前々回は名鉄特急「ミュースカイ」、前回は中部国際空港駅の時刻表の変遷を、開業時から簡単ながら振り返って見ました。
今回は今から26年前、「セントレア」開港から18年前に発売された名鉄の時刻表から、当時の名鉄の電車・バスのを研究してみようと思います。
手持ちの名鉄時刻表で一番古いのは、1987(S62)年2月12日改正の第4号です。
B5版で506ページ、消費税導入前で600円。
1992(H4)の新CI「メイテツウィング」マークが採用される前で、赤が基調で若干地味目な表紙でした。
表紙を飾る5700系は前年デビューしたばかりの急行用車両で、家族連れを意識した幅広シートを運転台直後に配置するなど、前面展望に配慮したクロスシート車です。
◆カラーページ
カラーグラビアのトップには「パノラマDX」。
画像は増結後の3連になっているが、デビュー当時は2連。
設備・車内サービスとして「ワイドな前面展望のパノラマ席・2人用で回転可能なロマンス席・グループ用のサロン席」「FM・AMラジオ」「冷蔵庫・おしぼり温蔵庫」「プラズマ式速度表示器」「おしぼりサービス」「車内販売」「車内電話」と歌われています。
今の目では時代遅れにも映るサービスもあるが、名鉄としては初の本格的な座席指定特急専用車でもあり、同車に対する名鉄の意気込みも伺えます。
「広域案内図」に続いて「名鉄電車路線図」があります。
名鉄はこの四半世紀の間に路線が相当数縮小、今現在の路線網からでは当時の運行は思い浮かべない所もあります。
当時の名鉄路線網を作成してみたので、そちらを御覧頂いてから、四半世紀の変化を整理してみます。
「単線・複線」「1500V・600V・非電化」「鉄道・軌道」も分けています。
1987(S62)年当時は鉄道・軌道・モノレール合わせて541.3㎞の路線網があって、私鉄では近鉄に続いて2位でした。
現在は合計442.6㎞なので100㎞、20%近くも削減され、東武にも抜かれて3位になっています。
新線・廃線以外にも駅の変遷が目まぐるしく、特に廃止になった駅が多くあります。
南桜井(西尾線)・美浜緑苑(知多新線)・印場(瀬戸線)は開業前。
一方で東笠松(名古屋本線)・鎌谷(西尾線)・三河萩原(西尾線)・椋岡(河和線)・布土(河和線)・弥富口(尾西線)・学校前(広見線)が廃止になりました。
(他に谷汲線の結城が、廃線より前に単独で廃止)
金山橋は移転して金山となり、JR・市営地下鉄と接続する総合駅になりました。
平田橋も移転して上小田井となり、地下鉄鶴舞線を受け入れる事になります。
ナゴヤ球場前は現山王、新名古屋は現名鉄名古屋、新一宮は現名鉄一宮、碧海堀内は現堀内公園、碧海桜井は現桜井、南成岩は現青山、徳重は現徳重・名古屋芸大前、各務原飛行場は現各務原市役所前、岐阜大学前は現市民公園前、大森は現大森・金城学院前。
他の鉄道は、ゆとりーとライン・リニモ・あおなみ線は開業前。
樽見鉄道・長良川鉄道は転換済みだったが、愛知環状鉄道は開業前、岡崎~新豊田間は国鉄岡多線として営業。
地下鉄は、名城線は大曽根~新瑞橋・名古屋港間の運行で、鶴舞線は庄内緑地公園まで。桜通線・上飯田線は開業前。
その後鉄道・バス沿線の行楽地が「沿線のまつり」「ハイキングコース一覧表」を含めて24ページもあって、観光輸送にかなり力を入れていた事が伺えます。
(現在の名鉄時刻表には、観光地のグラビアはない)
◆名鉄電車時刻表
平日は黄色、休日はピンク色の用紙で、上り→下りの順の掲載でした。
(当時の土曜日は原則平日ダイヤ)
種別は特急(全車指定席)・高速(名古屋本線のみ)・急行・準急・普通がありました。
全体を俯瞰すると、30分サイクルを基本とするのは昔も今も変わらない。
特急・急行系は今より停車駅が少なめなのと、初電が遅くて終電が早いなあと思わされます。
特に幹線の初電・終電は急行・準急という区間が多く(関東の者には非常に物珍しく思えた)、普通電車のみの停車駅だと初電が5時台後半~6時台半ば、終電は22時台後半~23時台前半位になりました。
24時を過ぎて運行される列車は、名鉄全体で僅か4本。
