№983 思い出の海外旅行クロニクル 8.1997年オランダ2

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 オランダといえば「風車」だが、いくつかの町には、風車や歴史的民家を集めた地区があります。
 この日はアムステルダムの北、ザーンセ・スカンスを訪れました。
 翌日はアイセル湖に面した、ホールン~メデムブリュック~エンクハウゼンの周遊ルートをSL列車と船で巡り、次の目的地・ハーグへ向かいます。

1997年 6月23日(月)

 ザーンセ・スカンスまでは、アムステルダム中央から列車で1時間弱程度。
 コーフザーンダイク駅で降りて、ザーン川を渡っていきます。
 

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 ザーン川に面した風車群。

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 内部も公開されていて(3.5NLG)、ドン!ドン!ドン!トトトト…と、威勢の良い音がこだまする。

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 天気が相変わらず悪くて画像が見づらいと思うので、絵葉書も合わせて御覧頂きます。
 こういう風景画、いいと思うなあ。

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 ザーンセ・スカンスには、風車の他にもいくつか見所があります。
 これは時計博物館(5NLG)。

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 中にはこのような古時計がたくさん並んでいます。
 文字盤に凝ったものが多いよう。

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 チーズの実演販売をする工房も。
 ミルクはクセがなくておいしい。
 色々欲しいなあと思うみやげ物が少なくないのだが…。

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 パネクック(パンケーキ)。

 アムステルダムに戻って、最初は東部・ドイツ国境のエンスヘーデに行ってみるつもりだったが、どうした事か、電車が来ない。
 60分間隔運転なのだが、14時06分発も、15時06分発も姿を見せず、駅のソラリーも表示が消されてしまった。
 アクシデント発生は間違いなさそうだが、事情が解らず、今日は見合わせ。
 今日残りの時間は、市内を巡ってみます。
 名所をいくつか。

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 王宮。

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 ムント塔。

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 アンネ・フランク像。

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 マヘレの跳ね橋。

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 もう一枚、アムステルダム市電の走行風景。

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1997年 6月24日(火)

 ホールンとメデムブリックの間には、SLの保存鉄道が運行されています。
 ホールンも、アムステルダムの北に位置していて、電車で40分程度。

 
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 その保存鉄道のホールン駅。

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 機関庫の中は、自由に見学して良いようでした。
 ピカピカのブルーのSLとツヤツヤの木造客車、また別の箱型SLがいて、その奥では客車を分解して修理が行われていました。
 およそ「ハイテク」の4文字とは無縁な世界でした。

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 出発の11時05分が近づくにつれて、三々五々お客さんが集まってきました。
 おじいちゃんおばあちゃんが大半と見えたが、平日ながら家族連れの方の姿もありました。
 この時期のオランダの特徴なのか、空模様の変化があまりにも急で、さっきは青空が広がっていたのに、また曇り空。

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 メデムブリックへ北上していくが、ひたすら田園地帯。

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 小型客車6両のうち、1両ビュッフェ車輌を加えています。

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 その車内。
 ミニバー(車内販売)も回っているので、利用者がほとんどいないのが残念でした。
 コーヒー2.5NLG(約150円)。

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 途中のトゥイスクで、15分停車。
 ほとんどのお客さんが降りて一服したり、記念撮影したり。
 改めてSLを見ると、本当にピカピカだ。

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 メデムブリックが近くなると、ここでも風車が出迎えてくれます。

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 終点のメデムブリック駅。

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 天候が冴えなかったし、本当はこんなロケーションなんだよ、という所で、絵葉書を御覧頂きます。

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 エンクハウゼンへ行く観光船。
 といっても普通のボートに近いが。

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 メデムブリック出航。

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 船内は、1階がレストランのような感じ。2階は、半分がキャビンで、半分はオープン。
 レストランで昼食。

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 アイセル湖は、思ったより濁った感じがしました。
 たくさんのヨットや帆船が見えるのは爽快だけれど、青い空と黒い雲が頭上に同居していて、なんだかスッキリしない。

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 エンクハウゼンの時計塔は65mあるそうです。

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 NSのエンクハウゼン駅。
 メデムブリックからの船はすぐ目の前に着きます。

