№999 東急東横線 地上時代の横浜駅

 また昔の記録になってしまうが、今回は東急東横線、地上時代の横浜駅です。
 かつての東横線横浜駅は高架駅で、駅ビル「CIAL」に隣接していました。
 2004(H16)年1月30日限りで横浜~桜木町が廃止になると同時に、高架駅も役目を終え、翌日よりみなとみらい線との相互直通開始に備えた地下駅に移転しました。
 そのちょうど10年前、1994(H6)年の東横線横浜駅です。

画像

 西口の駅ビル「CIAL」。
 №314で書いた通り、西口は再開発計画がスタート、「CIAL」は翌2011(H23)年3月を持って閉店しています。
 今日現在では北隣の東急ホテル(→エクセルホテル東急)は取り壊しが完了、引き続き「CIAL」本体の解体が進められている状況です。

画像

 CIAL1階部の券売機。

画像

 改札口。
 自動改札機はまだ導入されていません。

画像

 改札口脇の旅行センター「テコプラザ」。

画像

 CIALの2Fには、直接2番線(上りホーム)に行ける改札口がありました。
 売り場の中に埋もれていて、ちょっと解りづらいロケーションではありました。

画像

 ホームは相対式でした。
 1番線の高島町側から撮影しているが、こちら側には相鉄線の横浜駅改札口前に行ける連絡通路・改札口(降車専用)がありました。
(写真はありません。ゴメンナサイ)

 今回は少々画像数が少なくなりました。
 旧駅廃止後、跡地はJR横須賀線・湘南新宿ライン用の9・10番線ホーム拡幅に一部が利用されました。
 駅の前後に関しては、反町側については№966で書いた通り「東横フラワー緑道」として整備され、高島町側についても利用方法が引き続き検討中のようです。
 しかし横浜駅そのものは、まもなく旧駅ビル取り壊しが完了し、新駅ビルが建設されると、完全に地上時代の面影がなくなってしまう事になります。
 副都心線との相直が始まり、遠方からのお客さんで地下駅ホームはいつも大賑わいだが、10年前には地上に東横線ホームがあったって事を知る人は、どの位いるのでしょうか。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

 当ブログは次回、ついに更新1000回を達成します。
 たいした事ではないが、ちょっとした記念の企画をやります。

《今日のニュースから》
海上自衛隊最大の護衛艦「いずも」 横浜市で進水式

№998 小田急 向ヶ丘遊園モノレール線

画像

「モノレール」というと、黎明期には「遊園地の遊戯的乗り物」というイメージが付きまといました。
 最寄の駅からのアクセスとして建設されたり(横浜ドリームランドや犬山遊園とか)、遊園地内のアトラクション的な乗り物だったり(よみうりランドなど)したのが大半なので、そのようなイメージが持たれたのでしょう。
 東京モノレールや湘南モノレールの例もあるが、本格的に都市交通としてのモノレールが建設されるのは、1985(S60)年開業の北九州以降の事ではないでしょうか。

 小田急が運営していた向ヶ丘遊園モノレールも、典型的な「遊園地へのアクセス」としてのモノレールでした。
 1966(S41)年4月23日に開業(東急田園都市線とほぼ同じ時期)し、遊園地へのアクセスとして四半世紀の間運行されてきました。
「ロッキード式」と呼ばれる、軌道上にレールがある独特の方式でした。
 日本では、他には姫路市営での短期間営業の例があるだけ。
 500形2両編成が1.1㎞の短区間を行ったり来たり。
 運転台付近の形態が独特で、いかにも「遊園地の乗り物」でした。
 川崎航空製造の試作車両を購入したとの事です。

画像

 始発の向ヶ丘遊園駅。
 小田原線の駅南口の広場上にありました。
 北口駅舎と共通性がある「マンサード」スタイルだが、多少安普請かな。

画像

 すぐに、終点の向ヶ丘遊園正門駅。

 例年、冬期の一部期間に定期的に運休期間を設けて検査を行ってきたが、2000(H12)年の定期検査において重大な不具合が発見。
 修復に莫大な費用がかかる事(全体的に老朽化している)、短区間で市営バスや東急バス路線もある事から、結局運転再開ができないまま、翌2001(H13)年1月31日をもって廃止になりました。