新岐阜22:12(犬山経由) → 24:04東岡崎 急行2334(休日は2392)列車
豊橋22:23 → 24:03新岐阜 急行2313列車
栄生22:56 → 24:02碧南 普通2324(休日は2320)列車
常滑22:45(休日は内海22:20) → 24:03新鵜沼 急行2375E(休日は2375A)列車
※種別は終着時点
名鉄ダイヤの特徴の「特別停車」(基本的な停車駅以外の停車)は今現在も多いが、基本的に2パターンがあげられます。
1.一定の時間帯に全列車、または2本に1本などのパターン的な停車(高速の鳴海など)
2.通勤・通学の便宜を図るための、特定の列車のみの停車(藤川・新日鉄前など)
路線の形態(特に新名古屋が中間駅である事)から生じる複雑な運行形態は、特に平日の朝方で顕著です。
車両運用の都合もあるでしょう。本線系統は基本的に、「○○検車区所属」みたいな事は決まっていないし。
全部はチェックしきれなかったが、多少ユニークな形態としては、
玉ノ井7:05〔普通〕 → 津島(弥富発と連結)8:00 → 須ヶ口8:24〔急行〕 → 新名古屋8:37〔準急 ナゴヤ球場前停車〕 → 9:04太田川 3846~846F列車
三河平坂6:25〔普通〕 → 豊明7:36〔準急〕 → 神宮前8:05〔普通〕 → (犬山経由) → 9:40新岐阜 893列車
が見つかりました。
参考資料として、新名古屋・栄町駅からの時刻表を掲げ、各方面ごとに当時のダイヤを分析してみます。
とても全部は書ききれませんが…。
名古屋本線東部方面
豊橋方面は特急1:高速1:急行1:豊川稲荷行急行1が30分サイクルで、基本線は今と違わない。
これに西尾線直通の特急と急行が加わり、普通電車は豊明まで毎時4本、その先伊奈まで2本の運転。
当時は豊橋発着の普通電車も少数ありました。
名古屋本線全線通しの普通電車はないが、新岐阜発伊奈行の普通電車が平日朝方に2本あり、どちらも3時間以上かかっています。
平日6時05分発豊橋行特急は、<北アルプス>運用前のDC8500形。
他の路線で蒲郡線は、普通電車は大半が新安城まで、日中はさらに毎時1本が急行に変わって名古屋方面(~佐屋)へ直通。
平日朝方は特急に加えて上り1本だけ急行もあり、休日は特急も1時間間隔で走っていました。
後に廃線となる三河線・吉良吉田~碧南間は当時はまだ電車運転、大半が知立、さらに一部が猿投まで直通していました。
常滑線
河和または内海行の特急1:河和または内海行の急行1:常滑行急行1が30分サイクル、普通電車は知多半田行と常滑行が交互で、太田川まで毎時4本。
プラス「パノラマDX」が平日2本・土曜日3本・休日4本。
「特別停車」は、太田川までは名古屋港に面した工業地帯への通勤客の便宜を図ったものと言え、上下とも平日朝方のみ。
一方で7時54分発内海行急行は、富貴までは停車駅が特急と同じ速達タイプでした。
ここには記さなかったが、常滑競艇観客輸送の不定期急行が下り2本(新名古屋始発10時24分・10時54分)、上り2本(常滑15時58分・16時28分発新名古屋行)設定されています。
(金山橋・神宮前・太田川・尾張横須賀・大野町のみ停車)
名古屋本線西部方面
新岐阜行が特急1:高速1:急行2の30分サイクル。
これに津島線直通の急行毎時1本と準急毎時2本が加わり、普通電車は新岐阜行が30分間隔。
特に二ツ杁・新川橋は新名古屋から5㎞も離れていないのに、30分に1本しか停車がありません。
(当時の準急は西枇杷島に停車し、二ツ杁は通過)
伊奈→新岐阜の普通電車も平日朝方に1本あり、951列車は伊奈6:40→(新名古屋9:06)→10:16新岐阜と3時間36分もかかって、表定速度26.3㎞/h。
尾西線は、津島方面⇔玉ノ井間直通運転が少数あり。
竹鼻・羽島線は急行と普通が交互に30分間隔で運転で、羽島市役所前⇔大須間は大半が折返し運転。
犬山線
新鵜沼行特急1:犬山経由新岐阜行急行1:広見線直通急行1が30分サイクル、普通電車は岩倉まで毎時4本、その先犬山まで2本。
