№1128 2014年2月 今月は何があった 何をやった

 羽生結弦選手の金メダルに湧き、いまだ交通を混乱させている「豪雪」に四苦八苦の2月、どのような事があったのでしょうか。

 1日 大関 雅山 断髪式
 2日 テニス・デビス杯 日本がワールドグループで初の8強
 3日 大阪市橋下市長 辞職を表明

 6日 北九州市魚町商店街 未明に火災 1700㎡延焼
 7日 北陸新幹線E7系 大宮~長野で試乗会
 8日 長崎 グループホーム火災から1年 現場に献花台
 9日 ヤンキース 田中将大投手 ニューヨークに向け出発
10日 JR北海道不祥事 国土交通省 北海道警察本部に刑事告発

13日 ケネディ米駐日大使 名護市辺野古沿岸部を視察
14日 大阪市 橋下市長の辞職届 市議会が不同意

16日 パソコン・プログラミング体験教室開催 横浜市港南区
17日 米下院ロイス外交委員長 中曽根首相らと会談 安倍首相靖国神社参拝に懸念

20日 ウクライナ 停戦合意後に再び衝突 7人死亡・約60人が怪我
21日 東京都舛添新知事 五輪視察のためソチへ出発
22日 常磐自動車道 広野IC~常磐富岡IC 3年ぶり通行再開
23日 120年前沈没トルコ軍艦 追悼行事 和歌山県串本町
24日 徳田毅衆議院議員 議員辞職願を提出

 五輪・大雪以外では、「難聴」作曲家の「替え玉」発覚、バリ島で日本人ダイバー行方不明事故、朝鮮半島の南北離散家族再会、「アンネの日記」連続破損事件、などがありました。
 2週続けて鉄道の事故が発生したのは遺憾。

《今月この一枚》

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 2月12日、埼玉県越生町の黒山での撮影。JR八高線・東武越生線越生駅からの川越観光バス路線です。
 関東では今月2度の「豪雪」があった訳ですが、最初の8日の「豪雪」の後に訪れた時のもの。
 黒山は「黒山三滝」が著名な見所で、シーズン中は多数の観光客が来るようだが、ただでさえ冬場の平日、しかも「豪雪」直後ではマイカーさえほとんど通わず、バス便も、黒山まできた往復の乗客は、私一人だけでした。
 左手の丘には熊野神社があります。2本の太い杉の間に参道(石段)があります。現在本体の表紙では、黒山に向かう川越観光バス便の画像を公開しているが、この神社から撮影したものでした。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

 明日はお休みします。
 今後の本体の更新に関して、特別なお知らせがあります(閉鎖ではないです)。

《今日のニュースから》
長野県松本市の国道で雪崩 濃飛バス高速便巻き添え

 幸い怪我人等はなく、バスはそのまま高山へ向かったそうです。
 ただし、少なくとも明日の午前中までは、新宿~高山線の運休が決定。

№1127 駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷 9.近鉄大阪線 名張駅

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 3ヶ月も前になるが、昨年11月の「私鉄の車両シリーズ」では、近鉄大阪線の急行車2610系を取り上げました。
 そこで今回は、大阪線に位置する名張駅の時刻表から、大阪線のダイヤの歴史を簡単に振り返って見ます。
 名張駅は大阪難波から約70㎞、東海地方の三重県の西部にあるものの、ダイヤの面からも、営業の面からも、大阪の通勤圏にあると言って良いと思います。乗降人員12,950人。
 特急は「名阪乙」「阪伊乙」(主要駅停車)に加えて、2003(H15)年改正時より京伊特急も全列車停車。
 一般列車は全列車停車、準急区間準急の設定はここまで。
 検車区があり、伊勢志摩へ向けて青山を越える列車がまずは一息、という位置でしょうか。

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1987(S6)年3月18日改正
 手持ちの時刻表で一番古いのが、この年です。当時は、土曜日は平日のダイヤでした。
 当時、名張に停車するのは、特急は「名阪乙」「阪伊乙」の他、朝方一本だけ京都行「京伊」(松阪始発)が停車。
 一般列車は快速急行急行準急の他、当時は区間快速急行区間快速と呼称されるのが一般的)がありました。
 名張のダイヤの傾向としては、大阪から若干遠いのと、検車区があるので、大阪方向への出庫のピークが6時台~7時台前半とやや早い事、青山町までの区間運転が多数設定されている事があります。
 上りは一般列車の本数が少なく、当時日中は特急の方が本数が多くなっています。大阪への通勤圏とはいえ同じ三重県だから、一般的な生活圏は青山町の方に向いているという事でしょう。
 平日朝に1本、名古屋行の急行があり、現在に至っています。

