№974 1994年 加越能鉄道万葉線の駅

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 昨日の「私鉄の車両シリーズ」では、富山県の万葉線を走るMLRV1000形を取り上げました。
 万葉線は2002(H14)年4月、廃線を表明していた加越能鉄道(加越能バス)から路線を引き継ぎ、今現在に至るまで近代化を推し進めています。
 この万葉線には、19年前の1994(H6)の加越能鉄道時代に初めて訪れ、全駅(停留所)の写真を撮影しました。
 今回は、当時の万葉線の駅を全て御覧頂きます。
「万葉線」は愛称で、正式には高岡駅前~六渡寺の高岡軌道線と、六渡寺~越ノ潟の新湊港線に分かれています。
 いずれも、純粋な路面電車とは異なり、ローカル色が濃い路線です。

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高岡駅前 たかおかえきまえ

 末広町は、当時はなし。
 万葉線転換後に新設になりました。

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片原町 かたはらまち
 交換可能だが、安全地帯がありません。

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坂下町 さかしたまち
 ここも安全地帯なし。

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本丸会館前 ほんまるかいかんまえ
 ここも安全地帯なし。
 歩道に「電車のりば」の小さな標識があります。

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広小路 ひろこうじ
 ここから複線区間。

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志貴野中学校前 しきのちゅうがっこうまえ

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市民病院前 しみんびょういんまえ

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江尻 えじり

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旭ヶ丘 あさひがおか

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萩布 おぎの

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新能町 しんのうまち

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米島口 よねじまぐち
 ここに、昔も今も万葉線の車庫が置かれています。
 複線区間はここまで、ここからは単線。

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能町口 のうまちぐち

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新吉久 しんよしひさ

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吉久 よしひさ

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中伏木 なかふしぎ

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六渡寺 ろくどうじ
 ここから高岡軌道線より、新湊港線になります。
 新湊港線は、かつては富山地方鉄道射水線で、富山新港建設により分断され、加越能鉄道の運営になりました。
 法規上は鉄道になります。
 それにしては、どこか中途半端な感じがする駅、というか停留所、というか。

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庄川口 しょうかわぐち

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新湊市役所前 しんみなとしやくしょまえ
 市町村合併により、現在は射水市新湊庁舎前(いみずししんみなとちょうしゃまえ)。

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新町口 しんまちぐち

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中新湊 なかしんみなと
 15分間隔運転の内、日中の半数はここで折り返していました。

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東新湊 ひがししんみなと

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海王丸 かいおうまる
 帆船の「海王丸」を展示する「海王丸パーク」の最寄り駅として、1990(H2)年4月、越ノ潟口駅が移転しました。

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越ノ潟 こしのかた
 駅の向かいには無料の県営のフェリーの乗場があり、対岸の新港東口までを結んでいます。
 新港東口からの射水線はかなり前に廃止となり、富山駅までは富山地方鉄道のバスが結んでいます。

 ちょっと駆け足になったが、加越能鉄道の駅を御覧頂きました。
 万葉線となって電停の整備(安全地帯の設置とか)等の近代化は進んでいますが、まだ昔ながらのムードは存分に訪れています。
 昨年、転換10周年を迎えた万葉線、次の10年でどう変わるでしょうか。
 まずは末永く、運行が継続される事が望まれます。

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《今日のニュースから》
オーストラリア労働党 党首選挙 ラッド首相が勝利

 現在の女性首相のギラードさんは退陣、という事になります。