プラス「パノラマDX」が平日2本、土曜日3本、休日は6本も設定がありました。
さらに<北アルプス>があり、当時は富山まで運行されていました。
休日は9~10時台に特急が集中、豊橋に蒲郡、ここでは記さなかったが不定期で碧南・豊田市からの直通も設定されています。
新可児直通も2本あり、観光輸送にかなり力が入っていた事が伺えます。
(一方で普通電車は30分、間が空いてしまう)
広見線は、御嵩発着も日中はレールバスの折返し運転、学校前の他、顔戸・御嵩口も2本に1本は通過でした。
小牧線は上飯田での他鉄道との接続はないものの(地下鉄上飯田線開業は2003(H15)年)、朝方~日中には上飯田~小牧間の折返し運転が設定されていました。
瀬戸線(栄町駅)
瀬戸線は平日朝晩が準急:喜多山行普通(上り一部は三郷始発)1:1、他の時間帯は急行:普通が1:2。
この他「600V」線区は、揖斐線は、日中は市内線直通急行:忠節~美濃北方間普通が1:1。
黒野から先は本揖斐・谷汲行とも60分間隔でした。
結城駅は朝方上り、夕方下りとも3本ずつのみ停車。
美濃町線は新岐阜~新関間15分間隔、徹明町~日野橋間30分間隔で、両者は競輪場前~日野橋間が続行運転でした。
(乗り換えは野一色が指定された)
岐阜市内線は全列車の時刻は掲載されていなかったが、長良北町方面の本線は、半数は伊奈波通で折り返していたようです。
豊橋鉄道は新豊橋駅の時刻だけ掲載されていて、三河田原行と大清水行がそれぞれ30分間隔で交互に出発していました。
本文の欄外には各種広告の他、「記念きっぷアラカルト」として、1974(S49)年以降の記念乗車券が紹介されています。
№1は「創業80周年名鉄車両シリーズ記念乗車券№1~3」と「知多新線富貴~上野間間開通記念乗車券」。
№9は「高木守道選手(現監督)引退記念きっぷ」でした。
広告には、今はなき名古屋遊覧バスがありました。市内の他、明治村や長良川に行くコースの設定もあります。
中間のカラー広告には基幹バスと、岐阜バスの広告があります。
岐阜バスの広告には名古屋空港への空港バス(「オバQ」)の写真がありました。
側面に「ダ・ビンチ」のANA、「旧鶴丸」のJAL、当時のTDAのマークが描かれています。
時刻は書かれていなかったが、新岐阜⇔空港(今の小牧)間14往復で、ノンストップ60分という事でした。
名鉄運輸「名鉄宅配便」の広告には市毛良枝が起用されています。
◆名鉄バス時刻表
ほとんど様変わりしてしまいました。
高速バスは名古屋⇔飯田・駒ヶ根間の中央道特急バスと、名古屋⇔京都間の日本急行バスのみ。名神道はかなりコマゴマバスストップがありました。
一方で名古屋⇔金沢間の一般道経由の路線がシーズン中1日1往復あります。
名鉄自体の定期観光バスも、三河湾や犬山でいくつか運行されていました。
空港バスは名鉄バスセンター⇔空港間15分間隔、西春⇔空港間20分間隔、小牧⇔空港間1~2時間間隔と、路線が非常に少なかった。
一般路線も後に廃線になった路線が多いし、知多バスや岐阜バスに譲渡された路線もあります。
◆営業案内
初乗運賃大人110円(現160円)、豊橋~新名古屋間大人840円(現1,080円)、新岐阜~新名古屋間大人430円(現540円)。
当時の特急座席指定券はDX特急500円、他が300円。
(現在の特別車両券「ミューチケット」は350円)
他社の時刻表は新幹線と、名古屋発着の近鉄特急のみ記載。
新幹線は名古屋・岐阜羽島の始発・最終との接続表も掲載されていました。
グループ会社は、現存はしていても、グループからは離れた会社がかなりあります。特に観光バスが少なくなりました。
以上、本当に簡単に26年前の名鉄時刻表を振り返ってみました。
名鉄はこの後、民営化したJR東海道本線に対抗し、特急と高速を統合して一部指定席特急を設定、合わせて一度は種別を統合して、本線は特急・急行・普通の3本建てとしました。
一度は新一宮始発の快速急行(新名古屋までノンストップ)や、知立さえ通過する特急の設定もあったが、結局再度沿線重視のダイヤに転換、停車駅増や普通列車の増発(急行からの格下げもあった)も行われ、さらに支線直通の見直しも行いつつ、セントレア開港を迎える事になります。
