№962 思い出の海外旅行クロニクル 7.1996年ヨーロッパ一周大旅行5
アイルランド2日目。
夜にフェリーでフランスに渡る予定だったが、事情により予定を変更、最初は全然考えていなかったユーロスターに、初めて乗る事となりました。
いつか乗りたい、とは思っていましたが、若干ドタバタした状況でした。
1996年10月25日(金)
朝のダブリン・ヒューストン駅。
中心部に近いコノリー駅と違って、南部方面への列車が発着する、多少ローカル色が濃いターミナルです。
まず、近郊のキルデアまで、ローカルDC列車で往復してみます。
アイルランドらしく、緑が多い農村地帯。
キルデア駅。
前日通過した、コークからダブリンへの幹線の途中にあります。
ローカル列車だと、1時間弱、位か。
駅そのものは町外れにあるのか、少々寂しい。
駅前にマイカーが多いので、利用は多いはずだが。
キルデア駅のホーム。
多少カーブがかかった緑色の跨線橋は、アイルランド全体の駅の特徴と言えます。
また大陸と違って、ホームが日本同様高くなっています。
5分ほど歩くと街の中心だろうか。
石積みのどっしりした教会が建っていました。
1時間後の列車でダブリンへ戻ります。
ダブリン~キルデア間で運用されている、DC2連。
2600形、とでも言うのか。
この車両、実は日本の東急車輛で製造されました。
プレートが車内の端部にあります。
クロスシートの車内。
一角には車椅子スペースがあるのも、日本風?
ダブリン・ヒューストン駅に戻ってきました。
午後はリメリック経由でロスレアへ。
この日はどうやら特別ダイヤらしく、本来のリメリック行はコーク行になり、リメリック行はリメリック・ジャンクションで代行バスに乗り換えよ、という事らしい。
12時50分発コーク行は、いつものリメリック行のダイヤを踏襲しているようだった。
若者数人が床に座り込んでタバコを吹かしていた。
明らかに小学生位の子供までいたのは、困ったものだ。
アイルランドらしいというのか、外は青空が広がったと思ったら突然のザンザ振りになったりと、この天候の変化には、おおいに戸惑う。
リメリック・ジャンクション駅で代行バスに乗り継いで着いた、リメリック駅。
アイルランドはこの日、全体的にダイヤが変更になっているようでした。
この日自体は祝日ではなかったはずだが、今回ブログ作成のために調べてみたら、アイルランドでは3日後の28日(月)がハロウィーンだったので、この関連だったのか?(3連休前?)
リメリックから、フランス・シェルブールへ行くフェリーが出航するロスレアへはローカル列車。
一旦リメリック・ジャンクションを経由して、ロスレアへ向かう事になります。
一旦リメリック・ジャンクション駅のホームに立ち寄った後一旦バック、もう一度バックしてロスレアに向かいます。
この駅は配線に大きな特徴があるので、配線図を作成してみました。
特徴として、
① 本線の上下が直列で分岐し、同じホームの前後に発着する。
② 本線と支線の平面交差。
これにより本線・支線ともどの方向間でも、階段を使う事無く、同じホームでの乗換えが可能になります。
こういう配線、日本でもできませんかね?
地方の幹線だと、新幹線の開業による長距離列車の廃止で、長いホームを持て余している駅も少なくないので。
この後ウォーターフォードを経由してロスレアに向かうが、もう真っ暗になってしまったので、いきなりはしょって終点のロスレア・ハーバー駅。
ここからフランスのシェルブールまで、ユーレイルパスで乗れる長距離フェリーを利用する予定でした。
しかし、どうやら事前の予約客だけで満席らしく、キャンセル待ちになるとのアナウンスがありました。
ただ、発表を待っていても結局満席で乗れないとなったら、ただでさえ長距離の上、毎日運航される航路ではないので、時間的な損失が大になってしまう。
このためここでも予定を変更、ステナライン社のフェリーでウェールズのフィッシュガードに渡り、列車でロンドンへ、さらに当初はドーバーからカレーまでのフェリー(パス通用)利用を考えました。
イギリスはパスが通用しないから出費が痛いが、時間的にやむを得ない。
最上階にある、座り心地が良さそうなリクライニングシートが並ぶ座席部。
深夜というのに、子供が随分多かった。
21時50分出航の予定が、45分遅れでの出航になりました。
若干ドタバタした感もあるが、アイルランドについてはこの後2004(H16)年に集中して乗りに行く事になります。
その時にはまたバラエティあるアイルランド、それと北アイルランドの鉄道やバスを御覧頂けるかと思います。
********************
1996年10月26日(土)
なんと、係員に叩き起こされた!