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 エンクハウゼンの絵葉書。

 ホールンまではNSで戻ります。

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 NSのホールン駅。

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 ホールン-(保存鉄道SL)-メデムブリック-(船)-エンクハウゼン-(NS)-ホールンのルートは周遊観光ルートとして、セットの乗車券も発売されています。
 25NLG(約1500円)。

 3日間、アムステルダムとその近郊を中心に巡りました。
 そろそろ次の場所に向かいたいと、ハーグ行に乗り込みました。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

 次回はハーグの路面電車、その後はマドローダム…になるのですが、明日と明後日は、関西に出かけてくるので、更新をお休みします。
 また、金曜日は違う事を書く予定、その後土曜日~月曜日もまた更新をお休みとする(15日(月)は本体更新の予定)ので、「クロニクル」の続きは、来週火曜日とさせて頂きます。

《今日のニュースから》
東電福島第一原子力発電所 吉田昌郎所長 死去

№982 思い出の海外旅行クロニクル 8.1997年オランダ1

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 1992(H4)年以来7回のヨーロッパ旅行を経験し、前年1996(H8)年にはヨーロッパ(ユーレイルパス通用17ヶ国)全てを巡る旅も行いました。
 それを踏まえ、この1997(H9)年から、当時のユーレイルパス通用17ヶ国の鉄道を1ヶ国ずつ、じっくり乗り歩く旅を始める事としました。

 今のユーレイルパスは「グローバスパス」などシステムが変わり、通用国も増えているが、改めて当時の通用17ヶ国を記してみます。

(南部)フランス・スペイン・ポルトガル・スイス・オーストリア・ハンガリー・イタリア・ギリシャ
(北部)ドイツ・オランダ・ベルギー・ルクセンブルグ・アイルランド・デンマーク・ノルウェー・スウェーデン・フィンランド

 あくまで便宜的に、北緯48度線を目安として南部と北部に分けました。
 年2回(予定)の内、夏は北部の国、冬は南部の国に行きます。
 これで8年半かけて全部巡れるはず … でしたが、21世紀に入り、私生活がかなりゴタゴタして、結局去年のフランスまで、15年もかかる事になりました。
(フランスについては2回に分ける事となり、当ブログで書きました)
 それと、プランニングにおいていくつか、統一した決まり事を作りました。

1.旅の終わりは国境を越えて別の国から帰る事。
 別の国に移動する事で、改めてその国の鉄道の特徴が見えてくるだろう。
(なお、移動先はユーレイルパス通用国でなくても良いし、移動手段は鉄道でなくても良い)
2.物見胡散の時間も少しは作る事。
3.鉄道の博物館があるなら、そこも訪れる。

 また、当然ユーレイルパスではなく、自国のみ、または近隣数ヶ国で利用できるパスを利用します。
(出発前に購入する必要があるものと、現地で購入するものがある)

 第1回はオランダとしました。
 前年に初めて訪れたばかりで、鉄道にはほとんど乗っていなかったから。

1997年 6月21日(土)

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 アムステルダム行JAL411便は、いつものMD-11が、この日はB747-300でした。
 JA8179は、1992(H4)年の初めての海外旅行の時のパリ行に乗っています。
 本来11時30分出発の所、離陸の許可が出ないとのキャプテンアナウンスもあり、47分遅れで出発。

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 第1ターミナルのサテライトにいたBA機。
 当時は新CI導入と同時に、尾翼のデザインを1機ずつ変えるという試みを行っていました。
 左には、今はなきNW機。

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 R/W34から離陸、一路日本海を目指します。
 霞ヶ浦、手前はJRAの美浦トレーニングセンター。

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 小山市。

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 シベリア。

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 JA8179は、5年前のパリ行に搭乗した時はFCYの3クラスだったが、今回搭乗時にはCY2クラスに改修されていました。
 エコノミークラスは特に変化がないみたい。

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 離陸後、最初の食事。

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 リフレッシュメントとして、オニギリとお茶。

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 到着前の食事。
 和洋折衷でどこかチャンポンな感じ。

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 スキポール空港に向けてする途中、見下ろす農村地帯が美しい。
 直前のアナウンスでは、アムステルダムは曇りと言っていたが、結構晴れ間も広がっています。

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 ワール川だと思う。
 河口に広がる大都市はロッテルダムか。