四半世紀の名鉄ダイヤの変遷からは、全体的な輸送量が多くない事を前提に、JRやマイカーとの対抗を意識して速達性を維持しつつ、小規模な駅の乗車機会をいかに確保するか、両者のバランスを取る事に苦心しているかが伺えるように思いました。
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《今日見た・聞いた・思った事》
11月の沖縄遠征に向け、航空便の手配をしています。
しかし帰りのANA便(B747-400D)は「旅割60」を確保できたものの … スミマセン、ANAカード会員なので、先行予約・購入を利用させて頂きました … 、往路で予定している、成田からのジェットスター・ジャパン(JST)は、Webサイトでエラーが解消できず、今の所予約、購入ができていません。
この後再度トライしてみるが、一般の報道でLCCのWebサイト予約画面が問題になっているが、JSTに関して、ここまでの所で私自身が「これはどうかなー」と感じたのは、次の3点。
1.国内線なのに、国際線(ジェットスター、ジェットスター・アジア等)と共通の予約画面になっている事。
内際分離のJALやANAの画面に馴れた者には、外国の就航地が日本と同列に並んでいたり、「パスポートと同じスペル」などという文面などでかなり面食らう。
2.受託手荷物は有料になるが、便の予約段階(「フライト・運賃タイプの選択」画面)では含まれていなかった料金が、次の画面でいきなり追加されていて、あれ、料金が違った?と戸惑わせる。
3.「カンタス・フリークエントフライヤーポイント」又は「ジェットスター・フライトバウチャー」の選択が必須。
《今日のニュースから》
マドリード市 五輪招致で「地下鉄マラソン」
№1007 駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷 8.名鉄空港線 中部国際空港駅
私鉄のダイヤを、特定の駅の時刻表から振り返ってみるシリーズの8回目、今回は名鉄です。
前回の「私鉄の車輌シリーズ」では、中部国際空港「セントレア」へのアクセス特急車、2000系「ミュースカイ」について書きました。
セントレアの開港は2005(H17)年2月17日だが、空港線中部国際空港駅は先行して1月29日に正式開業していました。
(前年10月より空港関係職員輸送用として暫定的に営業していたが、一般の利用は不可だった)
今回はこの中部国際空港駅です。
まだ日は浅いが、途中で名鉄の営業政策変更もあり、割と大きな変更もありました。開業日以降、重要と思われる改正の時刻表4枚を御覧頂きます。
2005(H17)年1月29日正式開業
開業時点では、2面2線でした。
名鉄では合わせて全線で列車種別体系を変更、特急・急行・普通の3本立てだったものに、快速特急・快速急行・準急を加えました。
同じ種別名ながら列車ごとに停車駅が異なっていたものを、特別停車駅のパターン毎に分けたものです。
また、新名古屋→名鉄名古屋・新岐阜→名鉄岐阜など9駅の駅名を変更した他、東笠松(名古屋本線)・学校前(広見線)が廃止になりました。
空港線関係では、快速特急(全車特別車で「ミュースカイ」使用)と特急(一部特別車)、急行が30分サイクルで運行。
(普通は大半が常滑折返しのまま)
快速特急は空港・常滑線では完全な新パターンで、神宮前までノンストップ。
特急は日中2本に1本が豊橋発着で、神宮前~金山間を重複運行、金山で進行方向が変わっていました。
急行は大江が正式な停車駅になりました。日中の上りは太田川で快速特急通過待ちと、河和・内海方面からの全車特別車特急に接続。
快速急行は従来の急行を呼び変えただけで、空港線関係は平日朝方の空港行下り1本と、土休日朝方の空港発2本のみ。
利用が好調のため、3月には全車一般車の特急が、最終の急行の後に追加で設定になっています。