画像
画像

 理由が理由だからお別れ運転などはなかったが、正式廃止の後にイベントで車両が公開された他、記念の磁気カード「パスネット」も発売されました。
(モノレールは最初からパスネットは利用できなかった)

 この時期は小田急に限らず遊園地事業自体が全国的に不振で、小田急でも1999(H11)年の御殿場ファミリーランドに続いて、モノレール正式廃線の翌年、2002(H14)年の3月一杯で営業を終了する事になりました。

画像
画像

 この時にも、記念のパスネットが発売されています。
 モノレールも映っているが、2枚目の方はウルトラマンの仮面を被っているのに注目。

 廃線後、軌道はしばらくして撤去されていきました。

画像

 500形を撮影した時と同じ、相生橋の軌道撤去時の様子。
(どちらも歩道橋から撮った)

 向ヶ丘遊園はこの後、ばら苑が川崎市の生田緑地に組み込まれ、後に跡地の整備計画について小田急と市の間で合意。
 また、2011(H23)年には、向ヶ丘遊園正門駅の跡地に「藤子・F・不二夫ミュージアム」がオープンし、登戸駅前からアクセスのバスが運行されています。
 姫路と違って車両も駅も解体され、遊歩道以外にモノレールがあった事をしのばせるものはほとんどないようで、黎明期のモノレールは、地元の人や鉄道ファン以外からは、だんだんと忘れられていくのでしょうか。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

 大韓航空機の新潟空港オーバーラン事故は、発生からまだ間がなく、映像だけではまだ何とも言えないし、言ってはいけないと思います。
 とりあえず大惨事でなくて良かった。

《今日のニュースから》
民主党 「3党合意」協議からの離脱を表明

№997 バスマガジンvol.60(講談社ビーシー/講談社)

 2003(H15)年10月、「バスマガジン」が創刊されました。
 当初は「別冊ベストカー」の扱いで、三推社(講談社ビーシー)と講談社による刊行。
 それから10年となり、ちょうど60号が先月末発売になっています。
 表紙には、vol.30の5周年記念号と、それ以降の各号の表紙が並びました。
 ちょうど、私が運営する本体のWebサイト「日本の路線バス・フォトライブラリー」と同じ年月を歩んできたのか。

◆ バス業界ニュース年表
 その10年間のバス業界の流れを、バス業界以外も含めて年表形式で振り返っています。
(創刊より前の2003(H15)年1月から)
 大きな流れとしては、
1.バス製造メーカーの統合・撤退 
2.韓国メーカーの参入 
3.高速ツアーバスの台頭 
4.地方バスの縮小・再編
5.公営バスの民営化
6.低公害化の追求
という事になるでしょうか。

◆ 路線バスのいる風景 定点観測
 10年前と今の比較。
 東京近郊ばかりで、西日本もあれば良かった。
 東京駅は八重洲口が現在も工事中で、大きなキャンバス張りの屋根が姿を現しているが、あと数年するとさらに変わるだろう。
 桜木町は、旧東横線の跡地は未だ手付かずだが、ビルがかなり増えた…。
 たまプラーザは、比較にもならない。
 過去には横浜市営バスが入っていた事も触れて欲しかったかな。
(横浜市営バスの縮小も、バス業界のこの10年の大きな変化を体現する出来事の一つでもあるから)

◆ 富士山にバスで行こう!
 麓の富士五湖や御殿場は行った事はあって、当ブログでも書いた事があるが、五合目などの麓には行った事がないんだよなあ。
 バスは当然富士急グループ、特に富士急山梨バスが中心になるか。
 周辺へ行く高速バス路線などもあれば良かった。最近、夜行を含め、長距離路線もかなり増えてきているので。
 河口湖駅だと、シーズンにもよるが、富士急グループで路線バスを運営する会社が全部入ります。