 スキポール空港は20分遅れで到着。
 30分近くは詰めました。

 スキポール空港のターミナルにも展望デッキがある事は、去年もここに来ているから解っています。
 何しろヨーロッパの夏はかなり遅くまで明るく、しかも空港上空は奇跡的に晴れているので、ホテルに向かうまでの間、しばらく旅客機の撮影を楽しみます。
 ホテルも空港のすぐそばだし。
 当然KLMオランダ航空が中心だが、それ以外のキャリアの画像を並べてみました。

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ロイヤル・ヨルダン航空 L-1011

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アトラスエア B747-200F

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トランザビア B757-200

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マーチン・エア B747-200C

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イージー・ジェット B737-300

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オーストリア航空 MD-81

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 20時前、JALのB747が成田に向けて出発して行きました。
 今日はここで終わり、ホテルに向かいます。

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1997年 6月22日(日)

 ツーリストトラムとクラシック電車に乗るのがこの日の目的だが、朝っぱらは懲りずにまた空港へ。
 1時間だけになりました。

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 改めて、展望デッキからの空港。
 KLMとNW機が並んでいます。
 当時はまだワールド・アライアンスの概念は希薄だったが、この両社は以前から広範囲な提携を行っていて、共通のシンボルマークもありました。

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エア・トランザット L-1011
 カナダの会社。

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 スキポールには、NCAのB747-200Fも乗り入れていました。

 最初は青空が広がっていたのに、何か突然雲が広がって、雨もパラついてきました。
 この後もそうだが、オランダの空模様は非常に不安定。
 空港駅でパスを購入し、電車でアムステルダム中央駅へ。

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 アムステルダム市中心部を一周して走る、ツーリストトラム。

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 通常の市電の乗車券では乗れず、別に乗車券が必要です。
 10NLG(ユーロ導入前で、通貨はギルダー)は、当時のレートで約600円?

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 ツーリストトラムの車内。
 木製のベンチのようなイスなので、座り続けるとやはりしんどい。

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 さすがはアムステルダム、どこを走っても河と出会う感じ。
 ガラス張りの近代的なビルというのは、ほとんど見られませんでした。

 もう一箇所、郊外のハールレムメーアとボーフェンケルクの間を走るクラシックな市電(保存鉄道)を訪ねます。
 元は私鉄の路線だったらしい。

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 507号。

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 352号は、プラハで作られたみたい。

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 41号。

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 ハールレムメーア駅。

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 駅舎内では様々なグッズが並んでいて、目移りしそう…。

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 もう一方の終点、ボーフェンケルク。
 この路線は確か休日のみの運転だったと思う。20分間隔。
 乗客は家族連れと、高齢の方々が大半でした。

 本来の市電は、今回は乗らなかったのだが、走行シーンを撮ってあるので、2枚御覧頂きます。

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 2枚とも具体的な撮影場所が解らなくなってしまって、申し訳ありません。

 アムステルダムではYHに2泊、翌日は郊外へ行きます。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 どうもこの数ヶ月、日本の内で外で、大小さまざまな交通関係のアクシデントが頻発していて、気が滅入ってしまいます。
 サンフランシスコの事故に関しては、FDR・CVRが共に早々に回収されているし、昼間に起きて目撃者も少なくないようだから、割と早目に原因が究明されるだろうと思います。
 機体が着陸直前に失速した事自体は間違いなさそうで、失速に至る過程が問題になるでしょう。
 カナダ・ケベック州の貨物列車の爆発も凄まじく、以前にも書いたが、USAも含めた北米大陸は危険物を大量に運ぶ貨物列車の往来が少なくなさそうで、一旦事故になると町全体を巻き込んで、あっという間に大惨事になってしまうので怖いなあ。
 JR北海道の特急(183系)の発火も、一昨年のダメージが癒えていないのに連続して起きてしまって、経営状態が厳しいのだろうが、こうなるといつまでも使用し続けてはいられないのではないか。
 ディーゼル特急への依存度が高いので、今後多少無理してでも新型導入を積極的にやらないといけないのでは…。
(<スーパー北斗15号><北斗4・5・8・11・14・19・20号><サロベツ>が当分の間運休と発表。<北斗17号>が281系代走か?)
 どの事故も今後おいおい原因が究明されるだろうが、しつこいけれど、どの乗り物でも、安心して乗りたいです。 

《今日のニュースから》
エジプト 大統領支持派vs治安部隊が衝突 42人死亡

 そもそも、いくら大統領に不満だからって、軍の「クーデター」に市民が歓喜するのは、一日本人の目には、それで良いのか?と感じてしまいます。
 そんなにはしゃいでいいの?