このため、「ミュースカイ」を中心に輸送力の増強を図る事になり、中部国際空港駅では、「ミュースカイ」専用の線路が増設される事になります。
(もともと2面4線まで増設できる構造)
2006(H18)年4月29日改正
2面3線となり、「ミュースカイ」は新設の1番線発着に固定されました。ホームドアも設置されています。
特急の所要時間が名古屋~空港間で1~2分短縮になっています。
最終の全車一般車特急に加えて、一部特別車特急の運転時間帯の拡大、夜間の金山行の名古屋延伸が行われています。
一方で夕方にあった快速特急の新可児行編成の連結は取り止めになりました。
普通が午前・夕方の時間帯に常滑からの延伸で乗り入れるようになりました。
この頃名鉄では快速特急・特急の営業政策の見直しを表明、「ミュースカイ」以外は全て一部特別車とする事としていました。
(2200系増備・1600系→1700系改造転用により、1000系(全車特別車4連)を置き換え)
2007(H19)年6月30日改正では、新鵜沼方面~河和・内海方面間特急の半数が一部特別車編成に変更されています。
空港関係では、平日7時台に須ヶ口行一部特別車特急を増発。
下り早朝の一宮発特急が、一部特別車→全車一般車に変更。
2008(H20)年6月29日改正では、空港関係では特に大きな変化はなく、修正程度のみ。
平日夕方の御嵩直通急行が、新可児止まりに短縮されています。
(新可児~御嵩間で終日ワンマン折返し運転開始)
2008(H20)年12月27日改正
名鉄全体の特急営業政策変更の総仕上げとなるものでした。
全車特別車の快速特急・特急は2000系の運行に統一され、愛称の「ミュースカイ」がそのまま種別名称にスライドしました。
全車特別車の列車は、空港アクセスにほぼ特化と言えます。
(ただし、神宮前→新鵜沼間「ミュースカイ」設定が平日23時台に1本あり)
朝方の2000系運用の全車特別車特急は、「常滑・新舞子・朝倉・尾張横須賀・太田川に特別停車するミュースカイ」という形になっています。
夜間は新可児行編成の連結が復活。
特急は豊橋直通が取り止めになり、岐阜行にほぼ統一。
(豊橋5時53分発の下り1本のみ、直通が存続)
全車一般車特急1往復は、停車駅はそのままに快速急行になりました。
一方で土休日朝方の快速急行は急行・準急に変更。
「(特別停車がある)ミュースカイ」「特急」「快速急行」は、名古屋~空港間に関しては、停車駅が全く同じです。違いは編成内容のみ。
急行は大半が準急に変更されました。空港・常滑線では新設定で、大同町・聚楽園にも停車。
普通列車は、午前中の乗り入れがほとんど取り止めになりました。午後も削減。
2011(H23)年12月17日改正
この年の3月26日に先行して改正、暮れに太田川駅の高架化で一部修正が加えられて、現行ダイヤになりました。
3月改正は名鉄全体で減量色が濃く、空港関係では日中の「ミュースカイ」岐阜行が名古屋止まりに短縮されています。
空港行では豊橋から直通の特急が取り止め(犬山始発「ミュースカイ」に立替)、快速急行が増発になっています。
最終の金山行快速急行は岐阜まで延伸の上、特急に立て替えられています。
全車一般車で、名古屋までの停車駅は全く変わらないが、その先須ヶ口・新清洲が通過なのでこのような形にしたのでしょうか。
この他の路線では、河和・内海方面の特急は、日中は全車一般車になっています。
以上、簡単に中部国際空港駅の時刻を眺めて見ました。
空港アクセスの観点でダイヤを見ると、一部一般席の特急が頻発している事で、成田のような有料偏重になっていないことは評価できます。都心までの距離の違いもあるが、前にも書いたけれど、東京都心~成田間でも、同様のタイプの列車が欲しい(特に京成本線)と思いました。
一方セントレアは24時間空港であり、今後LCCの誘致が進むとすると、早朝・深夜のダイヤの充実が求められるかもしれません。
8月のセントレア最終到着は22時55分(福岡発エアアジア・ジャパン8628便)で、今後後を引き継ぐ「バニラ」 … 当初は中部発着はないそうだが … や、ジェットスター・ジャパン、外資等の路線・ダイヤ編成によっては、23時台発車の列車の増発が求められる場面もあるでしょう。ただ、名鉄は全体的に終電が早目の傾向がまだあり、うまく対応できるか。