とっくにフィッシュガードに入港していて、あわてて行列の後について行って、ロンドンへ行く列車のホームに向かう。
幸い、ロンドン(パディンドン)行ICはまだ発車時刻のかなり前。
フェリーは結構混んでいると思ったのに、列車は全然ガラガラ。
フェリーが遅れた分列車も遅れ、当初の1時50分発が、35分の遅れで出発。
約4時間と少々でパディントン駅に到着。
結局面倒くさくなって?動機が少々不純だが?パリまでユーロスターでの移動に再度変更。
ともあれ、初のユーロスター乗車になります。
当時のユーロスターはウォータールー発着だったから、地下鉄ベーカールー線で移動。
狭いです。放送は全くなし。
空いていたが、様々な人種の乗客がいました。
ウォータールー駅の、ユーロスター乗場。
ここで、指定券を購入。
9時57分発9016列車の指定券。
パリまで所要2時間56分。
(イギリスはフランスより1時間遅い)
ユーロスターはユーレイルパスでは乗れないが、提示で割引があります。
2等で34.5GBPって、日本円でいくらだったっけ…?
出発20分前にはチェックインを済ませて下さい、と注意書きがあります。
出発カウンターでチェックインを済ませて、待合室に入るのは、やはり飛行機に雰囲気が似ている。
グッズショップ。
これとは別に免税品店もいくつかありました。
20分前に乗車が始まり、乗客が一斉にホームに向かいます。
列車発車直前のホーム。
ホームには人が全然いなくて、鉄道のターミナルにしては異様。
つまりこれも旅客機と同じで、ホームに入れるのは乗客だけ、見送りの人達などは立ち入れないから、発車間際には乗客の大半が列車内に収まってしまうという事。
ユーロスターはこの後2度乗る事になるが、その後の2007(H19)年に、ターミナルがセント・パンクラス駅に移動しました。
このガラス張りのドーム状のホーム、今はどうなっているのだろう。
定刻より、心持ち早目に出発。
2等車の車内。
車内は至って静か。
車内販売の様子。
随分時間がかかっているようだった。
さすがに本格的な食堂車はないが、BAR車両がありました。
賑やかだなあ。
あるテーブルでは、ビールの缶やビンが本当に山積みになっていました。
テーブルがTGVあたりと比較して、少し少ないか。
チーズバーガーのセット。
街中のファストフードチェーンと変わらないのだが、BAR車で食べるとやはり雰囲気は盛り上がるもの。
当時のBARはイギリスのポンド(GBP)と、ユーロ導入前だからフランスのフラン(FFR)、それにベルギーのフラン(BFR)が使えました。
イギリス側は、しばらくは茶色系のトンガリ屋根の建物がどこまでも並んでいました。
スピードは、途中まではあまり出ませんでした。
(当時のイギリス側は、第3軌条式の在来線を走っていた)
しばらく走ると田園地帯になって、スピードも上がってきました。
ユーロトンネルは、途中1回大幅な減速があったため、通過に23分を要しました。
フランス側は、やはり大陸らしくおおらかな車窓が広がります。
どこまで走っても畑というイメージ。
13時56分、パリ北駅到着。
3分の遅れだが、ユーロトンネルの減速(理由不明)も考えたら、ほぼ定刻の到着ではなかったですか?
記念撮影をしているのは、日本人の奥様方。
結果的にパリの到着は、シェルブール経由を想定していた当初の予定より早くなりました。
この後夜行列車でスペイン国境のラ・トゥール・ド・キャロル … 去年も立ち寄って、写真を御覧頂きました … へ向かうが、時間があるので、地下鉄とバスで簡単に市内観光。
凱旋門。
セーヌ川。
エッフェル塔。
手前を走るのはRER。
シャンゼリゼ大通。
これからパリを拠点にして、夜行含め4泊5日でイベリア半島を回ってきます。
ラ・トゥール・ド・キャロルへは、本来はもう少し遅い時間にオーステルリッツ駅を出発するトゥールーズ行に乗って乗り継ぐプランにしていました。
しかし、20時51分発のポルト・ボゥ行にラ・トゥール・ド・キャロル行の客車が連結されているのを見かけたので、急遽これでパリを後にする事としました。
臨時列車、だったのか?
クシェットではなく、2等(1等は連結されていなかった)座席コンパートの1室に落ち着きます。
少々暖房が効きすぎて、セーターを脱がないと暑いくらいだった。
翌朝はスペインの電車に乗り継いで、バルセロナに向かいます。
当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》
LTE障害で利用者に利用者に返金 KDDIが発表