№988 思い出の海外旅行クロニクル 8.1997年オランダ5
オランダの旅も終わりが近づいています。
あと一日、アムステルダムを基点としてNS路線を乗り歩きます。
翌日はブリュッセルまでIC、さらにTGVへ乗り継いでパリへ向かい、JAL便で帰国の途に。
1997年 6月29日(日)
その前にしつこく、スキポール空港展望デッキで、短時間ながら旅客機の撮影をしました。
その中から1枚だけ。
大分前にも御覧頂いたが、改めてデルタ航空のL-1011-500「トライスター」。
またすぐ曇り空になってしまって、空港の撮影を終え、列車の旅に戻ります。
エンスヘーデ行列車は中央駅は経由せず、郊外のZuid駅を経由していきます。
かなり最近の路線のようで、駅はどこも相当斬新でした。
アムスフォートでハーグからの列車と連結。
ドイツ国境に近いエンスヘーデ駅は、平屋建てながらユニークなスタイル。
駅前には、広々としたバスターミナルも整備されていました。
エンスヘーデからバックして、ズトフェンへ向かう路線の車窓。
列車は「犬の鼻電車」ならぬ、「犬の鼻DC」。
さすがに昨日乗ったDC列車と比べると、ゴツゴツした乗り心地でした。
ズトフェン駅。
ここでウィンタースウェイク行のDCに乗り換え。
ユニークな表情の、ウィンタースウェイク行DC。
ウィンタースウェイク駅では、アーネム行の路線と接続。
しかし、こちらは10分少々遅れて着いたのだが、ダイヤ上は接続するアーネム行の列車が、赤い尾灯をつけて遠ざかって行くのが見えました。
ローカル列車同士だと待ってくれないの?
他にも乗り継ぎ客らしい人はいたようだが。
1時間後にズトフェンからの列車が来たが、今度はアーネムからの列車が来ない。
ズトフェン行はアーネムからの列車を待たずに出て行きました。
アーネムへ行く列車は、30分近く遅れて到着、すぐ折り返して出発。
雨が相当激しく振り出した。
雷鳴も轟き、景色が白っぽい。
アーネム駅。
デザインが、どこかエンスヘーデに通じるものを感じました。
アムステルダムに向かう途中、左手に現れた大スタジアム、「アムステルダム アレナ」。
オランダプロサッカーチームの名門「アヤックス」のメインスタジアムで、屋根開閉式。
オランダ最後の晩はホテルに宿泊。
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1997年 6月30日(月)
オランダ最後の列車は、ベルギーのブリュッセルに向かうIC。
マークで解る通り、ELがベルギー、客車がオランダで、黄色+茶色の専用編成。
プッシュプルトレインで、最後部にも運転台があります。
IC客車の2等車車内。
ICからの車窓。
2日間滞在したハーグからロッテルダムを経由し、ルーセンダールを過ぎると、右側から左側通行に変わって、ベルギー領内へ。
車窓はオランダとあまり変わらないと思うが、駅付近の街並みは、オランダと比べるとどこか「崩れて」いるようにも見えた。
アントワープ中央で方向転換し、ブリュッセル・ミディ駅は10分程度遅れての到着でした。
TGV乗り継ぎ。
パリ行のTGV9336列車。
2ユニット併結。
「タリス」かと思ったのだが、他の路線と同じ銀色系の編成でした。
後の席の乗客は日本人の女性で、朝日新聞の衛星版を読んでいたが、一面には、神戸で起きた連続児童殺傷事件の犯人である中学生が逮捕されたと、大きな見出しがありました(いわゆる「酒鬼薔薇聖斗」の事件)。
外国人の男性と英語でオシャベリしていて、時々「ホンコン」とか聞こえていたから、あるいはジャーナリストだったのか?
フランスの高速新線に入り、並走する道路のトラックを、並ぶ間もなく抜き去っていきます。
フランスの田舎は、オランダとも、ベルギーとも少し違う。
2時間弱でパリ北到着。
実はこの列車は1cl利用でした。
食事のサービスがあるとかどこかで聞いていたのだが、勘違いだったようです。
これだったらどこかでBARに行けば良かった。ちょっと失敗。
シャルル・ド・ゴールへ向かうRERはターミナル2まで延伸されていました。
ガラス張りのドームの、半地下駅。
この時点でのJAL便は、ターミナル2のAから出発になっていました。
コンコルド!!
先ほど「ホンコン」と言ったけれど、1997(H9)年7月1日は、香港がイギリスから中国に返還される日でした。
現地7月1日午前0時は、フランスでは6月30日の18時、ちょうど今の時間。
カフェテリアのTVでは、ちょうど返還の様子を伝える報道特番が放映され、注目するお客さんも少なからずいました。
シャッターを切ったのは、ちょうど返還の瞬間だったはずです。
いよいよ帰国便。
JALのパリ便は、既にB747-400に置き換わっていました(JA8073)。
今回はあいにく窓側も通路側も確保できず、54B席は窓側が外国人のおばあさん、通路側がラフな格好の女の子で、少々肩身が狭い…。
出発は定刻だったが、離陸が10番目になり、15分後になるとキャプテンアナウンスがありました。
この後の「クロニクル」でも書く事になるはずだが、CDGって、離陸までにすごく時間がかかる事が多いんだよね…。
先にANA便が離陸していくのが見えました。
こちらの離陸は、結局、出発から46分後…。
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1997年 7月 1日(火)
時計を調整して日本時間に合わせると、もう日付が変わる事になります。
エコノミークラスのキャビン。
離陸後の食事。
左側のご婦人は全部平らげて、日本茶を何度もお代わりしていました。
右の女の子はほとんど食べていない…。
従って、飛行中の景色はこの一枚だけ。
通路に出て、扉の窓から撮影したもの。
夜間飛行だがそこは真夏のシベリアルート、真っ暗になる事はありませんでした。
到着前の食事(朝食)。
まあ、定番的なメニューです。
成田空港は、ほぼ定刻の到着。
お疲れ様でした!
今回の「クロニクル」はやや駆け足になってしまいましたか。
後1回、オランダNSの車両とアムステルダム駅を御覧頂いた後、当時感じたオランダの鉄道全般にの印象について記して、終わりとしたいと思います。
ただし、明日・明後日の更新はお休みします。
当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
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なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
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《今日見た・聞いた・思った事》
参議院選挙も大詰めが近づき、選挙戦は明日で終わり、明後日投票で、次の更新の月曜日には参議院の新体制が決まっているはずです。
日中は仕事で街中にいなかったからなのか、「ネット選挙」のおかげなのか、街宣車の騒音に悩まされる事がほとんどなかったのは、まあほっとさせられた所ではあります。
ところで今回は、小規模ながら異変がありました。
選挙になると街中を走るバスでは、フロントに投票日を知らせる幕が掲げられるのが普通だと思います。
ところが今回、横浜市営バスは、幕が一切ありませんでした。
横浜市営はこれまでは国政や統一地方選などはもちろん、市議会の補欠選挙レベルでも、該当する区にある営業所の車両では幕が掲げられていました。
これは一体どうした事なのでしょうか?
隣の川崎市営バスは幕を掲げていましたが…。
デトロイト市が財政破綻しました。
負債総額1兆8000億円、6年前の夕張市とは2桁も違う、巨額の破綻です。
デルタ航空が成田・中部~デトロイト間をデイリーで飛んでいるが、このまま維持できるのかなあ?
《今日のニュースから》
横綱白鵬 13連勝で優勝決定 優勝回数26回は史上3位