◆ 終点までのバス散歩
 新連載で、第1回は西鉄バスの天神→勝馬(志賀島)。
 なんだ、4年前私自身がたどったルートか。
 これについては№105で書きました。
 あの時は志賀島から勝馬までは歩き、しかし思いのほか懐が大きい「島」で、途中でバスに捕まってしまって、時間が少なくなってしまったのが残念でした。
 勝馬付近の集落は、どこか南国チックだったのは印象的でした。
「勝馬」の地名は特徴的だが、由来みたいなものは記されていなかった。

◆ 桐生~足尾 バス巡りの旅
「日本バス友の会」のバスツアーで、モデルさんが同行。
 多少マニアックな所もあるが、解るかな?
 足尾は以前は関東自動車が乗り入れていたのか。
 小屋に書かれた路線図は少々読みづらいが、宇都宮~鹿沼~上粕尾~足尾と走っていたようだ。
(今は峠越えの区間がなくなり、鹿沼~上粕尾~山ノ神が「リーバス」で運行されているようだ)

◆ おじゃまします バス会社潜入レポート vol.60 関東自動車

画像

 関東といいながら横浜からだとかなり遠いのだが、車両のバラエティの豊富だし、宇都宮駅前ではガンガン撮れる魅力的で、好きな事業者の1つです。
 でも鹿沼に行った事がないのは恥ずかしいなあ。
「みちのり」グループになってから経営は持ち直してきているようで、2009(H21)年位までは乗車人員がひたすら右肩下がりだったのが、2010(H22)年以降微増傾向になってきているのは頼もしいと思います。
 震災があった2011(H13)年もプラスになっていて、この傾向が定着できるか。
 ICカードは「PASMO」なのか自社独自カード、どちらだろう。
 車両面では、路線車は大型・中小型共に新規購入と中古導入の並行を続けている模様。
 一度登録抹消された車両を再度復帰させた車両が数台見られるのが興味深い。
「バスマガジン」では、宇都宮市のLRT計画に関しては一切触れられていませんでした。

◆ 路線バス全方位レポートvol.60 福岡県
 全2回の後編は西鉄グループ。
 堀川バス、昭和自動車と福岡昭和タクシー、北九州市営、JR九州バス。
 北九州市営バス独自のICカード「ひまわりバスカード」というものがあるそうだが、今後はnimoca、SUGOCAでも乗れるようになると良いが。
 前号でお願いした、西鉄バス撤退後を引き継いだ非西鉄系の小規模事業者(№359で取り上げた、行橋の太陽交通など)が一切取り上げられていなかったのが、残念でした。

 JR四国バス大栃線で、アンパンマンバス3台が出揃ったそうです。
 前号で紹介された「アンパンマン」に次いで、「ばいきんまん」と「ドキンちゃん」。
 こういう車両が入るという事は、JR四国バスは、一般路線バス事業を継続してくれると、考えていいんですよね?
「リラックマバス」は空港バスにも。
 一方、相変わらず人気アニメとコラボのラッピング車両のデビューも続くが、一度全国にあるこの手の車両をおさらいして並べてみたらウケるのではないか?
 
「次の10年」にむけて「バスマガジン」誌にお願いしたい事は、
1.何度も書いているが、連載が長期休載になったり、いつの間にか終わったりしていたりするので、少し整理した方が良いのではないか?
2.見出しのテキストにもう一工夫を
 硬軟チャンポンになっていたりするのは、「週刊現代」等のの講談社らしいといえばらしいし、画像が多くてライトな感覚で読めるのも、バス趣味誌の新たな地平を開いたものとして評価して良いと考えます。
 その良い点を活かしつつ、さらに改善を期待します。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

 明日・明後日の更新はお休みします。
 来週水曜日、更新1000回を迎える予定です。

《今日のニュースから》
楽天・田中 開幕15連勝達成 プロ野球タイ記録