重大なお詫びがあります。
横浜シーサイドラインに「幸浦」という駅があり、「さちうら」と読むのですが、私は何を考えていたのか、これをつい最近に至るまで、ずっと「ゆきうら」だと勘違いしていました。
実際にシーサイドラインに乗り、アナウンスも聞いていたのに、どうした事だろう?
地元神奈川の路線だというのに、いかにいつも漫然と列車に乗り降りしていたの、そしていかに漫然と記事を作っていたかと、我ながら愕然とする思いでした。
ブログの性格からは多少邪道とは思いましたが、幸浦駅については改めて№1069の第16回に掲載させて頂いています。
(市営地下鉄の桜木町と、小田急多摩線の五月台の間)
また、毎回10駅ずつ御覧頂くスタイルのため、以降1駅ずつ次の回のTOPにずらし、関連する部分については一部テキストを書き換えた他、タイトルも変更しています。
本当に申し訳ありませんでした。
今回は、神奈川県に残る駅の跡について書きます。
路線そのものは残っても、休止・廃止になる駅は、全国的にはかなりあります。
神奈川県ではさすがに例は少なく、あってもその跡はほとんど残っていません。
その中、横浜市内に2箇所、駅の跡が古い高架線に残されています。
有名なのは京急本線の旧平沼駅。
横浜~戸部間にありました。
1931(S6)年12月26日、旧京浜電気鉄道が旧湘南電気鉄道に接続する横浜~日ノ出町間を開業させた際に同時に開業した駅でした。
営業期間は短く、「大東急」統合後の1943(S18)年6月30日に休止(翌年正式廃止)になった後、終戦直前の大空襲の被害を被る事となりました。
戦後は、空襲の被害の跡を残したいという京急の意向もあったらしく、現在に至るまでその姿を残しています。
比較的最近まで、屋根部分のアーチまで残されていました。
現像の平沼駅ホームの跡。アーチは撤去されました。耐震補強のためでしょうか?ホームには資材が置かれたりする事もあるようです。
もう一箇所、JR鶴見線の旧本山駅。
鶴見~国道間にありました。
総持寺総本山への最寄り駅(だから「本山」駅、だったらしい)として、鶴見臨港鉄道により路線開業と同日の1930(S5)年10月28日に開業したが、こちらも短命で、1942(S17)年12月11日に廃止になっています。
高架下は臨港バスの車庫となり、養護学校のスクールバスの定置場所となっているようです。
両駅とも鉄道はそのまま残り、車窓から昔をしのぶ事が出来ます。
「全部撮る!」次回は気を取り直し、改めて妙蓮寺駅から再スタートです。
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