鳴り物入りだった豊橋直通特急がなくなってしまったが、知多バスの空港バスも廃止になっているし、豊橋の方々はセントレアをあまり利用しないのだろうか?直通列車設定でなくても、南海泉佐野駅のような駅構造(上下線間にもホームを設置)を、神宮前か金山で採用する事で対応できたかも知れません。
空港アクセスは航空便次第になり、名鉄自体の努力も必要だろうが、やはりこの所はやや元気がない航空便(特にJALグループ)が、もう少しがんばって欲しいなあと思います。
航空に活気が戻れば、必然的にアクセスも活気づくはずだから。
空港そのものの話になるが、前にも書いたけれど、セントレアの英文表記は「Central Japan International Airport」としている(名鉄の駅や列車の表記もそう)が、日本語に直訳したら「日本中央国際空港」になって、日本語名の「中部国際空港」と相当食い違う事になります。特に外国人が見たら、どう感じるのだろう?
名古屋は「日本の中央」を自負したいからなのかどこも「Central」の英文を使いたがるようで、JR東海(東海旅客鉄道)も英文社名は「Central Japan Railway Company」としているが、これでいいのかと思うのは、首都圏に住む者の驕り、という事になってしまうのでしょうかねぇ。何か違うと思うが…。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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「直ちに命を守る行動を」とは穏やかな表現ではないが、島根県西部の大雨は尋常ではないようです。
JR線はことごとく止まって、明日も始発から運休となるそうです。
引き続きご注意を…。
《今日のニュースから》
大相撲 初のジャカルタ巡業
№1006 私鉄の車両シリーズ114 名古屋鉄道2000系
リニューアル後も、「私鉄の車両シリーズ」を続けていきます。
今回から、西日本の大手私鉄車両を取り上げます。
まず、名鉄の空港特急車2000系「ミュースカイ」です。
2005(H17)年2月、知多半島常滑沖に中部国際空港「セントレア」が開港し、同時に常滑線を延長する形で名鉄空港線が開業した。
2000系は名古屋市内~セントレア間を主とする空港アクセス特急車として製造され、公募により、「ミュースカイ」の愛称が与えられている。
2006(H18)年鉄道友の会ローレル賞を受賞。
デビュー当初は3連を1ユニットとしていた。IGBT素子のVVVF制御で、2M1T組成ながら、M車は170kwの誘導電動機を3個持ち、実質MT比を1:1としている。
車体は1600系をベースとし、先頭部は展望席を設けず、半自動式の幌連結装置を備えた貫通扉を設けて、全体をポリカーボネイトで覆っている。運転台は右手操作型ワンハンドルで、CCDカメラを設置して視野を確保している。1600系で試用された車体傾斜制御装置を本格的に採用、最大2度傾斜させる事で在来車両より10~15㎞/h速度を向上させた。
車体幅は2,700㎜、建築限界をクリアするため、裾部を絞った形状とした。1,000㎜幅の両開き扉を1両に2箇所設け、「空と海」の爽快感を演出するため、ドア部とスカートを青、他の車体全体は白を基調としたデザインとした。液晶式の行先・種別表示装置を持ち、貫通扉部と先頭車の側面に空港の愛称「Centrea」のロゴを、中間車側面にエンブレムを付けた。パンタグラフは特急車では初のシングルアーム式を採用している。
車内は1,000㎜ピッチの回転リクライニングシートが並び、客室端部に1箇所ずつ荷物置き場を設置。仕切り扉も両開き扉として、その上部に22インチサイズのディスプレイを設けて、列車の情報提供の他、走行時の前方の風景を放映している。中間車モ2050形にトイレ(身障者対応・男子小用各1)・洗面台を設置している。