 当時は快速急行区間快速急行は皆、大和高田の次はもう大阪市内でした。
 この年は9月にも改正があり、区間快速急行が五位堂に停車。五位堂駅がある香芝町はこの4年後、市政を施行します。
 朝6時00分に、始発の上本町行特急が新設。日中の一部は布施に停車しています。

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1989(H元)年3月17日改正
「アーバンライナー」(UL)がデビューした改正。
 下り方の「青山越え」区間は日中は1時間1本の急行だけだったのだが、この改正から普通電車が1時間に1本増発され、毎時2本が確保されるようになりました。基本的に今現在までこの形態が維持されています。

 1990(H2)年3月15日改正では、夜間の松阪行特急4本が、初めて桔梗が丘に停車しました。名張市郊外のニュータウンが広がる所です。朝方は上本町行区間快速準急が増発されています。

 1991(H3)年3月19日改正では、朝の始発特急が伊賀神戸始発(桔梗が丘停車)に延長されました。
 日中の急行が増発され、午前中は1時間3本になっています。

 下り列車では伊賀神戸折返しの普通電車が長らく設定されていたのだが、1992(H4)年3月19日改正で全て廃止、青山町まで延長されています。

 1993(H5)年は「第61回 伊勢神宮式年遷宮」の年でした。宇治山田行特急を鳥羽まで延伸しています。
 この年は9月21日にも改正を実施。志摩線複線化によるもので、名張に関わる列車では、午後の鳥羽行特急5往復を賢島まで延伸しています。

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1994(H6)年3月15日改正
「志摩スペイン村」オープン(4月22日)を控え、「伊勢志摩ライナー」(ISL)がデビューした年。
「阪伊甲」「名伊甲」(ノンストップ)特急に毎日2往復(「阪伊甲のみ+週末に1~2往復追加)の設定でした。
(「阪伊甲」は全列車上本町発着に変更(上り1本だけ難波まで運行))
 名張に関わる事としては、一部にあった「名阪乙」の上本町行を全て難波まで延伸した他、鳥羽行特急の賢島延長増、一部の快速急行区間快速急行に変更しています。
 ダイヤ設定においてはこの時期が近鉄特急のピークで、列車走行キロは全線で平日51165.4㎞に達しました。

 次の1995(H7)年3月16日改正は、大阪線では一部列車の増結はあったものの、ダイヤ面での大きな変化はありませんでした。

 皮肉な事に、このあたりから阪伊特急はかげりが見えてきます。
 1996(H8)年3月15日改正では、賢島行阪伊乙特急の一部が鳥羽までに短縮されました。
(特定日に賢島まで運転)

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1997(H9)年3月18日改正
 土曜日のダイヤが、休日と統合されました。
 平日の阪伊乙特急は、ISLを除いて全て特定日のみの運行になっています。
 一般列車は日中の急行が増発され、毎時3本体制が完成しました。

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1998(H10)年3月17日改正
 午後の阪伊甲特急が削減され、ISLが初めて、午後の乙特急に運用、名張にも停車するようになりました。
 また、湯ノ山温泉直通特急が廃止になっています。白子まで、名古屋行に連結される形態でした。
 早朝の青山町行普通が削減されているが、青山町車庫が稼動を始めたため、迎えに行く回送的な列車を減らしたものでしょう。逆に深夜には、名張終着の特急から接続する普通が設定されています。

 1999(H11)年3月16日改正は、名張駅に関わる大きな変更はほとんどなし。
 翌2000(H12)年3月15日になると、運用合理化という事なのか、ULが名阪乙特急にも運用されるようになります。この後改正毎に運用本数が増えていきます。

