか。
 3機とも香港の新興航空会社に売却されたが、わずか数か月で倒産の憂き目にあい、その後は散り散りになってしまった。


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 国内線は各型式とも順次キャビンを変更。
「スーパーシート」は「プレミアムクラス」とさらに豪華になり、普通席のキャビンインテリアも変更されていく。
 ただ、B777やB767で採用された新シートは、B747-400Dでは採用されないままで終わった。


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 2004(H16)年暮れ、羽田空港第2ターミナルがオープン。ANAの新たな国内拠点となった。
 一部には退役機も出ていたものの、ターミナル前にトリトンブルーのジャンボが肩を並べるシーンは、まだまだ当たり前のように見られていた。


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 新千歳空港でも、時間によってはジャンボが並ぶシーンを見る事がまだできた。錦秋の北海道。

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 新千歳発羽田行。
 今はなくなったが、当時の機内では、NHKニュースの放映があたりまえだ。
 画面に映っているのは、当時ボストン・レッドソックスの松坂大輔。そういえば、彼が西武ライオンズ時代、ANAの宣伝に一役買っていた時期があった。「ハンバーガー計画」だったっけ?


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 2008(H20)年6月30日の成田空港。
 右手を離陸滑走していくのは、A380-800!
 巨人機のカテゴリーも、世代交代の時期を迎えたようだ。


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 トリトン・ブルーのジャンボで何度も経験済みの、フランクフルト・アム・マイン空港着陸進入。
 右手の高層ビル群の中には、独特の鉛筆型のビル(メッセタワー)も視認できる。


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 7月4日のフランクフルト出発。もうすぐ21時というのに、さすがは真夏のヨーロッパ、とんでもなく明るい。
 LH・LOT・TAMのスター・アライアンスメンバーに混じり、第1ターミナルにはライバルJALの姿がある。JALは既に、フランクフルト線はB777-300ERに世代交代させていた。ジャンボの居場所は、いよいよ少なくなってきたのか。


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 北欧の大地に、ようやく夕陽が沈んでいく。

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 国際線のキャビン。個人モニターは、もはやエコノミークラスでさえAVODの時代、座席毎に映し出される画面は皆、てんでバラバラだ。

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 全く真っ暗になる事はなく、わずか数時間で、再び東から朝日が昇ってきた。

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 成田はやや天候が不安定だったか、湧き上がる雲の中をすり抜けるように降下していく。白い雲と青いウイングレットが絶妙のコントラストだ。

 具体的なアナウンスはなかったものの、国際線機材については、この2~3年位での全機退役が見えてきていた。
 既に北米線からは完全撤退し、欧州線が中心になってはいたものの、私自身の置かれた状況もあり、軽々しく欧州へ行く事が出来なくなっていた。
 なので、大分早いけれど、翌2009(H21)年3月22日フランクフルト出発の成田行を、密かに「お別れフライト」として搭乗する事とした。


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 ANA欧州線は、これまでは皆、夏場(欧州がサマータイムの時期)の搭乗だった。
 冬場に乗る事になったのは、この時が初めて、同じ20時前だが、前年の夏場と違って、早くから真っ暗だ。
 昼と夜の長さの極端な違いが、日本以上に特異な欧州の特徴だと思う。

 さて、フライト自体は全く順調だったが、夜が明けて、キャビンが明るくなった頃、キャプテン・アナウンスが思わぬ事態を告げた。

「成田空港で貨物機が事故を起こし、滑走路が閉鎖されたため、当機は行先を羽田空港に変更します」

 日本時間23日早朝、フェデラル・エクスプレスのMD-11が成田空港A滑走路で着陸に失敗して炎上、滑走路が閉鎖されたため、行先を変えざるを得なくなったのだ。
(当時既にB滑走路が供用されていたものの、ジャンボ機はまだ着陸できなかった)
 私も日本国内外で相当旅客機に乗ってきたが、他空港ダイバートなど初の体験だ。
 とはいえまだシベリア上空。アムール川さえ越えておらず、時間的な余裕は充分、変更先が羽田でもあるし、ドタバタ慌てふためく事はあるまい。


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 真っ白に凍りついたアムール川。

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「スーパースタイル」機長崎線就航はあったものの、まさか国際線用機材で、ウイングレット越しに浮島の換気塔のピラミッドを見る事になろうとは。


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 羽田空港は、当時の国際線暫定ターミナルからはかなり離れた、北側のスポットに着いた。「お花ジャンボ」との出会い。同じANAとはいえ、ほとんど見られない顔合わせだったろう。

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 羽田空港ダイバート機は他にも数多く、機内で延々待たされた後、バスで暫定ターミナルへ移動。
 とんだ「お別れフライト」の終わりではあったが、バスに移動する途中振り返ると、ツンと尖り気味の機首を向け、威風堂々とそびえるジャンボ機の姿があった。この機体で欧州への旅を何度も満喫できた事を、幸せに思う。


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 翌2010(H22)年4月の成田空港「さくらの山」。
 前年の事故を受けてB滑走路の延長工事が急きょ実施。
 ANA機のA滑走路への着陸は、この日見た限りでは、このパリからのジャンボ機だけだった。
 桜はもう散ってしまっていたが、可愛らしい花々と、大勢の観客が迎えてくれた。まさに「花道」。
 

 ANAの国際線用B747-400は、翌2011(H23)年1月に定期便の運航を終了、そして3月のグアムチャーター便を持って、ジャスト20年の国際線での活躍を終えるのです。
 国際線に関しては若干舌っ足らずの部分があったと思うが、今後「思い出の海外旅行クロニクル」などでも、もう少し深く書く事にします。
 ANAのB747-400は、国内線用の400D型のみが残って最後の活躍を続けますが、これも間もなく終了します。最終回は、国内線オンリーの3年間について書きます。
 ただし、明日・明後日の更新はお休みです。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
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《今日のニュースから》
在日本朝鮮人総連合会の不動産 東京地裁が高松市の企業に売却を許可