空港線開業に先立つ2004(H16)年に1・2次合計10編成30両が製造され、2005(H17)年1月29日ダイヤ改正時より、全車特別車の快速特急専用で運用を開始した。名鉄名古屋~中部国際空港間を最速28分で結んでいる。
「ミュースカイ」は運行開始以降利用が好調で、2006(H18)年に3次車として、各編成1両を増結して4連化すると共に、4連×2編成を増備した。トイレを編成中央に置くため、新形式の増結車モ2150形(M1)はMc-Mの中間に連結されている。同形は、編成のMT比1:1を維持するため2個モーターとなった。1・2次車では1人掛け座席を撤去(身障者対応を除く)し、荷物置き場を増設した。また、モ2050形のパンタグラフは撤去され、M1→Mに車種を変更している。
編成単位で増備された2編成(2011F・2012F)は当初からATS-Pを装備した。この2編成は窓配置が若干異なっている。ATS-Pは1・2次車の編成にも装備された。
2008(H20)年12月ダイヤ改正における特急の営業政策見直しにより、全車特別車の快速特急・特急は2000系に一本化、愛称の「ミュースカイ」を正式な種別名称とした。
全12編成48両(日本車輌製)が引き続き中部国際空港~名鉄岐阜・新鵜沼(三柿野)・新可児間で4連、または×2編成の8連で運用されて、犬山で分割・併合する運用も見られる。
【編成】
←中部国際空港方 名鉄岐阜・新鵜沼方方→
Tc 2000 - *M1 2050 - *Mc 2100 (3連デビュー時)
Tc 2000 - M 2050 - *M1 2150 - *Mc 2100 (4連化後)
* パンタグラフ
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル2005年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑」
「同 2006年1月臨時増刊号 【特集】名古屋鉄道」
「同 2009年3月臨時増刊号 【特集】名古屋鉄道」
「同 2009年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑」(以上 鉄道図書刊行会)
「名古屋鉄道 完全データDVDBOOK」(メディアックス)
「週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄08 名古屋鉄道1」「同 大手私鉄09 名古屋鉄道2」(朝日新聞出版)
などを参考にさせて頂きました。
次回のこのシリーズは、近鉄2610系の予定です。
関東地方の者からは異色に見えた、20m4ドアながら全クロスシートでデビューした急行車です。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
この所日本全国各地で天気が不安定のようです。
戸塚もなんだか空からゴロゴロ聞こえてきます。
場所によっては大雨の所もあるようで、十分ご注意を。
《今日のニュースから》
不正アクセス禁止法違反の疑いの記者5人 東京地検が起訴猶予
今回から、西日本の大手私鉄車両を取り上げます。
まず、名鉄の空港特急車2000系「ミュースカイ」です。
2005(H17)年2月、知多半島常滑沖に中部国際空港「セントレア」が開港し、同時に常滑線を延長する形で名鉄空港線が開業した。
2000系は名古屋市内~セントレア間を主とする空港アクセス特急車として製造され、公募により、「ミュースカイ」の愛称が与えられている。
2006(H18)年鉄道友の会ローレル賞を受賞。
デビュー当初は3連を1ユニットとしていた。IGBT素子のVVVF制御で、2M1T組成ながら、M車は170kwの誘導電動機を3個持ち、実質MT比を1:1としている。
車体は1600系をベースとし、先頭部は展望席を設けず、半自動式の幌連結装置を備えた貫通扉を設けて、全体をポリカーボネイトで覆っている。運転台は右手操作型ワンハンドルで、CCDカメラを設置して視野を確保している。1600系で試用された車体傾斜制御装置を本格的に採用、最大2度傾斜させる事で在来車両より10~15㎞/h速度を向上させた。
