前身の武蔵野鉄道から数え、昨年創立100周年を迎えた西武鉄道に関して、関連の書籍物の刊行が相次いでいるが、「ネコ・ムック」の1つとして、写真集が刊行されました。
5部構成になっているが、「ネコ」らしく、全体的には過去の歴史を振り返る古い写真が中心になっています。
特に「2.各駅のあの頃」は、全駅の昔の写真が、一部パノラマ(S30~40年代にパノラマ写真を撮れるカメラがあったのか)も交えて並んでいて圧巻。
駅舎がどこも個性的で、今も残っていれば人気沸騰間違いなしのはずだが、利用者の急増や線路の高架化などでことごとく姿を消してしまったのが惜しい。
都心へ直通する大手私鉄の幹線の宿命なのだろう。
(中村橋はかろうじて旧駅舎の乗降の経験がある)
バスも懐かしいなあ(実物を見た事はないが)。
「4.車両の変遷(戦後編)」では「レッドアロー物語」が独立したコンテンツで取り上げられています。
初代5000系のパンフレットには、西武初の特急専用車両にかける意気込みも感じられるが、初期は本数がかなり少なく、休日は所沢さえ全列車通過なのには少々ビックリ。
小田急ロマンスカーほどではないにしろ、観光偏重になっていた事が伺えます。
一方でASカー(101系)との連結も想定されていたとは、実現していたら南海「サザン」のような、指定席車と通勤車を混結した列車になったのだろうか。
S40年代にそのような形態が構想されていたとしたら、西武は意外に先進的な所もあったのだなあとも感じさせました。
1、2点挙げるとすると、まず写真が多少過去への偏重になっている感があって、現在の各路線の姿をもっと見たかった。
また、数年前までの「西武」というと、世界的なレジャー産業グループのイメージが強く、もちろんここでそれら全てをコマゴマ記す必要はないが、ライオンズに関しては鉄道事業に直接大きな影響を与えている(営業にも施設にも運行にも)のだから、もう少しスペースを割いて、詳細を記しても良かったかも知れません。
今後の西武鉄道に望む事、期待する事としては、まず今一度秩父方面への観光輸送の活性化が図られる事。
秩父鉄道直通の再増強も望まれるが、4000系の4連ユニットは使いづらくなってきているのかも知れません。
また、せっかく歴史的な車両、特にELを相当数保管している(しかもほとんどが原型に近い)のだから、鉄道博物館的な施設の建設・オープン。
横瀬保管の車両に加えて、全国各地に散らばっている保存車両を集めて公開すれば、JRなどに負けない凄いものができるかも知れません。
どこに造るかは課題になるだろうが。
いずれにしろ、地域と共に生きていくと宣言した(と受け取っている)、新生西武鉄道の次の100年はどう変わるのか、注目していきます。
当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
********************
《今日見た・聞いた・思った事》
乗り物とは直接関係なくなるが、中央アルプスの韓国人グループの遭難事故は残念な事でした。
韓国では以前から日本の各「アルプス」が人気だそうで、私自身10年前になるが、北アルプスの涸沢で韓国人パーティを見かけた事がありました。
高齢者ばかりの上、悪天候なのに装備が不十分だった事が原因になりそうだが、韓国は最高峰が標高1,950mのハルラ山(済州島)で、2,000m以上の山がなく、標高の高い山の登山のための装備、と言われてもピンと来なかったのかも知れない。
もちろん地元の日本人だって油断すれば(標高が高かろうが低かろうが)遭難の危機に遭遇する事になります。
お盆が近づいて夏山シーズンもピークを迎えるが、充分な装備の元で臨むよう心掛けて欲しいです。
私自身、改めて自戒したいと思います。
《今日のニュースから》
スノーデン元CIA職員 ロシア入国 亡命1年間