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2001(H13)年3月22日改正
 朝ラッシュ時の上本町行通勤列車にも手がつけられ、区間快速準急が削減されました。快速急行が五位堂に停車。
 日中の京伊特急がかなり削減されています。
 京伊特急(を含む京都線特急)は、翌2002(H14)年3月20日改正で、丹波橋(京阪乗換駅)に全列車停車になります。

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2003(H15)年3月6日改正
「アーバンライナーnext」デビューの年。ULも順次改装され、「PLUS」として「next」と同仕様になっていきます。
 特急に大きな変化があり、京伊特急が全列車停車になりました。日中は大和八木~賢島で阪伊特急と併結になります。
 日中の阪伊特急は、一部が難波まで延伸し、榛原・大和高田に停車。
 下りは快速急行が美旗に停車して榊原温泉口まで各駅停車となり、上りは急行が河内国分に停車した上で、快速急行の一部が急行に変更になりました。

 翌2004(H16)年3月18日改正では、土休日の賢島行特急2往復が宇治山田までに短縮。
 一部の快速急行区間快速急行に変更になっています。

 2005(H17)年には「愛・地球博」が開催。3月25日改正では、期間中難波発早朝・名古屋発夜間の名阪乙特急を運行。

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2006(H18)年3月21日改正
「愛・地球博」輸送の名阪乙特急が定期化されました。
 平日のみ、ULが阪伊乙特急1往復に運用されるようになりました。
(2009(H21)年3月まで)

 これ以降、名張に限れば、しばらくの間、ダイヤの大きな変動は見られません。
 2009(H21)年3月20日には奈良線と阪神との相互直通が始まり、新特急車「Ace」がデビューしました。
 難波→大阪難波、上本町→大阪上本町に改称。

 2010(H22)年3月19日改正では、平日の阪伊甲特急が全て廃止になりました。土休日のみ下り2本、上り1本運転。
 阪伊乙特急も、鳥羽行の一部が宇治山田行に短縮になりました。
(特定日は鳥羽へ延伸)
「平安遷都1300年祭」の対策で、期間中の休日ダイヤに名古屋~大和西大寺特急が設定されています。
(名古屋~大和八木は名阪乙特急に併結)
 この後も、運行期間を変えながら2013(H25)年まで運行。

 2011(H23)年3月16日改正では、土休日朝方の区間快速が削減されています。

 近鉄全体で利用者の減少が深刻になり、2012(H24)年3月20日改正は大規模で、多少ショッキングな内容になりました。

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2012(H24)年3月20日改正
 近鉄全体で、平均約10%とされる、大幅な減量が実施されました。
 名張関連では、京伊特急が削減、朝夕の計4往復のみ。
(五十鈴川に新規停車)
 一般列車では区間快速快速急行に統合して廃止。快速急行は停車駅を変更、赤目口・室生口大野停車の一方で伊賀上津・西青山・東青山は通過になりました。
(代替で青山町始発の普通を設定)
 一方で区間準急が新設定になりました。
(高安~河内国分準急普通を統合する形)
 下りでは青山町行普通が削減され、日中は急行と合わせて毎時3本。

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2013(H25)年3月17日改正
「しまかぜ」デビューの現行ダイヤです。
 朝方の快速急行準急が削減された他、快速急行の一部が急行に変更になっています。
 これまで、大阪線一般列車の優等列車は、朝夕=快速急行、日中=急行と棲み分けが出来ていたが、このダイヤより、朝方の下り、平日夕方の上りにも急行が設定されるようになりました。
 朝方下りの快速急行は1本のみ。

 以上、本当に簡単ながら、時刻表から、名張駅を中心とした大阪線のダイヤの移り変わりを眺めてみました。もう少し詳しいことを書きたいとも思ったが、多少はしょってしまった部分があるのはご了承下さい。
 全体的な流れとしては、平成に入って90年代半ばを頂点として列車本数は増えていったが、その後ははっきり右肩下がりの傾向が続いている、という所でしょうか。
 特に阪伊甲特急・京伊特急に見られるように、伊勢志摩方面へ向かう特急の不振が際立って目立ちます。
 一般列車も同様に、朝ラッシュ時を中心に削減・列車統合の流れが続いています。
 大阪線は、沿線の絶対人口自体はあまり多くは無いと思うので、今後は現行ダイヤの規模を維持し続けられるかが課題となるのでしょうか。混雑が和らぐのは歓迎としても、行き過ぎてラッシュ時でさえ減便が続くと先行きが不安です。