車体幅は2,700㎜、建築限界をクリアするため、裾部を絞った形状とした。1,000㎜幅の両開き扉を1両に2箇所設け、「空と海」の爽快感を演出するため、ドア部とスカートを青、他の車体全体は白を基調としたデザインとした。液晶式の行先・種別表示装置を持ち、貫通扉部と先頭車の側面に空港の愛称「Centrea」のロゴを、中間車側面にエンブレムを付けた。パンタグラフは特急車では初のシングルアーム式を採用している。
車内は1,000㎜ピッチの回転リクライニングシートが並び、客室端部に1箇所ずつ荷物置き場を設置。仕切り扉も両開き扉として、その上部に22インチサイズのディスプレイを設けて、列車の情報提供の他、走行時の前方の風景を放映している。中間車モ2050形にトイレ(身障者対応・男子小用各1)・洗面台を設置している。
空港線開業に先立つ2004(H16)年に1・2次合計10編成30両が製造され、2005(H17)年1月29日ダイヤ改正時より、全車特別車の快速特急専用で運用を開始した。名鉄名古屋~中部国際空港間を最速28分で結んでいる。
「ミュースカイ」は運行開始以降利用が好調で、2006(H18)年に3次車として、各編成1両を増結して4連化すると共に、4連×2編成を増備した。トイレを編成中央に置くため、新形式の増結車モ2150形(M1)はMc-Mの中間に連結されている。同形は、編成のMT比1:1を維持するため2個モーターとなった。1・2次車では1人掛け座席を撤去(身障者対応を除く)し、荷物置き場を増設した。また、モ2050形のパンタグラフは撤去され、M1→Mに車種を変更している。
編成単位で増備された2編成(2011F・2012F)は当初からATS-Pを装備した。この2編成は窓配置が若干異なっている。ATS-Pは1・2次車の編成にも装備された。
2008(H20)年12月ダイヤ改正における特急の営業政策見直しにより、全車特別車の快速特急・特急は2000系に一本化、愛称の「ミュースカイ」を正式な種別名称とした。
全12編成48両(日本車輌製)が引き続き中部国際空港~名鉄岐阜・新鵜沼(三柿野)・新可児間で4連、または×2編成の8連で運用されて、犬山で分割・併合する運用も見られる。
【編成】
←中部国際空港方 名鉄岐阜・新鵜沼方方→
Tc 2000 - *M1 2050 - *Mc 2100 (3連デビュー時)
Tc 2000 - M 2050 - *M1 2150 - *Mc 2100 (4連化後)
* パンタグラフ
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル2005年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑」
「同 2006年1月臨時増刊号 【特集】名古屋鉄道」
「同 2009年3月臨時増刊号 【特集】名古屋鉄道」
「同 2009年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑」(以上 鉄道図書刊行会)
「名古屋鉄道 完全データDVDBOOK」(メディアックス)
「週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄08 名古屋鉄道1」「同 大手私鉄09 名古屋鉄道2」(朝日新聞出版)
などを参考にさせて頂きました。
次回のこのシリーズは、近鉄2610系の予定です。
関東地方の者からは異色に見えた、20m4ドアながら全クロスシートでデビューした急行車です。
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この所日本全国各地で天気が不安定のようです。
戸塚もなんだか空からゴロゴロ聞こえてきます。
場所によっては大雨の所もあるようで、十分ご注意を。
《今日のニュースから》
不正アクセス禁止法違反の疑いの記者5人 東京地検が起訴猶予