№981 私鉄の車両シリーズ112 上田電鉄7200系

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「私鉄の車両シリーズ」、今回は上田電鉄7200系です。
 4年前に乗車した事は、№63で書きました。

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 上田電鉄(上田交通)7200系は、1993(H5)年に東京急行電鉄(東急)からの購入により導入した通勤車で、20年に渡り別所線を走り続けている。

 母体の東急7200系は、1967(S42)年より製造された通勤車である。
 日本初のオールステンレスカーとして知られる7000系の後継車両で、全M方式で製造された7000系に対し、経済性を重視してMT比1:1とした。
 車体幅は2,744㎜とわずかに狭く、先頭部は「く」の字型の「ダイヤモンドカット」が特徴的。
 側窓は一段下降窓を初採用した。
 電機品は東洋製と日立製があり、番号で区分されている。
 車体は7000系同様のオールステンレスだが、途中アルミ試作車両が2両製造されている。
 当初は田園都市線や大井町線、後には中間電動車を増備して東横線でも運用された。
 1972(S47)より冷房車となり、在来車も順次改造されている。
 後に池上線や目蒲線に転用され、一部はVVVF制御の7600系に改造された。
 余剰車両は1993(H5)年より地方各私鉄への譲渡が行われている。


 上田交通の7200系はその地方譲渡の第一陣で、車両冷房化のため2連×5編成を購入、同じく東急から譲渡されていた5000系を一掃した。
 入線当初は緑の帯を巻き、一部車両の改番を行ったが、ほぼ東急時代と同じ仕様で営業運転に入った。
 1997(H9)年にワンマン化改造を行っている。


 7253Fは2005(H17)年1月より、1986(S61)年の昇圧時まで在籍したモハ5250形を模したデザインを施された。
 5250形は戸袋窓が円形だった事から「丸窓電車」の愛称があり、白+紺色の旧塗装を復刻した上で一部の窓部に円形のラッピングを施し、イメージを再現している。


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 車内も化粧版に木目調のフィルムを貼って、座席のモケットも交換し、レトロ調を演出している。
 続いて7255Fも同様の改装を受け、共に「まるまドリーム」の愛称を得ている。
 同年10月の鉄道部門分社を機に、残り3編成の内2本は帯の色を白+紺色に変更、1編成は帯を撤去した。


 2008(H20)年より再び東急より池上線で運用されていた1000系を導入、7200系の置き換えが行われている。
 改装を受けなかった3編成は、2009(H21)年までに廃車となった。
 1編成は豊橋鉄道に再度譲渡、1編成は東急車輛製造(総合車輌製作所)に譲渡されて牽引車に転用された。
 現在「まるまドリーム」として残る2編成が、1000系3編成と共通で運用されている。


【編成】
←上田方     別所温泉方→
 Mc7200* - Tc7500
* パンタグラフ

 今回の記事は
「ローカル私鉄車輌20年」(寺田裕一/JTBキャンブックス)
「東急ステンレスカーのあゆみ」(萩原俊夫/JTBキャンブックス)
「鉄道ピクトリアル2011年8月臨時増刊号 【特集】路面電車」(鉄道図書刊行会)
「週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄22」(朝日新聞出版) 等
を参考にさせて頂きました。

 次回は多摩都市モノレール1000系です。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

 明日・明後日の更新はお休みです。
 月曜日から、1997(H9)年6月のオランダ旅行について書きます。

 JR東日本が、東北・秋田新幹線の9月1日ダイヤ改正についてリリースしました。
 E5系・E6系追加投入により、<はやぶさ>+<スーパーこまち>の設定を3往復増。
(<はやて>+<こまち>からの立て替えであり、トータルの本数は変わらない)

《今日のニュースから》
アフガニスタン駐日大使 栃木県下野市の幼稚園を訪問