 ところで、近鉄は毎年3月にダイヤ改正を行ってきているが、今年はどうやら3月には行わないよう。
 3月22日に「Ace」使用の、三宮からの阪神直通団体列車の運行が始まるので、合わせてダイヤ改正をやるのかなあと思っていたのだが。
「ハルカス」オープンがあるので、南大阪線位はやるかと思ったが、それも無いようです。
「しまかぜ」が秋口に1本増備され、京伊系統にも導入されるという事なので、この時点で行うのではないでしょうか。

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 明日・明後日の更新はお休みです。

《今日のニュースから》
徳田毅衆議院議員 議員辞職願を提出

№1126 小田急小田原線 成城学園前駅

 2週続けて、川崎の市内で鉄道の事故が起きてしまいました。
 列車が脱線する程は極端としても、たまに作業員や見張りの人をはねてしまったりする事故が起きたりするので、今一度作業時の手順などの見直しが必要でしょう。
 もっと根本的な部分に問題があるかも知れないが、そこまでの事情は解りかねるので、私は敢えてパスです。運輸安全委員会などの調査でおいおい明らかになるはずだし。

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 高架複々線化で姿を変えた、小田急小田原線の4駅を御覧頂いてきましたが、最後は成城学園前駅です。
 この駅は、ホームは地下に移りました。喜多見検車区への引込み線を分岐しています。
 乗降人員84,738人(2012(H24)年)は小田急全体でも14位。
 千代田線直通ロマンスカー〈メトロさがみ〉〈メトロホームウェイ〉の停車駅でもあります。ただし、通勤車の快速急行が全列車通過の、「逆転現象」が起きています。
 駅上部は駅ビル「成城コルティ」が建ちました。

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 約20年前の旧駅舎、というより北口の商店街から撮った駅界隈、という構図になってしまいましたか。
 旧駅舎は橋上駅舎でした。当時も2面4線の追い抜き・退避駅。


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 南北をつなぐコンコース。
 駅施設は地上部にあります。

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 コンコース上部の吹き抜け。

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 有人窓口。

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 券売機。意外に数が少な目だし、人通りの多さの割には並ぶ人も少ないと思いました。
 ICカード普及のためでしょう。平日日中の時間帯もあろうが、時代が変わったとも思います。

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 コンコースに通じる、中央改札口。

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 精算機。

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 この改良に合わせて、西側にも駅舎が建てられ、バスターミナルが整備されました。
 ただし周辺全体の再開発までは行われていないためか、乗場の完全な統一はできず、一部のバス路線(渋谷駅・二子玉川駅・狛江営業所行)は南口の近くの路上から分散して出発します。

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 西口の改札前。

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 西口の売店。

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 西口の券売機。

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 西口の改札口。遠隔操作で、駅員の姿がありません。

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 従って、西口の精算機にはインターホンが併設されています。

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 改札内コンコース。

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 出発案内表示。

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 ホームのエスカレーター。

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 ホームのエレベーター。

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 地下ホームだが、上下とも待合所があります。

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 ホームの出発案内表示。

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 小田原方の階段の裏にも出発案内表示があります。すぐ目の前です。

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 最後にホーム。2面4線。

 小田原線の複々線化は、代々木上原~梅ヶ丘を残して完成を見ているが、下北沢付近の工事が大幅に遅れているため、未だに充分な機能を発揮できてはいない状態だと思います。
 今回取り上げた各駅の付近は、騒音に関連して大規模な訴訟がが提起され、全国的なニュースにもなってしまいました。
 バブル期の工事着手であり、将来の利用者の減少も指摘される中で、当初の完成予定(1997(H9)年)から20年近くも遅れてしまって、若干タイミングを逸したのではないか、という声もあります。
 しかし、狛江市も含めてだが、各駅停車のみ停車の駅でさえ未だ4~5万人の乗降がある駅がほとんどで、混雑の緩和が進んでいる訳でもなく、線増の意義自体は決して小さくありません。
 従って下北沢複々線化完成後は、このインフラを活用して、量だけでなく、質的な輸送の改善も計られる事が望まれます。
(JRのE233系の乗り入れが行われそうです)

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